そうぞうされてた

「アプレンティス:ドナルド・トランプの創り方」を見た。

劇薬の精製法だった。まず最初のシーンで胸ぐら掴まれる。会員制のクラブでデートをしているトランプはまだ何者でもない若い者だ。そんな彼を遠くの暗闇からじっつ見つめる視線。ロイ・コーン弁護士である。その姿はまるで悪魔のようにも見える。「見つけた」という声が聞こえてきそうなそのワンショット。もうこの視線ひとつで映画が完了してしまったかのような強烈さがある。ロイコーン演じるジェレミー・ストロングの演技が見事すぎる。その弁護士が自分のテーブルにトランプを呼ぶ。そして師弟関係が結ばれる。ロイがトランプに勝ち方を伝授する。3つのルール。ルール1「攻撃、攻撃、攻撃」ウール2「絶対に非を認めない」ルール3「勝利を主張し続ける」。今、まさにこのルールを貫き続けた人がアメリカの頂天に立っている。タイトルの示すとおりドナルド・トランプが創られた工程を見る映画だ。人とを人と思わず、勝つためにあらゆる手段を尽くす師匠の教えを守りながら、師匠を超え、やがてゴミくずのように師を見捨てる。彼の力を増幅させたのはお金の力だ。倫理より何よりまずマネーがある。金こそが力が彼を時代の寵児にしていく。それを否定も肯定もせず映画は冷静にそれを俯瞰する。印象的なのは彼がずっと髪型や体型を気にし続けている描写だ。鏡に写った自分の髪型をずっと気にする。そして太っていく肉体を気にする。医師に運動を勧められる。しかし運動は身体によくないと脂肪吸引を選択する。薄くなった頭皮を隠すために頭皮を除去して目立たなくする手術をする。改善のための努力を選ばず、徹底してその場の見せかけを優先する。映画がどこまで真実かはわからないが、本国では大統領選が終わる前に公開された映画ある。この人が選ばれたということだ。劇薬が選択されたということなんだろう。どうすることもできないけど、備えのために見ておくべき映画だと思った。フィクション…じゃないんだよね。

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のうがばぐります

「トワイライト・ウォリアーズ 決戦!九龍城砦」を見た。

ひとことで言って熱い!エモい!面白すぎる!そして鼻血出る!さらに傑作すぎる!まさにこれぞ見たかった香港映画!もう脳みそバグる映画でした。最初からたまらん。冒頭がとくにたまらんのよ。裏格闘で勝った流れ者が賞金騙されて、代わりに奪ったブツを持って逃げ込んだ先が九龍城で。もうアクションとチェイスの大連鎖。いまはなきネオンに色取られた香港の街中を駆け回り、九龍城に逃げ込んで、迷宮的に入り組んだ路地や建物の中を縦横無尽に駆け回って、そこに次々と主要登場人物が出てきて、最終的に逃げ込んだ理髪店で人質に取った相手が実は…って、完全にノンストップのアクションの中にどれだけ情報を入れてくるんだってくらい色んなものが詰まってて、もうこの冒頭のシークエンスだけで映画1本分十分に感動がありますが、そこか始まるよそ者の青年が、掃き溜めの町の中で初めて人の優しさに触れながら人間的表情を取り戻していき、そこにいる同世代の仲間と友情を育んでいく姿にほっこりし、その中にしっかり香港映画らしいテイストが注入されまくっていて、やりとりのひとつひとつが全てエモすぎる。永遠にこの平和で雑多な日常を見ていたい気分にさせてくれた後の怒濤の地獄展開。地獄展開だけどさすが香港のケレンミと、悲惨さより熱さに重きをおいた展開が、すごく懐かしい何かを刺激してきます。いい!良すぎる!美術的見た目だけで1億点あっても足りないくらい最高な上に、アクションで1億点、熱さで1億点、いくら加算しても足りないすごい映画でした。その上、最後にくるのは切なさってのがもう…。もう全部刺激してきますよ。いや、これを見ない選択肢ってあるの?呆れるくらい面白い映画でした!最高!

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なめてたせんせが

「勇敢な市民」を見た。

表向きは暴力撲滅で優良学校の皮を被りながら実質は財閥の息子がやりたい放題やりまくって暴力といじめがはびこってる高校に赴任してきた非正規の女性教員の話。正規職員になるためには問題は起こせない。悪事も見て見ぬフリをしろとアドバイスされる。一見、清楚でか弱そうなこの女性教師が、実は元オリンピックの代表候補にもなった最強ボクサーで格闘のエキスパートっていう、設定からして最高の韓国映画。なめてた女教師が実は最強の格闘マシンだった系映画!ってそんなのあるのか!?とにかくいじめがエグすぎて、普通にそれ逮捕されるでしょう?ってくらい学校の外でもひどいことしまくってるんだけど、親が財閥の実力者で警察も手を出してこないからやりたい放題。で、怒り爆発!顔を隠して女教師が立ち向かう。いや主演のシン・ヘソンいいですね!いま公開中の#彼女が死んだでも、強烈なインパクトの役をやってたけど、表情に動きがあって、ころころと雰囲気が変わるコメディエンヌ的な役回りが最高にあう上に、身のこなしがすごいです。キックのキレがすんごい。対する最悪のヴィランなんだけど、最後に選ぶ対決の方法が意外にも真っ当で、とすると何か刺激に飢えた可哀想な人なのかもって思ったりもしたけど、いやでもやっぱ許せないや、最低のくそ野郎だ。くそ野郎を蹴り飛ばす気持ちのいい映画!楽しみました!

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あたりまえだの〜

月曜なのでnote書きました!なんというか、ここのところまた当たり前のことに改めて気がつくということが多くて、当たり前だよねってスルーするんじゃなくて、なんでまた改めて気がついたのか、きちんと記録しておくことが大事じゃないかという、当たり前のことを改めて考えたりして、その当たり前をやっていくことにしました。トークイベントで事前に聞きたいことみたいな質問リストが届いて、それに答えようと思って過去のnoteを読み直したら、いまは当たり前になってることに、気づいたときのことが書いてあって、そのときはどうでもいいことで「こんなこと書いてどうするんだろう」なんて思っても、あとでそういうことって忘れてるから、やっぱり書いてあると助かるんですよね。特に「なんでそう思ったのか」の「きっかけ」になったことって、些細だけど大事だったりする。当たり前を大事にしていこう。

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だいこうぶつです

「敵」を見た。

最初に見えてた世界を全部ひっくり返すようなすさまじい映画だった。ていねいで規則正しい暮らしを繰り返す引退した大学教授。かつてはフランス文学の権威であり、生徒にも慕われている。妻に先立たれ、大きな古い家で一人、ていねいな暮らしをしている。とにかく飯が美味そうだ。前日見た孤独のグルメと比べて10倍は飯テロ映画だ。「PERFECT DAYS」に「孤独のグルメ」を足したような、とんでもなく自分好みの映画が来たなと思って前半をほっこりした気持ちで見ていたら、次第にこの世界の違和感が強さを増してくる。なんかちょっと不穏な空気をまとって河合優美が出てくる。フランス文学を専攻していて、若いねっとりした色気で主人公に近づいてくる。かつての教え子の女性も家を訪ねてくる。不穏な色気が満ちてくる。そして、起きたと思ったことが、実は起きてなかったこだったかもと困惑し、迷路のようなところに落ちていく。そして別の元教え子が庭の井戸を掘り出す。そこにいるはずのない誰かが現れるようになる。小さな不条理が次第に大きな闇になり、北から来るという敵という存在が実際に銃声を響かせながら近づいてくる。まるで雨の中の慾情で、ファーザーで、リングで、とんでもないところに連れて行かれる。そしてそこで投げかけられるセリフの鋭さ…。これはまさに地獄だ。ハッキリ言って、超超超、大好物な映画でした。もう最強で最悪な悪夢映画!小津安二郎かと思ったら黒沢清だったみたいな!自分が一番言ってほしくないことを聞かされ続ける後半は精神的に怖い映画でもあって、これが何を描いている映画かはわかるんだけど、自分の未来のことも考えたりしながら、震える心が止まらなくて、これは相当くる映画だった。ラストのなんとも言えない余韻を生むところで、いい仕事をするのがみんな大好き中島歩ってのも最高です!劇場は満席!これは本当にいいものを見た。まじ大好物!

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それはゆめだよっ

「劇映画 孤独のグルメ」を見た。

今週末から猛烈な数の見たい映画が始まる。そんなに日にまずやっておくこと。それは見ないまま取りこぼしてしまうであろう作品を拾っておくこと。今日から始まる他に見たい映画が山ほどある中で、あえてそれらを見ずに、見に行くのは「孤独のグルメ」である。九龍城でも敵でもストップモーションでもガンダムでもなく「孤独」である。この決断に、自分らしさを感じる。こうでなくてはいけないと思っている。結論から言うと、当然ながら「見て良かった」である。何せ、見なければ、わからないのだ。これがどういう映画なのか。まず監督が、松重豊である。脚本も書いているという。もはや自分の看板とも言える作品を自らの手で劇場にかけるのだ。これは見ないわけにはいかない。テレビ放送の開始早々は2%ほどの視聴率のドラマだったらしい。もう10年以上前だ。確か余所のテレビ局で蹴られた企画だったように記憶している。続編ができるとも思われてなかった作品がじわじわと人気を高めた。わたしも確か見始めたのはシーズン3くらいからの後追い組みだった。この作品の魅力はひとえに井之頭五郎というキャラクターの妙にある。ただ彼が食べるのを見る。そして独特の独白を聞く。この心地よさだ。もちろんそれを十分に理解して作っているから今も続く人気シリーズになっている。その劇場版で何を見せてくれるのか、それに期待してしまう。そして冒頭のショットから期待が高まる。なぜなら飛行機で機内食が準備されているシーンから始まるからだ。機内食、わたしはこれがとても好きだ。特に国際線エコノミーの食事が好きだ。ま、ビジネスには乗ったことがないけどさ。とにかくプレートの上に広がるミニマムな世界の調和というか、あの小さな中に小宇宙を感じさせる箱庭感があってたまらない。それを食べる五郎さんが見れるなんて!これは嬉しい。何を語るのか?ワクワクする。これは原作者久住昌之の名作「かっこいいスキヤキ」に収録された「夜行」の駅弁実況に匹敵する神回になるのでは? なんて思ってたら…まさかの。そこから始まる本編ですが、ひと言でいうと「不思議」な映画です。ちょっとありえないような展開が続きます。誰も正解が分からない問いの答えを、解き方が分からない人が、さらによく分かっていない人たちにヒントを聞きながら、わかった!と言って正解と思われるものにたどりつくけど、誰もそれが正解なのか分からない、そんな映画です。じつは「すべてなかった」映画でもあるような作りになっていて、中盤の展開以降は明らかにすべてがおかしい。テレビ版との決定的違いでもある「実在しない店」を舞台に、テレビ番組そのものがメタ構造化する展開になるところも含めて全部が「夢だった」感があります。もしかしたら最初の飛行機のシーンからすべてが始まっていたのかもしれない。ラストのシーンが飛行機の上で目を覚ますショットだったら…と、いろいろ妄想が膨らんだ。ちなみにこの映画のわたしの理想とする結末は、ラストで飛行機の上で目を覚ます五郎さん。そこにビーフの機内食が運ばれてきて食べ始める。食べながらの独白を聞きながらエンドクレジットが流れて、終わると同時に五郎さんが手をあげ「あのーチキンの方もいただくことって…」と無茶な注文をして、カメラ目線になり本編のラストと同じセリフを言って、クロマニヨンズのテーマソングがかかったらかなり好きな映画になったかもしれない。ま、わたしにとって、だけど。何やらパンフによると最初はポン・ジュノ監督にオファーしてたらしく、断られて、じゃ、オレが撮るで進んだらしい。ポン・ジュノ版が実現したら一体どんな映画になったのか、それも気になる。

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ろくじゅいちまい

「小学校~それは小さな社会~」を見た。

2日続けて学校もの映画を見る。こっちは日本のドキュメンタリー。都内のとある小学校の1年生と6年生の1年間を追う。いや、これ、むちゃくちゃ面白かった。画面がきれいで、そして映画として単純に面白い。何が面白かったのか、6年という時間で、人はこう変わっていくのかという成熟の過程を観察する面白さもあるけど、もっとあるのは、単純に人間って面白いということだ。ある1年生の女の子。次の新入生を歓迎する演奏発表会のオーディションに参加する。この子がシンバルのパートをオーディションで勝ち取る。その前に大太鼓のオーディションでは負けてしまう。このオーディションシーンがこの映画屈指の名シーンだ。自分の名前を呼ばれるか、待ち望む表情が最高だ。別の人の名前が呼ばれて一瞬何が起きたのかわからなくて戸惑い。落ちたとわかって泣き出す。この子、とにかくよく泣く。なんとか勝ち取ったシンバルの座。でもぜんぜん練習しない。そして練習でそれを指摘されて、また泣く。そして逃げ出す。別の先生に連れてこられてなんとか練習に参加する。ちょっと褒められて笑顔を見せる。そして本番。練習の成果を新しい1年に見せる。その誇らしげな顔。終わった瞬間立ち上がって拍手をしたくなった。こういう小さな子どもたちのドラマが織りなされる。6年生の放送委員の男の子も最高だった。一緒に毎日放送してる女子に気があるよね!?って感じなんだけど、一生懸命、毎日校内放送のナレーションをする。真面目そうな子。そんな彼が苦手なのが縄跳び。動会で6年全体で縄跳びを使った群舞のような出し物をする。縄跳びが全くできない彼は、家に帰って特訓をする。そして運動会本番で踊り切って見せるどや顔。そんなひとつひとつが実に面白い。いや、ほんと人間って面白い。坊主頭の6年生のクラスを受け持つ担任。生徒に対して厳しい。たぶん怖い先生と思われている先生。彼の日課は朝誰よりも早く学校に来て、教室の机をきれいに並べ直し、ルンバの掃除機で教室をきれいにして、職員室のデスクで一人コンビニで買ったネバネバした何かを食べるルーティーンから始まる。ものすごくマジメな人だ。ある意味怖いくらいまじマジメすぎる。だから悩みも大きい。社会に出たことのない自分が子どもに何を教えることができるのか、真剣に悩んでいる。この人だけじゃない。先生たちの熱量が総じて高い。かなり力を入れた教育をしている学校なのだろう。映画に語りはない。日常の記録が続く。その中で1年を通して起こる変化と、1年生と6年生を交互に描くことで、6年で人がどう変わるかがじんわりと描かれていく。わたしは日本の学校で育ってきたので、ある意味描かれていることは知っているものだ。多少の違いはあるけど、こういう学校教育を受けた。この映画の監督は、小学校を日本で、その後は海外に出たらしい。そこで感じたのは、日本人らしさというのは、この小学校の学校教育で作られているのではないかということだ。日本の学校は、勉強だけでなく生活も教える場として機能している。そしてこの映画の撮影はコロナ禍で行われている。1年生の子どもたちが、給食時にアクリルパネルでついたてをして、ひと言も言葉を発することなく、黙々と自分で配膳したご飯を食べていた。この光景はなかなか強烈だった。日本人の日本人らしさが生成される。そのプロセス一端を見るものとして、じつに興味深い映画であると思う。とにかく、何より、面白い。そいういう映画だった。

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そして、ララミーから61枚目の写真を受け取りました!今回は早かった!今年2枚目!わーーパチパチパチ!!このコツコツな積み重ね体質も、もしかしたら学校教育の影響が…関係ないか。昔は全然、そんな気質なかったもんな〜。

<61枚目までの道のり>

1/15エレガントなベッド→ララミーのしゃしん

1/14記念撮影のみ交換なし

1/13ガラスのショーケース→レトロなコート

1/12まきストーブ→ロンパース

1/11 釣り大会で交換なし

1/10エレガントなランプ→あおいテキスタイルのかべ

1/9ビデオカメラ→ライトなパーケットフローリング

1/8じんたいもけい→スケボーヘルメット

1/7とんこつラーメン→お返しなし

1/6マリンバ→ガウンコート

1/5たっきゅうだい→ワークアウトトップス

 

60枚目はこちら

shimpachi.hatenablog.com

 

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