もう変える気も無かったのに
Category: 電脳総寸劇
30年前に布団の中で震えていたわたし
Category: 日々是徒然
今日で阪神淡路大震災から30年。と、言うことは即ちこの年生まれた人が遂に30歳に到達するわけで、時間の経過と共に世間的には風化の懸念もちらほらあるが、被害の規模はともかくあれを身近で体験した人であれば一生忘れることの出来ない日なのは間違いないと思うのである。
この話は毎年のように書いているが、あのとき住んでいたマンションでもの凄い揺れとそれまでの人生で聞いたことの無いような地鳴りみたいな音で目が覚めた私は、布団から一歩も出ることが出来ずただただ目を泳がせていたのであった(__;)
天井の蛍光灯がまるでアメリカンクラッカーのように激しく揺れていたのだけは憶えているが、揺れが収まって自分がどう動いたかはまったく憶えていない。たぶん揺れてから収まるまで何分もはかからなかったと思うけど、たしか部屋の中で倒れた物は無く、ガラスが割れたりもしてなかったのと隣の部屋にいた弟がいびきをかいて寝ていたことに驚くやら呆れるやらだったこととか(こういうときは無神経なヤツが勝者だなと)母から電話がかかってきてお互いの安否確認をしたのは憶えていて、あとはテレビを点けてようやくどういうことが起こっているのかを理解したくらい。
のちの調査結果によると徳島県内は鳴門が一番酷く、倒壊被害もあったそうだが淡路・神戸ほど深刻なダメージはなかったとか(淡路なんてちょっとだけ隣なんだからこのへんはほんとに運としか言い様がない)私が当時勤めていた店の鳴門店では商品棚がドミノ倒しのように全部倒れてはいたのだけど、さいわい地震発生が早朝でまだ中が無人だったおかげで人的被害は無く済んでくれた(片付けたいへんだったけどね・・・)
とりあえず出社した後も鳴門と淡路の各店従業員の安否確認を電話でずっとやっていたのであった。淡路は三原・志築・洲本と三店舗あり、この中では三原店が半壊して屋根が落ちていたと思うが、こちらのほうも怪我人はなかった。またタイミング良いのか悪いのか当時の淡路店舗エリアの統括マネージャーが休暇取って海外旅行に行っていて、帰国後なんかバツ悪そうにしていたこと等も毎年思いだしてしまうのである(彼のせいではないのだけど、それはそれは見事な脱出ぶりで( ̄▽ ̄;))
それで今回ネットで震災関連の記事を追いかけていて、ちょっと感銘を受けたものがあったのでそれを紹介してこの項を締めようかと思う。
○神戸新聞NEXT「笑福亭鶴瓶さん 震災30年を語る」
佐野元春の歌ではないけど、人間なにがあろうと生きている以上は「生活という"うすのろ"」と付き合い超えていく必要があるわけで、鶴瓶さんの言っていることはなるほどなと感じるのである。
この話は毎年のように書いているが、あのとき住んでいたマンションでもの凄い揺れとそれまでの人生で聞いたことの無いような地鳴りみたいな音で目が覚めた私は、布団から一歩も出ることが出来ずただただ目を泳がせていたのであった(__;)
天井の蛍光灯がまるでアメリカンクラッカーのように激しく揺れていたのだけは憶えているが、揺れが収まって自分がどう動いたかはまったく憶えていない。たぶん揺れてから収まるまで何分もはかからなかったと思うけど、たしか部屋の中で倒れた物は無く、ガラスが割れたりもしてなかったのと隣の部屋にいた弟がいびきをかいて寝ていたことに驚くやら呆れるやらだったこととか(こういうときは無神経なヤツが勝者だなと)母から電話がかかってきてお互いの安否確認をしたのは憶えていて、あとはテレビを点けてようやくどういうことが起こっているのかを理解したくらい。
のちの調査結果によると徳島県内は鳴門が一番酷く、倒壊被害もあったそうだが淡路・神戸ほど深刻なダメージはなかったとか(淡路なんてちょっとだけ隣なんだからこのへんはほんとに運としか言い様がない)私が当時勤めていた店の鳴門店では商品棚がドミノ倒しのように全部倒れてはいたのだけど、さいわい地震発生が早朝でまだ中が無人だったおかげで人的被害は無く済んでくれた(片付けたいへんだったけどね・・・)
とりあえず出社した後も鳴門と淡路の各店従業員の安否確認を電話でずっとやっていたのであった。淡路は三原・志築・洲本と三店舗あり、この中では三原店が半壊して屋根が落ちていたと思うが、こちらのほうも怪我人はなかった。またタイミング良いのか悪いのか当時の淡路店舗エリアの統括マネージャーが休暇取って海外旅行に行っていて、帰国後なんかバツ悪そうにしていたこと等も毎年思いだしてしまうのである(彼のせいではないのだけど、それはそれは見事な脱出ぶりで( ̄▽ ̄;))
それで今回ネットで震災関連の記事を追いかけていて、ちょっと感銘を受けたものがあったのでそれを紹介してこの項を締めようかと思う。
○神戸新聞NEXT「笑福亭鶴瓶さん 震災30年を語る」
佐野元春の歌ではないけど、人間なにがあろうと生きている以上は「生活という"うすのろ"」と付き合い超えていく必要があるわけで、鶴瓶さんの言っていることはなるほどなと感じるのである。
既にもう「二週間よ」(「トータル・リコール」(90)より)と、言いたくなる年明けの早さ。1月も明日で折り返しですがな。
※ある意味名場面でもある
さて、そんなわけでいつものように新年からの日々を振り返ってみる。
1/1(水)・・・朝は日の出と共に起床し自宅小窓から無理矢理初日の出を拝む(後から姪が屋島山頂から撮った本格的な初日の出写真を送ってくれたので気分的にはありがたかった)前日まんじゃーれで受け取った洋風おせちを食べながら2025年もスタート。
10時頃迎えに来た末弟一家とともに香川の母+妹一家を訪ねる。現地にて新年の歓談、そしてお年玉配布大会。16時には帰宅。
1/2(木)・・・正月らしく夫婦で「なにもせず自宅籠城」を敢行。延々テレビ見て録画したレコーダーの中身とパソコンデータの整理をしただけ( ̄。 ̄;)
1/3(金)・・・早朝から香川のイオンシネマ宇多津へ。超古い特撮映画を見るため朝5時半に家を出た(この映画の話は後日別館にて) 現地メシはサイゼリアである。相変わらず安くて美味い。途中LINEで甥の成人式の写真が届く。めでたいけどやはり男子は感動が薄いな~(これまで既に何度もスーツ姿を見ているからだろう)
1/4(土)・・・今年我が家は夫婦揃って「前厄」なのでお祓いして貰おうと大麻比古神社まで。さいわい一番客(?)だったので最初のグループに入れて貰い、すんなりご祈祷を受けることが出来たのであった。まあメンタル的にはちょっとスッキリしたかも(それにしても我が輩は顔デカすぎひん??(__;))
帰宅後急遽妻の人が出かけることになり私はお留守番。たまたまこの日はNintendo SWITCHのカラオケアプリが一日無料で使えるとのことで、自宅リビングにて一人リサイタルが開催されたのであった(もはや気分は「ドラえもん」のジャイアン)
※紅白でインパクトのあった♪全てあげよう♪を二度ほど熱唱
1/5(日)・・・午後から妻の人がお友達の家にお出かけ。これは当初から決まっていたことなのでこちらも余裕を持って送り出すことが出来た。なので昼からは我が輩がこの家の王様となって好きなように過ごしていたのであった(そんなたいした王様じゃ無いけどね( ̄。 ̄;)) 食事もデリバリー、一番大きなテレビでホラー映画を大音響で見まくり、これ以上無い角度でソファーにひたすらふんぞり返っていたのである<(`^´)>
夜になり妻が帰宅すると我が輩の王様時間も終了。ホントの王(?)が帰還したので玉座は譲らねばならないのだ。
1/6(月)・・・この日より仕事開始。11日(土)までは何の変哲も無いいつもの日常が続く。
1/12(日)・・・打って変わって朝から忙しい一日となり、まずは朝一で香川の母から「テレビが映らなくなった」とヘルプコール。話だけでは埒があかないので結局家まで行くことに。幸いというとアレだが、この日は姪の成人式もあって晴れ着を生で見られる機会にもなったのであった。
現地に行って確認したらテレビの方は完全に壊れていて調整でどうなる物でも無かったため、近所の妹宅にあった古いテレビを臨時で借りてきて据付した。当面これで辛抱してくれと言うことで。直後に妹一家、私、母とで食事に行き姪二号の晴れ着を見せて貰った。着慣れてないから両サイドで姪二号の母である私の妹と姉である姪一号がからくり人形を動かす職人のようになってコントロールしていたのが可笑しかったけど(^▽^) 病気ばっかりしてたあのチビガキがこんなに綺麗になるとはなあと、伯父なりの感動をしていたのであった(ヤツには父親がいないのでその想いはひとしお)それにやっぱり成人式は女の子の方がよろしいなー。
トンボ帰りで自宅に戻ったのが15時頃。一回風呂入って体制を整えたら18時からオフ会に行くため再出動。関東から来ていただいたプロともさんとの飲み会で、近所の居酒屋に行ってきたのでありました。詳しいことは別館を読んでもらうとしてホントめっちゃ楽しい宴だったよ(^^) ブログやっててよかったなと心から思えた瞬間でもあったかな。
そして今日が14日。年明けて"Two Weeks"の簡易報告でした。
※ある意味名場面でもある
さて、そんなわけでいつものように新年からの日々を振り返ってみる。
1/1(水)・・・朝は日の出と共に起床し自宅小窓から無理矢理初日の出を拝む(後から姪が屋島山頂から撮った本格的な初日の出写真を送ってくれたので気分的にはありがたかった)前日まんじゃーれで受け取った洋風おせちを食べながら2025年もスタート。
10時頃迎えに来た末弟一家とともに香川の母+妹一家を訪ねる。現地にて新年の歓談、そしてお年玉配布大会。16時には帰宅。
1/2(木)・・・正月らしく夫婦で「なにもせず自宅籠城」を敢行。延々テレビ見て録画したレコーダーの中身とパソコンデータの整理をしただけ( ̄。 ̄;)
1/3(金)・・・早朝から香川のイオンシネマ宇多津へ。超古い特撮映画を見るため朝5時半に家を出た(この映画の話は後日別館にて) 現地メシはサイゼリアである。相変わらず安くて美味い。途中LINEで甥の成人式の写真が届く。めでたいけどやはり男子は感動が薄いな~(これまで既に何度もスーツ姿を見ているからだろう)
1/4(土)・・・今年我が家は夫婦揃って「前厄」なのでお祓いして貰おうと大麻比古神社まで。さいわい一番客(?)だったので最初のグループに入れて貰い、すんなりご祈祷を受けることが出来たのであった。まあメンタル的にはちょっとスッキリしたかも(それにしても我が輩は顔デカすぎひん??(__;))
帰宅後急遽妻の人が出かけることになり私はお留守番。たまたまこの日はNintendo SWITCHのカラオケアプリが一日無料で使えるとのことで、自宅リビングにて一人リサイタルが開催されたのであった(もはや気分は「ドラえもん」のジャイアン)
※紅白でインパクトのあった♪全てあげよう♪を二度ほど熱唱
1/5(日)・・・午後から妻の人がお友達の家にお出かけ。これは当初から決まっていたことなのでこちらも余裕を持って送り出すことが出来た。なので昼からは我が輩がこの家の王様となって好きなように過ごしていたのであった(そんなたいした王様じゃ無いけどね( ̄。 ̄;)) 食事もデリバリー、一番大きなテレビでホラー映画を大音響で見まくり、これ以上無い角度でソファーにひたすらふんぞり返っていたのである<(`^´)>
夜になり妻が帰宅すると我が輩の王様時間も終了。ホントの王(?)が帰還したので玉座は譲らねばならないのだ。
1/6(月)・・・この日より仕事開始。11日(土)までは何の変哲も無いいつもの日常が続く。
1/12(日)・・・打って変わって朝から忙しい一日となり、まずは朝一で香川の母から「テレビが映らなくなった」とヘルプコール。話だけでは埒があかないので結局家まで行くことに。幸いというとアレだが、この日は姪の成人式もあって晴れ着を生で見られる機会にもなったのであった。
現地に行って確認したらテレビの方は完全に壊れていて調整でどうなる物でも無かったため、近所の妹宅にあった古いテレビを臨時で借りてきて据付した。当面これで辛抱してくれと言うことで。直後に妹一家、私、母とで食事に行き姪二号の晴れ着を見せて貰った。着慣れてないから両サイドで姪二号の母である私の妹と姉である姪一号がからくり人形を動かす職人のようになってコントロールしていたのが可笑しかったけど(^▽^) 病気ばっかりしてたあのチビガキがこんなに綺麗になるとはなあと、伯父なりの感動をしていたのであった(ヤツには父親がいないのでその想いはひとしお)それにやっぱり成人式は女の子の方がよろしいなー。
トンボ帰りで自宅に戻ったのが15時頃。一回風呂入って体制を整えたら18時からオフ会に行くため再出動。関東から来ていただいたプロともさんとの飲み会で、近所の居酒屋に行ってきたのでありました。詳しいことは別館を読んでもらうとしてホントめっちゃ楽しい宴だったよ(^^) ブログやっててよかったなと心から思えた瞬間でもあったかな。
そして今日が14日。年明けて"Two Weeks"の簡易報告でした。
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