Take me back to Santa Barbara(観光編)

平日、幼稚園の送り迎えの前後で近場の観光名所に連れていってもらった。

 

ミッション

1786年にスペインのフランシスコ会修道士によって設立され「伝道所の女王」という愛称を持つ旧ミッション・サンタバーバラは、街の高台に立ち、その前にはピクニックがしたくなるような広大で美しい芝生が広がっています。

現在も修道院として使われ、内部の見学もできるようだ。芝生の先にはバラ園があり、何枚か写真を撮った。空の色を見てもらえばわかるとおり、12月というのに日差しが強烈でとてもピクニックはできまいと思った。

裁判所

スペイン植民地様式で設計され、1929 年に完成したこの裁判所は、特徴的な 4 面の時計塔、赤いタイルの屋根、エレガントなアーチ、緑豊かな庭を備えたサンタバーバラの象徴的なランドマークです。

時計塔に上ると海と山、白い漆喰壁と赤い瓦屋根が点在するサンタバーバラの街を360度眺めることができる。

下の芝生では幾組ものカップルが結婚式を行っている。(望遠レンズで隠し撮り…)

現在も鐘を鳴らし続けているセス・トーマスの時計

 

美しいタイル張りのらせん階段

 

歴史を学べる壁画

 

植物園

 

自然の地形を生かして、1,000 種を超えるカリフォルニア原産の植物のすべてが見られる植物園。今は花の時期ではないのかもしれないが、カリフォルニアポピー(花菱草)が少し咲いていた。父が昔庭に咲かせていたことを懐かしく思い出した。

 

ビーチ

水陸両用車のツアーで海から見るサンタバーバラも楽しんだ。時にはイルカが来たり、運がよければホエールウォッチングもできるらしい。

桟橋から見るサンセットも格別だ。

 

ソルバング

車で30分ほどのところにソルバングという北欧風の街があり、クリスマスイブに訪ねた。原宿のような賑わいだった。孫一人の機嫌が悪く長居はできなかったが帰り道で見た夕日は素晴らしかった。

 

ジョシュアツリーナショナルパーク

車で5時間ほどの国立公園へ遠出した。airbnbというシステムで貸別荘を二泊借り、中日でジョシュアツリー国立公園へ行った。

 

まずは、ビジターセンターで行程の相談。

孫の一人は2歳だというと、「2歳かぁ、絶対目を離すなよ、冗談じゃないぞ」と脅かされた。

レンジャーは子供たちのあこがれだ。小学生になるとジュニアレンジャーのバッジがもらえるらしいが、うちの孫たちはまだ歳が足りなかった。

まるでディズニーランドの張りぼての岩山のようだ。

公園の名の元になっているジョシュアツリーと絶対に触ってはいけないジャンピングカクタスーーこんな動画があった。

youtu.be

ジャンピングカクタスに気を付けながら、子供たちはおおいに岩登りを楽しんだ。

 

 

貸別荘は、ベッドルームが三つ。庭にハンモックやバーベキューができる設備があり、こんな家に住みたいね~と皆で言い合った。ハンモックに寝転んで朝焼けを眺めるのは素晴らしい気分だった。

チルチルしよう!が家族の合言葉になった。

*1

 

娘の家族も今年秋には赴任を終えて帰国するとのことだ。

一世一代の経験をさせてくれてありがとう!

 

 

 

*1:chill=<主に米話>落ち着く、くつろぐ、リラックスする

Take me back to Santa Barbara(日常編)

カリフォルニアに住んでいる娘から、アメリカのクリスマスを体験してみない?と誘われて意を決してウン十年ぶりの海外旅行に出かけた。

飛行機の窓から見る東京の町はきらきらきらめいてとてもきれいだ。

 

さぁ、いよいよアメリカに到着!というときに一枚窓の外の景色を撮ったが、あとで見返してみるとHOLLYWOODの看板(?)が写ってるんじゃない?

到着したロサンジェルス空港から娘の住むサンタバーバラまではバスで3時間の距離だ。長旅+長旅!とはいっても、狭い飛行機の座席よりはずっと快適だった。

ロサンジェルスは空気も悪いが治安も悪く、一人で歩ける街ではないらしい。

それに比べるとサンタバーバラはまだ田舎で、のんびりしていると言う。

到着の翌日は教会で孫のハンドベルの演奏を聞いた。この教会では子供向け日本語教室をはじめいろいろとお世話になっているそうだ。

クリスマス前の街

日本では商店街でしか見ない人形たち

ショッピングモールには大きなクリスマスツリー

クリスマスの朝

アメリカのお店では基本的にラッピングはしてくれないので、サンタさんのプレゼントは親がこっそりラッピングをしなければならない。娘の暮らすアパートでは管理会社がラッピング用の秘密部屋を用意してくれるそうだ。

 

25日は子供たちにとっては嬉しさとつまらなさが一緒にやってくる。

サンタさんからのプレゼントに喜び、それを友達に自慢したい、でも、どこの家庭もクリスマスはそれぞれの家族で過ごすので遊びたいのに遊べない。

引き裂かれる二人

 

ハンバーガー

教会からの帰り道にオオタニさんも大好きなハンバーガーショップ"in-n-out"に立ち寄り、もともと裏メニューだったというアニマルスタイルをテイクアウトした。

 

その次の日はHabitというハンバーガーショップに行った。

こちらもカリフォルニアでは有名なハンバーガーショップだが、サンタバーバラが発祥の地ということで、地元民はサンタバーバラを訪れた人に「ハンバーガーはin-n-out派?それともHabit派?」とあいさつ代わりに聞くのだそうだ。

ピザ

アメリカと言えばハンバーガーとピザ。これはクリスマスイブの日だったか、そのまえだったか、店員さんがサンタの赤い帽子をかぶってはいるが、忙しくて殺伐としていたそうだ。

 

アイスクリームショップ

yorgurtland

壁際のハンドルを操作してカップににゅ~っと絞り出し、次にトッピングを選ぶスタイル

 

McCnnell's

希望するとひと匙味見させてくれる。

アイスクリームをすくいとるバイトは腕力がつきそうだ。

 

アメリカのでっかい食べ物

左はクラムチャウダーとロブスターロール。ここでは生うにもおいしいそうだ。右のケーキの大きさは写真ではよくわからないかな。

 

スーパーで見たちょっと面白かったもの

芽キャベツは枝付きだったりバラだったりたくさん売っているが、普通のキャベツはない。右は、日本なら売り物にならないだろうと思われるメロン(笑)

ちなみに、卵も割れていることが多く、「割れてたらここに入れておいてね~」という箱が横に置いてあるそうだ。

 

アメリカのワンコ

チワワやトイプードルなど見かけなかった。家も大きいし、人も大きいし、犬も大きいのだ。

 

物価高

全体に物価が高いが、この辺りはガソリンが高く、毎週5,000円ぐらいの出費だと聞いた。

この表示によると5.39ドルx155円として、835.45円? ただし、これは1リットルではなく1ガロンだって。アメリカの1ガロンは3.78541リットルということなので、835.45÷3.78541=220.702645156  

リッター220円で計算合ってる?

 

サイバートラック

テスラの曲線を排した電気自動車

少し前まで、見つけるとみんな写真を撮ったりしていたそうだ。

日本では見かけたことがないので私も写真を撮った。

www.tesla.com最近、テロ?に使用されてニュースになりましたね。爆発物もたくさん積めそうだけどお高いんだからバカなことはしなければいいのに。。。

 

 

というわけで、日常編は終わり、観光地編へ続く~

 

 

過去と現代を巡る、秋の府中さんぽ 2024/11/10

曇り空の日曜日、近いところなら雨が降り出す前に歩き終わるかと出かけることにした。スタートは府中本町駅!

青いジャンパーの方々は観光ボランティアの会の皆さん。毎週木曜日と第一土曜日は無料のツアーがあるそうだ。今日はそのお力は借りず、JRの地図に従って歩く。

で、さっそく間違えて第一ポイントを飛ばし、東京競馬場に来てしまった。

競馬場周辺というとこんなイメージ

でも実際はおしゃれな大きな建物だった。場内にはローズガーデンや子供向け施設などがあり家族で楽しめるらしい。周辺でたくさんの人が働いている(警備や交通整理)にも驚いた。

ひんやりした朝だったので、お馬さんもコートを着用

 

競馬場の次は宮町中央公園へ。市民と行政が協働で開催したコミュニティガーデン講座の受講生が公園内に「地域の庭」として花壇を作ったそうだ。ちょうどこの日は花壇の植え替えをされていた。珍しい花があったので名前を聞くと「ルドベキア」とのことだった。公園の隣のお宅にはなつめがたくさんなっていた。

 

大國魂神社は七五三で大賑わいだった。「ここより先、プロカメラマンは入れません」と掲示があった。近頃はそういうのはやりだからね~ ちなみに中央にいる青いジャンパーの人は神社専属のカメラマンさんのようで、自由に出入りしていた。

 

 

大國魂神社の鳥居前から続くけやき並木は国の天然記念物だ。

源義家公とけやき並木

国の天然記念物「馬場大門けやき並木」は、九百四十有余年前、源賴義公、義家公父子が奥州平定の「前九年の役」の途次、大國魂神社に戦勝を祈願し、同役平定後の康平五年(一〇六二年)勝利の 報賽として、神社にけやきの苗木千本を寄進したことにはじまる。 その後、徳川家康公により、補植されて現在の姿になったが、この場所にあった周囲九メートルに及んだ大けやきは、賴義公・義家公 父子が奉植されたものと伝えられ、ご神木として氏子から敬愛されていた大けやきであった。その大けやきも、度々の暴風雨と、近くは昭和二十四年のキティ台風によって、幹や大枝が折れ、その後に残った幹の空洞内の出火で枯死してしまった。義家公は、清和源氏に発する河内源氏の嫡流として、七歳の時、石清水八幡宮で元服、よって八幡太郎と号したが、前九年の役・後三年の役で卓抜した武勇をあらわした公の代に、源氏の武威の最盛期を迎えた。このような大国、武蔵の国の国府であった府中、大國魂神社、けやき並木と源義家公の史実を後世に伝えるため、当時の若さあふれる公の像をこの地に建立するものである。この「八幡太郎源義家公之像」が府中の歴史を伝え、永く市民各位の心に生き続けることを願いたい。

制作は、高岡市在住、勅許御鋳物師藤原朝臣喜多家第三十代当主の三男、喜多敏勝先生 題字は、財団法人日本書道美術院審査員、 鹿島敬帆先生の揮毫による。

平成四年三月二十八日

創立三十周年記念事業

東京府中ロータリークラブ

大規模な商業施設が大きなケヤキ並木とよいバランスを保って素敵な散歩道になっている。そこを通り抜けさらに北へ。北府中駅近くまで行くとTOSHIBAと書かれたタワーが見えた。その下の芝生ではラグビーの練習をしていた。有名選手もいたかしら。

北府中駅から今度は一気に南下する。まっすぐな道は旧下河原線跡地とのこと。

おお、これはもしかしてビール工場?裏から見ているのですね。

行きついた府中市郷土の森観光物産館で地場野菜などを買って、その後地図通りに歩いているつもり。

あれれ、おかしい、これは川ではないの?

仕方ない、Google先生に聞いて軌道修正だ。

途中で休憩した郷土の森修景池は大賀一郎博士ゆかりの蓮が育てられていた。(と言っても今は枯れている)偶然、カワセミ発見! やった~

さぁ、コースも残りわずか。今度はビール工場を正面から見る。見学は予約制だそうだ。乾杯は家でしましょう。

府中は自然も歴史もいっぱい、便利だけれど遊び場もいっぱいのよい街だった。

いろいろ道を間違えたので、14Km

倒木のおそれがあるので…

通勤途中の桜並木に腹巻をしている木があった。

「この木は倒木のおそれがあるので近々伐採します…」みたいなことが書いてある。

私が歩く範囲だけでも8本もあった。

 

来年の桜並木はスカスカになってしまいそうだ。こんな景色はもう見られないかもしれないなぁ。

 

秩父巡礼札所めぐりとイチョウ並木を歩く 2024/10/27

この夏は、小さい孫が空き家になっている大おばあちゃんの家に大集合するというイベントがあったり、秋には姪っ子の結婚式に参列するため三人分の着物を用意しなければならなかったり、もうホントに疲れた。

やっと自分のための休日がやってきたので、久しぶりに遠出するぞ~ と勢い込んだが、秩父はほんとに遠かった。(泣)

 

スタートは秩父鉄道の大野原駅。朝早く出て、電車の乗り継ぎもせわしなかったのでコンビニに立ち寄ることもできず、スタート駅の人に途中でおにぎりとか買えるところはありますか?と聞いたら「う~ん、ありませんねぇ」と言われてしまった。田舎に来るときには装備品に気を付けなくては!

まずは秩父橋を眺めて、20番札所岩之上堂に向かう。

秩父橋

 

 

秩父札所20番岩之上堂

市指定史跡 札所二十番

法王山 岩ノ上堂

この札所は三間四面方形造りで他の堂における指折の建築で、 延宝初年、内田家先代、内田武左衛門尉政勝の再建によるものと いわれております。

現在の堂は江戸中期の造営と 思われますが、元禄年間に内陣の補修、宝永年間に彫刻の補修を 経てきたもので、唐模様系統の建築で優秀な造りとされており ます。岩の上堂の名の如くこの地は荒川西岸の崖上にあって本尊は聖観世音立像で高さ七一糎、寄木漆箔、藤原時代の作と言わ れ、市指定有形文化財になっています。

昔、人皇七十二代白河院の勅によって建立された荘厳な堂で あったといわれ、応仁の頃から次第にすたれ、本尊のみ岩の上に 雨にさらされた時もあったといわれ幾多の伝説もあります。札所にまつわる孝子話、乳水場の霊験も縁起とされております。 内陣には見事な春日厨子の形式による厨子があって、三三身と日天、月天像、風雷神像などの像がはられ、札所の中でもすぐれたものと共に貴重なも のです。

昭和40年1月25日 秩父市教育委員会指定

秩父札所21番観音寺

市指定史跡 札所二十一番

要光山 観音寺

この堂は、通称矢の堂と称し、本尊は聖観世音で他に幾体かの仏像があります。 大正十二年小学校火災により類焼後、今の堂がつくら れました、焼失前は三間四面の堂であったといわれ、 境内には聖観世音立像、百萬遍念仏塔、 弁財天石塔、芭蕉句碑等あり盛時が偲 ばれます。

堂前の道端には地芝居役者の座頭中村十九十郎(田舎千両と称えられた)の墓もあって地芝居隆盛の昔を偲ぶ民俗資料としても貴重です。 昔この地は、元八幡宮の社地で神託により観世音の霊場になったといいます。

邪神悪魔を除き仏地にせんと八幡大菩薩の放てる神矢がここに落ち、悪魔退散したるため名づけて矢の堂をなすという縁起があります。

 

昭和40年1月25日 秩父市教育委員会指定

 

 

22番札所への道案内の野仏

 

秩父札所22番童子堂

市指定史跡 札所二十二番

華台山 永福寺

この堂は、童子堂と称し、府坂地内より現在の地、永田城跡に移したと伝えられ近くに城の堀跡が今も現存しております。 四注屋根三間四面で周囲に 勾欄付の椽をつけ、欄間や扉には薄肉彫り淡彩の彫刻があります。山門の仁王門は、童子仁王といい稚拙であるが愛嬌のあるもので童子の名にふさわしい仁王門です。

本尊は、聖観世音がまつられております。

この堂は、淳和天皇の御弟、三品式部卿伊豫親王の菩提のため遍照僧正がこの領主に命じて草創したものといわれます。 昔讃岐に怪貪な長者があって行脚の僧長者に食を乞えども与えられず、僧は金を払いて米を求め犬に与えれば、この家の悴、犬となり共に喰いいる様に親は驚き悲しみ大きく、長者は僧に因果の道理を説かれ、その犬を引いて諸国の霊場を廻り当山に来て始めて元の人間になったという縁起があります。

昭和40年1月25日 秩父市教育委員会指定

童顔の仁王様

かわいい仁王様に見送られて、次の札所音楽寺に向かった。今まで平坦な道だったが、一転、急な山道だ。一歩踏み出しても10センチほどしか前進しない。

道端のきのこに励まされ山道を登る

はぁ、やっと着いた~

秩父札所23番音楽寺

市指定史跡 札所二十三番

松風山 音楽寺

この札所は、秩父地方屈指の景観地にあります。観音堂は三間四面ふき寄せ二重垂木、 向拝はありませんが江戸中期の大きな堂です。

内陣には唐様の須弥壇に立派な厨子を安置しています。

本尊聖観世音は一木造り檜材で、像高八一糎、室町時代の作です。梵鐘も明和五年の銘が昭和三十二年二月、市指定の文化財になっています。

明治十七年田代栄助を総理とする秩父事件の群衆もこの鐘を鳴らして秩父町に崩れこんだという逸話ものこっています。

天長年間の昔、慈覚大師は関東霊地開拓の折、この地の優れたるに感じ、聖観世音像を安置し山路を開きたもうとき数多くの小鹿現れて大師を案内せしめたため小鹿坂の地名となったという縁起があります。

 

昭和40年1月25日 秩父市教育委員会指定

 

音楽寺からの眺望と梵鐘

音楽寺の裏山ではフジバカマを育てて海を越える蝶、アサギマダラを呼んでいる。一匹だけフワフワと飛んでいるのを見ることができた。

youtu.be

音楽寺の裏山には熊もくるみたい…

音楽寺の裏山を抜けると旅立ちの丘に出た。

平成三年二月、秩父市立影森中学校で
一曲の歌が生まれました。
―歌声の響く学校を目指そうーと
合唱に取り組んだ先生達の手作りの歌
「旅立ちの日に」です。
素朴であたたかく、また力強く雄大なこの歌は、
希望を込めて歌い継がれ、
現在では全国の学校の卒業式で歌われています。
この「旅立ちの丘」は、
「旅立ちの日に」が生まれた秩父市街地を望み
希望に満ちた人生の出発点として、
また、若き日の思い出を語る広場になるよう
ここに建造いたしました。

平成十八年二月吉日

秩父市長 栗原 稔

youtu.be今では卒業式の定番ソングは「仰げば尊し」ではないのですよ、知ってました?

 

展望台の柵には南京錠がつけてあったりして、甘酸っぱいなぁ~

 

さて、旅立ちの丘は秩父ミューズパークの北の端、そこからイチョウ並木が延々と続く。まだ木が若くて細いが、30年後、50年後には立派な並木になるだろう。

なぜか、メスの木が多いようで、銀杏もたくさん落ちていた。

 

ミューズパークを通り抜けるころにはすっかり歩き疲れて、バスでどこかに出る手はないものかと時刻表を眺めても、1時間~2時間に一本?しかもまず反対方向にぐるりと廻る巡回バスなのか~ どうしたものか…

思案に暮れていると、同じハイキング地図を手にした女性が声をかけてくれた。

たぶん私より一回りほど若い彼女と話しているうちに、一緒に西武秩父まで歩きましょうということになった。

途中、巴川橋から、放水している浦山ダムが見えた。

浦山ダム

彼女についていく形で30~40分歩いたが、私は地図を見て感覚的に距離や時間をとらえる力が衰えたんだなぁと思った。一人で歩いていては気づかないことだ。(やだ~、認知症の始まりかしら)

おかげでちょうどよい時間の特急ラビューに間に合った。




12キロのコースだったはずが16キロも歩いてしまった。はぁ、へとへと。





 

文化の足跡をたどる~「文の京」に山あり谷あり学びあり 2024/9/23

 

やっと涼しくなった~ さぁ、歩かなくては。

この日の出発は日暮里駅。

文政十二年(一八二九)に成立した『御府内備考」』には、「感応寺後と本行寺の間より根津坂本の方へ下る坂なり」とあるが、「根岸」の誤写の可能性がある。明治五年『東京府志料』には、長さ十五間(約二七・三メートル)幅二間(約三・六メートル)とあるが、現在の坂の長さは五十メートル以上あり、数値が合致しない。以前は、谷中への上り口に当たる急坂を「御殿坂」と呼んだが、日暮里駅やJRの線路ができた際に消滅したため、その名残である坂の上の部分をこう呼ぶようになったと考えられる。俗に御隠殿(寛永寺輪王寺宮の隠居所)がこの先にあったからといわれるが、根拠は定かではない。

お彼岸の中日でこう天気が良ければ、善男善女はこぞってお墓参りに行くでしょう。

コンビニの店先にもお供え用のお花がいっぱい

 

谷中の商店街もずいぶん観光客向けになっているようだ。

人であふれているという鎌倉より楽しいに違いない。

私はこんなところで110円の小物を漁った。

 

少し歩いて根津神社をお参りした。

こちらも外人さんがいっぱい

 

東京大学の裏手に「お化け階段」というのがあった。

どこがお化けかというと…

途中で大きく曲がる約15mの階段。最下段の高さがとても低く、下るときには1段と数えられないために「上りと下りで数が違う階段」としてこの名がついた。

これじゃ上るときだって数えないに違いない。。

 

そのすぐ近くに「サトウハチロー旧居跡」という看板があった。

後ろの立派なおうちにはどなたか住んでおられるようだったので写真には入れなかった。

 

次に大通りに出ると、「弥生式土器」の発見地 の看板があった。

「弥生式土器」の発見地  国指定史跡  弥生二丁目遺跡

「弥生式土器」の発見 

明治十七年、東京大学の坪井正五郎、 白井光太郎と有坂绍蔵の三人は、根津の谷に面した貝塚から赤焼の壺 を発見した。これが後に、縄文式土器と異なるものと認められ、町名をとり「弥生式土器」と命名された。 

発見地はどこか 

「弥生式土器」の発見地は、その後都市化が 進むなかではっきりしなくなり、謎とされてきた。推定地としては、次の三か所が指摘されている。(左の図参照)

①東京大学農学部の東外側(サトウハチロー旧居跡付近)

②農学部と工学部の境(現在地付近)

③ 根津小学校の校庭裏の崖上

弥生二丁目遺跡の発掘

(図の④の地点)昭和四九年春、根津小学校の児童が、東大構内旧浅野地区の工学部九号館わきで倒れた木の根元から土器片や貝殻を採集した。これがきっかけで発掘調査が 行われ、二条の溝と貝層、弥生式土器等が検出された。都心部における 弥生時代の数少ない貝塚を伴う遺跡として重要であることが評価され、 昭和五一年に弥生二丁目遺跡として国の史跡に指定された。 しかし、「弥生式土器」の発見地は、特定するにいたっておらず、現在も調査研究がすすめられている。

 

地図省略

 

文京区教育委員会 平成22年3月

なるほど、それでサトウハチロー旧居跡が重要なことがわかった。でも、発見した場所がわからなくなるなんてね~

次に東大の正門・赤門前を通って小石川後楽園に向かった。

4人組のおばさまたち、正門前でご機嫌で自撮りをしていらっしゃった。

 

小石川後楽園は今は目を引くものがあまりない季節だ。

田んぼの番をしている黄門さま   怖い!

 

彼岸花と睡蓮

サギたちものんびり

入場料120円で、撮るものがないなんて文句は言えないな、と思ったことだった。

 

6Kmぐらいかなぁ

ポケモンスタンプラリー2024

夏休みの恒例行事ポケモンスタンプラリーが今年もやってきた。

www.jreast.co.jp

ステージ1,2,3とあって、ステージ1は通勤の片手間に集められる6駅。

ステージ2は、都区内パスを購入して12駅のスタンプをゲット!賞品はネックストラップだった。

ステージ2

例年ここまでで終わりなのだが、今年は意地になって全部集めてみたくなった。

ステージ3は36駅。休日おでかけパスで全部カバーできる範囲なのだが、時間が足りず、一日では回り切れない。

結局6駅ほど残して別の日に。

ステージ3

やったー全駅コンプリートだ!

まだ空白の多いスタンプ帳を広げているちびっ子たちの間を颯爽とくぐり抜け、もらった賞品がこれ

テラスタル研修修了証書

おばさんにはこの価値がわからない(笑)

しかしまぁ、よくJRに貢献したものです。

乗り降り自由の切符の楽しさは味わいましたけどね。