三十歳から四十五歳を無自覚に過ごすな 〜ジョゼ・モウリーニョ 2〜

前回のエントリー三十歳から四十五歳を無自覚に過ごすな 〜ジョゼ・モウリーニョ 1〜で、プロサッカー選手経験ゼロのジョゼ・モウリーニョが「世界最高の監督」となるまでの足跡をご紹介しました。たくさんの方に読んでいただきました。ありがとうございました。

今回はモウリーニョの足跡から何を学ぶことができるかについて考えてみたいと思います。

なぜモウリーニョはプロ経験ゼロを克服して世界最高の監督になることができたのか

モウリーニョは自分のキャリアに対し強烈に「自覚的」であり、常に「戦略的」に生きた人だと思います。しかし、その戦略というのは、きわめてシンプルでベーシック。私はモウリーニョの成功のポイントは下記2点にあると考えています。

(1)自分の強みである「語学」を徹底的に活用、自らの力で「見晴らしの良い場所」に辿り着いた
(2)「見晴らし良い場所」にて通訳にとどまらない「超通訳」として全力を尽くし、チームに「欠かせない人材」となった

そして、通常の監督としての成功STEPとモウリーニョの成功STEPを比較してみたのが下記の図になります。


成功要因1:自分の強みの徹底活用による「見晴らしの良い場所」への到達

「見晴らしの良い場所」とは何なのか。梅田望夫さんの「ウェブ時代をゆく」にはこのような記述があります。

若者のキャリアについて私と話をしていたときに、ロジャー・マクナミー(シリコンバレーの投資家)は、「若者はバンテージ・ポイントに行くべきだ」と言った。「バンテージ・ポイント」とは、「見晴らしの良い場所」という意味。その分野の最先端で何が起きているかを一望できる場所のことである。(中略)たとえば「ソフトウェア・エンジニアであればグーグルに行け、グーグルが現代最高のバンテージ・ポイントだからだ。グーグルがだめならアップルがいい」と4年前からロジャーは言っていた。(P98)

モウリーニョは15歳から「世界最高のコーチを目指す」と宣言していますので、コーチとしての勉強を非常に熱心に行っていました。25歳にしてUEFAコーチングライセンスも半分獲得していた。しかし現実は「プロとしての選手経験がない」ということは大きなハンディー。「見晴らしの良い場所」=「プロサッカークラブ」への道は閉ざされたままだったのです。

そこでモウリーニョは、「見晴らしのいい場所」に辿り着くために、自分のもう一つの強みであった「語学」に価値を見出します。経験の少ないサッカーコーチとしての能力ではなく、「通訳」としての価値を自ら強烈にアピールし、まずは「見晴らしのよい場所」に辿り着くことに成功したのです。その到達スピードは、通常のプロサッカー選手が監督になるケースよりもかなり早い。

モウリーニョが必死になって「見晴らしのよい場所」に辿り着こうとする姿に触れ、私はかのSteve Jobsのスタンフォード大学卒業式の感動スピーチの「Connecting the Dots(点を繋ぐ)」という言葉を思い出しました。

未来に先回りして点と点を繋げて見ることはできない、君たちにできるのは過去を振り返って繋げることだけなんだ。だからこそバラバラの点であっても将来それが何らかのかたちで必ず繋がっていくと信じなくてはならない。自分の根性、運命、人生、カルマ…何でもいい、とにかく信じること。点と点が自分の歩んでいく道の途上のどこかで必ずひとつに繋がっていく、そう信じることで君たちは確信を持って己の心の赴くまま生きていくことができる。結果、人と違う道を行くことになってもそれは同じ。信じることで全てのことは、間違いなく変わるんです。

モウリーニョが学生の頃、「語学」という点が自分の夢である「世界最高のコーチ」という点に繋がっていくなんて想像してなかったと思うんです。しかしどこかで何かに繋がるんだと信じ、精進した。そしてついに繋げることが出来た。そしてついに「見晴らしの良い場所」に辿り着くことが出来たのです。

しかし、それは「通訳」として辿り着いたのであり、「コーチ」として辿り着いたわけではありません。ですので、パワポ資料も線は点線にしています。

成功要因2:「超通訳」として欠かせない人材に

「見晴らしのいい場所」にいる超一流選手というのは、どうしてもその人の「経験」を見て接し方を決める傾向があります。モウリーニョの「経験ゼロ」はここでも非常に不利に。。しかしモウリーニョは「語学」をベースに自分の持てる力を全て発揮し、この逆境を克服しようとします。

まずその選手の地方の言葉(例えばカターニャ語)を労を惜しまず理解して通訳し、超一流選手に感謝されたり、学生時代に学んだ生理学、心理学の考え方を応用したりすることにより、序々に選手と親密な関係を築いていきます。そしてまずは「通訳」=「コミュニケーション」において「必要な人材」となっていきます。

そうして一定の信頼を獲得したモウリーニョは、監督のボビーに対しサッカー戦術、練習メニュー、選手の起用方法などについて「提案」を試みます。その提案が序々に評価されるようになり、ボビーから相手チームの分析資料作成の依頼を受けるようになります。モウリーニョは「ここぞ」とばかり素晴らしいレポートを提供。そのレポートの素晴らしさをボビーは次のように語っています。

彼は帰ってくるなり、俺に書類を渡すんだ。そいつはどれも一級品ばかりだった。まさに一級品さ。あんなに素晴らしい書類は受け取ったことがないよ。彼は30代初めだったけど、プレーヤーとしての経験がなかった。監督だったこともない。なのにプロの中でもトップクラスの連中が書いたものに全く引けを取らない、素晴らしいレポートを俺によこしたんだ。(中略)俺は彼にこう言ったんだ。「でかした。息子よ」(ジョゼ・モウリーニョ 勝者の解剖学 P81)

このように、モウリーニョは通訳のみではなく、経験は少ないもののずっと培ってきた「サッカーコーチとしての能力」を序々に発揮し、「通訳+サッカーコーチ」=「超通訳」として、チームに「欠かせない人材」となっていったのです。

この2つのSTEPを確実に駆け上がることにより、プロサッカー選手経験ゼロを克服。「世界最高のサッカー監督」への道を自らこじ開けることに成功したのです。

ジョゼ・モウリーニョの生き様から私たちは何を学ぶことができるか

現実社会において、「あの見晴らしのいい場所」に何とか辿り着きたいが、経験不足が災いし非常に困難だ、というシチュエーションがあると思います。そんなシチュエーションをどのように戦略的に克服するか。これをモウリーニョの生き様に学び、モデル化を試みたのが下記の図になります。題して「モウリーニョ・モデル」。


STEP1:「見晴らしの良い場所」を目指す

経験不足を克服し、「見晴らしのいい場所」に辿り着くには何が必要か。ここでは「自分の武器を磨く」、「本来必要な能力を磨く」の2点を挙げ、「本来必要な能力」での経験不足を「自分の武器」で補うことが必要であるとしています。

そして「武器」の成立要件として、「見晴らしのよい場所」に(1)ニーズがある、(2)ライバルが少ない、(3)自分の武器に差別的優位性がある、の3点を挙げています。サッカーをプレイするのに「語学」は必須ではないですが、よりチームを機能させるという意味では強いニーズがあると言えます。逆に、どれだけ「武器」に差別的優位性があっても、そこにニーズがなければ「武器」として成立しない。ただし誰もが着目するわかりやすいニーズでは、そこにはたくさんのライバルがいる。。

簡単ではないですが、この3つの視点から自分の「武器」を戦略的にデザインするという考え方は有効ではないかと思います。

ちなみにモウリーニョは英語、フランス語、スペイン語、イタリア語が話せたそうです。。

STEP2:「超XX」化

ここでは「見晴らしのいい場所」でいかに「欠かせない人」になるかを挙げています。まずは基礎固め。自分の「武器」を最大限に発揮し、まずは「必要な人」になって信頼を獲得する。

そして序々に「本来必要な能力」を発揮していく。その発揮の仕方は、身近なところでの「提案」から始める。その提案を積み重ね、来るべき時に向けてアピールを続ける。そして来るべき時が来たら、今までの自分の全てをかけて「最高の作品」を提供する。そして決して満足することなく、最高を追求し提供し続ける。

こうして得たチャンスは何が何でも手放さない。そして必ず花開かせて見せると弛まず精進を続ける。これが経験不足を克服し「見晴らしの良い場所に」到達する手法「モウリーニョ・モデル」であります。

モウリーニョ 最高のメッセージ 〜自分を信じ、常に進化する〜

2回にわたり、ジョゼ・モウリーニョの生き様を見てきましたが、そんな彼を支えているのは「自分を信じる力」。私も自分を信じ、改めて三十歳から四十五歳を自覚的に生きようと心に誓い、私の「ロールモデル図書館」にジョゼ・モウリーニョの名を刻みたいと思います。
最後はモウリーニョの生き様を象徴するこの言葉で。今シーズン、伊インテルで大暴れしてくれることを期待しております!

新しいチャレンジに乗り出し、大きな困難を超えれば、私はさらに偉大な監督になれると思ったのだ。私は40歳でナンバーワンの監督になりたくなかったし、50歳で過去の栄光にすがるような生き方はしたくなかった。常に進化していきたかったのだ。(「ジョゼ・モウリーニョ」P207)

ジョゼ・モウリーニョ 勝者の解剖学

ジョゼ・モウリーニョ 勝者の解剖学

ジョゼ・モウリーニョ

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