War and Peace and War:The Rise and Fall of Empires その96

 
ターチンによるローマ帝国衰亡論.ターチンはローマ帝国のメタエスニックフロンティアが遠ざかったことに始まる第2セキュラーサイクルの分解フェーズ,そしてその中の父と子のサイクルを解説する.ローマはBC1世紀の内戦がアウグストゥスの勝利で終わったあと,貴族層人口の過剰の解消により一旦平和がもたらされ,そこから第3のセキュラーサイクルに入る.しかし平和は人口増をもたらし,その後もサイクルは回り続ける.
 

第11章 車輪の中の車輪 ローマ帝国のいくつもの凋落 その7

  

  • 農業社会の平和と安定は,しかしながら問題の芽を内包している.幸運の車輪は回り続けるのだ.そして元首政期以降のすべてのサイクルの詳細を紹介するのは重畳的で退屈になる.ここでは元首政期(BC27~AD284)についてはハイライトだけを紹介しよう.

 

  • BC27以降の内的な平和と経済繁栄は人口増加を生んだ.イタリアはまたも人口過剰問題を抱え込んだのだ.AD100年ごろには無産市民の人口が目に見えて増加してきた.トラヤヌス帝(治世AD98~117)は自由民の子供への公的扶助プログラムを創設した.これは軍隊に入るべき人員を確保するためだったろう.軍隊のイタリア出身者の割合1/4程度で共和政期(2/3)に比べて大きく減っていた.この比率は3世紀には3/100まで下がる.

 
ここでターチンは軍隊のイタリア出身者の割合を重視しているが,やや微妙だ.ローマ帝国はガリア,イベリア,アフリカ,バルカン,中東と拡大しているのであり,軍隊のイタリア出身者の比率が下がるのは当然だ.ローマはギリシアのポリスと異なり,征服地の人々をどんどんローマ市民として取り込んだ(支配層については元老院銀の資格も与えている)し,退役後のローマ市民権を約束することで,忠誠心のある軍隊を編制した.これらを考慮した上で,軍隊のローマへの忠誠心,あるいはアサビーヤが全体として下がったというなら,より深い説明が必要だろう.
 

  • そして小規模土地所有者が減少する中,イタリアとシシリアの中核地帯はラフティンディウムと富裕層のヴィラで占められるようになった.外部征服の終わりとともに奴隷の流入が減少し,土地はコロヌス(移転の自由のない小作人)により耕されるようになった.

 

  • 五賢帝時代は内的平和と経済繁栄の時期であり,ローマ帝国は最大版図を持つ.そしてそれは貴族の黄金時代だった.エリートは経済的に繁栄し,人口を増やした.すべての貴族の繁栄の指標は2世紀にピークをつけている.

 
通常はこの五賢帝時代がローマ帝国国力のピークとされる.ターチンによれば,これは第3セキュラーサイクルの統合フェーズで説明されることになる.アサビーヤの侵食はすでに前回のセキュラーサイクルで始まっているが,それがブレーキとして聞き始めるまで300年かかったのだという説明がなされている.私的にはこれはやや苦しい説明だと思う.
 

  • AD150までに社会は危険なほどトップヘビーになった.しかしなお内的安定を保っていた.この均衡は165年の疫病(アントニヌスの疫病)の到来で破れる.これはおそらく天然痘(あるいははしかも加わっていたかもしれない)で,そのインパクトは中世の黒死病に匹敵するものだった.この疫病は波のように何度も到来し(最初の大波が170〜180年代,次の大波が250〜260年代だった),大きな被害を生じさせた.
  • 疫病流行後の物事の進展は速かった.(ローマの)弱さを感じたゲルマンとサルマタイの部族はラインとドナウの辺境を圧迫し始めた.167年以降帝国は繰り返し彼らの侵入を受けることになる.帝国財政は破綻した.マルクス・アウレリウス帝は戦費を賄うために国家の宝物を売りに出した最初の皇帝になった.デナリウス通貨は改鋳を繰り返し,最終的に銀の包含量は2.5%になった.それすらも供給不足になり,帝国は軍隊をコントロールできなくなっていった.エジプトで反乱が生じ,ローマでも市民が食料暴動を起こした.

 
ターチンはこの時期の疫病について国力低下と蛮族に弱みを示したマイナス要因として強調している.しかしここまでには人口減少をサイクル上昇要因と扱うこともあったので,そのあたりの説明もほしいところだ.
ともあれここからローマの第3セキュラーサイクルの分解フェーズ入りということになる.

NIBB動物行動学研究会 講演会 基調講演


 
sites.google.com

 
動物行動学研究会の講演会で長谷川眞理子さんが基調講演されるというので聴講してきた.
 

人間行動生態学へ 長谷川眞理子

 

  • 今日は昔話もふくめて,人間についてどう考えるかについて話したい.
  • 動物の行動の研究は1930年代以降にエソロジー(動物行動学)として始まった.ローレンツ,ティコバーゲン,フリッシュが1973年にノーベル賞をとったことで有名だ.
  • この受賞は私が大学3年の時だ.今中身をみると「種の保存」のような現代では否定されている間違った考え方も含まれていた.有名なドーキンスの「利己的な遺伝子」はこれをふくめたグループ淘汰の誤りを明確に指摘した本になる.余談だが,この「種の保存」の誤解は本当にしぶとくて不思議だ.先月スポーツ科学関連の講演会に呼ばれたが,その後の雑談で,ある参加者が「『利己的な遺伝子』は本当にいい本ですね.生物が種の保存のために進化することがよくわかりました」と話していて,心底がっかりした.
  • 受賞者の1人であるティンバーゲンは生物学には4つのなぜがあると説いた.それは至近因,究極因,発達因,系統進化因になる.
  • (動物行動学を越える新しい学問である)行動生態学は生物の行動についてこの究極因を考察するものになる.生物の行動は(学習やエピジェネティックスを含む)情報処理,意思決定アルゴリズムが,環境と遺伝変異の中で自然淘汰を経て進化すると捉えることが出来る.ここで重要なことは遺伝子が直接行動を支配するわけではないということだ.
  • この行動生態学は1960〜70年代に姿を現した.適応的アプローチ,究極因の研究,どのような条件でどのような行動が進化するのか,行動の適応度の測定,進化速度の測定などの研究がなされた.
  • 私は1973年に東大で進振りの時期を迎えていた.このような行動生態的な研究が面白いと思ったが,どこに進めばそういう研究が出来るのかがわからなかった.動物学教室ではミクロしかやらないといわれ,いろいろ探して,人類学教室では人類だけでなく霊長類も範囲内だということでそこに進んだ.そして霊長類を研究することになった.人類(の行動研究)は難しいと思った.人間とは何かというのは難しい.私は45歳ぐらいになってようやくある程度いえるようになった.

 

  • 1975年に欧米で社会生物学論争が巻き起こった.EOウィルソンが「社会生物学」という大著を出した.その最終章で,「いずれ人文学も社会学も生物学の一部門になるだろう」と書いて,大論争になった.
  • まず大反対が巻き起こった.いわく,生物学帝国主義だ.遺伝決定論だ,人文学社会学は独立した存在だ.ヒトと動物は根本的に違う,などなど.(いろいろ紆余曲折の末)生物学サイドは,ともかくヒトを対象に行動生態学を当てはめてみようという動きになった.私は80年代にティム・クラットンブロックの元でポスドクをやることになったが,ヒトに直接当たるのは無謀だということで,ほかの動物をやっていた.
  • 社会生物学論争に戻ると,批判者の中心はルウォンティン,グールド,サーリンズといった面々だった.サーリンズは文化人類学者として,文化の独自性を強く主張し,文化は文化でしか説明できないと論陣を張った.これは(何のエビデンスもなく)イデオロギーだった.社会生物学論争についてはセーゲルストラーレの「社会生物学論争」がよく書けている.私はオルコックの「社会生物学の勝利」を訳した.
  • 80歳を越えた某文化人類学者と意見を交わしたことがあるが,「人種なるものは存在せず,すべては文化的な区分けだ」「進化は嫌いだ」「進化論は遺伝的な差を認める差別主義だ」というばかりで全く聞く耳を持たない.科学であるなら,「何が示されたら意見を変えるのか」ということがあるはずだが,イデオロギーになってしまっている人にはそれがない.多くの社会学者や人文学者は何があっても意見を変えず,意見を変えたやつは変節だと罵る.これでは科学ではない.なお先日HBESJで60代の文化人類学者のイヌイットの話を聞いたが,彼はきちんとヒトの生物学的な基盤を認めその上に文化があるのだといっていた.文化人類学も変わってきているのかもしれない,
  • ヒトを対象に行動生態学を当てはめようという動きは1970年代に人間行動生態学が興り,1985年ごろから進化心理学が立ち上がった.国際学会であるHBESは1988年創設.初代会長はハミルトンだった.私は,閉鎖的で日本独自にこだわる日本の霊長類学会をやめてそちらに進んだ.1996年に日本で研究会を立ち上げて,その後HBESJという学会に改組している.
  • 進化心理学ではまず人間本性の研究,つまり文化を越えたヒューマンユニバーサルの探求が盛んになされた.そして領域固有な脳の働き,モジュール性,領域特殊性が強調された.1998年のHBESのポスターはそれ一色だった記憶がある.
  • 最近ではやっぱり文化も大事であると認識されるようになっている.文化の意味,文化環境の大切さが意識されるようになり,文化進化,遺伝子と文化の共進化,ニッチ構築などが数理モデルもふくめて研究されている.私もヒトにとって文化環境は非常に重要だと考えている.動物は自然環境の中で,それに対処するための身体を遺伝的に進化させる.ヒトは自然環境とともに文化環境を持ち,その中でうまくいくように遺伝子に淘汰がかかる.獲物を捕るために動物は爪や牙を進化させるが,ヒトは狩りの方法,道具,捕った獲物の分配をふくめた文化で対処する.ヒトは生まれ育った文化に従って行動し,それに対して遺伝子に淘汰がかかる.だからヒトとは何かを考えるのなら文化も考えなければならない.

 

  • このあたりで私自身のヒトについての研究についても触れておこう.
  • まずヒトの殺人についてのリサーチがある.マーチン・デイリーとマーゴ・ウィルソンは殺人を調べ,(殺人率の性差や年齢曲線について)ユニバーサルパターンを見つけ,性淘汰で説明した.私はこれを日本のデータでやってみた.そこには日本特有のパターンもみつかり,それを文化的に説明しようとした.
  • 続いて児童虐待のリサーチがある.子殺しがなぜ起こるのかを進化的に考察してヒトに応用するリサーチがあり,これを東京都の研究員として都のデータを用いて児童政策のために行った.
  • 思春期のリサーチもある.これは多くの子供の10歳から20歳までを追跡する大規模コホート研究で,チームで行った.多くの論文に結実している.

 

  • 今日は特に日本の女子死亡率の推移についてのリサーチを紹介しておきたい.これはデータをとっていろいろ進めたがなかなか論文にならなかったものだ.
  • 配偶競争はオスの方が激しい場合が多い.そのような場合に性淘汰が働くとオスはよりリスクをとる戦略をとり,死亡率(特に外部要因による死亡率)も高くなる.これは基本的にはヒトにも当てはまり,多くに国の様々な時代のデータでそうなっている.
  • しかし社会の状況によっては女性の方が死亡率が高くなることもある.インド,パキスタン,バングラデシュ,モロッコなどで女性差別が激しい場合にそういう状況が観察される.ベネズエラのアチェ族でも粗放農耕社会でそういうデータがある.
  • 日本ではどうか.戦後の日本は,男性の方が死亡率が高いというよく見られるパターンになる.特に高度成長期以降は完全にそうなっている.しかし戦前にはそうではなかった.年齢40歳ぐらいまで女性の方の死亡率の方がかなり高かったのだ.その一部はお産の影響だが,幼児や10代(特に差が大きい)の死亡率の高さはそれでは説明できない.
  • 一体何が起こっていたのかをいろいろ調べた.この傾向は1884年の統計開始時から戦前を通じて見られる.死因を調べると外部要因(事故)による死亡率は男性の方が高いが,肺炎,結核などの病気による死亡率は女性の方が非常に高い.これは女工哀史のような過酷な労働,および病気になってもなかなか医者に診てもらえないという女性差別の影響だろうと思われる.
  • いろいろ調べるとその時代の女性差別の様々な状況が浮かび上がってきた.
  • ではなぜその時期に強い女性差別があったのか.これが難しい.明治以降日本の社会規範は大きく変わり,四民平等,その中での立身出世主義,そして男性嫡子相続制となった.これらの影響が考えられるが,決め手には欠ける.
  • そして進化的に考えるならどっちの方が(男子をより残すのとそうでないのと)適応度が高かったのかが気になるが,そのデータが取れない.
  • というわけで論文とはならなかったのだが,いろいろ示唆に富む部分もあるので今日お話しした.

 
 
以上が基調講演の内容になる.戦前の女子死亡率の状況はなかなかすさまじい.
 
なおこの講演会はこの後幸田正典による魚類の鏡像認知,依田憲によるバイオロギング,木下充代に夜アゲハチョウの浩司氏革新系,土畑重人による社会性の講演もあり,なかなか充実していた.
 

第17回日本人間行動進化学会(HBESJ Hiroshima 2024)参加日誌 その2

sites.google.com
 

大会二日目 12月8日

 

口頭セッション3

 

狩猟採集⺠の食餌幅選択及び農耕⺠との関係性を考慮した数理モデル 河⻄幸子

 
狩猟採集民と農耕民と生物資源2種がある社会で,個体群動態がどうなるかについての数理モデル発表
 

教示を行うライフスケジュールの進化 下平剛司

 
教示についてのライフスケジュールの進化についての数理モデル発表.教示が,教示者のコストになるとともに,子の知識・技術の学習効率上昇を通じて子の繁殖力を高める場合のトレードオフを分析したもの
 

社会学習の「深さ」をめぐる鶏と卵問題 森隆太郎

 

  • 問題解決には社会学習が有効な場合がある.特に「ウシの体重当て」のような場合の集合知効果がよく知られている.
  • ある特定のウシの体重を知るにはこれで十分だが,その学習が,別のウシの体重当てにも使えるかどうかは社会学習の有効性において重要な問題となる.つまり学びの波及に関する観点が重要だがこれまでの研究ではあまり考察されていない.世の中に似ていて異なる問題は多く,それにも応用できるような「深い」学習が重要と考えた.
  • ではどのような社会学習なら目の前の特定状況を越えられるのか.ここでは特定の数値を推定するものを「浅い」学習とし,関数問題として捉えるものを「深い」学習とする.
  • ここで個人学習と社会学習があって世代交代していくモデルを考える.そして社会学習に浅いものと深いものがあるとする.
  • モデルを回してみると,深い社会学習は世代が更新されるにつれてより効率が良くなるが,浅い学習ではそのような改善があまりない.しかし(学習頻度,学習の正確性などの)条件によっては初期世代では各個体にとり浅い学習の方が有利になる.
  • 条件をいろいろ調べた結果,累積的文化進化が生じるには,学習が選択的で忠実,深い学習の波及効果が大きいことが重要であることが分かった.
  • 社会学習の利益には複数のチャネルがあり,一部の利益には外部性があることを示している.

 

間接互恵性における社会規範の進化 村瀬洋介

 

  • 関節互恵性の数理モデル的な研究は,どのような行動ルールと評判ルールの組み合わせ(規範)のもとで協力が安定するか(非協力的な戦略に侵入されないか)を中心になされてきた.そしてリーディングエイトと呼ばれる8つの戦略セットが見いだされてきた.
  • これらの先行研究には以下の制限がある
  • (1)評判が誤解なく他者と共有されることが仮定されている(公的評判モデル).そうでない私的評判モデルも研究されているが,結果は結構異なる.
  • (2)すでにあるルールの安定性が吟味されている.どのような条件で頻度を増やしていくかはあまり吟味されていない.
  • (3)多くの研究は限られた戦略ルールを選択してシミュレートしている(大槻の論文は例外)
  • そこで「関節互恵の協力が確立するにはどのような状況からどう進化するのか」を2080のすべての戦略セットを用いて吟味した.これは2080×2080の対戦をシミュレートすることになる.我々は富岳を用いた大規模計算アプローチでこれに取り組んだ.
  • 結果は以下の通り
  • まずナイーブに総当たりでシミュレートすると協力は進化しない.進化動態としてはallDに対してL2, L5がまず侵入し,そこにL1, L3, L4, L7が侵入し,それが多くなるとallCの侵入を許し,allDが再度侵入するという形になる.
  • サブグループを作り,対戦はサブグループ内,稀に他グループから戦略が伝播するという集団構造を導入すると協力が進化しうる.
  • 協力が進化する上で特に重要なのはリーディングエイトのうちL1と呼ばれるタイプだ.上手く協力が増えるサブグループ内でL1が頻度を高め,安定している傾向がある.L1はリーディングエイトの中でも最もコンテキストに依存しないルールで,協力には良い,裏切りには悪い(ただし罰する場合を除く)という単純ルールとなる.

 
富岳を使った大規模計算アプローチというのはとても興味深い.なお発表者は協力の進化についての大規模計算アプローチについていくつかnoteを書いてくれていていずれも面白い.
note.com
note.com

 

招待講演

 

現代の狩猟採集社会における食物分配について: アラスカのイヌピアットとカナダのイヌイットの事例を中心に 岸上伸啓

 

  • 私は文化人類学者としてカナダ,アラスカのイヌイット,イヌピアットなどの人々を対象に食物分配をテーマに研究してきた.ここでは2つの事例を紹介し,文化の変化,分配の多面的機能を説明し,分配を通して人間とは何かを考えてみたい.
  • 文化人類学は,参与観察,フィールド調査を行い,結果を文化間で比較したり一般化を試みたりする.人間とは生物的,文化的,社会的存在であり,私は生物学的な基盤の上に文化があるのだと考えている.
  • 狩猟採集社会ではほぼ普遍的に食物分配が見られる.ヒトの特徴としては(積極的に)与える分配,交換がある(いずれもチンパンジーには見られない)

 

  • アラスカのイヌピアットはホッキョククジラを狩猟する.ホッキョククジラは体長15メートル,体重50トンにもなるヒゲクジラで,北極海とベーリング海を季節回遊する.現在11の捕鯨村があり,1980年代以降,国際捕鯨委員会から年間51頭の捕獲が認められている.
  • 私の調査地はこの中のバローと呼ばれる村で人口4300人ぐらい.
  • 捕鯨のあとは宴や祭りとともに肉,皮,脂が分配される.肉,皮,脂は外には販売されず,すべてイヌピアット内で分配,交換,贈与される.
  • 村には捕鯨集団が50ほどあり,それぞれキャップテン,その妻,5人ほどのハンター,その家族で構成されている.
  • 現在では近代化された建物が建ち並んでいる.車社会であり,生鮮食料品を売るスーパーもあり,日常的にそこで買い物をする.11月から5月は氷雪に閉ざされる.
  • 捕鯨のスケジュール.1〜2月は船や道具の整備,春になるとクジラが氷原のクラックに沿って移動を開始するので,岸でクジラが来るのを待つ.突然目の前に現れる.大きすぎるクジラは避け,9〜10メートル級を狙う.見つけると小さな皮船を漕いで近寄り,まずモリでつく.その後銃でしとめる.このあと他の捕鯨集団の助けを借りてクジラをひいて解体場に運ぶ.解体後は助けてくれた他集団に一山づつ分ける.その後祝宴となり,村の人が集まってくるので皆に分けて食べる(入り口で肉だけもらって帰る人も多い).残りは地下貯蔵室に.そして5月,6月の2つの伝統的な祭りでまた皆で分けて食べる.
  • 9〜10月は秋の捕鯨シーズン.もう氷は溶けているのでクジラは沖合いを回遊しており,モーターボートを沖にまで出して捕る.これはかなり危険.持ち帰るのも大変で,やはり他集団の助けを借りる.解体後は春と同じで,祭りは感謝祭とクリスマスになる.
  • 彼らにとって捕鯨は生活サイクルの要になる.クジラのどこを誰にどう分けるかはかなりの部分慣習的に決まっている(一部はキャップテンの裁量になる).(詳細の説明がある)
  • イヌピアットにとって,クジラはヒトのために命を差し出してくれるもの.捕鯨はそうやってきてくれたものを捕獲する神聖な行為になる.だから決して粗末には扱わない.
  • 村によって分配の詳細は異なる.最近(特に1980年代以降)分配のやり方は単純化してきている.若いキャップテンの方がより平等に分配する傾向がある.

 

  • カナダのイヌイット(かつてはエスキモーと呼ばれた)は現在約7万人ほどいて,うち70%ほどは昔ながらの極北地域にいるが,30%はモントリオールのような大都会に出てきている.
  • 伝統的な居住地はツンドラ地帯で,低温低湿で農業は出来ず,アザラシ,セイウチ,クマ,カリブーなどの狩猟が生業だった.
  • 調査地はアクリヴィク.人口は増加中で1984年に317人だったものが2021年に642人になっている.現在では住宅は近代化され,発電所,学校,教会,生協,空港などが整備されている.エネルギーは石油に依存し,スノーモービル,モーターボートで移動する.経済的には役所の賃金労働やアート製作販売などにより貨幣経済が中心になっているが,狩猟採集も熱心に行われている.伝統的には大家族だが,核家族化が進行中.
  • 多くの食品を生協で購入し消費するが,狩猟採集で得た食物は伝統的な分配の対象になる.
  • 分配は4タイプ(ハンター間,ハンター→村人,共食を介して,ハンターサポートプログラム).共食を解する分配が多く,ハンターの家に集まって皆で食べる.最後のプログラムは村がハンターを雇い,村が事業として分配するものだ.
  • 最近では分配の頻度が減り,範囲も狭まっている.

 

  • イヌピアット,イヌイット共通にいえるのは,分配には多面的な機能があるということ.経済的な食物分配だが,特定の社会的関係を元にした社会的機能(これが特に重要)があり,さらにコミュニティのアイデンティティにかかわる文化的機能,名声や評判にかかる政治的機能,文化的な満足や貸し借りを感じるなどの心理的機能がある.
  • 最近では,現金経済の比重が増し,分配の頻度や範囲は減少しているが,なお多面的な機能を果たしている.
  • 人間は他の人をケアする生物であり,分け与える能力が重要ではないかと感じる.

 
なかなか具体的な話が多く,スライドも臨場感満点で面白い講演だった.
 

口頭セッション4

 

戦後日本における犯罪加齢曲線の崩壊―衝動性の健全化か幼形化か? 高橋征仁

 

  • 長谷川・長谷川(2000)の論文で,戦後日本の犯罪年齢曲線の崩壊が指摘されている.そこではこれを説明するのに高学歴化の進展による将来の安定化期待の増大を背景とした「衝動性の健全化仮説」が提唱されている.
  • しかしよりこの崩壊を細かく見ると,若年男性のピークは1950年より1955年で上昇し,1962年以降急激に低下しており,高学歴化の進展と必ずしも一致していない.また犯罪率減少のスピードがとても速い.
  • 犯罪年齢曲線は強盗,強姦,傷害などでほぼ同じ形でピーク崩壊している.暴行については60〜70年代で18〜19歳のところでより減少幅が大きくなっている.これは大学進学率の上昇で,受験前の事件化に手心が加えられた影響かもしれない.
  • 日本の殺人率の推移をみると,第二次世界大戦中は青年男性の減少もあり大きく低下し,戦後にまず戦前の水準に戻り50年代を通じて高止まりする.そして1962年ごろから大きく低下していく,この頃の若者は戦中低殺人率時代の人の子供世代に当たる.また社会的に産児制限や中絶が多くなる時代でもある.
  • そして70年代ごろから結婚は恋愛結婚が多くなり,女性の配偶選択はやさしい人が基本になる.
  • 以上のことから私は代替仮説として性淘汰による「衝動性の幼形化(家畜化)仮説」を提示したい.犯罪年齢曲線の崩壊は,戦争の影響,さらに衝動性の抑制に対して女性の配偶選好が強く働いた結果として解釈できるのではないだろうか.

 
戦争の影響の部分はよくわからなかった.恋愛結婚の増加により,女性がやさしい人を求め,男性側に衝動性の抑制が働いたというのは面白い視点だが,遺伝子淘汰には世代不足であり,何らかの条件付き戦略の発動(何らかのキューで衝動性が抑制される)か学習効果(ぐっと我慢して暴力に訴えない方がモテそう)ということになるのだろうか.なお質疑応答で眞理子先生から,コホート別に分析した2004年の論文の方が参考になるのではという指摘があった.
 

マッチングアプリにおける配偶者探索方略の検討 山田順子

 
マッチングアプリを模した形式で,配偶者選択における情報探索方略を調べたもの.男性の方略は一貫していたが,女性は相手男性によって方略を変える傾向があったというもの.
 

Parochial Cooperation in Nested Groups CHIANG, Yen-Sheng

 

  • 内集団びいきのリサーチには様々なモデルがあるが,これまでは内集団と外集団という2項対立で扱われることが大半だった.しかし実際には人が属する集団には階層制(家族,親族,職場,地方,国など)があリ,内集団にもいろいろなレベルがある.
  • そこで入れ子になった内集団階層を前提に,協力がどのように生まれるかを調べた.協力ゲームを行い,プレーヤーは自分がどのレベルのグループIDをシグナルするかをその都度選ぶ.
  • 数理モデルと実験を行った.シグナリングにより協力が生まれるが,弱い.よりローカルなシグナルの方が協力が生まれやすいという結果だった.

 
モデルの詳細はよくわからなかったが,いろいろな前提やパラメータに依存しそうな印象だった.
 

閉会挨拶 竹澤会長

 

  • まず大会運営にかかわった方々に感謝申し上げたい.
  • 私が会長になった時に会員数は300人ほどだったが,今日現在で380人となっている.年々増えていて喜ばしい.またLEBSヘの投稿も一時低迷したが,近時増えている.(昨日の懇親会で,メンバーが増えていることについて「新陳代謝」といってしまい,古参の人が消えているわけではないとおしかりを受けたが)新しい人新しい顔が増え,発表テーマも増え,学会として発展してきている.これも皆様のご努力のおかげだと思っている.
  • それでは,恒例の年末の締めを眞理子先生にお願いしたい.

 

年末の締め 長谷川眞理子

 

  • 夕べの懇親会では新陳代謝という言葉も出たが,まだ退出してませんから(会場笑い)
  • 今年も知らない顔にたくさん出合うことが出来た.実際に若い人が増えている.多くの学会で若い人が減っていると聞いているのでとても嬉しく思う.
  • 今回の発表は数理モデルが多かったという印象だった.このモデルでこういう現象を説明しよう,そして簡単なもの,難しいものがあり,どういうところがわかりやすいのか,そういう視点で説明があるといいと思う.
  • コロナの時には文化人類学などの参与観察が基本の社会学では,ネットアンケートのような調査が(やむを得ず)増加した.今回の(数理モデルの)発表はちょっとそれに似ている印象がある.しかし人間の生身を見ながら考えるのは重要だと思う.ネットによるリサーチは補完的に用いて,それをふくめてヒトについて考えていくのがよいと思う.おばあさんの感想かもしれませんが.
  • 運営してくださった皆様には感謝です.どうもありがとうございました.

 
以上で本年のHBESJは終了である.オンラインを設定していただいて本当にありがたかった.運営の方々には私からも御礼申し上げたい.どうもありがとうございました.

第17回日本人間行動進化学会(HBESJ Hiroshima 2024)参加日誌 その1

sites.google.com
 
 
本年のHBESJは広島修道大学での開催.今年は完全なハイブリッド開催とはならなかったが,口頭発表や招待講演はオンラインで配信があり(ポスター発表が対象外),今年もオンラインで参加することとした.会場の配信だけでもいろいろと準備や運営が大変だと思われるので,ここで感謝の意を表しておきたい.

 

大会初日 12月7日

 

実行委員会挨拶 中西大輔

 

  • 今回の参加者は126名.前回広島で行ったのが2013年で,その時より参加者が増えている.他の学会では参加者減少が取りざたされているところが多いので,大変喜ばしいと思っている.ポスター発表も増えたので,二部制をとることにした.よろしくお願いしたい.

 

口頭発表セッション 1

 

人口転換における二つの普遍的経路 板尾健司

 

  • 人口転換とは,前近代社会の出生率,死亡率ともに高い状態から近現代社会の両方とも低い状態への移行のことをいう.実際の過程は,衛生環境の改善などでまず死亡率が大きく下がり,人口が増加し,その後出生率も下がって少産少死社会になるという形で進む.さらに多くの先進国では人口減少のステージに入っている.
  • 人口学ではこの転換を第1次転換,第2次転換に分ける議論が主流だ.これは転換に相があるという主張になる.またこの転換の様相に西洋独自性があるか,女性の生涯出生率が2を切る時に何らかの相変化があるか,GDPとの関連,近代成立期との関連など議論が多い.
  • そこで実際にどのようなパターンがあるのかを195カ国200年の国連のデータを用い,粗出生率(人口1000人辺りの出生率)λと平均寿命 e0 の関係を調べた.
  • 縦軸λと横軸 e0 の平面上をある国がどう動いていくかをプロットすると,大きく2つの経路が現れた.1つはλと e0 の積が一定の経路(λ* e0 =1400),もう1つがλと exp(e0)の積が一定の経路(λ* exp(e0) =1100)だ.(前者を経路1.後者を経路2と呼ぶ)
  • (ここでいくつかの国の歴史的経路が示される)1つの国は最初経路1の上を動き,どこかで経路2に乗り移るような挙動をみせる.西欧の国は1の時代が長く,新興国は2の上が長い.この2つの経路は地理的にもメカニズム的にも異なる異なる相だと考えられる.経路1では乳児死亡率が高く,人口成長率が一定で,経路2では乳児死亡率が低く,1人あたりGDP成長率が一定だ.
  • ここで親の子供に対する投資に注目し,出産・教育のコストと繁殖成功のトレードオフ(教育には初期コストがかかるが後の生産性が向上する:教育効率,投資の非線形性,コスとの大きさをパラメータとする)の観点からモデル化した.これによると平均寿命が閾値を超えると教育が有利になり,経路1から経路2に移行することが示された.

 
データから得られた経路と相転移を上手くモデル化しており,なかなか面白かった.
 

スパーシャル AI と法:道路交通に関する法情報を帯びた空間におけるエージェントのシミュレー ション 大塩浩平

(SNSでの言及不可とされているものについては,公開されている発表要旨範囲内の簡単な紹介にとどめておく.以下同様)
 
広島の交通事故の判例をデータとし,スパーシャルAIの開発を行う試みについての発表
 

音象徴と言語の恣意性を表現する Bayesian Iterated Learning Model 八丸世旺

 

  • 言語の特徴として,(音と意味の間の)恣意性と離散性が良く指摘される.恣意性については擬態語などについて音象徴性がある部分もあることも示されており,そういう場合には音の連続性も重要かもしれない.しかしこれまではここはあまり調べられていない.そこで,この恣意性と音象徴が共存している場合のモデルを作成した.
  • 具体的には先天的な音象徴バイアスを持ち,その上で音と意味の対応をベイズ推論するILMモデル(親世代の言語使用を情報とし,文脈のもと子世代が語の意味をベイズ推論し,世代交代する.モデル内では文脈(ディリクレ分布),対象(カテゴリー),音(正規分布)が処理され,音処理にバイアスが入れ込まれている)を構築した.
  • <結果>
  • 音象徴と恣意性の共存が再現できた.
  • 音象徴バイアスにより恣意性が変化し,収束速度も変化した.バイアスが小さいほど最終的に収束する意味の分散は小さくなった.
  • バイアスの中心に必ず収束するとは限らなかった.

 
モデルの挙動は平面上にバイアスとしてある点が示されて,その周りに意味の推論点が散らばり,収束していくという形で示された.なかなか楽しい発表だった.
 

文化形質の切替えが祭儀等イベント時に起こるとき,同調性バイアスがないにも関わらず初期頻度が普及の決め手となる 吉﨑凜人

 
文化進化についての発表.

  • 文化的に新しいものがどのように広がるのかについては,単純な数理モデル(ロジスティックモデル)と実際の統計的な記録にはズレがある.これは同調性,バイアス,相互作用などで説明されてきており,多くのモデルがある.しかしこれまでの研究では採用形質の切り替えのタイミングがすべての個体で一斉にアプデートするか,連続的にアプデートする前提だった.
  • しかし,A→BとB→Aを促すイベントが別々であるような場合も考えられる(普段は鉄斧を用いるが,祭りの際には石斧を交換するオーストラリアの民族がヒント).そこでこのようなイベントが交互に生じるモデルを構築して調べてみた.
  • すると頻度依存的な動態が現れ,関連イベントが先行する方が初期頻度が小さくとも固定可能になった.魅力度を入れると挙動はさらに複雑になり,初期頻度と関連イベントの先後によっては魅力度が低くても固定可能になることがわかった.

 
交互イベントをモデルに組み込むと,頻度が上がったり下がったりの鋸状の推移になる.乗り換え人数はイベントタイミングの頻度と相関するので,イベントの先後により挙動が変わってくるということになる.パズル的な面白さの発表だった.
 

口頭発表セッション2

 

進化精神医学に関する諸仮説の検討 髙野覚

 
人類学を学んだあと精神科医となった発表者による,精神科医療現場において過剰診断・過剰投薬がなされているのではないかという問題意識からの発表.

  • 恐怖と不安については進化精神医学でよく議論されている.
  • ヘビ恐怖については進化環境での重要性,遺伝性があること,適応的な意義,現代環境でのミスマッチなどが議論されている.
  • 高所恐怖は垂直加速に対する恐怖であり,10メートルぐらいからかなり強く現れる.経験よりも遺伝的要因の方が大きく,適応的意義は落下の危険防止と考えられる.水平加速に対してはこの恐怖は発現せず,交通手段が大きく発展した現代環境とはミスマッチになっている.
  • 不安については,有用な危険予測の過剰であり,火災報知器の原理が働いている.遺伝要因が強く,性差がある.精神科医療現場では女性によく見られる不安過剰が取り扱われる.男性に多いと思われる不安過少にも問題があると思われるが実際に医療現場で対象になることはない.

 

  • うつについても進化精神医学ではいろいろな議論がある.
  • よくいわれるのはうつは発熱に似た防御反応だろうということだ.どのような防御かについてはアタッチメント仮説,援助希求仮説,ランク仮説,情動的疼痛仮説などいくつかの考え方がある.うつについてもなりにくさにもリスクがあると考えられる(過労死など).
  • 至近的には「望ましい何かを得られないこと」がセロトニンレベルを低下させて生じると考えられている.
  • 「うつ」をセロトニンレベルを変える薬(抗うつ剤)によって治療するのは,原因を解決せずに症状だけ抑えようとするもので,解熱に似ている.場合によっては環境悪化や治癒遅延に繋がりかねない.
  • 現在はSNS,監視管理の強化,安心安全を強調するなどにより,よりうつに陥りやすい社会環境があると考えられる.私はそこに自己家畜化過程が働いて,よりリスクが高くなっていると考えている.
  • 現在動物園や家畜や実験動物の扱いについてアニマルウェルフェア,環境エンリッチメントの考え方が提唱されている.進化環境と異なる現代環境(特に見知らぬ多くの人との協働を迫られること,共同育児があまりないことなどのストレス要因)に生き,自己家畜化が進んだヒトについても同じように考えていくべきではないか.
  • 統合失調症,双極性障害,様々な発達障害も進化環境では淘汰されずに残っているが,現代環境では病気扱いされて治療の対象となる.
  • (進化環境では問題なさそうな患者についての)過剰診断を抑え,(進化適応を無視し,単に症状を抑えようとする)投薬治療ではなく,より環境エンリッチメント的な行動療法を取り入れて対処していくことが望ましいと考える.

 

協力評判管理メカニズムの発達経路: 子どもはいつから他者の目だけでなく将来の相互作用の可能性を考慮するようになるか? 新井さくら

 

  • 協力問題の1つの解決は互恵的協力だ.このような互恵的関係を築くには,いかにしてパートナーを選ぶか,いかに選んでもらうのかの2つの課題がある.ここでは後者を考える.
  • いかに選んでもらうのかは,基本的に評判の管理の問題になる.
  • 成人においては,観察されている時により協力的になる,将来の相互作用が予想される場合により協力的になることが報告されている.
  • では発達的にどうなのかについてはこれまであまりリサーチがなかった.
  • そこで小学1年~中学3年までの459人で単一手続で調べた.ペアで独裁者ゲームをやってもらい,観察者の有無,将来の相互作用の可能性,将来協力してもらえる可能性をコントロールした.
  • 結果,観察者の有無以外の手がかりは効果がなかった.さらに観察者の有無は小学校低学年と小学校高学年および中学生で逆の効果が現れた.小学校低学年では(成人と同じく)観察者がいる方が協力的だったが,小学校高学年と中学生は観察者がいる方が非協力的になった.
  • これは互恵的協力のための評判管理方略の発達過程が非線形であることを示唆している.
  • なぜ小学校高学年から中学生にかけて成人と逆の方略をとるのかについては,思春期において大人に搾取されないために「よいこである」ことから脱却するような適応方略が現れるためかもしれないと考えている.

 
これは直感的な推測と全く逆の結果が示されており興味深い.
 

Effects of bonus and sanction on the evolution of cooperation in the finite linear division of labor where the process never stops for defection Md Sams Afif Nirjho

 
分業の協力進化に関する数理モデル発表
 

はなぜ不平等場面の目撃を避けようとするのか -直接罰と間接罰の比較- 三石宏大

 
第3者罰ゲームでは,傍観者も個人的コストを払って第3者罰を行う傾向が示されているが,(そのコストを避けるために)不平等場面の目撃回避が可能であればどうなるかを調べたもの
 
 
以上で初日のオンライン発表は終了である.現地ではこのあとポスターセッションとなったようだ.

書評 「The Genetic Book of the Dead」

 
本書はリチャード・ドーキンスの最新刊.ドーキンスはすでに83歳だが,なお執筆意欲高く本を出してくれるのには感謝しかない.ドーキンスといえば「利己的な遺伝子」を始めとする進化生物学の啓蒙書だが,ここ15年ほどは,新無神論本,自伝,書評集,エッセイ集が中心だった.しかし2022年に「Flights of Fancy: Defying Gravity by Design and Evolution(邦訳:ドーキンスが語る飛翔全史)」で,久々に進化生物学の啓蒙書を出してくれ,そして今回本書の出版ということになる.
題名のThe Genetic Book of the Deadからは,これはゲノム本かと思っていたのだが,読んでみると,まさにドーキンスらしく利己的な遺伝子と表現型が議論の中心になっている*1.その中では,「利己的な遺伝子」,「延長された表現型」などで繰り広げられた議論が簡潔にブラッシュアップされている部分もあり,ある意味ドーキンスにとって(自伝とはまた異なる角度で書かれた)これまでの学者人生振り返りの本なのかもしれない.
 

第1章 動物*2を読む

 
冒頭は「あなたは一冊の本なのだ」という一文から始まる.生物の身体(表現型)とゲノム(遺伝子型)にはその祖先がたどってきた過去が自然淘汰を経て書き込まれているという意味だ.そしてこの「死者の遺伝子本」の内容はその生物にとっての将来の予測であり,過去環境のモデルとなる.ドーキンスはここで古代の羊皮紙(palimpsest)を比喩として持ち出す.それは一部消しては新しく書き込まれるということを延々と繰り返してきた書き物なのだ.
ここから,その羊皮紙に書かれている内容を上からみていくことになる.
最上層にはその生物自体の過去(知覚内容,学習内容,免疫記憶など)が書かれている.ここでは脳には現実世界のVRモデルがあること,それを解読することは現時点では出来ないが,原理的には可能であること*3が指摘されている.
2層目に行く前に,自然淘汰について解説がある.自然淘汰は遺伝子プールに対して働き,それをより建設的な方向に(適応的に)彫刻していく.そして有性生殖による組み替えがあることにより,遺伝子プールはデータベースになり,種は平均化計算機として働くことになる.
 

第2章 絵画と彫刻

 
続いて「死者の遺伝子本」の次の層,ある種について自然淘汰により書き込まれた部分,そのうち特に(我々から見て)解読しやすい部分が取り上げられる.
最もわかりやすいのはカモフラージュ(比喩として「絵画」が使われている)だ.これはまさにその生物種がたどってきた環境の見た目が生物の表面に描かれている.ここでは地衣類そっくりの模様を背中に持つトカゲやカエル,樹木そっくりに見えるフクロウやヨタカ,小枝に見える昆虫の幼虫,漂う海藻の切れ端のようなタツノオトシゴ,ライチョウの冬の白色,葉っぱのようなヤモリなどが紹介されている.オオシモフリエダシャクの工業暗化,トラの縞模様が二色型色覚しかないシカなどからみて完璧に機能するカモフラージュになっていることなどにも触れている.
次は擬態(比喩として「彫刻」).育児嚢を小魚に似せている二枚貝ランプシリス(大きな魚に襲わせて,幼体をそのエラに寄生させる),尻尾の先をクモに似せて獲物を釣るヘビ,ハチに似たアブなどが紹介されている.ここでは危険なものへの擬態として,警告色,チョウやガの眼状紋*4,ウツボのように見えるタコのポーズ,胸から上がより大きな鳥の頭に見えるハゲワシのポーズなどが紹介されている.
 

第3章 羊皮紙のさらに深くに

 
第3章では,さらに深く,種分岐を越えて祖先系列において自然淘汰により書き込まれた部分を扱う.
ドーキンスはすべての生命が海から始まったことを取り上げる.陸上生物であっても海中生活の名残が羊皮紙の深い部分に書き込まれているのだ.脊椎動物の陸上進出,それについてのローマーの干ばつと連続した水たまり仮説*5にちょっと触れたあと,一旦陸上進出した脊椎動物の水中への再進出が取り上げられる.
ここではなぜクジラやジュゴンはエラを進化させなかったのか(肺を捨ててエラを再進化させる方向に進むよりも,今ある肺を上手く利用する方が容易だった),ウミヘビの解決法(基本は肺を使うが,一部の酸素を頭部の血流を増やして水中で皮膚呼吸を行うことにより得ている),ウミガメの解決法(同じく一部の酸素を総排出腔を用いた皮膚呼吸で得ている),水中に戻ったことにより巨大化が可能になったこと(クジラやステラーカイギュウ),イクチオサウルスとイルカの収斂などを取り上げたあと,水陸を往復したカメの進化史*6が詳しく解説されている.
続いて自然淘汰が羊皮紙に重ね書きしていくために生じる様々な事象として,既存のデザイン設計を少しづつ上書きすることしか出来ないために生じる「進化のバッドデザイン」(脊椎動物の網膜と神経の配線と盲点,反回神経の配線など),発生の初期に働く羊皮紙の基礎層ではしばしば保守的なデザインが生まれること(脊椎動物の骨格,節足動物のセグメントパターンなど),上書きにより使われなくなった記述が偽遺伝子化することなどが取り上げられている.
 

第4章 リバースエンジニアリング

 
第4章では自然淘汰による生物進化(適応)がパーフェクトなものに向かって進むことといわゆる「進化の制約」の関係が議論される.これは昔のグールドとのスパンドレル論争の今日的な整理ということになるだろう.
ドーキンスはまず適応主義者も認める「進化の制約」を5種類*7(タイムラグ,歴史的制約,遺伝的多様性の欠如,コストによる制約,環境の予測不可能性や捕食者や寄生者の対抗進化によるもの*8)挙げ,ここから反適応論者が主張する(上記5点に含まれない)いくつかの制約に反論していく.

  • 「不利な形態,生理,行動にかかる変異のうち,トリビアルすぎて自然淘汰が見逃すものがある」というルウォンティンの議論:不利になる目に見えるような形態や行動を自然淘汰が見逃すはずがない.ごくわずかな不利でも世代を繰り返せば頻度差が増幅されていく.自然淘汰はヒトの観察眼よりはるかに敏感に不利な変異を淘汰するだろう.
  • 自然淘汰は必ずしも最適を目指さない,十分によければいいという議論:自然の競争は厳しい,十分によいだけのものは最適なものに簡単に淘汰されるだろう*9.

 
ここから進化生物学者がとる「リバースエンジニアリング」手法が解説される.例としては古代ギリシア時代の遺物であるアンティキティラ島の機械がどのような目的のために作られたかの解明が挙げられている.
そこから一見完璧から離れて見える進化産物についてリバースエンジニアリングを用いて見えてくるもの,具体的にはアームレースにおける最終産物,コストとのトレードオフ,羊皮紙の深い層にかかる制約,動物の身体内部がぐちゃぐちゃに見えること,胚発生からの発達を経て身体を作らなければならないことによる制約などが解説されている.
続いてリバースエンジニアリング的な考察の具体例がいくつか取り上げられている.キリンの頭部に十分な酸素を供給するための心臓と血管系,哺乳類の頭骨とその生態の関係(肉食獣と草食獣の違い,例えば歯の形状と目のつき方,具体例として剣歯虎の牙と裂肉歯と待ち伏せ型の狩り,蟻食動物,魚食動物の頭骨の特徴が取り上げられている),同じく哺乳類の消化器系と生態の関係,ヒトの歯の特徴とランガムの調理仮説,鳥類のクチバシ形状と生態などが詳しく解説されている.
そしてリバースエンジニアリング的に動物を比較すると,同じ問題に対して同じ解決法がしばしば進化していることがわかる.それが次章のテーマになる.
 

第5章 共通の問題と共通の解決

 
第5章のテーマは収斂になる.ドーキンスは進化の力の強さはカモフラージュの完璧さによく現れているが,もう1つ,収斂現象も強い印象を与えると言っている.
ここからは次々に印象的な収斂の例が紹介される.フクロオオカミとイヌ,パカ(南米の齧歯類)とマメジカ,アルマジロとセンザンコウとダンゴムシの防御姿勢,頭足類の眼と脊椎動物の眼,ハゲワシとコンドルがまず紹介される.
次に旧世界のヤマアラシと新世界のヤマアラシの類似が齧歯類の中での収斂であること,針による防御が様々な哺乳類(2つのヤマアラシ,ハリネズミ,テンレック,ハリモグラ)で進化したこと,滑空も様々な哺乳類で進化したこと(モモンガ,ウロコオリス,ヒヨケザル,フクロモモンガ),オーストラリアの有袋類と旧世界の有胎盤類の様々な収斂*10,地中生活への収斂(モグラ,メクラネズミ,キンモグラ(アフリカ獣類),フクロモグラ(有袋類)),大きな牙を持つスミドロン(剣歯虎)とニムラブス(偽剣歯虎)とティラコスミルス(有袋類).エコロケーション*11(イルカとコウモリ*12,そしてより原始的なエコロケーションがアブラヨタカ,アナツバメに見られる),電気魚(南米のデンキウナギとアフリカのギュムナルクス),電気センサーを持つクチバシ(カモノハシとヘラチョウザメ),鳥の偽傷行動(鳥類において何度も独立に進化している),掃除魚行動(魚類だけでなくエビでも何度も独立に進化している)が紹介される.
この中でドーキンスは種間GWAS(IGWAS)による収斂遺伝子の探索を提案している.大規模に行えば例えば哺乳類のゲノムを水生生活次元とか樹上性次元などで分析できることになる*13.
 

第6章 1つのテーマについての多様性

 
第6章のテーマは適応放散.
クジラが一旦海に戻ったあと,重力の制約から逃れて多様化したこと,硬骨魚の適応放散とその結果の多様性(タツノオトシゴ,アンコウ*14,ミノカサゴ,マンボウなど),恐竜絶滅後の哺乳類の放散,ヴィクトリア湖のシクリッドが短期間で多様化したこと*15,甲殻類の多様性*16とボディプランの制約,それに関するダーシー・トンプソンの甲羅の変形の議論が解説されている.
 

第7章 生きている記憶

 
第7章では羊皮紙の最上層に戻る.つまり学習や記憶が扱われる*17.
スキナーのオペラント条件づけ理論とスキナーボックス,自然淘汰との類似点,報酬と罰とそれにかかる脳の仕組み,そして何を報酬と感じ何を罰と感じるかが自然淘汰により形作られること*18,人為淘汰により動物にそれまで罰や痛みとして感じられていた刺激を報酬と感じさせることが出来るように育種可能かもしれないこと*19,鳥のさえずりにおける遺伝と学習の多様な関係*20,クレブスとドーキンスによる動物のシグナル伝達の理論(シグナルは発信者が受信者を操作しようとしているものと考える*21),操作とそれへの対抗というアームレースとマインドリーディング能力の進化,動物の文化伝達,免疫記憶*22,日焼けや高地適応,カメレオンやヒラメやタコによるカモフラージュ的体色模様変化や擬態などが扱われる.
最後は脳によるシミュレーションやイマジネーションも扱われ,そのような能力ももちろん自然淘汰により進化したとコメントされている.
 

第8章 不滅の遺伝子

 
本書はここまで「死者の遺伝子本」に何が書かれているのかの具体例を挙げてきた.ここからはこの背景にある「進化についての遺伝子視点」を語っていくことになる.これはドーキンスの「利己的な遺伝子」から「進化の存在証明」までの進化本の中心的なメッセージであり,80歳を越えてもう一度読者に伝えておこうという趣旨だろう.
第8章は「利己的な遺伝子」で提示されたテーマが中心になり,「利己的な遺伝子」に対する(誤解から生まれた)批判が整理され,それに反論する形になっている.少し詳しく紹介しよう.

冒頭では誤解からの批判の最新版デニス・ノーブルによる「Dance to the Tune of Life」が取り上げられている.

  • ノーブルは「○○のための遺伝子」なるものは存在しない,遺伝子は分子を作るための道具に過ぎず,それは直接的原因(active causes)ではない」と主張する.そうではない,自然淘汰が作用するためには遺伝子こそが必須要因であり,遺伝子が生物体(つまりヴィークル)を利用して将来へ旅しているのだ.
  • ノーブルのコメントは科学史家チャールズ・シンガーによる「生物学の因果には特権的なレベルは存在しない」という考えと共鳴している.しかし生命体がどれほど様々なレベルにおいて複雑に相互依存しているとしても自然淘汰を考えるならそこには因果の特権的レベルが存在し,それは遺伝子のレベルなのだ.
  • もちろん分子的実体としての遺伝子には寿命があるが,遺伝子の持つ情報は,無限にコピー可能であるがため潜在的に永遠で原理的に不滅であり,因果的に強力だ.
  • そして遺伝子が変異すれば次世代の表現型が変更しうることは実験的にも示せる.それは直接的原因だ.そして変異のうちあるものが成功し,別のものが失敗し自然淘汰が働くが,それはまさに遺伝子が(統計的に)因果的影響を及ぼすからだ.

 
次はグールドとの論争が振り返られる.

  • グールドは遺伝子の役割を「単なる帳簿づけ(進化の原因ではなく進化が記録されているだけ)」だと主張し,遺伝子,個体,グループすべてのレベルで淘汰が生じており,特権的なレベルはないという意味でのマルチレベル淘汰理論を支持した.
  • 確かに生物進化現象には階層があるが,遺伝子は特別であり,進化の因果的なエージェントとしての特権的なレベルにある.それは遺伝子のみがレプリケータであり,その他のレベルはヴィークルだということだ.

 
遺伝子の性質についてのいくつかの論点も整理されている.

  • 遺伝子とは何かについての1つの論点は遺伝子の境界が明確でないことだ.それは染色体より小さく,さらにどのような配列も減数分裂で組み換えられる.
  • 何を(あるいはどのぐらいの大きさのDNA配列を)遺伝子と考えるかは,考察している世代数に依存する.成功する遺伝子とは世代を超えて頻度を増やす統計的な傾向を持つものだ.

 

  • 「○○のための遺伝子」がないという主張において,表現型と遺伝子が一対一対応していないということを理由にする議論も散見される.これは「○○のための遺伝子」が,表現型の「違い」に関する概念だということが理解できていないための誤解になる.

 
最後に「進化の遺伝子視点」と個体の関係が扱われる.

  • 実際に表現型を観察できるのは生物個体だ.これはしばしば遺伝子視点の弱点だと主張される.しかしそうではない.
  • 生物個体は(その個体の利益だけではない)特殊な目的のためのエージェントとして振る舞う.ハミルトンはこれを深く考察し包括適応度理論を作り上げた.そして,包括適応度とは何か,なぜ個体が包括適応度上昇のために行動するのか,を理解するのに遺伝子視点は非常に役に立つのだ.(詳しく解説がある)

 

第9章 身体の壁を越えて

 
第6章のテーマは「延長された表現型」.進化について遺伝子視点を取れば,その表現型はその生物の身体より外側に広がっていることが理解できる.ここではトビケラやミノムシやジガバチの巣というわかりやすい例から始め,ケラの作る地中のトンネルの出口がダブルホーンの拡声器になっていることを紹介し,そして鳥のさえずりを例にとり様々な行動も遺伝子の表現型として理解できることを示している.
さらに表現型は(遺伝子の持ち主ではない)他の生物個体の身体や行動まで延長して考えることが出来るとする.そしてまず鳴鳥のオスの遺伝子がさえずり行動を形作り,それがメスの生理や行動を変容させること,同じことがアズマヤドリのアズマヤにも当てはまること*23が述べられる.
また延長がかなり長距離まで生じることが,ビーバーのダムの大きさ,テナガザルやホエザルの歌の響く範囲で示されている.
 

第10章 後ろ向きの遺伝子視点

 
第10章と第11章では(生物個体ではなく)遺伝子の祖先系列がテーマになる.特定遺伝子に書き込まれているものはその祖先系列における環境になるので,遺伝子視点からはこの祖先系列は興味深いものになる.第10章で大きく取り上げられているのが托卵鳥をめぐる様々なパズル,特にカッコウの托卵系統だ.
 
托卵習性が鳥類の中で何度も進化していること,カッコウのヒナがホストの卵やヒナを巣から押し出す(そして殺す)こと,ホストの親鳥はそれを(介入せずに)傍観することにちょっと触れてから*24,カッコウの擬態卵の問題を取り上げる.

  • カッコウは複数種のホストに托卵し,そこで生まれたメスはそのホスト種の卵に合わせた(遺伝的に決まる)見事な擬態卵を生む.これはホスト種の托卵排除習性への対抗と考えられている.
  • しかしオスはどのホスト種で生まれたメスとも交尾するので擬態がなぜ壊れないのかがパズルとされている.この問題はなお解決していない*25が,有力な仮説は擬態遺伝子(特に模様や色を決める様々な遺伝子の発現についてのスイッチ遺伝子)が性染色体のWに乗っているというものだ.メスのヒナは自分の生まれたホスト種を認識して同じホスト種に托卵するので(この文化的メス托卵系統はジェンツ*26と呼ばれる),この仮説においてはW染色体の擬態遺伝子の系列は常にある特定ジェンツのメスを経由していることになる.
  • メスがホスト種を記憶・認識して托卵する際にエラーが生じることがある.そして托卵排除習性を進化させていない種に托卵することがカッコウのホスト種拡大・乗り換えのきっかけになりうる*27.

 
続いて特定の遺伝子系列をめぐる2番目の例として,グッピーの1種 Poecilia parae のオスに見られる色彩多型の問題が取り上げられている.

  • この種のオスは特定オス系列にのみ現れる模様を持つ(5系列あり模様は5種類).それぞれの模様は配偶戦略に関連し(地味な模様はスニーカー戦略など),模様はオス系列で遺伝する(息子の模様は父親の模様のみで決まる).
  • これを受けて,模様と行動にかかるオス系列のジェンツが存在し,それはY染色体上の遺伝子(おそらくスイッチ遺伝子)が決定しているという仮説が唱えられている.
  • リサーチはこのオスジェンツの多型が頻度依存的に維持されていることを示唆している.(それぞれの配偶戦略がどのように頻度依存的に働きそうかが詳しく説明されている)
  • 特定ジェンツのオスの遺伝子はすべて同じジェンツのオス系列をたどってきており,仮説が正しいなら行動や模様はY染色体上の遺伝子が決定する.Y染色体は組み替えを受けないので,それぞれ複雑な模様と行動という形質の連関が(それが複数遺伝子の制御下にあっても)壊れにくいのだと考えられる.

 
ドーキンスはカッコウの話題に戻り,なぜホスト種は托卵排除習性は進化させるのに,ヒナ排除を進化させないのかについて解説し,コストとメリット(命とご馳走原理),アームレース,超刺激*28などについて語っている.
 

第11章 バックミラーに映るさらなる眺め

 
第11章は遺伝子の祖先系列をさらに考察したいくつかの話題が取り上げられる.
まずゲノミックインプリンティングが簡単に紹介される.つづいてオス系列で伝わる遺伝子は過去のランダムサンプルではなく,「激しい競争を勝ち抜いて繁殖に成功したオス」を経由しているという歪んだサンプルであることが指摘され,様々な動物に性差があること(そしてしばしばオスはよりリスク受容的であること),なぜ性比がメスに偏らないのかについての(グループ淘汰的な推論の誤りの指摘の後)フィッシャーの性比理論,分散の重要性とハミルトンの洞察(ハミルトンとメイの理論)*29などが語られる.
ここで合祖理論が取り上げられる.そしてドーキンス自身のゲノム分析でわかったこと,英王室の血友病遺伝子,繁殖プールの大きさの歴史の推定,種系統と異なる系統樹を描く遺伝子系統を分析できること,自然淘汰の痕跡を調べることができること(セレクティブスウィープ)などが語られている.
 

第12章 良い仲間,悪い仲間

 
第12章のテーマは遺伝子が経験する環境として最も重要な同じゲノムにある他の遺伝子.この同じゲノムにある他の遺伝子(厳密には同じ遺伝子座の対になるアレルも含まれる)が,ある遺伝子にとっての環境であるというのは遺伝子視点を取る場合に当然のことになるが,割りと見過ごされやすく*30,ドーキンスがよく議論しているところだ.
ドーキンスはここでまず(羊皮紙に過去の環境として書き込まれる)一緒に旅してきた他の遺伝子は同じ遺伝子プールを共有するものであることを指摘し,「種」の定義問題に軽く触れている.そこから種分化の鍵となる生殖隔離がどのように生じるかを取り上げ,それは1つには染色体の構成が異なってきて減数分裂がうまく行えなくなるからだが,もう1つの重要な要因は,十分長い間隔離されると遺伝子たちが協力する性質が自然淘汰を受けなくなるためだとし,成功する遺伝子の最も重要な性質は遺伝子プールを共有する他の遺伝子と上手くコラボする能力だと指摘する(ここでは複雑な遺伝子ネットワークの例により説明されている).自然淘汰はそれぞれの遺伝子プール内に協力する遺伝子カルテルを作るように働くのだ.そしてそのような遺伝子は他のカルテルメンバー(他種の遺伝子)と上手く協力できない可能性が高い.
ここでチョウの大家であったEBフォードによる古典的なリサーチが紹介されている.それはヤガの一種の多型をめぐるフィールドリサーチになる.

  • このガ(Lesser yellow underwing)には白色型と暗色型があり,暗色型はごく一部の地域でのみ見られる.
  • どちらになるかは1遺伝子座のメンデル遺伝で決まるが,優性劣性はこれにかかる変更遺伝子群(modifier genes)で決まっており,暗色型が優性だ.
  • しかし異なる地域(バラ島とオークニー半島)のガを交配させると,この優性劣性が壊れてしまう.これは(白色,暗色を決める遺伝子は共通だが)暗色型を優性にする変更遺伝子群は地域ごとに独立に進化し,同じ地域の遺伝子間でないと上手く協力できず優性化効果が発現しないからであることが示唆されている.
  • またこれは遺伝子間の緊密な協力ネットワークが超遺伝子でなくとも進化しうる*31ことを示してもいる.

ここからドーキンスは,例えば肉食動物に見られる様々な形質にかかる遺伝子間の協力,「遺伝子の議会」という比喩.線虫の発生における遺伝子の協力,この協力が壊れた現象には,癌,(減数分裂における)歪比遺伝子があることなどを解説している.
 

第13章 将来への出口の共有

 
第13章では,第12章で議論した遺伝子間の協力を生み出す最も重要な要因である「出口の共有」がテーマとなる.
冒頭では共生微生物,そしてミトコンドリアと葉緑体をまず取り上げ,続いてなぜ一部の寄生細菌はホストに協力的で一部はそうでないのかと問いかける.ドーキンスの答えは次世代(のヴィークル)への出口の共有が理解の鍵だというものだ.次世代にホストの配偶子と一緒に垂直に伝わるなら寄生細菌(ドーキンスはこれを垂直伝播細菌 verticobacter と呼ぶ)とホストは運命共有体になるのだ.そうでない寄生細菌(同じく水平伝播細菌 horizontobacter と呼ぶ)は自分の運命のみに関心があり,ホストに協力するかどうかは条件次第になる.
そして水平伝播寄生をまず取り上げ,トキソプラズマやロイコクロリディウムのホスト操作,水平寄生体がしばしばホストを去勢すること,その例としてのカニに寄生するフクロムシの生態が詳しく解説され,さらにいくつものホスト操作的な寄生生物を紹介している.
続いて垂直伝播寄生を取り上げ,その興味深い例としてレトロウイルス(多くは無害なだけだが,哺乳類の胎盤形勢に関連する遺伝子がレトロウイルス起源であることが紹介されている)を挙げ,そしてそもそも私たちのゲノム自体が互いに協力的な巨大な共生垂直伝播ウイルスのコロニーだと見ることも出来ると指摘する.ドーキンスはさらにマクリントックの動く遺伝子,トランスポゾンを取り上げ,ゲノムにおける重要な区分は我々自身のゲノム配列か外部から侵入したゲノム配列かではなく,水平伝播する配列か垂直伝播する配列かの区別だと力説する.
 
ドーキンスは最後にこう述べて本書を終えている.

私たちのゲノムは(私たちだけでなくどんな生物種の遺伝子プールにも当てはまるが),その全体が共生垂直伝播ウイルスのコロニーなのだ.私はヒトゲノムの8%を占める外部由来レトロウイルスだけの話をしているのではない.これはその他の92%にも当てはまる.彼らは,垂直に伝播するというまさにその理由により,良い仲間なのであり,数えきれない世代で良い仲間であり続けてきた.これが本章が目指してきた革新的な結論だ.
私たちを含めた1つの生物種の遺伝子プールはウイルスの巨大なコロニーであり,将来に旅するために精いっぱいやっている.彼らは身体を作るという企てに互いに協力する.なぜなら一時的で,生まれては死んでいき,次に続いていく身体こそが,時を超えて垂直に下っていく彼らの大移動を成功させるために最も優れたヴィークルであると証明されてきたからだ.
あなたは,巨大で,うごめき,時を超えて前進する,協力的ウイルスたちが具現化した存在なのだ.

 
以上が本書の内容になる.最初は様々に驚異的な自然淘汰産物の紹介や進化の制約の論争の振り返りから始まり,徐々に「進化の遺伝子視点」から見えてくる自然淘汰の本質にかかる議論が増えていき,中盤以降はこれまでのドーキンスの主張が様々な角度から展開される.ところどころにぴりっとしたウィットに富んだ蘊蓄が入れ込まれ,さらに脱線したい蘊蓄が巻末註にたっぷり載せられており,読んでいて楽しい.ドーキンスファンにとっては本当に嬉しい一冊だ.
 
関連書籍
 
ドーキンスには数多くの著書があるが,ここでは特に進化や自然淘汰を中心に扱ったものを挙げておこう
 
いわずとしれた大ベストセラー.現在は第4版となっている.

 
延長された表現型.ドーキンス自身もっともお気に入りの自著だとどこかで語っていたと思う. 
これは進化解説本であると同時に創造論に対する反論本でもある 
サイエンスマスターシリーズとして書かれた入門書的な本 
この本だけが翻訳されていない.非常に深く,そして楽しい本なので残念だ 
これはヒトから始まって祖先を遡っていく物語.原書は第2版だが,邦訳は初版のみ.私の書評は初版に対するものがhttps://shorebird.hatenablog.com/entry/20060801/1154442624,第2版に対するものがhttps://shorebird.hatenablog.com/entry/20160704/1467631445
 
 
これは新無神論を提示した後に書かれた創造論に惑わされないようにという啓蒙本.進化が単なる仮説ではなく事実であることを徹底的に論じている.私の書評はhttps://shorebird.hatenablog.com/entry/20100218/1266491781. 
進化適応としての飛翔をテーマとした本.私の書評はhttps://shorebird.hatenablog.com/entry/2021/12/16/204703

*1:第1章の中ほどで,この本の題名「The Genetic Book of the Dead」について誤解しないようにという注意書きがある.いわく,内容の解読可能性については将来の科学者なら原理的にできることも含める,エジプトの死者の書とは関係ない,古代DNAの解読とも直接関係ない,人類集団間のゲノム比較については扱わない,そして本書ではゲノムではなく表現型を読んでいくことが中心になる,ということだ.

*2:この章の記述はすべての生物に当てはまるが,ここではすべての生物を名誉動物(honorary animals)として扱うと書かれている.英語には「生物」に当たるちょうど良い単語がなく,living thingsでは収まりが悪いし,いちいち every animal, plant, fungus, bacterium, and archaean と書くのが面倒だからだそうだ.

*3:ここで延々とフーリエ変換の蘊蓄が語られていて面白い

*4:ウシの尻に眼状の模様をペイントするとライオンに襲われにくくなるというリサーチが紹介されている

*5:ローマーはデボン紀が干ばつが多い時期だと考えていたのでこの仮説を立てたが,その後それが疑問視され,仮説自体が評価されなくなってしまった.ドーキンスは,デボン紀に干ばつが多くなかったとしてもこの仮説が成立する可能性は十分にあると残念がっている.現在デボン紀には月が現在より近かったのでより干満の差が大きかったことを根拠としてローマー仮説を復活させようとする動きがあるそうだ

*6:これは「進化の存在証明」や「魂に息づく科学」でも取り上げられており,ドーキンスお気に入りの進化物語のようだ.また英語と米語でturtleとtortiseの意味が異なっていることについての文句も繰り返している

*7:「延長さえた表現型」ではこれにあるレベル(遺伝子レベル)での完璧が別のレベル(個体など)で不適応に見えるというものを挙げている.これは厳密には制約でなく誤解なのでここでははずしたのだろう

*8:なぜこれを分けて6つの制約としなかったのかはよくわからない

*9:なお局所的な最適の議論はこれとは別だという但し書きがある

*10:ここではカンガルーとアンテロープに収斂がみられないことについて,運動様式の大転換には制約があることを理由としてあげ,これはイクチオサウルス,イルカ型とプレシオサウルス型についても当てはまると説明している.

*11:ここでは有名なネーゲルの「コウモリであるということがどんなものであるかは人には分からないだろう」と言う議論に対して,ドーキンスは「(機能的に考察すれば)それは我々の視覚的経験とそんなに違わないだろう,色覚類似の感覚すらあるかもしれない」と主張している.

*12:ここでは遠く離れたこの2つの動物群で,プレスティンタンパクを作る遺伝配列が収斂進化していることが紹介されている

*13:ここでは実際に無毛性について調べた結果が紹介されている.無毛遺伝子は発見できなかったが,毛髪遺伝子が様々な形で機能を失っていることが見つかったそうだ

*14:アンコウについては矮雄を持つ性表現についても触れている

*15:10万年で現在のような多様性が進化したが,それが充分に説明可能であることが丁寧に解説されている

*16:様々な形態のエビ,カニ,シャコ,フジツボさらにその幼生の多様性が丁寧に紹介されている

*17:本書の題「死者の遺伝子本」ならぬ「生者の非遺伝子本」の内容を扱うことになると断り書きがある

*18:だから痛みを感じることと知性を関連付ける議論は誤りであるとコメントされている

*19:それにかかる倫理問題や,ダグラス・アダムズの小説に出てくる喜んで人に食べられたいと考える牛のような生物の話が取り上げられている

*20:さえずりがどこまで生得的に決まっているのかとその鳥の生態の関係が詳しく解説されている.

*21:この視点を取ると鳥の求愛のさえずりはオスがメスのホルモン系を操作しようとしていると捉えることが出来るとコメントされている

*22:バクテリアの免疫システムとCRIPR,mRNAワクチンの仕組みが解説されている

*23:アズマヤ自体延長された表現型だが,それがさらにメスに影響を与え,それも延長された表現型と考えられると説明されている

*24:ここではカッコウのさえずりの2音の音程差(一般的には短三度とされるがベートーベンは長三度で記述している)についての蘊蓄もあって楽しい.ここではカッコウのさえずりが単純なのはオスのヒナが父親のさえずりを学習する機会がないからだろうともコメントされている

*25:私の印象ではゲノム分析でジェンツごとのW染色体の違いが報告されていることなどから性染色体仮説がほぼ受け入れられているように思うが,カッコウ研究の大家ニック・デイビスが最近性染色体仮説に懐疑的なので,それに敬意を表してドーキンスはここではこう表現しているのだろうと思われる

*26:ドーキンスは単数系 gens,複数形 gentesで使い分けている(これは古代ローマの”氏族”を意味するラテン語 gens/gentes 由来のようだ).だから単数系はジェンズ,複数形はジェンティズと表記するのが英語発音的には近いのかもしれない.ここではジェンツと表記しておく

*27:ここでまだあまり托卵排除をしないヨーロッパカヤクグリヘの托卵がいつ始まったのかについての議論がなされている.チョーサーの14世紀の詩にカッコウがheysuggeに托卵していることが記されている.このheysuggeがhedge sparrowを指すと考えていいのであれば(これもやや微妙)少なくとも650年前に托卵が生じていることになるが,そのジェンツは死に絶えて,新たに別のジェンツが生じた可能性もあるなどと考察されていて楽しい

*28:田中啓太によるジュウイチのヒナの翼にあるホストビナの口模様の擬態のリサーチが紹介されている

*29:ここでは社会性昆虫における分散の例(有翅型の繁殖虫)を紹介したあと,なぜハダカデバネズミにはそうした分散が報告されていないのかが考察されている.ドーキンスはなおいつか分散型のカーストが発見されること(素早く走る有毛型カーストが現在は別種と誤同定されているかもしれない)を夢見ているそうだ

*30:最近では河田雅圭が「ダーウィンの進化論はどこまで正しいのか?」でここを完全に見過ごした主張を行っていたのが記憶に新しい

*31:超遺伝子なら異なる地域個体を交配しても優性劣性は壊れない