2ちゃんにスレたった

【文化】書評:ウェブ炎上 ネット群集の暴走と可能性 [著]荻上チキ
記念age。書名と香山さんの書評がトピックスになることで、あたかもネット批判や「ネット群集」批判をしていている本、あるいは「炎上」が「ネット特有」だと主張している本のように受け取られ、仮想的な反論が多く書き込まれるというのが大変面白い。でも著者としてはちょっと歯がゆい。


本書は香山さんを間接的に批判していて、「2ちゃんねらー=ネット右翼」的な議論はありえないとも指摘しているので、それを既に読んだ香山さんがネットについて今後どう議論するかは気になるところ。香山さんの本はあまり読んでいないのだけれど、後藤和智さんの紹介されている文章内のネットに関する議論だけでも、どうかと思う記述がある。書評の要約部分では、サイバーカスケードがネット特有、という形でまとめられているのはちょっと嫌な予感がするのだけれど。


いや、確かに“サイバー”カスケードはネット特有の部分を含むという意味が込められているから「ネット特有」には違いないんですが、「最初は個人の考えや発言であったものが、結果的に集団として極端なパターンに流れてさらなる集団行動を引き起こす」ということ自体は、ネット以前でもオフラインでも起こる集団分極化現象で、本書の主眼は「ネット以前」にもあったことがインターネットによって本当に変化したのか、というところだと思っている。香山さんの読みが本書自体から「乖離」しているような気もするけど、ただ単に書き方がまずかったのかも。そういう部分はもちろん認めつつ、それでも極力「誤配」の可能性を縮減しながら有意義な議論を展開できれば。というわけで、自分の文章から引用。

インターネット登場以後、人々のコミュニケーションはどのように変化したのだろう。このような疑問について考えるべく、私は著書『ウェブ炎上』(ちくま新書、2007)の中で「炎上」「デマ」「祭り」などのケースを元に、「ウェブ以後」のコミュニケーションについて分析するための理論の整理、および提示を試みた。

「ウェブ以前」の社会においても揉め事や事件は数多く存在したが、インターネットというメディアが介在することで、それらの表出の仕方や機能、および解釈のされ方が変化することがある。例え「今まであったこと」であっても、それが誰にとっても目に見えるようになり(可視化)、蓄積し(アーカイブ化)、今までそれを知らなかった人の元に届くようになる(繋がりと誤配)ことで、「今までなかったこと」だと過剰に騒がれるということも起こるのだ。

インターネットの長所と短所は表裏一体。この世に完全な道具などない。だから、短所を眼前にして早急な決断をし、結果としてそのメディアを長所ごと切り捨てるというようなことは避ける必要がある。メディアを使いこなすためには、目に付いた事件や揉め事を前に右往左往するのではなく、歴史や事例の蓄積を参照しながら冷静に分析をするための理論を編まなくてはならない。本当にこれまでと違うところはどこなのか。それを考えながら、メディアの特性を明らかにし、適切な操縦法を議論する必要がある。
「『学校裏サイト』と『ウェブ以後』のコミュニケーション」


とりあえず香山さんの本を読んで、ちゃんと批判することも必要かも。尾木直樹『ウェブ汚染』とかも。