インビクタス「頭に訴えず、心に訴える」

昨年のラグビーワールドカップが盛り上がってた頃に、昔からのラグビーファンだった d1ce_ に勧められたので読みました。

インビクタスは映画の方が有名ですが、d1ce_ からは本の方がお勧めということなので本を読んでみました。映画は未視聴です。

インビクタス 負けざる者たち

インビクタス 負けざる者たち

優勝を手にした南アフリカ代表、スプリングボクスと、南アフリカの英雄、ネルソン・マンデラの話なのですが、話の中心はマンデラであり、スプリングボクスはその理想の実現を目指す実行部隊という位置づけの話です。

恥ずかしながらアパルトヘイトについての自分の理解は非常に浅く、「黒人に対する人種差別政策で、マンデラがそれを廃止した」くらいの知識しかありませんでした。しかし、本書を読むことで、当然ながらそんな単純な話ではありませんでした。

マンデラが政権を獲得するまでの苦難、そして、単に法律だけの話ではなく、白人も黒人も、心から一つにまとまるための道のり、そしてそのキーファクターとしてラグビーやスプリングボクスがどのように関わっていったかが本書で描かれています。

本書を通して特に印象深かったのが、差別側、特権階級側である白人コミュニティが抱く、被差別側、つまり黒人コミュニティに対する恐怖と、一方で自分達が世界から侮蔑の目で観られているということについての劣等感でした。

「差別は悪いことである」とは世界の誰もが教わる常識ですが、その差別をしている人たちもまた人間であるということは忘れがちです。悪意を持って差別している人ももちろんいるでしょうが、被差別層に復讐されるかもしれないといった恐怖から現状維持を求める者もいれば、単純に政治に対して無関心だったり、日々の生活に手一杯だったり(白人層にも低所得者層はたくさんいる)、変化に対して抵抗する人達の理由は様々です。

一方で黒人コミュニティも、白人に対する憎悪であふれている人も大勢いて、過激な行動に走ってでも自由を勝ち取るという意志を持つものも大勢います。

そんな黒人コミュニティの代表者であるマンデラは、27年もの間投獄されるという想像を絶する苦痛の中、憎悪に飲まれるのではなく、白人コミュニティを取り込んでいく上での黒人の解放を目指すという平和的な手段を選んでいきます。

マンデラは、類まれな魅力と会話術によって、収監中であっても看守や上司から、はては国家情報局長までを味方につけていき、最終的には大統領までも説得していって、とうとう釈放の許可をもらうことに成功します。黒人コミュニティからは熱狂的に、白人コミュニティからは不信と不満を持って迎えられたマンデラは、その後も地道な演説活動と要人への交渉を続け、最終的には2/3弱の投票を獲得して選挙に勝利します。しかし、白人右翼の40-50%は選挙へ行かず、それどころか、選挙の前週には空港などでテロを敢行し、21名を殺害するという凶行に走りました。マンデラは、白人コミュニティとさらに融和するべく、苦心することになります。一方で、白人コミュニティも、マンデラを擁立したはいいものの、本当に黒人コミュニティは復讐しないのか、その不信の念を拭い去ることはできていませんでした。

一九九四年の南アフリカは、歴史、文化、人種その他多くの面で、完全に分離した国でした。交渉、演説、制度の改正、これらをいくら積み重ねても、それだけで『南アフリカ人をつくること』はできなかった。国民の心を一つにする、なにかほかのものが必要でした。(p199-200)

そして、民族融和の手段として、ラグビーが選ばれたのです。

今でこそラグビーは南アフリカの国技として世界的に知られてはいますが、当時のラグビーはあくまで白人コミュニティのものでした。黒人コミュニティにとって、スプリングボクスは差別の象徴であり、憎き白人の象徴でした。ラグビーそのものを嫌悪する人はもちろん、ラグビーを応援するときはスプリングボクスの対戦相手を応援することが当たり前でした。

ラグビーが白人コミュニティのものであることを象徴的に示す一例は、国歌と国旗です。当時の国歌だった「ディ・ステム」は、植民地開拓をした白人たちの歌であり、黒人コミュニティにとっては差別の象徴でした。ラグビーの国際試合では、黒人コミュニティからの要請にも関わらず、古い国旗が翻り、「ディ・ステム」が歌われ、白人コミュニティの抵抗を象徴する存在となっていました。

黒人コミュニティには、「ンコシ・シケレリ」という非公式の国歌がありました。多くの黒人国民は、この歌を国歌として制定し、「ディ・ステム」を不要としようとしましたが、マンデラは断固としてそれに反対します。

「みなさんが軽く扱った歌には、多くの国民の思いが詰まっています。…みなさんが署名ひとつで崩そうとしたのは、我々が築こうとしているものの、かけがえのない、唯一の土台 ―― 和解です」 (p.187)

最終的に、マンデラの案である、「ディ・ステム」と「ンコシ・シケレリ」を二曲続けて演奏するという案が採用されることになりました。

このときにマンデラが同時に言ったのが、白人コミュニティを味方につけるアドバイスでした。それは、たとえ数語でもいいので白人コミュニティの言葉を使って話しかけるというものでした。このときに、タイトルにある「頭に訴えかけてはいけません、心に訴えるのです」と言い残しています。

このマンデラの意志を理解し、実行のための強い意志を固めていったのが、スプリングボクスでした。黒人コミュニティの標準語であるコーサ語を学び、「ンコシ・シケレリ」を歌う練習も何度も重ね、自分達に課せられた使命、すなわち「国を一つにする」という使命を達成するために、必ず試合に勝利しなければいけないというプレッシャーの中、大会を勝ち抜いていきました。そして、ついに白人コミュニティと黒人コミュニティが一つとなり、あたらしい一つの国としてスプリングボクスを応援し、そしてチームは見事優勝していったのです。

この物語の全体を通して感じたことは、民族融和を目指すマンデラの根気、優しさ、強さでした。対立する2つのコミュニティを融和させるというのは並大抵の難しさではなく、単なる八方美人で終わってしまうことも少なくないでしょう。しかしマンデラは、国歌の選定を始め、必ず通すべきと思った意見は静かに、しかし確実に主張をしています。このとき、「相手の立場もわかってやってくれ」といったような妥協を促す説得を全くしていないというところも驚きでした。黒人はもちろん、白人に対しても理解を示し、いずれのコミュニティに対しても望む結果となるよう最大限の努力を続けていました。人種を超えた、南アフリカ国民を信じ続け、そして国民がそれに応えていったのです。

世間は、コミュニティの対立、個人の対立で溢れかえっています。自分が対立の当事者になることもあれば、対立を仲裁する立場に立たざるをえない場合もあるでしょう。片方に妥協を促すというのはよく行われる手法であり、マンデラと同じアプローチを取れる人は多くありません。しかし、「相手を理解する努力をし、相手の罪を許し、相手を尊重する」という彼が持っていたビジョンは、多くのこうした揉め事において、常に心に留めておきたいものだと感じました。口で言うのはたやすいですが……