幻燈日記帳

認める・認めない

フルで炊く

10月18日

ライヴの前に福岡に前乗りしてキャンペーン。ラジオ数本。栗田善太郎さんの番組で楽しく話す。podcastにあったのでシェアハピ。夜はもつ鍋を食べる。ひと月も日記を書かなかったから記憶が薄くなってきていて悲しい。

11月9日放送分 - blank verse | Podcast on Spotify

 

19æ—¥

昼間はハイダルでカレーを食べて、レコード屋をいくつか回った。グルーヴィンで買ったカナダのミュージカル「赤毛のアン」は大当たり。ボーダーラインでもXTCのインスト盤2枚を見つける。子供の頃からの習慣としてXのコーナー見ちゃうクセが抜けないんだけど、滅多にみないアイテム。めちゃ嬉しい。「街の灯」出演。いい演奏ができた。共演のバンド、蜃気楼シング・シングも、みなはむさんのジャケットが最高でレコード買ってたコバルトボーイも一癖あって楽しかった。元インスタント・シトロンの松尾さんとインスタント・シトロンのゴローさんがDJで、特に終演後の選曲がバシバシささって最高だった。ゴローさんがかけてたThe New Vaudeville Bandは東京帰ってすぐ探した。

 

20æ—¥

多摩の野外イヴェントに出演する予定があったので、早い時間の飛行機に乗るその前に、とダコメッカでパンを買っていたらジャーマネA氏から連絡が入り、強風のため中止との報せが入る。そりゃ仕方がない。安全が第一よ。寂しいけれど仕方ない。飛行機はずらせなかったそうでそのまま真昼の東京に降り立った。吉祥寺でサラダだけ買って家に戻り、たくさんのパンとともに平らげた。

 

某日

詩を書きながら、次のアルバムについて自分のケツをける。今年中に全曲完成させるゾ〜とかやってたら毎週1曲ずつ書かないといけないと気づいて椅子から転げ落ちるほど衝撃を受ける。やれないことはない、やるしかないんだ、今がその時だ、と言い聞かせたが、11月が終わりそうなの今、この瞬間の現状、てんでだめ。

 

26æ—¥

トーチのイヴェントとライダーズのリハーサル初日。楽器の搬入が大変なのに車がないからどうしよう、と考えた結果、実家の車を借りることに。スムースとまではいかなかったが車移動じゃなかったら多分泣いてた。リハスタ搬入→JIROKICHI→リハスタ。事前にライダーズのリハーサルが入っていたけどトーチのイヴェントは絶対出たい、と野田さんに相談して飛び込み・飛び出しでギリうまいことやれた。ライヴは漫画と親和性が高い曲を上からやっていく、というライヴになった。リハーサルも戻って順調。そのまま車を返しに実家に戻る。俺は何をやっているんだ。

 

某日

ライダーズのリハーサルが無事終了。笹川さんが「みていて今までで一番バンドっぽい」と言っていたのが妙に残る。

 

某日

ライダーズのリハが終わった翌日、ラジオの収録を終えて、新曲の歌入れとパーカスダビング。ライダーズのリハで耳と頭がよく働いていたので、その蓄積が残っていたのか、着くなり「顔色悪いですよ」とボーイに笑われてしまった。確かに信じられないぐらい集中できなかった。通常のプロセスを踏めた気がしなかったのだが仕上がりはよかったのでよしとする。

 

11月1日

ライダーズ本番。今回も優介と話し合いながら曲順を決めさせてもらった。「アマチュア・アカデミー」は音楽的には工業的・労働的な要素はあまりないが、当時のライヴステージではメンバーの多くがタンクトップを着て、鉄屑が敷き詰められ、最終的には爆音でオペラがかかる中、ステージに置かれた車を解体した、という。「マニア・マニエラ」は工業的・労働的な要素があり、その反動に「青空百景」があり、その延長と断絶の先に「アマチュア・アカデミー」があるのなら、どういうライヴができるだろう、なんて話しながら、「塀の上で」を1曲目に持っていくのはどうだろう、と提案。工業地帯から「アマチュア・アカデミー」を見る。圧倒的な過去から過去を見れば、現在がどう映るかも変わってくるだろう。反対されるかもしれないけど提出するだけしてみよう、となったのだが、採用となって嬉しかった。本番では「G.o.a.P.」「B.B.L.B.」「俺はそんなに馬鹿じゃない」が特にグッとくる。「B.B.L.B.」が終わった後の歓声はやたらと胸に沁みた。そして40年前は車を解体したエンディングでは、オペラを流しても何も壊さない、という演出を選んだ。40年前がどういう時代だったか、私には想像したり、資料を読むことしかできないが、これほど様々なものが壊されてしまった現在、我々が自主的に何かを壊す必要性はもうなくなったのかもしれない、と受け取った。

 

2æ—¥

東京蚤の市でライヴ。早起きと雨が身にこたえる。リハーサルで演奏した「ランプトン」がなんだか今の自分にしっくり来た。演奏を終えて、出店を見る。食事も摂る。ミトンの手袋を探していたのだけどいいやつがひとつ見つかった。最近はみんな指先があいたような形のものしかなく、純粋なミトンの手袋、しかも私の手が入るサイズのものはなかなかないのだ。嬉しい。空気公団のライヴをがっつりと見る。「レモンを買おう」で泣きそうになったけど、この日の「きれいだ」は絶品だった。ゆかりさんにもご挨拶。一緒に写真も撮って、物販も買う。古着を見たり、遠くから高野寛さんのライヴを見たり、限界まで楽しんだ。部屋に戻って翌日に控えたナイポレの収録のため、細かい調整&ザ・コレクターズの過去のアルバムを時間の限りもう一度聴き返していく。どうして「ぼくはプリズナー345号」がかけられないんだ、と自分を呪いながらも全体像のためにカットを決意。「わめいて気が済むほど子供じゃない 理くつでごまかせるほど大人でもないんだ この僕は」という詩には、本厚木から30分ぐらいかけてバスに揺られながらあの大学に向かう途中、「ぼくはプリズナー345号」を泣きそうになりながら聴いていた俺がまだいる。

ぼくはプリズナー345号 ‑ by ザ・コレクターズ | Spotify

 

3æ—¥

ナイポレ収録は無事終了。余波でコレクターズばかり聴いたらライヴにも行きたくなってきた。

飯を食っていると咀嚼したものが鼻の奥に張り付くようになってしまった。これはなんだ、と思ったらすぐ医者にかかるべきだった。

 

5æ—¥

昼、すき家のCM曲のマスタリング。無事納品できてホッとする。夜のスタジオの前に個人練習に入って曲を書こうとするけどうまくいかなかった。

 

8æ—¥

フレンズに誘われて大阪でツーマン。久しぶりのシャングリラ。フレンズと対バンするのはすごく久しぶりで2017年の年明けに行われたZeppでのライヴぶりだ。清竜人25、奇妙礼太郎さん、フレンズ、スカートという布陣で、お客さんはいっぱいにはもちろんならなかったけど自分にとって大切なライヴだった。狭間の時期だ。その時を一緒に過ごしたフレンズ。音楽的には決して近しいものはないかもしれないけれど、誘ってくれたことが嬉しくてライヴは気合が入った。その当時の曲を多めにセットリストに入れたのもそういう背景(と、ワンマンにも似たようなコンセプトを自分なりにあてがっていて、偶然に一致したというの)があった。フレンズのライヴは衝撃的だった。随分観ていない間にさらにショウ・アップされていた。ただ曲を演奏して、その隙間に入り込んでもらうようなステージをしていた我々とは違い、なんとフレンドリー、なんとアウトゴーイング。昔大森靖子さんが「いい曲書くだけじゃダメだ」というようなことを言っていて、あれから何年も経ったけど、その言葉がどこかに傷をつくり、跡が残ってしまっている。36歳にもなって私はいつまでシャイぶっているんだろう。

 

某日

買い替えた車が届く。当分・かなり・キツい。黄色いNBOX。「朝 目を醒まして最初に考えたことはなに?」

ロールスロイス ‑ by ピチカート・ファイヴ | Spotify

 

10æ—¥

新曲をアトモスのミックスも出す、ということが決まってそのサウンドチェック。よくわからない領域の話だからお任せしちゃおうかとも思ったけど結局顔を出した。しかしものすごく難しかった。ものすごく正直に頭を抱えて何度もあーでもない、こーかもしれないなんて言っていくうちに問題だ、と思っていた部分がクリアになっていき、無事に完成。興味深いミックスに仕上がって、聴ける人は聴いてみてほしい。完成して、やっぱり任せなくてよかったのかもしれないけど、モノミックスには立ち会ってステレオミックスは割とお任せだったという1967年までのビートルズの気持ちはちょっとわかった。苦悩したということだけ書き残しておきたい。

電車に乗って高円寺へ。JIROKICHIで吾妻光良トリオ+1とのツーマン、というかジョイント・ライヴというべきか。スカートの曲も吾妻光良トリオ+1が勤めてくれる、というスペシャルなライヴ。バッパーズに8ビートの曲なんてあったか!?ないよな!?さあ!どうなる!?とめちゃくちゃ心配だったけど音を合わせていくとバッチリ。特に「君はきっとずっと知らない」は歌ってて泣きそうになった。「CALL」も最初のベースを8分の刻みから全音符にしてもらうなどちょっと工夫するとめちゃくちゃよく仕上がった。想像もしたことなかったけど自分の曲で間奏や後奏がxtime(ソロのために、盛り上がりに応じて同じコード進行を回数を決めず繰り返すといえば伝わるだろうか……)になっていて、密かに感動していた。リハーサルに気をよくした我々は先輩たちの習慣に倣って事前打ち上げに参加する。酒が飲めない私は飲まなかったのだけど、そこでほどよくほぐれていくみなさんをみて、この日ほど酒を飲めないことを憎んだ日はあまりないだろうな、だなんて考えた。「ツェー万(1万)かかっちゃうよ」「いや、他にも費用がかかる。デー万(2万)コースだな」「そりゃエイメン(アーメン)だな」というやりとりに感動する。本番もドがつくほど緊張したけど「サイダーの庭」を演奏し終わったときの充実感が最高。はっきり言って荒い演奏だったかもしれない、でも何度も思い出すような夜にはなった気がする。

終演後、打ち上げで話し込んで、帰り道にも「楽しかった」と何度も言った。最近はライヴの後は「疲れた」か「楽しかった」しか言っていない。歳をとるわけだ。

ライヴで声の調子は良かった方だったのだけど、終演後ちょっと崩れる。明らかに腫れ出している。龍角散を舐めたり多めに水分を取ったりしたのだけど、部屋に着いた頃には唾を飲むのも痛くなり、眠る前にはしんどくなって、熱も出ていた。9年前に倒れた時の教訓として医師と相談し処方してもらっている抗生剤のストックが普段ならあったのに、たまたま切れてしまっていて、部屋にある喉に良さそうなものを全て試して眠りにつく。ここから2週間近く、食事はずっと具をたくさんぶち込んだそばかうどんになる。

 

11æ—¥

あまり眠れず、喉は痛くなる一方だし、熱も38度を越え、声もほとんど出なくなった。これはコロナ、インフルかもしれない、と部屋を出て内科にかかる。外に出た時、暑いのか寒いのかもわからず適当な格好をしてしまったが、待ち時間がとにかく長く、しばらく経って「これは寒いんだ」とやっと気がついた。検査をして、結果をきくとどちらも陰性。シンプルな扁桃炎だった。今年二度目だ。でも前回は声が出なくなるほど腫れはしたが、熱までは出なかった。結果に安心はしたのだけど、そのままはしごしようと思っていた耳鼻科の午前の診療に間に合わず、部屋に戻って午後の診療を待とうかと思ったがあまりのだるさにひたすら眠る。それでも熱はどんどんあがっていって、解熱剤を飲んでいるにもかかわらず真夜中には40.1度を記録。少なくともこの10年では一度もないし、人生でも初かもしれない。ひたすらしんどい。

 

12æ—¥

耳鼻科にかかる。カメラも入れてもらって現状をいろいろ診てもらう。とにかく声帯は無事。副鼻腔炎とかいろいろ発動していて、声が出てないけどその辺りが良くなればライヴも多分できる、とのことだった。多くの仕事をキャンセルしてしまったが、一安心してひたすら寝て、ひたすらうどんに生姜を入れ続けた。昨晩40.1を記録した熱も、昼過ぎには37.0にまで下がって、体も動くようになる。しかし頭がここにない。ずれている。ともかくバンドのリハーサルはキャンセル。これは……!という曲だけクリックとギターとメロディ弾いてスタジオに送信、ZOOMでスタジオに繋いでもらって簡単な打ち合わせを経て終了。不安だ。夜はまた発熱。

 

13æ—¥

延ばしてしまったNICE POP RADIOの収録。話し声はもう全然ダメ、カスカスぐらいのテンションで喋っていたけど、あとで聞いたらそこまで酷い声ではなかった。しかし喘息は悪化。お先真っ暗。

 

14æ—¥

yes, mama ok?のリハもキャンセルして安静・静養・耳鼻科にもう一度かかる。声は出るようになったがまだ歌うとなるとまだ制御がうまくいかない。どうしたもんか、と泣きつき、いくつか薬を処方してもらう。「出すか」「止めるか」で2種類薬をもらった。「出す」は出るけどその分、痰がどんどん出ます。「止める」は止まるけどその分、頭がぼーっとします。さあどちらを選ぶべきか。

 

15æ—¥

「止める」薬を選択してタワレコでインストア。「3〜4曲でいいんじゃないですかね」と不安そうにみるスタッフを「いや、今夜30分歌い切れないと明日はないっすよ……」といなし、8曲やるつもりでステージにあがったが6曲で切り上げてしまった。声は出る。でもコントロールの部分があまりにも難しい。「ストーリー」がこんなに難しい歌だったのかって久しぶりに思った。13年前にシェルターで弾き語りした日みたいな気持ちが戻ってきた。

youtu.be

帰宅後も声が酷くなることはなく、喉にいいことを全部やって本番に備えることに。

 

16æ—¥

昨日より良くなっている。安心する。しかし頭がここにない。ずれている。でもよかった。この数日生きた心地がしなかった。ライヴは一旦中止になったり延期になったりすると別のものになってしまう。それは2020年4月開催予定だった「真説・月光密造の夜」が延期になり、その半年後に開催された時に強く感じたことだった。「Extended Vol.1」が外向きの作品になった分、その反動が今夜のライヴで出せる、と思っていた。5人だけのスカートでやるための11/16。できるんだったらやりたかったのだ。ライヴはうまくいった方だと思う。5曲目ぐらいまで投薬と照明のせいで頭がかなり混乱して1カポの曲なのに曲の途中でカポしてなかった!となって2フレット弾けばよかったのに3フレット弾いたり、歌詞カード見ていて、文字も読んでいるのに、認識しているのに、頭に入っているはずなのに、声に出す段階でなにか齟齬が起こって間違えてしまったりした。録音を聴き返すと、決して万全ではなかったけど、その分丁寧な部分があって、バックステージに戻るとスタッフからはとても良かった、と迎えられた。「ヘロヘロになりながらもなんとか終わったライヴ」ではなく、プラスアルファの何かはたせたような気がした。2時間はやったんじゃないか、と思っていたが、90分ほどのライヴだったらしく、終演後、車を取りに駐車場に向かうとまだHMVが開いていた。普段のライヴだったらもう閉まっちゃっている。なんというか、気持ちが助かった。人もまばらな夜のレコード屋。知らぬ間に傷ついたどこかが癒えていくのを感じる。新入荷だけ見てJoan Baezの「Any Day Now」というレコードのジャケットがなんとも抜けが良くて購入。ボブ・ディランの曲ばかりカヴァーしたレコードで、よくわからない音楽でもあったんだけど、それと同時に、ああ、いまこれを聴きたかったんだ、という部分もあって、自分でも複雑。

Love Is Just A Four-Letter Word ‑ by Joan Baez | Spotify

 

17æ—¥

体調がいい。突然コミティアに行くことにした。今回はしばらくお休みしていた成年漫画家rcaさんが新刊を出すというのと、志村貴子さんが「放浪息子」のスピンオフ?と言っていいのか?登場人物、千葉さんと高槻さんのルームシェア本が出る、というのに突き動かされた形になった。行くならいろいろ欲しいものがある。藤本和也さんも新刊出すと言っていたし、川西ノブヒロさんも、タカラさんのスペースも見たい。とにかくコミティアはいいところだ。いつも希望しかない。湯治に行くようなものだろう。紳士なので成年漫画の島から回っていく。最初に立ち寄ったのもrcaさんのところだった。成年漫画はあまり深追いせず。そこからティアズマガジンを片手に興味があるジャンルを中心に端から端まで回っていく。段々と体にコミティアが充満していく。でも何かが足りない気がしてしまった。それが一体何なのかわからない。しばらく見ていくとあらゐけいいちさんのスペースに友人・知人がいっぱい。最高。買えないだろうなと思っていた新刊も買えた。相模さんは百合島かな、と回ってみたけど見つからなくて、ティアマガで調べてみると一棟離れた場所(東7,8ホール)にいる、と知る。東1-6を巡って、7-8ホールに入った途端、「これがコミティアだ」と不思議と思えた。足りないと思っていたものの全てがここにあるような気がした。入ってすぐののもとむむむさんのスペース、つのさめさんのスペースがあって嬉しくなった。端から端まで歩くだけであのサークル、このサークル、あの友人、その友人がいる。「金子朝一来てるらしいよ」と言われると「いつか会えるっしょ」だなんて思える。結局朝一には会えなかったけど、靴下ぬぎ子さんのスペースで買い物しているとイイヤンさんに会えた。そして圧倒的な寂しさが胸に押し寄せる。「Extended Vol.1」や「火をともせ」は配信限定だからここに並べることができないのだ。私はここにいるのに、魂がない。そんな気持ちになった。

車を買ったことから来る金欠のため、買うアイテムをめちゃくちゃ絞ることにしたけどそれでもあっという間に用意した金のほとんどがなくなってしまった。今回は過去いちばんぐらいに会場で声をかけられた。漫画がお好きな澤部さんならいるよね、という人からどうしてここに……という感じの人まで多く声をかけてくださってうれしい〜。さらには本をくださったすこやかあんこう鍋さん、犬の畝のぼるさん、GUTCHさん、リサショのつどいという合同誌をくださった方(お名前失念!申し訳ない!)、あと新刊買ったらおまけで前のやつつけてくれたオベチミミさんもありがとうございます……

家に帰ってしばらく経って川西ノブヒロさんもタカラさんも行くのわすれた、と気がついてしまった。やはり計画的になった方がいい。

80-90-00

某日

作詞に精を出し、部屋の掃除に精を出す。どちらもどうにもならない。諦めずにやっていくんだ、と口にだけ出す。いつかは終わる。

 

某日

部屋でCluts Percussion Ensembleを聴いていたら遠くの方から子供達が声援を送る声が聞こえてきてここが現実なのか現実でないのかわからなくなる。

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5æ—¥

高野寛さんとツーマン。数年前に神戸で一緒にライヴをやらせていただいたときは、私も牧村チルドレンの端くれとしてここまで辿り着いたか……と非常に感慨が深かった。その後も何度かご一緒させていただいてすっかりグルーヴが出来上がっているようでとても楽しかった。ゆったりまったりやろうと思っていたけど途中でなんか変な火がついてガーッとやる感じになってしまったのがよかったのか悪かったのか、今でもわからない。ライヴがハネて街に出ると楽器フェアが開催されていてハープとかV-Drumとか触って帰る。V-Drumが家にあったら楽しいだろうな。

 

6æ—¥

名古屋で弾き語り。ふらっといってふらっと帰ってきてしまった。とにかく暑い日で、新しく買った長袖のシャツと暑さの相性が悪く、後半は朦朧としながら歌い切った。「波のない夏」歌ってる途中で記憶が飛んだ。A→2A→B→A'→2B→C→Outという構成なのだが、気がついたらCを歌っていて、今までにない経験だったからとても驚いた。もしかしたらA'と2Bを飛ばしたんじゃないかって今でも思ってる。

 

某日

11月10日にある吾妻光良トリオ+1とのライヴのために数日部屋にこもっていろいろ整理していく。レッドクロスの打ち上げて提案された「ゲストの方の演奏を我々がまるっと担当します!」というコンセプトのライヴだそう。こんなに嬉しいことはない!最高!というわけで普段やらないようなカヴァーとかの耳コピをやっていく。ブロッサム・ディアリーの曲なんだけど全然取れない曲があっていろいろ試してあくせくやってようやく形になった。オリジナルの録音は不明瞭すぎて、近年発表されたライヴテイクのいくつかで検証、これでいいかな、というところまで持って行けたが、果たして私は歌えるのか。これはちゃんと練習せねばならない。

 

某日

突然寒くなった。妻と立川のスコーンパーティに行き、色々買っていい思いをした。マリアージュフレールのスコーンやっと食べれて、うれしい☺️

 

12æ—¥

大橋裕之監督作品「変哲の竜」のイヴェントで歌う。高円寺のfunny mealというお店。大橋さんは古い付き合いで、2007年池袋ロサでのスカートの初めてのライヴも観てくれているから、かなり古い曲(たとえばショパンとか)を久しぶりに演奏した。大橋さんのリクエストのカヴァーをいくつかやって、後半はお客さんにリクエストを募ってその曲をやるというライヴになった。私は楽しかったけど「果たしてCALLもODDTAXIも波のない夏も地下鉄の揺れるリズムでもやらないライヴでよかったのだろうか……」だなんて考えてしまった。どうやら大丈夫だったようだけどちょっとだけ反省することにした。久しぶりに高円寺を歩いたけれどこんな街だっただろうか。高校生の頃に来た時のあの妙な高揚感はもはやないのかもしれない。数日後、ムーンライダーズのイヴェントで下北沢を歩いた時は不思議とそこまでは思わなかった。何もかもが変わってしまった気がするのに「こんな街だったかな」とはならないのだ。この違いは一体なんだろう。

部屋に戻ってTBSに齧り付く。キングオブコントは今年はどうも事前の感じはノれなかった。うお〜こうなるんだ、というよりも「そりゃそうなるよな」というメンツに思えたからだった。でも今年は妙に忙しくてお笑いのライヴも全然行けていなかったからどうこう思える資格はない。だからちょっと気後れしていたのだけど(もちろんネタの好き嫌いはあるけど)文句なしに楽しめた。特に好きだったのはやはり冨安四発太鼓ということにになってしまうだろう。それにしてもラブレターズの優勝嬉しい。

 

13æ—¥

大宮のNACK5へ生放送。大宮に行くのはいつぶりだろうか。記憶が正しければ大学生の時に、ネットサーフィンをしてたらあるレコード屋のブログに「No.1 In Heaven」の入荷の報せがあって、慌てて電話して取り置いてもらって買いに行った時以来だ。近くて遠い、大宮。早めに行ってどこかで飯でも食おうかといろいろ彷徨った結果、てんやですます。てんやは最高。ロイヤルグループはいつも私を満たしてくれる。生放送も無事終了。

 

15æ—¥

ムーンライダーズで風知空知。閉店を受けて普段は少数精鋭でやるステージも7人で演奏。普段のライヴとは違ってリハーサルも当日のみ、だからこそ滲み出る凄みみたいなのがあって演奏してて興奮しっぱなしだった。「A FROZEN GIRL, A BOY IN LOVE」とかうねりがすごかったし、「九月の海はクラゲの海」で慶一さんが僕の歌うメロディに対してハモってくれったのなんてちょっと泣きそうになった。楽しい一日だった。

 

16æ—¥

小西康陽さんをゲストに迎えてシティポップレイディオの収録。盛り上がってとても楽しい回になる。自分で言うのもアレですけど神回だと思っていただいて大丈夫です。

 

17æ—¥

曽我部さんと柴田さんでレコードの日の特番の収録。起きたら集合時間の20分前で布団から這い出てその場でタクシーを配車。運転手さんとこのままタクシー乗っちゃったほうがいいのか、それとも吉祥寺まで出て井の頭線がいいのか協議した結果、井の頭の方が早いという結論に。結果、30分の遅刻で済んだ。マネージャーが気を利かせて(実際に起こっていた)中央線の遅延のせいで、ということにしてくれて私も現場で「いや〜大回りしなくちゃいけなくて大変でした」とか言っていたのだけどその後、というか現在に至るまで良心が痛んでいるので日記にだけでもこのことを残しておきたい。本当にすみませんでした。しかも持ってくるべきレコードを忘れた。撮影のために入ったユニオンで欲しかったレコードがあった。吾妻光良 & The Swingin' Boppersの「Hepcats Jump Again」のアナログ。でも高額盤。しかしプライスカードをよく見ると「レンタル落ち」の表記が。でもよく見るような黄色いステッカーは貼っていなく、さらによく見ると御茶ノ水のジャニスのステッカーが貼ってあったのを見て、思いを巡らす。家から渋谷までタクシーだったらこの値段じゃ済まなかったかもよ、とかなんとか言い聞かせて、私は結局それを購入した。歴史を買ったのだ。これもレコードの醍醐味のひとつ。とかなんとか言っちゃって。収録も楽しく終了。帰り道にケラさんにも遭遇。完璧じゃ〜ん。

ミントのかざぐるま

18æ—¥

うまく整備工場と連携は取れたのだが私が動けない一日で父が動いていろいろやってくれた。助かる。

 

19æ—¥

整備工場から正式に軽自動車の訃報が入る。父親の乗っていた車を乗り回すクソ放蕩息子という構図ではあったのだが、なにせ24年そばにいたのだ。中学生の時に学校で突然高熱が出てぶっ倒れた時も母はこの車で迎えに来てくれたし、高校生の時に兄を呼び出して学校から借りたコントラバスを無理矢理積んだのもこの車だったし、今の妻と一緒にスパークスを観にフジロックを観に行ったのもこの車なわけだ。数々の現場にも行ったし「ずっとつづく」のMVにも登場している。ああなんて寂しいお別れ。そして車を買わなければならないのか。調子が悪かったこの数ヶ月、お別れの覚悟は少しずつできていたが、痛すぎる出費の覚悟はまだできていなかったようだ。気持ちが暗くなる。そして銀行の口座の残高を見て「人間向いてねえ」と独りごつ。

 

23æ—¥

Kaedeさんの生誕祭東京公演。父からグランビア(1996年のものだそうだ)を借りて多い楽器の数に対応、と思ったが、こちらから持っていく楽器はなく(新潟終わりで全部預けた)翌日がレコーディングだったため、事務所がすべて吸い上げてくれてわざわざ車で来る必要がなかったと気がついたのは終演後だった。演奏は今までで一番気持ちよかった。「サイクルズ」がお客さんの湧き方も含めてとても心に刻まれている。万感の思いで「いけない」を演奏した。

 

24æ—¥

ポニーキャニオンのスタジオで「SONGS」のカッティング確認。その後夜、レコーディング。疲労がぼんと爆発して終盤ほとんど眠ってしまった。クタクタで部屋に帰って粗大ゴミを捨てた。

 

25æ—¥

軽自動車の告別式。積みっぱなしだったあまりに多くの細々したものを回収。最後に「あの世でまた会おうな」と軽自動車に声をかけると整備士さんが「それぞれのパーツはまたリサイクルされますので、なんらかの形で戻ってきますよ」と言う。小粋なことを言うじゃんとも思ったが、思い切った別れにならなくて心の中にさらに大きく穴が開く。

 

27æ—¥

ミツメのライヴを観に行く。2012年の2月、シェルターで対バンした時から大ファンのバンドが一度休むというのだ。限られた関係者・友人のバンドマンには伝えられていたようで会場は半ば同窓会のような雰囲気さえあった。ライヴは本当によかった。いい演奏だった。選曲も最高。「会話」や「クラーク」、「幸せな話」といった選曲にも驚き、それにしても「エスパー」って本当にいい曲だよな、としみじみきた。終演後、みんなと話す。みんな晴れやかないい表情をしていた。まおくんに「みんな説得する夢見たんだって?メンバーよりバンドのこと思ってるよ」と笑われてしまった。そう、私はミツメの活動休止を知らされてからずっと考え込んでしまっていて、しまいにはある日、夢を見た。メンバーをひとりひとり訪ねて「さわべくんがそこまでいうんだったら僕たち休むのやめるよ」と言われたところで目が覚めたのだ。しかし晴れやかな気持ちになるいいライヴだった。「トニック・ラブ」のドラムが入ったあの瞬間だったり、「ミツメのテーマ」で3人がコーラスした時とかにつくづく「いいバンドだなあ」って強く思った。

活動休止の話を川辺くんから聞いて、吉田と3人で飯を食いに行った日、寂しくて、話している途中で突然泣きそうになった。どうにか涙を押さえつけたが、そのかわり、一瞬声が濁った。あの時泣き出しちゃっていたら、2人はどんな顔をしていただろう。あの日「でもね、続けるための活動休止だから」といってくれたのが嬉しかった。

 

28æ—¥

所沢でライヴ。ハイドパークフェスティバルで知り合った平松くん、Chihanaさんのユニット、エクスキュゼ・モワのライヴにゲスト参加。おなじくハイドパークでお世話になった恭子さん、一緒にステージに立ったペティブーカの奈歩さんにも久しぶりに会えて嬉しい。しかも河村さんからはThey Might Be Giantsのグッズのカタログを頂いた。90年代後半のものだ。リアルタイムであの頃に触れられてるのが羨ましくてたまらない。演奏は上々。

 

29æ—¥

ナイポレの収録を終え、妻と高崎にジルベルト・ジルを観に行く。いっぱい聴いてきたわけじゃないしどうしよ〜、ミツメのライヴと被ってたし、なんなら普通にチケットも完売しちゃってたし、でもこれを観ないと後悔しそうだな、と高崎まで足を伸ばす。高崎の駅で降りるのは初めてで少し気持ちが浮つく。駅から続く近代的な歩道を歩いて会場について写真を撮っていたらまおくんに遭遇。さらには夏目くん。なんと野中モモさんまで!嬉しい偶然に胸が熱くなる。ライヴはもちろん最高。音楽って最高。本当に見にきてよかった。あんまりこういうこといいたくないタイプなんだけど、いろんな得体の知れないパワーをもらった気がする。終演後、下手のプレイヤーが弾いていたベースがカッコよかったからメーカーを調べにステージの方まで向かう。スタッフの方がやさしくGianniniというメーカーのものだと教えてくれた。そうすると「勉強熱心だね」と声をかけられ「えへへ……」とかやりすごしていたらミックスナッツハウスの林くんだった。440で一緒に演奏した時以来だから5年ぶりとかかしら。いい音楽がいろんなものを引き寄せてくれたんだな……なんてさらにパワーを追加で受け取る。帰りはグリーン車でおべんとう食べながら帰る。

 

街ではこれがいい

某日

ビルボードで共演するグソクムズと対談。とにかく暑い日でたどり着いただけで汗だくだったのに取材先の部屋もうっすら暑くて近年稀に見る悪いコンディションの写真が撮れた。せつねえ。

夜は鳥居ゼミの打ち合わせ。わいわい話しただけだったけど、中野の駅で降りる、なんて随分久しぶりな気がしてそわそわする。中野は本当によく行った街だった。バンドのリハーサルもある時期までは中野だったし、理由もなく訪れたことだって何度もあったはずだ。ようやく「かつてよく行った街」というのができたのか、と寂しくもなったが、感慨深くもなった。イヴェントはきっといいものになる。

 

8月30日

リハーサル。台風でどうなることかと思ったけどそんなに雨も降らずなんとか開催。車の不調を押して練馬区にファンベルトの超絶キュルキュル音を撒き散らしてリハスタに向かう。途中でボーイを拾い、フリーライヴに向けたリハーサル。久しぶりにやる曲がめっちゃあるわけではないけど、妙に気合がはいるセットリストになった。

 

9月1日

yes, mama ok?でライヴ。YOKOさんも久しぶりの参加、そこに指ドラムでホンジョーさんも参加。僕がはじめてライヴハウスに行った中学三年生のときに観たyes, mama ok?のドラムはホンジョーさんだった。リアルドラムを叩いているのが自分だということに妙な気分になりつつも、本当に楽しいライヴになった。翌日も早かったから早めに帰ってしまったけど終電のギリギリまで本当は居たいような夜だった。

 

2æ—¥

ビルボードでグソクムズとライヴ。しかし台風が接近。前日まで車で大阪向かうか?と会議が重ねられたがJRが2日の新幹線は動かす、と発表、半信半疑で東京駅に向かったが新幹線は動いていて無事に大阪着くだけでなんかぐったりしてしまった。藤井隆さんと後藤輝基さんとで行われたツアーぶりのビルボード。グソクムズも堂々としていてかっこよかったし、私は私でよくやれて嬉しかった。東京に戻ってかえぽの生誕祭の練習。

 

某日

かえぽリハ。燃え尽きた。佐久間さんも優介もなおみちさんもときどきかえぽやってるけど私は3年ぶりだ。優介が書いたステージで演奏する前提が全くない曲に苦しめられながらも、いい曲すぎるから結果的にはいい気分になれた。しかし燃え尽きた。

 

Extended Vol.1 ‑「EP」by スカート | Spotify

EPリリース。頼むから聴いてくれい

 

5æ—¥

鳥居くんのトークイヴェントに参加。雑談ベースでめちゃくちゃ楽しかった。本当にあと何時間でも話せた。喫茶店行こう。あと私物放出キャンペーンのためにいろいろ探っていたら11年前の月光密造の夜の入場者チェックリストが出てきた。70人近い無断キャンセルがあって頭を抱えた夜の記録である。

 

6æ—¥

JK RADIO出演。何度か出させてもらっているけど毎回とんでもなくカロリーを使う。使ったカロリーは補填しなくちゃね!妻と合流してバルバッコアでランチを食べた。動きたくないほど肉と野菜を喰らい、ポール・マッカートニーの写真展を観に行く。これが個人的には結構な衝撃。63年から64年、激動のビートルズの舞台裏を捉えた、ぐらいに思っていたけど、とんでもない、時代そのものを切り取るような瞬間がいくつもあってあまりにもグッときた。飛行機から撮影された、整備士が笑いながらメンバーたちに向かってギターを弾くふりをしている写真は、なんと説明していいのかわからないんだけど、胸に迫って泣きそうになった。この日記書きながら絶対にいらないだろうけどメンバーにポストカードおみやげで買ってたことを思い出した。勢いで渡せたらよかったけど今からとなるとなんだか勇気がいる。夜はNICE POP RADIOの収録。

 

8æ—¥

グソクムズとのツーマン。大阪の楽屋でなんとなく「スローバラード」をカヴァーすることが決まった。NHKのCoversに出てから自分の中のカヴァー観がまた変わった気がする。自分ひとりで歌うならあんまり選ばなかった曲だと思う。でもグソクムズと一緒ならやれた。10年ぐらい前、出演したイヴェントのアンコールで「90年代初頭、イギリスのロックの名曲をセッションでやりたい」と言われて、当時の自分のカヴァーに対する姿勢からやりたくなかったんだけど、曖昧な断り方をしてしまい、結果的に歌ったことがあった。あの苦味は今でも忘れがたい。ああならないかちょっとだけ不安だったのだけど拍子抜けするほどにやれた。つくづく私という人間は適当なんだな、と思い知る。ライヴもよかった気がする。「いつかの手紙」をリハーサルでやったらスタッフの人に「今の曲めっちゃいい曲ですね……」って言われて嬉しくなりました。いい曲だよね。

いつかの手紙 ‑ by スカート | Spotify

 

某日

某打ち上げのくじ引きでMg安藤くんがお笑いグッズ詰め合わせセット当てて笑ってしまった。

 

某日

ディーラーではなく、車検とかしてもらってる整備工場に軽自動車を診てもらうことになった。ディーラーには見捨てられたこの軽自動車であったが、どうやらすぐに不調の部分がわかったそうで、簡単な整備でまた乗れるようになった。

 

13æ—¥

フリーライヴ。あまりに久しぶり、あまりにいい光景だったから3曲目ぐらいまでちょっとふわふわしてしまった。映像見返したけど勢いあっていい。間違え方も爆発みたいな間違え方してて笑ってしまった。これはこれで個人的には面白いんだけど、1曲目から端正にやれたらもっとよかったかもしれない。思い返せばいい一日。もっと頑張ります。部屋に帰ってナイポレの仕込みの最終調整。

 

14æ—¥

ナイポレ収録。

 

15æ—¥

部屋で寝る前に明日のKaedeさんのライヴに備えてローカルにリハーサルの音源いれておこう、とiPhoneをmacに繋げる。iPhoneの容量がいっぱいだからバックアップできませんよ、と言われ、いくつかの写真や音源を消して、それからまた再接続。音源を手動で管理しようとしたらどういうわけか入れていた音楽がほとんど消えた。最初は写真も全部消えてた。こっちはなぜか復元されたけど。ともかくそりゃ無いよ。明日の出発時間と照らし合わせてちょっとでも音楽をローカルに詰めようと試みる。1時間ぐらい格闘したけど、手動で突っ込んでも入っていないファイルがほとんどだった。リハ音源、NICE POP RADIOで特集を組むであろう、と用意していたCHAGE and ASKA、近年ナイポレのために盤起こしした曲はなぜかほとんど入っていたが、他は歯抜けでなんともいえない気持ちで床に着いた。

 

16æ—¥

新幹線に乗って新潟へ。久しぶりの高田世界館。Kaedeさんの生誕祭も3年ぶりの開催とあとから数えて驚いた。高田世界館の周りは8年前と印象があまり変わっていない。駐車場の場所は覚えていたけど、8年前はどんなところが楽屋だったかが思い出せない。しかし暑い。8年前の写真を見たら私は長袖で、ズーシミにいたってはちょっとした上着を羽織っていた。どうなってしまったんだ。昼食に絶対行きたい、と中華料理屋上海に向かったが長蛇の列で断念。辛い。近くのスーパーに寄って、セブンにも寄ってアイスを買って食べた。リハーサルは快調。本番もいい具合。佐久間さんに「スウィート・リグレットのソロ、固唾をのんで見守っちゃったよ」と言われて笑った。

 

17æ—¥

MVの撮影。直前で1時間でも長く眠れそうだから、と全体行動をキャンセルして、車で千葉まで向かう。遅刻。(全曲シャッフルしてもリハ音源とCHAGE and ASKAとナイポレのために盤起こしした曲ぐらいしか流れないけど)音楽を聴きながら車を運転することがこんなに楽しかったかしら、と軽自動車との迫り来る別れの予感なんてちょっとしかないドライヴに身を委ねる。着いた先は東成田という駅で、かつては成田空港の最寄駅として開業したが1991年に新しく成田空港の駅が開業したことにより名前も役割も奪われ、電車の本数も減り、ホームの数も減ってしまったのだそう。で、今は使われていない3/4番ホームを使っての撮影だった。あまり使われていないということもあって、とにかく暑い。撮影が始まった最初の30分はカットがかかるたびに上着を脱いで一点を見つめることしかできなかった。主演のふたりの瀬戸さんが反対側のホームで振り付けの確認をするために踊っているのが見えたとき、この世のものとは思えない景色でついに死んだんじゃ無いか、って思ったほどだった。現場が慣れてきて、巨大な扇風機が導入されたり、スタイリストさん、メイクさんがハンディファンで煽いでくれたことにより人間性が戻ってきたけど、人生で一番過酷な時間だった、と言ってしまいたい。

人間性は戻ってきたけど、人間の形が戻ってこない。自分の出番の撮影は終わったけど、次の撮影の現場に顔を出すまでに寄り道することにした。適当にレコード屋と入れると「レコちゃんカンパニー酒々井店」と出てきたので、寄ってみたのだけど、出張買取のため臨時休業だった。外観から見るに、レコード屋という感じではなかったけど、一体どんなものがあったのかだけでもみてみたかった。車を走らせていたらたまたまあったゆで太郎で投げつけるようにカツ丼を喰らい、高速に乗る。あまりの西日。先日、「俺、目強いんですよ、あんまり眩しいとかなくてね」とかのたもうていたのに、たまたまダッシュボードに入っていたサングラス(先日の僕とジョルジュのライヴでかけていたやつだった)を探り、かけ、ハードボイルドな気持ちになり、東陽町のダウンタウンレコードで買い物をしてから次の撮影地に向かったのだが、一つ先の撮影地に着いてしまってduolingoをやりながら待った。

撮影されていく映像やその現場をハタから見ていると、どういうわけかいつもと違う気がする。本当に嬉しいよ。こんな当たり前じゃ無いこといつまで続けられるんだろう。

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ゼキさんとすしざんまいに寄って今日を労い、ゼキさんを送って家に着いた。駐車場にバックで入庫しようとしたその瞬間、ボンネットの隙間から煙が上がりだした。今までこんな経験なかったから慌ててしまった。保険会社に電話をかけ、レッカーの手配をして、ちょうど町田の故障車の世話をした帰り道だという近所の整備工の人が来てくれた。ボンネットをあけ、エンジンルームを見て、「あ〜これは多分ラジエーターのパンクですね。ほら、ここがこうなっている、なんにせよレッカーはレッカーだけど幸いここはあなたのご自宅だ、このまま私が今夜レッカーで持っていくよりも、普段見てもらってる整備工場と連携を取り合って明日以降いろいろされた方がいい」とアドバイスをくれて、この日は解散。これが千葉に向かう途中の高速道路でもなく、東京に帰る途中の駐車場に停める瞬間に煙を吐いて倒れるなんて、なんて感謝してもしきれないッスよ……

くたくたになってラジオのコメントを録って眠った。

 

19æ—¥

十九人の単独「メイヘム」を観にいく。最後のネタでなんだか泣きそうになった。

 

某日

シティポップレイディオの収録で菊池桃子さんにお会いする。個人的にはうすやま氏がDJでカルロス・トシキ&オメガトライブ、菊池桃子さんをかけた2010年あたりにひとつの歪みが生じていてその歪みから湧き出てきたものがいくつもあったので妙に神妙な気持ちになった。めちゃくちゃ楽しく話できました。お楽しみに。

 

22æ—¥

ここしかない、とダウ90000の「旅館じゃないんだから」再演を大阪まで観に行く。夜はMVのカラコレがあるので、朝行ってすぐ帰ってくる弾丸旅行だ。日曜日ということもあり、ちょうどいい新幹線は埋まってしまっていたので人生初のグリーン車を取った。爆睡。グリーン車であることのありがたみを頂戴する前に大阪にたどり着いてしまった。それがグリーン車のありがたみなのだろうか。

3年ぶりに観る「旅館じゃないんだから」は最高だった。頭の中でかつてをトレースしながら新しいものにアップデートされていく。でも上書き保存ではなく、3年前の劇場で観たものは観たものとして保存されていた。実に気分がいい体験だった。

劇場の上で北海道展があったからいかめしとザンギだけ買って速攻で東京に戻る新幹線に乗って、品川で降りてMVのカラコレ。マスタリングのような作業だろうか。どこにどう気合が入ったのかわからないが、妙に気合が入った。ゼキさんと五反田まで足を伸ばしてオニヤンマでうどん食って解散。

もちをよこせ

12æ—¥

ビッグビューティーのミニイヴェント。ついに一連の動きが終わる。名残惜しさを抱えながらも、軽い打ち合わせでもう爆笑。そんで始まってしまえばラジオの通りの脱線に次ぐ脱線。「中野サンプラザの大きさのなか卯」で大爆笑。いつか放送されるといいですね…… 終わってすぐそばのもうやんカレーで妻、ぴんくさん、ぴんくさんのマネージャーと4人で食事を摂る。オーダーを終えて気がついたが、私が好きなもうやんカレーは昼間のビュッフェにあるほうれん草のカレーなのであった。絶対またビッグビューティーやりたい。

 

某日

昼間シティポップレイディオの収録。言葉が何度か途切れ、時間をかけて言葉を選んだ。そういう回は多分いい回になっているはず。移動してEPのマスタリング。小鐡徹さん、さすがの仕上がり。打ち合わせをしつつ、夕方前に終了。池袋に寄り道して沖縄物産展でもずくを買い、ココナッツでも買い物。中川くんと近況の立ち話。先日のあんずちゃんの原画展で母が「前に学校の友達と原宿のシェーキーズ来たことあったよね。あれ誰とだったっけ?」と訊かれた。「そういえばそんなことがあったような気も。松ちゃんとかかな〜。でもなんで原宿なんて行ったのか思い出せないね」とか話していたのだが、中川くんは最近の私のSNSを見ていてくれたらしく、「昔さ〜、澤部のお母さんとゆず観たあとシェーキーズ行ったよね」というではないか。そうだった。多分「ユズモア」リリース時のツアー、代々木第一体育館でのライヴがハネたあと行ったんだ。記憶のパズルはなんとか納まってくれたのだが、むずがゆい気持ちにもなる。あんなに大好きだったゆずのライヴ、きっと心を弾ませて観に行ったであろうあの日のことの一切を私は忘れてしまっていたのだ。

 

某日

EPに関する取材を一本。酷暑の中、長袖でなんとか汗をかかないように撮影。地獄。でも30分ぐらい外うろうろしていたけどなんとかなった。こまかくあおいでくださった皆様のおかげです。早めに終わったから吉祥寺寄って帰ろう〜とか言ってユニオン見てたら川辺くんから連絡があってこの日、ご飯行こうと約束していたのを忘れてしまっていたと気がついた。さも元から忘れてなかったかのようにふるまい、吉田も誘って、久しぶりにファミレス行こうよ、とサイゼリヤへ行く。お盆の時期といえども、(いや、だからか)混雑していて、先に到着した私は明らかに浮いているように思えた。信じられないぐらい奥まった場所で2人を待ち、閉店近くまで最近あったことを話し込んだ。吉田は先に帰って、川辺くんとなぜか歌舞伎町を少し歩く。10年前の新宿とは全然違うね。話し足りない気持ちもあったけどグッと抑えて電車に乗った。

 

15æ—¥

昨日、パ音からマスタリングに対して意見を受け取っていた。その部分を言われるまで全く気が付けなかった。意見というのはシンプルにいうと音圧がもう少しあった方がいいのでは、というもの。スカートのアルバムとしてまとめようとしていたから、先日のマスタリングでオッケーと私は判を押したのだが、パ音のそれはれっきとしたダンスミュージックなのであった。小鐡さんに無理を言って一曲だけ差し替えてもらう。快く引き受けてくれたし、またいいものになった。"Extended Vol.1"9/4、配信開始です。

夜はカクバリズムの夏祭り。オールボーもmei eharaさんも最高だし、社長とのバック・トゥ・バックも最高だったけど、キセルがとにかく素晴らしすぎた。2度泣いた。「ベガ」で泣くのはわかる。しかしこの日私が泣いたのは「二度も死ねない」だった。豪文さんがドラムを叩き、友晴さんがベースを弾く。ギターはオケ!ぎこちなさとも違う、絶妙なグルーヴで音楽が紡がれることに猛烈に感動したのだ。そして8月15日にこの歌を聴くというその意味。

二度も死ねない ‑ by キセル | Spotify

 

16æ—¥

台風近づく東京。

昼過ぎ、ナイポレ収録。ベース始まりで、と選曲を進めたのだが、何周かして引き出しの手前にあった曲ばかりになってしまったけど、うまくまとまった気もする。

夜、yes, mama ok?のリハーサルに向かう。部屋を出ても大した天気でもなく、なんなら傘すら必要じゃなかった覚えがある。これなら大したことないな、と人もまばらな上りの電車で「つるばらつるばら」を読む。15年以上前の私が「もう私に向けられたものではないかもしれない」と思った理由もわかる。それでも鮮やかに曖昧に私の心は揺れる。表題作を読み終える頃、乗り換えの駅で顔をあげたらこの世の終わりみたいな空の色だった。セピア色の街だ。恵比寿で降りるとやや天気が悪い程度。スタジオに着く。ドラム叩くのも久しぶりになってしまって感覚を戻す気持ちで頑張った。ホンジョーさんと一緒にやるのは初めてで、これまたいい具合。次のリハーサル、本番が楽しみ。9/1、ロックンロール中学校の美術準備室で待ってるぜ。

スタジオを出るとひどい雨。でもここからさらにリハーサル。翌日に控えた「SUMMER SONIC 2024」、PUNPEEさんのステージに参加するからそれのためのちょっとした確認のため、別のスタジオに向かう。地下鉄を降りると雨も止んでいて、高速道路の隙間からはいわゆる有名な「ジンライムのようなお月様」も見えた。確認も超スムーズに済む。PUNPEEさんからの提案でカヴァーすることになったフィッシュマンズの「BABY BLUE」も気持ちよく決まった。しかし、体にこびりついているぐらいに思っていた歌だったのに、いざギターを弾きながら歌ってみると、また違ったギアに入る。歌おうとしても歌詞が曖昧になってしまうのだ。何度も聴いて、頭の中でもあれほど反芻してきた曲なのに、その頭の中にあるものを頭の外に出そうとすると違った形になってしまっていたのだ。不思議な体験だった。単純に自分以外が聴くことを想定しないで歌っていただけかもしれないけど。慌てて歌詞をチェックする。そうだった。これがこう。消えてから浮かぶ。うんうん。で、そして次はこの言葉。「今にも僕は泣きそうだよ」。

 

17æ—¥

夕方までぼんやり過ごす。さすがに緊張するけど同じ幕張でも不思議と(以前PUNPEEさんに招かれゲスト出演した、幕張メッセでの大きなイヴェント)POP YOURSの時よりも気分は落ち着いている。調子の悪い車(ワゴンR)に「ごめんね」と声をかけ、千葉に向かった。ドライヴは好調。車降りると海沿いだから多少の涼を期待したのだがクソ暑いだけだった。あっという間に移動、あっという間にステージ横。海辺のステージだったが、暑さに加えて潮風のベタつきが加算されてなかなかの歯応え。しかし、PUNPEEさんのステージが始まりさえすればそんなバッド・コンディションも吹き飛ぶ。ステージ脇から慎重にチラチラ見る。どれぐらい人がいるか把握できない。ステージ上手に向かうスロープのすぐ横は浜辺で、視認できない夜の海はこんなに怖いものなのか、と怯えた。PUNPEEさんに呼び込まれ、ステージに出ていくと埋め尽くす人!人!人! 「ODDTAXI」のパフォーマンスも上手くいって、「BABY BLUE」が始まった。PUNPEEさんが「サマー・シンフォニー」をキックして、私が歌い出した途端に花火があがった。そして光に遅れて音が鳴り出し、観客も気がついて歓声が上がった。なんという景色だろう。まず、大勢の人がいる。それは残念だけどスカートでは見たことのない景色だ。そこに花火まであがった。私はその景色から様々なものを受け取った。今起きてることを受け止め切れるかギリギリだ、これ、って思ったのだけど、この感覚はこないがの松本伊代さんの「NEW ERA...」もそうだし、いつぞやの風呂入っている時に真夜中のFENから流れてきた「ONCE IN A LIFETIME」もそうだ。あとあれだよ、ちょっと長くなるけど書きます。あれは2015年の慶一さんのライヴにゲストで出演した時、私はトーベヤンソン・ニューヨークのライヴもあったのでリハーサルをアンコールのリハーサルまでは出れず、自分の出番の最小限だけで済ませてしまっていたのでした。実際の本番、アンコールで私は矢部さんと幸宏さんのドラムセットの間に立っていました。曲は(優介アレンジの!これも重要!)「エイト・メロディーズ」。私は賑やかなコーラス隊の一員だったのだが、矢部さんと幸宏さんが同じフィルインを叩き出したあの瞬間。あらゆるプラスの感情があの一瞬に過入力を起こしたので、最後の例はちょっと違うかもしれないけど、ともかく、そういうご褒美としか言えない瞬間。自分が努力して、努力して手に入れたものは本当に素晴らしい。ねうちのあるものだよ。私にだってその成果を愛おしげに眺めることだってある。でもこういう瞬間にはどうしたって勝てない。

 

18æ—¥

仕事が終わらない。でもどうにもならない。思い切ってパソコン音楽クラブのワンマンに出かけた。開演時間を間違えててちょっと遅れちゃったけどDTMスペシャリストのカードも買えた。夢見たいな光景だった。音楽も映像もお客さんも全てがハマっていた。そしてTBちゃん(tofubeats氏)から「最後、映像が川辺くんとパソコン音楽クラブの2人を3人3分割で並べてチャーリーズ・エンジェルみたいにするらしいですよ」と耳打ちされ、そいつはヴァイラル・モーメント!!と思ったが、実行されずふたりで肩を落とした。

 

19æ—¥

昼は仕事。近くのファミレスに向かうと冷房が壊れたため新規入店ができない、という。なんとなく西荻窪に出て今野書店。お店に入って胸いっぱいに本の匂いを吸い込み、漫画を数冊買う。それから高架下のサイゼリヤに向かった。ノートを開くが怖いほど何も思い浮かばない。漫画を読んだりして3時間ほど経った頃、諦めがついた。今日はダメです。部屋に戻って妻とトリプルファイヤーを観に出かける。序盤から中盤の感じ、なんだろう、なんだろう、って思っていたんだけど、高校生とか大学生の頃に読んだレイ・ブラッドベリの手触りだ、と気づいて空恐ろしい気分になる。なんてバンド。しかし、(後で気がついたのだが)これはなんてことはない、「下半身モヤモヤ・みぞおちワクワク・頭クラクラ」(細野さんが提唱したリズム・メロディ・コンセプトの三本柱)なのであった!!!やってくれるぜトリプルファイヤー!今まで「EXTRA」が出て、これがトリプルファイヤーの「リメイン・イン・ライト」だと考えていた。しかし、今日のライヴを観たら、もしかしたら「EXTRA 」は「フィアー・オブ・ミュージック」なのかもしれない、なんて思うようになった。まだ来ない未来は明るい。世界を照らせトリプルファイヤー!

EXTRA ‑「Album」by トリプルファイヤー | Spotify

 

 

 

 

もちがほしい

31æ—¥

 

吾妻光良さんと牧裕さんのデュオとツーマン。外は大雨だったそうだ。吾妻さんはかつて大宴会in南会津というイヴェントで一緒になって、その時にはじめて生のパフォーマンスを観て驚愕、いつかご一緒したい、と思っていたが、7年経ってそれが叶った。自分の演奏を終えて、ステージの隅でドリンクを飲みながら楽しむ。時には笑いながら、時にはグッと来ながら。グラスの氷が溶ける音が手の中で広がり、吾妻さんは歌う。最高の夜になった。打ち上げで大宴会の話が出た。あの日のことはわずかにしか覚えていない。楽屋がコテージだったこと。転換中にすごくかっこいい曲が流れて、慌ててShazamしたらミルトン・ナシメントの"Gran Circo"だったこと。真城さんとカジさんが居たこと。当日に入って、当日に帰った記憶もぼんやりとあったが、とにかくそれらに加えて、吾妻光良さんのパフォーマンスが最高だったこと。他のことは覚えていなかった。どうやって行ったのか、なぜ一泊しなかったのか、話しながら、検索しながら、少しずつ思い出してきた。そうだった、ミツメもいたんだった、2017年の出演だった、日付は9月17日だったのか。それでも南会津まで行って日帰りだった理由がわからなく、当時のスケジュールを確認してみると前後に予定があって、メジャーデビュー直前の慌ただしさの最中だったとわかった。こんな私でもメジャーデビューは忙しくさせてもらって、ものすごく楽しかった反面、その、ものすごく大変だった。見事に消耗して、20/20のツアーが始まるころには、ストレスで呼吸がうまくできず(吸っても入っていかないという感じだったといえばいいのだろうか)思うように歌えなくて悔しい思いをした。状況的にはものすごくいい方向に行くワクワクと、ひもはいくつも伸びてるようにも見えるが、そのどれから来ているかすらわからないストレスの両方で情緒が完全におかしくなっていた時期で、そりゃミツメがいたことすら覚えていなかったわけだ。そんな中で吾妻さんのステージを観たことが自分にとってどれほど大きかったか。そんな吾妻さんとようやくご一緒できて嬉しい。牧さんも相当なブロッサム・ディアリーファンで、ダフォディルが〜フォンタナが〜とか言い合って本当に楽しい一日になった。

 

8月1日

 

ビッグビューティー最後の収録。感慨はあるが達成感はない。生産性は全くなかったと思う。でも、心の底から本当に楽しかった。本当のことを言うとツーマンもミニイヴェントもあるからまだまだ実感はなかったけど。とにかくぴんくさんには感謝しかない。こんな番組ほかにはあんまりない気もする。

ビッグビューティー(スカート澤部×街裏ぴんく) | Podcast on Spotify

この番組の初回の収録が終わった後、「あぁ、そうか、あまりうまくいかなくて大学の非常階段でガラスの仮面読んでた頃の私は、松本くんに「我々もお笑い芸人目指さない?」と誘われるのを待ってたのかもしれない」と気がついた。私は結局、夢だったミュージシャンになれたし、松本くんも夢だったテレビマンになれて、それぞれのとんでもない地平で活動ができている。これ以上望むものはないけれど、あったかもしれない道にも思いを馳せたのだった。最終回を経て、とんでもないご褒美のような仕事だったな、と改めて感じた。

収録が盛り上がって押してしまい次の仕事に遅れた。失恋の歌をうたい、油淋鶏食って帰る。

 

3æ—¥

原宿まで「化け猫あんずちゃん」の原画展、いましろ先生と大橋裕之先生のトークショーを観に行く。このイベントが発表された時、原作ファンの母に教えると大変喜んで、すぐに予約していた。あまりに暑い都会を歩き、会場のペニーレインにつくと、母もちょうど着いたところだった。あんずちゃんは大学生の時にバイト先の南天堂で買って、あまりに最高なので母に貸したらそれきり戻ってこなかった。私も母のレコードを勝手に持ち出して、棚に並べ、なんなら母のもののはずなのに「泰安洋行」にサインまでいただいてしまったのだから、ひとつも文句はない。

前の席に座っていた母に声をかけようとした時、私は母をなんて呼んでいた、呼んでいるのか、まったくわからなくなった。「おかあさん」といつまで呼んだか、「サヨちゃん」と言ったこともあったが人前では呼んだことないよな、と考えを巡らせ、結局「ねえチョット」と声をかけた。

 

5æ—¥

ぴんくさんとのツーマン、東京公演。大爆発!最高!脳汁出まくりあっという間の3時間。弾き語りでの「静かな夜がいい」はいい意味で頭打ち、完成し切ったと思っていたけど柴田さんとの磔磔でのライヴからまた一皮むけ、このツアーでさらに開けた。ぴんくさんのおかげ。終演後、サインしてる時に2人ほど「最後の漫談も嘘なんですか……?」と訊かれていて、それが本当に最高だった。「図工」と言う漫談だったのだけど、その直後に「君はきっとずっと知らない」をやるのが今年のエンディングだった。自分でも不思議なほどに自然と収まった感覚があったから、もし「図工」の漫談が本当の話に聞こえたことに、自分の歌が僅かにでもかかったのならこれほどうれしいことなない。

https://youtu.be/GwVgo6U3zVc?si=hV7XF8rwL8WBumq4

 

6æ—¥

ゼキさんと打ち合わせ。遅刻。

 

7,8æ—¥

久しぶりに稼働がない!うれしい!一日中だらだらNICE POP RADIOの選曲したり、書き物の仕事したり、掃除して、Apexして適当に過ごす。この日、気合いを入れたら終わったはずの仕事もあったが、一旦これでいい。この間、車が本格的に調子悪くなっていく。慌てて以前もらった自動車のパンフに目を通す。200万ぐらいかかりそうなんだけど。貯金ゼロおじさんの明日はどっちだ。

 

11æ—¥

車の調子が怪しいから車に乗らずリハ。汗だく。この日は優介だけ都合つかず4人でライヴのセットリスト考えた。雑談で吾妻さんとツーマンしたよ、と報告すると、あの日のことは佐久間さんの方が全然覚えていた。よく覚えてますね!そんなこと!と衝撃を受けたが、何を覚えていて衝撃を受けたのか忘れてしまった。車で来ていたなおみちさんは帰宅したけどボーイと佐久間さんと3人で適当な中華料理屋に入り、閉店時間まで談笑。『ババ・オライリー』の歌詞の解釈の話になって、なんだかいいね〜いい歳の取り方しているんじゃないの、と思ったところで、果たしてこれは本当にいい歳の取り方なのだろうか、一瞬不安になったが、結局のところ楽しい。

Baba O'Riley - Remastered 2022 ‑ by ザ・フー | Spotify

おまじないぐすり

6月27日

パーシモンホールでダウ90000派生ユニット、1000の企画ライヴを観に行く。園田さんが覚醒したりしなかったり、でも確実な成長を混沌の外側から見守った。奇妙だった。すっげー瞬間あった。帰りにリベラに寄ってステーキを食う。入金があったからね。

 

28æ—¥

ナイポレ収録。サルベージ回。毎回20曲近くぐらい選んでそこからふるいにかけ、曲順とかを考えているのでどうしてもかけたいのにかけられなかった曲というのが出てくるので、それらを聴いてもらう、という回だった。しかしプレイリストから出てくるのは似たような時代の音楽ばかり。俺は一体音楽の何を聴いてきたというんだ。「このテーマだったのにこういうみんなが好きそうな曲は選ばなかったんだね、でもそういう音楽聞いてきてないんだから仕方がないんじゃない?」と誰かが言う。ダメージを食らった。でもいい曲ばかり選曲できた。嬉しい。

 

29æ—¥

妻と出掛けて代々木上原のトルティーヤ・クラブでタコスを食べ(めちゃくちゃ美味かった)て、mei eharaさんとトリプルファイヤーのツーマンを観に行く。ファイヤーはやはり異次元に突入している。アルバムがリリースその瞬間、俺の世界はガラッと変わり、レコ発に来た人たちの人生がちょっとだけ好転すると思う。meiさんのライヴも素晴らしかった。浜くんのレコード屋で2枚レコードを買った。meiさんの物販にあったパレスチナへの募金箱に千円入れる。俺にできることはこれくらいしかないのか。

ワンマンライブのお知らせ - トリプルファイヤーweb

 

30æ—¥

いつもと違うメンバーでレコーディング。変な曲だったのに、変というよりかっこいいぜ……となって嬉しい。早く聴いてほしい。

 

7月1日

リハーサル。

 

2æ—¥

シティポップレイディオの収録に向かう電車の中でクレジットカードが使えなくなっていることに気がついた。問い合わせていくと不正利用と思わしき動きがあったので使用を停止した、とのことだった。実際、調べていくと本当に不正利用だった。PayPalに勝手に登録して、そこから100ユーロの買い物を2回したようだった。あとでまた折り返す、とのことでビビるよね〜〜。困っちゃうよね〜〜。残額400円のモバイルPASMOにどう向き合うべきか。もうやんカレーで腹11分目の昼食をキメる。友人のバンドマンと遭遇して驚いてあまり会話らしい会話ができなかったことが悔やまれる。ビッグビューティー収録。松本健人がぶっかまして最高だった。収録が終わって松本くんとお茶をする。収録の話やあと少しに迫ったぴんくさんとのツーマンの話、最近のお互いの仕事の話。少しずつ頭が冷えていくのを実感するんだけど、その途中で不正利用の報告だったりが挟まりさらに冷えていく。俺のカードで日本人名義でPayPalに登録して100ユーロの買い物を2回したお前は、実家を出て、同居人からいろいろ教えてもらって2014年にようやく作った俺の楽天カードを踏みにじったんだよ。

帰り道、残額のなくなったモバイルPASMOを強く睨みつける。どうにもならない。また普通のPASMO一枚作るか、と切符売り場に向かうも半導体不足で販売中止ということだった。切符を買うことにした。帰りの電車で今世界にどうして半導体が不足しているのかということを改めて調べる。悲しい気持ちになる。

 

3æ—¥

ナイポレの選曲をがんばり、夜はゼキさんと妻と3人で浜田山の叙々苑。叙々苑といってもなんか独特の叙々苑で、いわゆる叙々苑ではないけどとてもおいしいノサ。そして注文し過ぎた。そして食べ過ぎた。食後、ゼキさんの紹介で焼肉屋のすぐ隣の本屋に3人で入る。気合いの入った選書に気圧されて未読だった「イグアナの娘」を購入。

 

4æ—¥

夜、横浜の試聴室に向かう。佐久間さんが金野さんと変なイヴェントをやるというので。車には乗らず、電車の中で買うだけ買って読めていなかった漫画を鞄に詰め込み、ゆったり目指す。横浜の方をしっかり歩くのは随分久しぶりな気がする。海が近いからなのか独特な街だ。「静かな夜がいい」のMVを撮影したあたりが試聴室だった。どピンク街。移転してから試聴室にいくのは初めてで、三沢さんに会うのも久しぶりになってしまった。元気そうで安心。イヴェントは優介のDJをバックに石を鑑賞しながら話す、というもの。どうしてこんなことになったんだ、と金野さんに訊いてみると、いつも試聴室でやる適当なイヴェントの調子が良過ぎて怖くなってどうでもいいものを挟みたくなった、ということで、本当に来なくていいイヴェントだった。楽しかった。マーライオンの話で盛り上がってしまった。マーちゃんごめんね。帰り道、佐久間さんと「Amazonで炭酸水を箱で頼んで置いてあるんだけど1日5本ぐらい飲んじゃう」という話でゲラゲラ笑う。

 

5æ—¥

散髪。Instagramに髪切るたびに白目を向いて報告するという風習が残っているのだが、シゲルさんまで巻き込んだ写真のパターンが尽き、お会計をしながら二人で白目をむく、というものを試した。来るところまで来てしまった。反省している。

車の調子が悪いのでディーラーに診てもらう。ベルトがずれてしまっていたようであとちょっと走って切れたりでもしたら大変なことになってましたよ、と言われる。昨日車に乗らないで本当に良かった。

 

6æ—¥

昼に集合して夜までぴんくさんと松本くんと3人でライヴの打ち合わせ。どんどん面白くなる。最高。忘れられない夜になること請け合い。7/23は大阪、24は名古屋、8/5は東京でお待ちしています。(下書きに入れてずっと書き足してたから公開時にはライヴが終わってしまった……すみません……)

 

7æ—¥

北海道はエスコンフィールド内でのライヴ。夕方前の出番だから気持ちはゆったりの当日入り。汗だくになりながらギターを背負って吉祥寺まで出て、リムジンバスに乗って空港に着いた。てんやで昼食を摂り、飛行機に乗る。北海道に降り立つと本当に涼しくてびっくりした。最高。これが私の求めていた「気候」だ。会場は野球場の施設の外にある一部で、楽屋は球場の中だった。小雨が降り、コンクリートの反射、テントの反射、あらゆるものが私を襲うので久しぶりに耳栓をしてのライヴになったが、そういったものをエイヤッと3人で薙ぎ倒したいいライヴになった。Chelmicoのステージにもお邪魔して"Love Is Over"のギターを弾く。三毛猫ホームレスProd.のこの曲のギターは俺が弾いているんだよ。意外と知られていないんだ。汗だくでライヴを終え、対バンだったNo.18のシムラくんにおすすめのグルメを教えてもらい、GoogleMapにピンを立てる。札幌はだいぶ充実してきたぜ。エスコンフィールドに別れを告げて、宿のある札幌に出る。予約したジンギスカンのお店、やまかの店員さんが私のことを知っていてくれて、いろいろ美味しいお店を教えてくれた。行きたい店はたくさんあったのにほとんどが月曜定休だったのでめちゃくちゃ助かった。次の日いく店が決まる。

 

8æ—¥

ロビーで待ち合わせて昨日教えてもらったカレー屋、五⚪︎堂へ行く。めちゃくちゃ美味しかった。野菜の甘みがたっぷり出たスープカレーなのだけど、飲み進めていくと最後にクミンがバッチリキまって大変気分がよろしい……最高……欲張っていっぱいトッピングしたからごはん普通盛りにしたけどそれでも腹一杯になってしまった。腹ごなしのため、みんなと別れて一人歩いてフレッシュエアーまで行く。もう今回はフレッシュエアーだけに賭けた。棚という棚を舐め回すように見ていく。ソフトロックのコーナーから数枚、他にも探していたけど意外と見かけず買えなかったスーザン「サマルカンド大通り」とか、いつか買わなきゃと思っていたトーキング・ヘッズの「ネイキッド」とかを購入。その後、昨日No.18のシムラくんに教えてもらったお店、スウィート・レディ・ジェーンに向かう。焼き菓子を中心にお土産として購入。クッキーおいしすぎ。そのまま原田治展がやっている施設に向かってみるも、なんと定休日だった。札幌、月曜定休が多すぎる。気分を晴らすために六花亭の本店で憧れだったバターサンドアイスを食べた。おいしいのだけど、そもそものバターサンドがうますぎるため、同じぐらいのおいしさではもはや感動しなくなっていることに気がついた。なんて罪深いお菓子なんだ、マルセイバターサンド。再び合流してホテルから空港へ。空港からバス。バスからタクシー。そして部屋。

 

10æ—¥

仕事の曲のレコーディング。久しぶりにポニーキャニオンのスタジオ使った。頼まれ仕事で発表はずいぶん先。いつメンとの録音。いいものできました。

 

某日

ナイポレ仕込み日。ジョアン・ドナート特集をやると決めたので最近聴いてなかったアルバムや、聴いたことなかった曲を聴き込む。泣きそうになるぐらいにいい曲ばっかり。素晴らしすぎる。特にこの曲。音楽があって良かった。その気持ちは日に日に強まっていくばかりのようです。

Gravidade Zero ‑ by Tulipa Ruiz, João Donato | Spotify

 

某日

取り寄せだったファンベルトの交換が完了。なにぶん古い車だからお別れも近いのかもしれない、と悲しい気持ちになってくる。

 

14æ—¥

つくばロック出演。今回は寝坊しなかった。終演後、会場に飾るサインを求められていたんだけど、物販終えて楽屋に戻ると佐久間さんによるちいかわと悟空がサイン色紙にすでに書かれていて最高だった。鉛筆で下書きまでしてた。帰りの車で「サインの思い出って後々思い返すと後悔ばっかりだよ」と話していて、昆虫キッズ時代に佐久間さんから「ウィリアム・アクセルローズ」のサインをもらった事を思い出した。

 

15æ—¥

多分当たらないだろう、と思っていたママタルトのシェーキーズのイヴェントに当選。最初はそんなガッツないのに入ってしまって大丈夫なんだろうか、と今日入れなかった多くの方を思い、めそめそしていたがわいわいと食事を囲むだけでめちゃくちゃに楽しかった。笑顔がこぼれる一日。誰かが落としたカトラリーに対して黙祷が捧げられたのが本当に良かった。

 

17æ—¥

トリプルファイヤーとツーマン。スカートは前座だと個人的に捉え、新曲「相席屋に行きたい」がドロップされたばかりのトリプルファイヤーを祝福した。MCで「みなさん相席屋に行きたい聴いた?最高ですよ、まだ聴いてない方いたら転換の合間で聴いたらいいじゃない」みたいなことを言ったんだけど、ファイヤーを観にフロアに向かう途中のバースペースでイヤフォンしてる人がいて本当にファイヤーの新曲を聴いているとしたら最高だな、なんて思った。ファイヤーは本当に最高。「人生を変える言葉」のギターソロはハイパーぶち上げ。ワンマンへの期待とニューアルバムへの期待が急上昇する夜になった。

 

某日

2曲分の歌入れ。初めて行くスタジオだったけど待合室にはフレンチブルドッグが交尾している模型が置いてあった。それが関係したのかもしれない、でも心情としてはなにが悪かったとか、そういう話ではないのだけど、心の置きどころがどこにもないような気持ちになってしまい、精神的になんとなくキツい歌入れになった。いいテイクは録れていたから安心したのだが、なんか、こう、そういう日ってあるよね。

 

某日

ぴんくさんとのツーマンの最終調整。さらに飛躍して行く部分があって大いに笑い、私はかなり気を引き締めた。ぴんくさんの漫談を間近で浴びることにより、火がつき私のパフォーマンスも向上する、といういい仕組み、いい循環。

 

某日

ラジオを都合4本収録して夜はダウ90000蓮見くんとご飯を食べた。酒が飲めないため、あまり人を誘ったことがなかったからどう誘っていいのかわからず、「飯でも行こうよ!」と言ってすでに一年半以上経っていたのだが、この日ついに実を結んだ。酒を飲まないから「誰かと行くようなちょうどいい店」のフォルダーがからっぽなので、それが頭の中でストップがかかる原因でもあったのだけど、結局、お互いの仕事終わりで合流しやすい街でお店を選んだ。店が決まって本当に良かった。店が決まっていなかったら店に入れていなかったからね。お互いの近況や将来のことなどを話し、本当に楽しい夜になった。調子にのってオーダーしたライチソーダのお酒は半分も飲めなかった。もっと早く行けば良かった。もっと飯でもいける人間になりたいです。

 

20æ—¥

お誘いを受けて空気階段の単独を観に行く。酷暑。駅のホームでポカリスエットイオンウォーターを買った。酷暑である。単独を観るのは久しぶりで、前回見たときも広かったけどさらに広くなっていてなんだかちょっとそわそわしながら観ていた。結婚相談所のネタがくだらなくてなぜかぐっと来る。

 

22æ—¥

関西キャンペーンの初日。朝から晩まで働き詰めの予定の一日。あまりのハードさに前日、早くも気が遠くなりながら眠りについたのだが、7時前に起きたら新幹線が止まっている、というニュース。気が遠くなっていた私に誰かが味方してくれたのだろうか、とさえ思ったのだが、それは全く違ったようだった、と後で気づく。ジャーマネ安藤くんと連絡を取り合い、とりあえず駅まで向かうことになったのだが、全く動き出す気配はない。ポニーの田村くんから昼の生放送のゲストはリモート収録に切り替わったと、連絡が入るも、もう部屋を出て電車に乗ったところだった。見送りに来てくれた妻とカフェで徹底的に時間を潰し、なんとか平静を保ち、急遽会議室を借りてキヨピーさんと対峙。これからどうなっちゃうんだろう、という気持ちを抱えながらのゲスト出演はなんともいえない独特な時間だった。安藤くんがレンタカーを借りてきてくれたのだが、考えていることはもうみんな一緒だったらしくハイエースしか残っていなかったそうだ。絶対に眠ってしまいたい私は助手席に座る資格すらない、と3列目にドカンと座り、ハイエースは西を目指す。序盤は調子良く眠れていたのだが、神奈川後半で目を覚まし、それ以降はサスペンション・ゼロのガタガタが直接体に響き、リクライニング・ゼロの椅子に3時間も座った頃には以前佐久間さんが言っていた「中世の拷問」という言葉がよぎり、反発性・ゼロのクッション性にハード・ドライヴが覚醒していく趣深い一日になった。それでも座っていればよかっただけ最高だ。収録を3本飛ばし、結局約束の地、京都に着いたのは21時過ぎだった。インタヴューを一本録音して、α-STATIONが用意してくれたお弁当をみんなで食べて京都を後にして、深夜、802の生放送に出演してTHE END。本当に新幹線は動くのだろうか、ぴんくさんや松本くんは大阪に来れるだろうか、と心配しながら眠りにつく。

 

23æ—¥

新幹線は動いていた。本当に良かった。カンテレさんの「よ〜いドン!」に出演。東京にいると番組名すら知らなかったのだけど、大阪出身のジャーマネ安藤くんは母に連絡を取り、プロモーションの行程表を見たナイポレディレクターの大和氏は「めちゃくちゃすごいことですよ」と言う。スタジオに入り、セットの座り順が向かって左から円広志さん、カンテレのアナウンサーさん谷元星奈さん、松本伊代さん、私、石原良純さん、渋谷凪咲さん、麒麟田村さんという並びだった。センターおれ。どうしてこんなことが起こるんだ、と、私は起きているのか?正気なのだろうか?と問いただす。起きていたし、正気だったようだ。麒麟田村さんが着ていた服に「NEW ERA」って書いてあって隣の松本伊代さんが小さい声で「NEW ERA……」って言っていたのを聞いて本当に今日ここにいることができて良かった、と強く噛み締めた。序盤は緊張したけど、うまいことやれた気がする。多分。終わったあとご挨拶していたら谷元さんと渋谷さんが夜のライヴを観にきてくれることになった。嬉しすぎる。

ホテルに戻ってライヴの入り時間まで90分ほどの空白ができて、どこかでランチでも、とGoogleMapにピンが立っている方向を目指したのだが、途中にレコード屋があったので寄り道。あまりにいい店で飯を一旦パスして夢中になって掘る。高いレコードも手頃なレコードもいっぱいあって良かった。次のナイポレ新入荷で数曲かけたい。

クアトロに入ってぴんくさん、松本くん、妻と合流。楽屋でセブンのうどんを食べて昼食としたが全然満足。むしろ気分がいい。

リハーサルでさらに細かく詰めていき、本番では爆発。梅田のクアトロはめっちゃ音を吸うようで盛り上がってないんじゃないか!?と途中で不安になったのだが、お客さんの顔を見て安心した。千川びーちぶと同じ現象がクアトロでも起きていたのだ。そういえば去年もなんか反響が東京と違う……?と序盤は困惑したんだった。元々2時間半想定で松本くんがタイムテーブルを切っていたのだが堂々3時間経っていた。充実感ともっとやれる、の中間に立ち、打ち上げでは酒を飲めない澤部・ぴんく・松本の3人で大いに「もっとここがやれる、あそこもああして」と話し込む。いいチーム。さすがに2時間半想定、3時間はマズイよ、といくつかの演目を削った。これで2時間10分想定になったはずだ。はずだった。

 

24æ—¥

早く目が覚めちゃったらKyutaroでうどん食べよ、と思っていたらちゃんと早く目が覚めて、晴れて妻と一緒にKyutaroでうどんを食べた。やはり最高。東京にもおいしいうどん屋はたくさんあるけど、本当に好み。ついに醤油でオーダーしたABURI(というメニュー。炙った豚バラと煮込んだモモ肉が乗ったうどん)に醤油をかけないで、付属のゆず胡椒だけで完食する域に達した。最高。妻とは別れ、22日の録音できなかったNICE POP RADIOを収録するためにひとり京都に寄る。夏は私に牙を向くわね。無事収録を終え、すぐ京都駅に向かい、SHIZUYAのパンを差し入れと称して買い込み、新幹線に乗って名古屋へ。起きているつもりだったのにうとうとしてしまっていたらしく、名古屋に着くアナウンスで目が覚めた。危なかった。

昨日と同じぐらい入念にリハーサルを済ませ、本番。名古屋は昨年やらなかった会場だったからどうなるかと思ったけど、大阪以上の大盛り上がり。これです、これを待っていました。しかし、歌に関しては流石に疲労が蓄積したのか特に「景色 / 欄干」は思うように声が出ず悔しい仕上がりに。しかしあるライヴのとき、先輩ミュージシャンに「今日のアンコールめちゃくちゃすごかったっす」と伝えると、本編の最後で間違えちゃったのが悔しくてそれが怒りとなって出た、と答えてくれたことがあったのを思い出した。次の曲が「静かな夜がいい」だったのが良かった。怒りとまではいななかったが悔しさを忍ばせ叩きつけるように歌った。空気が変わるのを感じたし、いい演奏になった。やり切った。上演時間は2時間56分だった。なぜ。

 

某日

行きたかったライヴを蹴って仕事として入れたTJNYの座談会に金子朝一が演劇見てから来たため遅れてきて最高だった。朝一はそうでないと。俺は真面目すぎる。今回も面白かったんだけど家帰ってきて妻に説明しようとしたら全然面白くならない部分があって、あれは一体なんだったんだ、とキツネにつままれたような気持ちになった。

 

28æ—¥

「化け猫あんずちゃん」のティーチインのゲストとして慶一さんと登壇。大学生の頃に読んで衝撃を受けた「化け猫あんずちゃん」のアニメ化っていうだけで驚きなのに、とにかく縁だらけの布陣。劇伴の慶一さんはムーンライダーズがもちろんだけど最初にあったのは「ボクの四谷怪談」(2012年)で、久野さんは「CALL」のジャケット(2016年)が最初、山下監督は「山田孝之のカンヌ映画祭」(2017年)でお付き合いができてて、これらがこうやってたぬき役なんて形で実を結ぶなんて考えたこともなかった。自分にとってごほうびみたいな仕事ってたまーにあるけどこれはその一つです。絶対に観てくれよな。

映画『化け猫あんずちゃん』公式サイト