佐伯君から手紙が来ていた。以下、全文転載。

「やあ久しぶり。
『拝啓』とか堅苦しいからね。やめた。
それはそうと元気か?
俺は元気だし、お前も多分元気だろう。


今回手紙を出したのは、
実は俺の死期が近いからだ。
うん。全然元気じゃない。
嘘付いてごめんな。
とはいえ、心は元気だぜ。
だから安心してほしい。


メールをあえて送らなかったのは、
なんとなく直筆の方が真心があるっぽいから。
それだけの理由だ。
デジタルは消えない、
アナログは消える。
でも、アナログで送った。
未だにアナログ年賀状のやりとりが多いのは、
真心がこもっているからだと思うんだ。


それはおいといて、
本当は電話して色んな事を伝えたかった。
まず、俺の声を伝えたかった。
俺の喋り方を。
喋ってる内に思い出せる思い出とかを。


でも、もう声が出ないんだ。
症状的なもので。
だから直筆の手紙だ。


お前はよく頑張った。
よくやった。
よく働いた。
それでいいんだ。
それ以上考えることもない。
それでいい、
というよりも、
それがいい。


俺の目的は、
俺の書いた文字を、
お前が読む、
認識する、
何かを思い出す、
いつか俺が死んだらこれを思い出す、
棚から取り出す、
読み出す、
思い出す。


それが俺の望むところだ。
事実だ。
デジタルも事実だが、
物質的な事実だ。
証拠だ。
証拠らしい証拠だ。
改変できない証拠だ。
修正液は不能だ。
完全な再現は不可能だ。


とりあえず、
あの時食べた洋食屋のヘレカツが、
今まで食べた飯の中で、一番腹に残った。
完全にいつでもどんな状況においても、
あの味を再現できる。


あの味を再現すると、
お前を思い出す。
ナイフとフォーク裁きの巧かったお前を思い出す。
品の良い振る舞いの割りに品の悪いジョークの多かった、
あの時の、ほころんだ顔を思い出す。


お前もあの味はよく覚えてるだろう。
あれから俺の断片を思い出せ。
あの時の会話も思い出せ。
あのエスカルゴがどうとか、っていうやつ。
よく覚えてないけど、傑作だった。


医者からは、もう一週間程度で、
この手紙も実は、意識が飛び飛びで書いている。
代筆しようか聞かれるが、
俺は自力で書いている。


俺は残る。
字が残る。
物が残る。


いつか会いましょう。」