勤務医の勤務医としてのセカンドキャリア/サードキャリア

うちの病院の消化器内科関連の検査(うちの病院でほぼ唯一専門的な手技だ)を担当してくれていた内科医が市内の個人病院に引き抜かれた。そっちの病院に行けば通勤も楽になるし、たぶん子育てにお金がかからなくなったから、すこし収入が減っても問題なくなったのだろう。引き留めることはできない。

 安定した職場だと思っていたが、医者が何人もいない病院では、一人の医師がいなくなるだけで病院の診療形態にも影響を及ぼす。常に内在していた危機だった。

 いま、いろいろなところにお願いして医師を確保するように事務方と一緒に頑張っているところだ。個人的なつながりで何人かのドクターにも声をかけてみてもいる。

 今回は、そのなかで当院への就職が決まりそうになった医師についての話をしようと思う。

 彼は前に勤めていた病院の消化器内科医だ。彼とはすこしだけ個人的なつながりがあった。現状に不満がありそうなことは知っていたので、声を掛けてみた。オンコールが皆無であることと当院の給料の内訳を説明した。うちは常勤医の当直の回数も少ないし、当直医が呼ばれることがほとんどない寝当直であることは、彼はすでに知っていた。

 彼は、1日考えたのち、この病院で働きたいと言ってきた。前の病院は基本給が結構安いので、給料に対して不満があるのかと思っていた。しかし、あとで見せてもらった給料明細で時間外手当がとんでもなく多かった。それだけで、うちの病院の給料を30万くらい上回ってしまう。彼の不満は別のところにあった。

 彼は、むこうの病院の責任者に“もう、この忙しい病院で8年も奉仕したのだから、もう解放してほしい。”と言ったらしい。彼は、診療科内で必要とされている人だったし、そのなかでやりがいや楽しみ、充実感もあったのだろう。しかし、私が声を掛けたことで、一気に「奉仕した」という気分が膨らんで破裂したのかもしれない。

 地域の中核的な病院にいれば、いろいろな病気の患者がいっぱい集まってくる。自分の手技を磨いていくこともできるし、論文だって書こうと思えば書ける。やりがいはどこよりも得られやすいと思う。

 しかし、彼にとっては、やりがいよりも過重労働を強いられていたということの方が相対的に大きかったのは事実だろう。その感じ方はたぶん人それぞれで、とんでもない負荷がかかっていてもそれをやりがいと感じるひともいれば、少しの負荷でも、そっちの重さが勝ってしまうひともいる。しかし、彼の時間外手当の多さを見たら、そう言うのもうなずける。

 思い返してみれば、自分もこの病院に決めたときは、前の病院のコロナ対応・コロナ対策で疲れ切っていた。転職を考える年齢こそ違うが、動機は同じかもしれない。

 医師が大学の医局から地域の基幹病院に赴任することに関しては、それほど敷居は高くない。積極的にそのような医療機関への転出を希望するひともいるだろう。教授になることを目指していない限り、いつかは大学の医局を出なければいけない。それに、正直言って(診療科にもよるが)、医師としての能力は、大学病院では身につかない。大学では選ばれた患者しか診ないから、診断能力も身につかないし、治療に関しても、自分で考えて、責任をもって行うこともできない。より良い医師を目指すのであれば、地域の基幹病院に出るのは良い選択肢だと思うし、そう考えている医師も少なくないだろう。

 それに比べて、田舎の小さな公立病院はどうだろう。明らかな懲罰人事・左遷でない限り、大学の医局から、患者のほとんどが高齢者、医師の手に技術があったとしてもそれを生かすことができない、そんな田舎の病院に出ることは考えにくい。

 そんな病院に勤めることを、基幹病院に勤める医師が希望したのである。

 最終的に、彼は大学の医局人事で、大学医局の関連病院でない我々の病院ではなく、彼のもう少し通いやすい、もう少し楽(かもしれない)な病院に行くことが決まってしまった。彼にとっては、今回の一連の出来事はよかったのかもしれない。

 しかし、自分の専門領域の医療をやり切ったと思った医師の次の選択肢として、いなかの病院で地域医療を行うというのも大いにアリなのではないだろうか?ありきたりだが、これが、今回の学びだ。こんなことをしたら病院間の関係が壊れてしまうので、できないが、たぶん、あの病院の医師に片っ端から声を掛けたら何人かはすぐにOKするだろう。

 でも、病院間でお互い納得したうえで、システムとして、そのような医師の流れがあってもいいと思う。

単身生活の愉しみ

64歳になった。前の病院にそのままいたら、あと1年で定年退職だ。

 バイオリンの練習を再開した。8月から練習をはじめた。今は料理でもバイオリンでもなんでもYouTubeで学べるので、どのようなものでも始める、再開する、には苦労がない時代になった。

 高校生のとき、それまで楽器にまったく触ったこともないのに、無謀にもオケ部に入った。そして、ついていけなくて2年で辞めてしまった。しかし、バイオリンを弾いてみたいという思いは続いていた。留学中の単身になった1年間、短い間だったが、練習を再開していた。しかし、いかんせん音が大きい。いい大人が下手な音を響かせるのはとても気が引ける。日本に帰ってきたら、練習をやめてしまっていた。ヤマハのサイレントバイオリンが発売されたときには、これで気兼ねなく練習できると思って買ってみたが、これは面白くなかった。当時は練習も自己流だった。

 次には、eBayの初期の頃にネットオークションで古いバイオリン(当時、いろいろな本や雑誌で手を出してはいけないと書かれていた)を2挺とバイオリンの弓をいくつか、安く手に入れた。バイオリンは2挺とも旧東欧の地域の売り手からだったと思う。これらの楽器は、高校生の頃に買ってもらったバイオリンにはない、それぞれ全然違う個性的な音がした。本当の「楽器」を手に入れたようでうれしかったが、たまに出してきて眺めるだけの存在だった。

 単身生活、楽器、YouTube、準備は出来ていた。

 YouTubeのひとみ先生の押しはスズキの教本のようだったので9月にスズキを3巻まで買ってきた。12月になっても1巻目がまだまだ終わらない。最初、5年前の骨折の影響で、左手の薬指が指板から離れるたびにとなりの低音弦をはじいてしまっていたが、薬指も少しずつ曲がるようになってきている。遅々として進まないが、これも愉しみ。歳をとって、良い音・好きな音が以前よりもわかるようになったような気がする。これが、歳をとってから楽器を始める唯一のメリットかもしれない。

 またひとつルーチンが加わった。夜、セカンドハウスに帰ると、食事の準備をしたあと、5㎞走って、食事をして、バイオリンの練習。風呂に入って寝るまでの時間があわただしい。勉強する時間がとれない。

(高齢になってから始める趣味は道具から入るのが大事だと思っている。高額ではないが趣味性の高いものが良い。ふたつのバイオリン。ひとつはMarcus Stainerのラベルが貼ってある(偽物だろうけど)。指板の角度を調整する木材が挟まれており、古いものであることは間違いない。ちなみに、調べたところによると、Marcus StainerはJacob Stainerの弟で、ほどほどの技量のバイオリン製作者とのこと。” フィレンチェの有名なバイオリニスト、ベラチーニが2挺所有していたが、1700年代半ばにロンドンからレグホーンまでの船旅中に、難破して、2本とも失われた。それらの音はスィートだがパワフルではなかった“らしい。暗めのニスが塗られているのが特徴とのこと。このバイオリンもパワフルではないが優しい音がする。この楽器は、当初、我が家に魂柱を倒して送られてきた。こっちの職人さんに立て直してもらったが、魂柱の長さと、駒の形が全く変わってしまっていた。たぶん、魂柱の位置がオリジナルと違う。本来であればもっと太鼓型になるから、もっと優しい音になるかもしれない。いつか直してもらおう。もう一つは、Ewald BRÜCKNER, Markneukirchen, 1932。こっちは大きな音がする(というか、こっちが普通の音量で、もう一個の音量が乏しいのだろう)。何というか楽器らしい音だ。

バイオリンの弓で一番気に入っているものは、フランスのものらしい。銘が刻印されているが読めない。何故かすこし短い。次は古いチェコの作家のものらしい。これはGustav M***という刻印。フロッグが(たぶん)象牙で出来ている。ゆっくり弾くとふくよかな音がするが、反応が少し遅くなるような気がする。古い楽器にはこれが良い。ほかに2本ある。一本はスタイナーのバイオリンと一緒に来た。無銘。来たときは、古い松脂が全体にこびりついて真っ黒だった。それをできる限りきれいにして使っている。軽いので、少し押さえつけて弾くようになるためか、弓が跳ねる?震える?ことが多いように思う。もう一本は何の特徴もないが、新しい楽器では音が大人しくなるのでこれが好ましい。

こんなに一端のことを言っているが、腕前はまだ、スズキの教本の1巻目。)

高齢カップルのその後

80歳代半ばの男性と7歳年下の女性のカップル。ふたりともすこし動きが鈍く、認知機能の低下もあるかもしれない。最初は男の方が私の患者だった。軽トラックのフラフラ運転で他人の車にぶつけたりしていて、以前から厄介者扱いされている男だったようだ。町の入浴施設で何度かおぼれて運ばれてくるたびに対応していたが、そのうち、私の外来に来るようになった。

 女性の方も当院の患者だ。もともとは近くの大都市に住んでいたらしい。どうしてこの山の中の町に住むようになったものかわからない。糖尿病と糖尿病性網膜症があり、かなり不自由そうだが、男が病院に運ばれて呼び出されると、どんなときでも嫌がらずに来た。

 状況が変わったのは、私が男の方にイノラスの処方を開始してからだった。認知機能の低下とフレイルが進行して、このままでは施設入所を考えなければならないと考えてのことだった。しかし、この男にイノラスの効果は絶大だった。次の外来に来た時、目の色が生き生きとしており、フラフラといつ倒れてもおかしくないような歩き方をしていた男が、シャキシャキと歩いて診察室に入ってきた。ぼーっとしていた男の表情が豊かになった。にやっと笑った時の表情がすこし不良っぽくて、これが女には良いのかもしれないと思った。

 しばらくすると、町の保健師からDVがあるらしいとの情報があった。男の方の体力が出てきて、女の方がついていけなくなったのだろう。必要があれば精神科に紹介状を書く旨を伝えていたが、その後もしばらくは表立った動きはなかった。

 半年くらいした頃に女の方が病院に運ばれてきた。数日食事を摂れずに低血糖になったようだった。DVのはなしを聞いてきたのだろう、下関に住んでいた娘夫婦がふもとの町に引っ越してくるとのことで、退院後はそちらに引っ越すことになった。入院中、何度も男が訪ねてきていたが、頑なに会おうとはしなかった。これでこの高齢のカップルの関係は終わったと思った。やっぱり夫婦じゃなければ簡単に壊れてしまうものなのだと思った。

 退院して1か月半。女が娘と一緒に外来に来た。介護保険の申請の書類を書いてほしいとのことだった。娘も糖尿病で、彼女が透析等で家を空ける間、ショートステイなどを利用することを考えているらしい。女の方の主治医だったのは入院中だけだったし、今は、ふもとの町の内科医院に通院し始めている。私が書くものでもないと思うのだが、こちらが断らないことを知っている担当者が私を指名して書いてもらうように言ったらしい。最近は外を歩くのもおぼつかないらしく、そのように意見書を書くことにした。

 その日の午後、もう一度、女がひとりで来た。喧嘩した、今処方されている薬が必要になったとのことだった。看護師は理解しているらしかったが、何が起きたのか理解できなかった。ふもとの町の内科医と喧嘩したのか?

 女はどこかで男と会ったらしかった。元住んでいた家に荷物を取りに行ったか。そこで、もう一度男と暮らしたいと思ったらしかった。喧嘩した相手は娘だった。ふもとの町の娘の家に薬を置いてきてしまったので薬が必要だということだった。診察室に入ってきた女の表情は午前中に会ったときとは別人のようだった。そして、軽やかに診察室を出ていった。外で男の声が聞こえた。

 

 さらに2か月が経った。女はさらに元気になり、髪も染めてきた。娘と一緒に来たときの状態が嘘のようだ。そして、男の方はすこし元気がなくなっていた。

 

 イノラスの効果については、いつか調べたいと思っている。全員ではないが、かなりの確率でMCIくらいはかなり良くなる。

 

 以前ブログで書いたもうひとつのカップルは、男性の呼吸器症状が進んで少し体動が制限されたところで、男性の娘が男性を施設に入れてしまった。このような高齢のカップルの関係は非常に脆いものだと思っていたが、そうでもないらしい。重要なのは何歳になっても男の精力か。

コロナの長期予後が悪いことについて

 急性期病院に勤めていたころは、コロナ流行の初期からコロナの急性期の患者を診ていた。最初のころは、急性期を過ぎた段階で退院させていた。自分のターンは終わった、鬼の首を取ったような感じで退院させていた。当時は抗ウイルス薬がなかった。ただ見ているだけのようなものだった。体力が落ちた高齢の患者を介護施設に返しながら、そう長くはもたないだろうなぁと感じていたが、そのような考えを頭から追い出すようにして次の患者を待った。

 最近は急性期病院でも強制的に他に移動させることはなくなっているが、転院先や退院先を早急に決めるようになっている。急性期病院では、コロナ患者の長期予後は見えてこない。

 今の病院では、しばらく前から急性期のコロナ患者も自院に入院させるようにもなっていたが、急性期病院でコロナ入院後、自宅に帰れなくなった患者も今まで通り引き受けている。いまだに急性期の入院患者に抗ウイルス薬を投与しない病院があることに驚く。全員ではないが、こうやって転院してきた高齢者が食事を摂らなくなって、ゆっくりと衰弱して亡くなっていくのを何度も見ている。

 今の病院に来てからいくつもの介護施設と関わるようになった。どの介護施設も一度はコロナのアウトブレーク・クラスター発生を経験している。どの施設もそれぞれ頑張って自施設内でコロナ患者をケアしてくれている。酸素投与までもしてくれる。病院の対応として、平時のワクチン接種と、クラスター発生時、陽性者に対して抗ウイルス薬を積極的に投与するようにしている。いまのところ、施設発生で入院させた患者は一人だけだ。幸いにしてこれまで急性期に亡くなる患者はいない。

 しかし、一時期、コロナ感染1~2か月後から1年過ぎにかけて亡くなる入所者がけっこうな人数になった。最初はそれと気づかなかった。ほとんどが80歳を超える高齢者なので、老衰で亡くなったのだろうくらいに考えていた。しかし、何人も続けて最近抗ウイルス薬を投与したひとが亡くなるとただの老衰ではないことに否が応でも気づかされる。

 コロナ感染後しばらくしてから患者が亡くなっていたという事実。機会があって、これについてまとめた。この結果については、論文のレヴューのあとに述べる。

 

 今回レビューする論文も医療関係サイトで紹介されていたもの。6月に出た論文なのに10月末にM3で記事になった(自分で論文を探し出す努力もしていない者が言ってはいけないことだが)。

Miao Cai et al. Three-year outcomes of post-acute sequelae of COVID-19. Nature Medicine 30,1564–1573, June 2024.

 コロナ発症時から2型糖尿病発症も増えるというふたつの報告のうちアメリカのほうのグループからの報告。これも彼らの前の論文と同様、退役軍人の膨大な医療記録データの解析。今回は、コロナ後遺症の持続と死亡リスクについての3年間の解析。

 ここでは、主に死亡リスクについて書かれた部分を抜粋する。

「2020年3月から12月のあいだにコロナ感染した患者(入院群約2万人と入院しなかった群11万5千人)と同じ時期に感染しなかったコントロール群520万人の3年間のコホート。コロナパンデミックの初期なので、抗ウイルス薬の投与はない。ワクチンもない。急性期の死亡率も高い時期。

退役軍人なので男性の比率がかなり高いグループの解析になる。年齢についての記載はないが、若年者は含まれていないだろう。

(結果)入院しなかったコロナ群は感染していない対照群と比べて最初の1年間の死亡リスクが高かった(発生比率(IRR):1.58, 95%CI:1.53~1.62、1000人あたりの過剰死亡:16.20, 95%CI:14.90~17.51)。2年目以降、死亡リスクに有意差はなくなった。

入院したコロナ群は対照群と比べて観察した3年間を通して死亡リスクが高くなっていた(1年目IRR:3.17, 95%CI:3.00~3.33, 1000人当たりの過剰死亡:58.85, 95%CI:54.37~63.33)(2年目IRR:1.44, 95%CI:1.34~1.55, 1000人当たりの過剰死亡:14.16, 95%CI:10.25~18.06)(3年目IRR:1.29, 95%CI:1.19~1.40, 1000人当たりの過剰死亡:8.16, 95%CI:4.37~11.96)。

(結論)急性期に重症なほど(急性期に生き延びたとしても)長期予後が悪くなる。」

 

 昨年あたり、日本でコロナパンデミック以降超過死亡率が増えたことがニュースになっていた。当時、専門家はその原因を理解できていなかった(今は理解できているだろうか)。見当違いな医療へのアクセスの悪化などが原因として議論されていた。いまだに、これをワクチン接種のせいにしている人もいる。

 私は、昨年末、所属する郡医師会からの依頼でコロナについての文章を書いた。その際、良い機会だと思い、老人のコロナ後の死についてもまとめようと思いついた。2022年から2023年半ばまでの施設でのクラスターで陽性になった入居者と検査して陽性にならなかった入居者の1年数か月の生存曲線を比較してみた。本当に少ない人数同士の比較だったが、感染者の28%がこの期間に亡くなり、コントロール群はそのちょうど十分の一の2.8%の入居者が亡くなっていた。少ない人数でも生存曲線に有意差が出た。

 この時期は、オミクロンになってからの時期で、規定のワクチンはすべて接種されており、すべての患者にラゲブリオ(入院した1名のみベクルリー)を投与していた。亡くなったのは、全員ラゲブリオを投与していた患者だった。結果だけを見ればラゲブリオのせいで亡くなったとも考えられるが、違うだろう。

 余談だが、衝撃的な結果だったので、短報で投稿してみたが、nが少ないことは兎も角、IRB承認や患者同意を得ていないことを指摘されて、諦めた。

 かたや数万人の3年間のデータで、私のは数十人のデータなので比較のしようもない。感染の時期も違うし、当然ウイルス株も違う、ワクチン接種や抗ウイルス薬治療の状況も違う。しかし、コロナ後の長期予後が悪いというのは、共通の結論だ。そして、このふたつの結果から、コロナ後しばらくしてからの死亡は、ワクチン接種や治療薬と関係なく起きる事象だ、つまり、ワクチン接種やラゲブリオの効果はないか、かなり限定的、と言うことができる。

 いまもときどき施設でコロナ感染は起きているが、最近は、私の病院の関連している施設ではこのような死亡が減ってきているように感じている。ウイルスが変わってきているのかもしれない。最近はゾコーバを処方しているので、ゾコーバならばこの超過死亡を抑えられるのかもしれない。

 いずれにせよ、急性期の重症度が長期予後に関係しそうなのだから、ワクチン接種の有無に関わらず、重症化の可能性のある患者を積極的に治療しないという手はないと思う。

 ゾコーバ後の長期予後が気になるところ。今度は実験計画を書いて、どこかのIRBに依頼して承認してもらってからデータをとろう。

初冠雪

今朝の山の様子

 

今朝、外に出たら、山が白くなっていた。あたりで一番高い山の山頂だけの冠雪とかではなく、連なる山々全体が突然雪を被った。昨日までは、まったくそんな素振りもなかった。家の周りは夜中から早朝まですこし雨が降った様子だったが、それほど寒くなかったので、想定外の景色。

 

場所が特定されてしまうかもしれないけど、ちょっと感動的だったので。

「コロナ診断時に2型糖尿病発症も確認して、すぐに治療を開始した」なんて聞いたことある?

日経メディカル・聞く論文でも取り上げられていた論文を紹介する。論文の主旨とはまったく違うことを思い浮かべたので。(最近、車での移動がほとんどなくなってしまったからポッドキャストを聴くことがほとんどなくなってしまっていた。少し前に取り上げられていたもの)。

 ところで、「コロナ診断時(またはその直後)に糖尿病発症も確認して、すぐに治療を開始した」なんて聞いたことある?私はコロナの患者もコロナ後の患者もよく診るが、そんな患者診たことない。町の基本健診でも糖尿病の患者が増えている印象はない。HbA1cがこれまで正常だったのに、急に上昇したなんて住民はいない。コロナはほとんどすべての臓器に感染する可能性があるので、糖尿病の発症が絶対にないとは言い切れないが、2型糖尿病の発症率30~50%増は、それが本当だったら、自分も含めてみんなが気が付くレベルなのではないか。論文の示す結論になんだか納得できない。

 論文は、メトホルミン論文(Carolyn T Bramante et. al. Outpatient treatment of COVID-19 and incidence of post-COVID-19 condition over 10 months (COVID-OUT): a multicentre, randomised, quadruple-blind, parallel-group, phase 3 trial. Lancet Infectious Diseases. June 08, 2023)とおなじLancet系列の雑誌に掲載されている(COVID-OUTスタディーの急性期の結果については、2022年August 17のN Engl J Medで報告されている)。

 最初は、メトホルミン論文が結構話題になったから、みんなそれを見てメトホルミン使ったのかなぁ、それで糖尿病という”保険病名“がついたんじゃないか、という(Lancetにはとても失礼な)先入観念で論文を読んだ。

 まずは、簡単に論文紹介:
Kurt Taylor, et. al. Incidence of diabetes after SARS-CoV-2 infection in England and the implications of COVID-19 vaccination: a retrospective cohort study of 16 million people. Lancet Diabetes & Endocrinol. 12:558 – 568, Aug 2024

「(方法)2400万人(全イングランド人口の40%)をカバーする電子健康記録を用いたレトロスペクティブ・コホート研究。3つのコホートを作成して、それぞれのCOVID-19診断後の「糖尿病」の出現について検討した。

 一つ目のグループは、2020年1月1日(COVID-19パンデミックの始まりの日)からワクチン接種が始まりその対象になるまで、またはワクチン接種までの期間にCOVID-19と診断された人を糖尿病発症または死亡または2021年12月14日までフォローする。(プレ‐ワクチンコホート)

 2つ目、3つ目のグループはワクチン接種が開始された時期(2021年6月1日以降)にワクチンを接種した後にCOVID-19罹患したグループ(ワクチン接種コホート)と、同一期間中、ワクチンを接種しないうちにCOVID-19を罹患したグループ(ワクチン未接種コホート)。

 2型糖尿病の判定は、複雑なアルゴリズムを用いて行われた(ベン図をつけて欲しい)。大まかに言うと、メトホルミン以外の経口糖尿病薬が使われたか、2型糖尿病に関連するコード(どのようなものかわからない。関連するホームページを開けなかった。病名コードICD10のようなものか)が記録されている場合を2型糖尿病とした。(どれだけの人数が、どのような過程で2型糖尿病と判定されたかは記載されていない。)

(結果)糖尿病の発生は感染の診断日に最も多く、その後、急激に低下する。発生が最も多いのはワクチン未接種コホートで、入院を必要とした重症のグループで特に多い。次が、プレ‐ワクチンコホート。最も少ないのは、ワクチン接種コホート。プレ‐ワクチンコホート(特に入院群)では長期にわたって、2型糖尿病の発生が認められる。

(ディスカッション)COVID-19後、2型糖尿病が増加する。これにより個人や社会に多大なコストがかかる。ワクチンを推奨することにより2型糖尿病ばかりでなく、いろいろな長期的リスクを低減することができる。」

 彼らは、COVID-19診断当日になぜ2型糖尿病も同時に診断されるのかをディスカッションしていない。

 プレ‐ワクチンコホートの時期は、日本では、初期には、オルベスコ吸入やアビガンの治験に参加しながら使用することから始まって、デカドロン、ベクルリーなどを使っていた時期になる。少数例にFOYなんかも使った記憶がある。アクテムラも使ったか。日本では、コロナ診療している施設が限られていて、クロロキンやイベルメクチンといったビミョーな薬はあまり使われなかったのではないかと思う(今考えると、ほかの薬もほとんどがビミョーな薬だが)。日本では、メトホルミンなんて考えもしなかった。イギリスや他の国では、この時期、壊滅的な状態で、かかりつけ医なんかが大量に発生するCOVID-19患者をさばいていたはずだ。抗ウイルス薬なんかGPの手に入るはずもない。そのような中でどのようなことが行われていたのか?メトホルミンの情報はいつごろから出まわっていたのか?

 次のコホートの時期は、デルタ株(2021年6月ごろ)、オミクロン株(2021年11月末以降)の時期になる。この時期は、日本では、ベクルリーと抗体製剤なんかが投与されていたのではないか。外国では、日本ほどには抗ウイルス薬は投与されていなかったのではないかと思う。その中で、彼らはどのような治療をしていたのか?

 このように行われる治療が日本とまったく違う可能性がある中での「2型糖尿病」の増加である。

 ウイルス感染のあと、1型糖尿病が発症することは知られている。COVID-19でも感染後の発症が報告されているようだが、感染の少し後で発症するものだろう。発症の機序から考えて、COVID-19発症とほぼ同時に1型糖尿病が発症することはないように思う。

 論文中の“Research in Context”というパートで1型糖尿病はそのまま1型糖尿病と言っているが、2型糖尿病については"インシデント2型糖尿病”と表現している。なぜ彼らはこのような言い方をしたのか?

 ひとつの可能性として。糖尿病の患者で、肺炎などの細菌感染症の急性期ではときどき高血糖になる。COVID-19で高血糖はあまり聞かないが、なるのかもしれない。これを上にあげた論文では糖尿病の発症ととらえるのだろうか。

 それとも、自分が知らなかっただけで、本当はCOVID-19の急性期に2型糖尿病を発症していたのだろうか。

 ほとんど同様の手法でアメリカからもCOVID-19に糖尿病が合併するという報告がある。こちらはよくある退役軍人の医療記録の解析の論文だ。これも論文名だけ挙げておく。
Xie, Y, Al-Aly, Z. Risks and burdens of incident diabetes in long COVID: a cohort study. Lancet Diabetes Endocrinol. 2022; 10:311-321

 彼らのデータ・彼らの言っていることが真実なのかもしれない。それを疑う方が問題なようにも思える。でも、この裏に別な真実・別なストーリーが隠れているように思えてしまう。それが知りたいと思ってしまった。

 メトホルミンがらみで始まったことだが、こんな立派な論文に嚙みついて、ブログに載せている自分にどうにかしていると思ってしまう。しかし、なぜか気になって、これを書かないと次に進めないような、変な気分になった。

セカンドハウスのイノシシ危機

2日前の朝、草刈りを済ませたセカンドハウスの裏庭の土が大きく掘り返され、穴が空いていた。一番大きなものは1週間前に周りの土を寄せ集めて小さな畝を作ってブロッコリーの苗を一個だけ植え付けたところだったが、そんなものは消し飛んでいて、大きなクレーターになっていた。そのほかにも家の周りに掘り起こそうとした形跡がいくつも残っていた。

夜中に何かが来ている気配は感じたが、これだった。それほど遅い時間ではなかったと思う。畝を作るために掘り返した土はふかふかで良い匂いがしていた。それがイノシシの嗅覚を刺激したのかもしれない。

裏庭に突如出現したクレーター。周りは、たくさん草が生い茂っているが、これでも草刈り後だ。腰のあたりまで伸びていた雑草を刈ったのだが、1週間もするとかなりの草丈に伸びてしまう。

他にも掘り起こそうとした痕跡があるが、この辺りは、土がそれ程ふかふかじゃない。

今朝は、家からもう少し遠いところに同じくらいの大きさのクレーターがまた新しく出来ていた。昨晩は特に気配は感じなかったが。どのあたりが掘ると気持ちいいか、もうわかっていたのだろう。

新たなクレーター。これは、我が家の土地の境界の少し外側。

住宅地のはずれから、さらにもうちょっとはずれたところにある我がセカンドハウスの裏庭は夜のイノシシの遊び場になった。都会とは全く違った意味で夜間の外出は危険だ。夜中のジョギングは出来ない。

 

 

・・・

今、夜の10時過ぎだが、変な鳴き声とドスッという音がかすかに聞こえた。明日、うちの裏庭はどうなっているのだろう。