牡蠣が食えたら

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体外離脱への誘い

 何日か前にF氏の文章を読んだらそこには夢について書かれていた。F氏は「夢を見ている夢」を見るらしく、しかし彼は何度もその夢を見たことがあるのでそれがすぐに夢だとわかるという。「あっ、これは夢を見ている夢だな」と夢の中でわかったということだろう。夢の中で「これは夢だ」と気づいている夢を明晰夢というが、このときのF氏は明晰夢の中にいた。そろそろ夢がゲシュタルト崩壊してきた。それからF氏は夢の中での状態を"頭は覚醒しているのに体は寝たままで自由が効かない"と表現していた。それは正に金縛りのことだった。金縛りとは、身体を自由に動かすことができない明晰夢だとも言える。もちろん「金縛りは夢だ」と認識していることが前提である。では金縛りの状態から明晰夢の意識を保ったまま身体を自由に動かせることができるとすればそれはなにか。それは体外離脱と言う。

 私はF氏には金縛りの素質があり、さらに訓練すれば体外離脱の夢を見ることが可能になるだろうと考え、体外離脱の練習を薦めてみることにした。要は"こちらの世界"に引き込もうと思った。引き込むというと物騒なのでもっと平易に言えば「体外離脱の話がわかる人が増えればいいな」くらいの気持ちであった。なぜなら私は体外離脱の話がしたい。

 私以外の体外離脱の経験者に会ったことがない。知人、友人の中にもいない。体外離脱の話をしてもほとんどの場合理解されることがない。私も過去に例えば飲み会や合コンなどで体外離脱について話をしたことがあるが、大体の人の反応としては怪訝そうに首を傾げるか怪しい占い師でも見るかような目でこちらを見てくる。体外離脱と幽体離脱の区別がつかず霊的なものやスピリチュアルなものだと思って敬遠される。そもそも金縛りの時点で多くの人はあまりいい印象を持ってないようである。
「ああ!はいはい離脱ね!離脱なら私もよくやるよ!」
 となった試しがない。

 それも仕方のないことで、経験のない人が体外離脱を実感を伴って理解することはできない。そして体外離脱の経験者は少ない。何度も言うが体外離脱とは霊的なものでも超常現象でもスピリチュアルでもない。ただのリアルな夢である。そのリアルさが飛び抜けていて、起きている間の現実と違いを見出せないほどの質感を持っているが、すべては1人の頭の中で行われているだけの想像と記憶の世界である。

 私が普段見る夢は映像を見ている感覚に近い。自分が登場する場合としない場合とがあるが、目の前で展開される夢にあまり介入することができず、どちらかと言えば傍観者として映像を見ている。対して体外離脱の夢では「自分が存在している感覚」がハッキリとある。立っている足の裏に感じる体重や、手で物を掴む感覚など自分の肉体の存在を感じる。
 3D映画というのがあるが、あの赤と青のメガネを掛けて見ている映像がいかに迫力があってリアルであっても、その映像の中に自分がいると錯覚する人はいないだろう。現実の自分は赤青メガネを掛けて椅子に座っている自分であり、映像を見ていても椅子に座っている身体の感覚がちゃんとある。
 普通の夢と体外離脱とのリアリティの差は"3Dの映像"と"赤青メガネを掛けた自分"ほどの違いがある。体外離脱中のリアリティは3D映像のリアリティではなく、メガネを掛けて椅子に座った身体を感じる方のリアリティだ。およそ世の中にあるありとあらゆるバーチャルリアリティを持ってしても体外離脱のリアリティに並ぶ体験はできない。

 このようにいくら言葉を尽くして説明したところで半分も伝わっていないのではないかとさえ思える。体外離脱を言葉で説明するのは難しい。こればかりは体験するしかない。

 金縛りにかかったことがある人ならば、リアリティのある夢の感覚はわかるかもしれない。もっとも金縛りのリアリティは体外離脱のリアリティには及ばないが、それでも周囲の風景や部屋の様子だったり重くて動けないという感覚はそれが実は夢であるにも関わらず、現実と錯覚するほどのリアリティを持っている。
 しかし金縛りにかかった人ばかりの人は余裕がないので、それを霊的な体験だったと怖がったり、身体が動かせなくて苦しいと単純に考えてしまい、F氏のように"頭は覚醒しているのに体は寝たままで自由が効かない"と理解することができない。

 金縛りから体外離脱へのフェーズへ移行するには金縛りは夢であると自らの頭と身体でもって理解することが欠かせないが、多くの人はそこまで辿り着けないか、そもそも興味がない。金縛りの経験がない人だって大勢いるらしい。金縛りを理解する段階まで来ていればあとは体外離脱の練習をするだけなので、金縛りになりやすい睡眠環境さえ維持できていれば体外離脱を達成するのもそう遠くないだろう。

 そのうち体外離脱の超リアリティについても書きたいと思う。今回は体外離脱は現実と変わらない皮膚感覚、身体感覚を伴うと書いたが、努力次第でその感覚を保ちつつ自然法則や物理法則、または法や道徳などのあらゆる規範を無視した行動、現象を体験することができる。その体験の鍵は「想像力」と「思い込む力」である。あんなことやこんなこともできます。

(つづく)