グレーバー+ヴェングロウ『万物の黎明』第6章〜第9章のメモ書き

 『万物の黎明』についてのまとめの続きである。前回同様、あくまでメモ書きなので、不正確な部分や、特に意図もなく省略された部分が多々あることは了承されたい。

satzdachs.hatenablog.com

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 第6章は、「自然」の恵みをあるがままに受けて快適に過ごしていた状態から、穀物の栽培に「手をつけて」しまったことによって、その支配を自ずから受けるようになってしまった、という「神話」ないしは「寓話」に対する、強烈な皮肉が冒頭に掲げられている。

こうしてみると、ことのなりゆきには必然性があるかのようだ。しかし、それも「コムギの立場」に立ってみることに意味があるという前提があってのことである。よく考えてみるならば、なぜそうしなければならないのだろうかという疑問がわいてくる。人間は非常に大きな脳をもった知的な霊長類であり、コムギは、そう... 草の一種である。

 「農耕革命」といった用語が喚起するように、新石器時代の社会における野生から栽培形態の穀物への移行が、「比較的すばやく、すくなくとも連続的に起きた」と我々は暗黙のうちに前提している。実際に野生のコムギを使った現代の実験によって明らかにしたのは、「作物の栽培化につながる重要な遺伝子変異は、フリント鎌での刈り取りや手による根切りなどのかんたんな収穫技術を使って、わずか20〜30年、長くても200年で達成できる」ことである。つまり、「もし人間ではなく作物のペースが主導していたとするならば、これらの[作物の種子散布能力の喪失と人間による栽培化の進展という] 二つの過程が同時に進行しながら、数十年以内に大粒のイネ科植物の栽培化にいたりついたであろう」。

おそらく人間は作物が発する合図に従うだけでよかったのである。つまり、作物が熟しはじめてから、穀粒を茎に残す方法で収穫し(たとえば、櫂で穂を叩くのではなく、切ったり引っ張ったりする)、(野生の競争相手がいない)処女地にあたらしい種を蒔き、失敗から学び、翌年には勝利の方程式をくり返すのである。野生の作物の収穫に慣れている狩猟採集民にとっては、このような変化は、行動の組織化という点でも世界観という点でも重大な変更をせまるものではなかった。

 しかしこの章における最も重要な点として、我々の暗黙の前提を裏切るようだが、「肥沃な三日月地帯で植物の栽培化が完全に完了したのはかなりあと、野生の穀物の栽培がはじまって3000年も経過してから」だったのだ。理論上可能な最短期間と比べて、ずいぶん長い年月をかけて栽培化へ移行していたのである。このあいだ、いったい何が行われていたというのか。
 そこで浮かび上がってくるのは、「栽培に手染めてはやめ、やめては手を染める狩猟採集民の存在」である。

よく考えてみると、このアプローチは完全に理に適っている。太平洋岸の「豊かな」狩猟採集民がよく知っていたように、栽培穀物の耕作はとても骨の折れる作業である。まともに農耕に取り組むとなると、真剣に土壌を保全し、雑草を除去しなければならない。収穫後には脱穀や唐合も必要だ。こうした活動は、狩猟、野生食物の収集、 工芸品の製造、婚姻などなど、日常のあれこれにとって邪魔になっただろう。ましてや、物語を披露したり、賭け事をしたり、旅をしたり、 仮面舞踏会を催したりといった活動の邪魔だったであろうことは、いうまでもない。初期の耕作者たちは、食の必要と労働のコストのバランスをとるべく、植物の栽培化のきざしとなる形態変化を忌避するようなやりかたを戦略的に選んだ可能性すらあるのだ。

 このバランスをとるために当時とられていた栽培方法のひとつとして、チャタルホユックの位置する湿地帯にで行われていた、「氾濫農耕」と呼ばれるものである。それは、季節ごとに氾濫する湖や川の周辺でおこなわれた。 

氾濫農耕は、農作物を育てる方法としてはあきらかに消極的である。土壌づくりの作業はほとんど自然まかせである。季節ごとの洪水が耕作の役割を果たし、毎年土壌をふるいにかけ、再生させる。水が引くと、肥沃な沖積土の河床が残り、そこに種子を蒔くことができる。これは、森林伐採や除草、灌漑を必要としない小規模な園地栽培であり、必要なのはおそらく、水流を変えるために石や土でできた小さな障壁 (堤防)を組み立てるだけであった。

 氾濫農耕は、労働に割くリソースを単に節約するだけではなく、「土地の管理」という点についても、現代で想像されるところの農耕とは異なる特徴をもたらした。それは、ルソーが『人間不平等起源論』で想定したように、農耕の開始がただちに土地の「土地の囲い込みや測量」に結びつくわけではないということである。

ある年には肥沃な土地であっても、つぎの年には洪水や干ばつに見舞われる可能性がある。そのため、固定された区画を長期的に所有したり囲い込んだりする誘因が、ほとんど存在しないのである。境界石を設置したとしても、地面そのものが動くのでは意味がない。人類の生態系の形態が、 「生来」から平等主義であることはない。そうだとしても、ルソーやその後継者たちが耳にしたらおどろくであろうが、初期の栽培/耕作システムは私的所有の発展にはむすびつかなかった。現実には、どちらかというと氾濫農耕は、土地の集団的所有、すくなくとも柔軟な圃場再割り当てのシステムにむかう傾向があったのだ。

 なお肥沃な三日月地帯で発達した氾濫農耕だが、実際に野生の穀物が最も密集していたのは、降雨量の多い高地であった。よって低地住民たちは、「高地から穀物を集めて低地の氾濫エリアに蒔くことによって、栽培化の過程を起動させ」、栽培種と野生種を分岐させる端緒となった。

このことは、穀物の栽培化にかけられた顕著なまでの長期にわたるタイムスケールをあらためて浮き彫りにするものだ。おそらく、初期の耕作者たちは、みずからの居場所にとどまるために必要な生存維持労働にかんしては、最小限のことしかやっていないようである。そしてかれらはそのロケーションに、農耕以外、すなわち狩猟採集、漁業、交易などを目的として居住していたのである。

 かくして、「「農耕革命」の発祥の地と長いあいだ目されてきた中東の肥沃な三日月地帯では、旧石器時代の狩猟採集民から新石器時代の農耕民への「転換」など、実際には起きていない」ことが証明された。長期にわたり、狩猟採集民が「栽培に手染めてはやめ、やめては手を染める」ことを、著者らは「遊戯農耕play farming」と呼ぶ。

 あきらかに、このような途方もない長さと複雑さをもつ過程を扱うにあたって 「農耕革命」などという用語を使うことはもはや意味をなさないだろう。 また、最初の農耕民がそこから不平等への一歩をふみだしたエデンの園のごと状態は存在しなかったため、農耕を社会的地位や不平等、私有財産の起源のしるしとして語ることは、さらに意味をなさない。肥沃な三日月地帯において、階層化と暴力が定着していたのは、どちらかといえば、農耕への依存から最も遠い高地の集団である。いっぽう作物の生産を重要な社会的儀礼とむすびつけていた低地の集団は、あきらかに平等主義的な印象を受ける。 この平等主義の大部分が、女性の経済的・社会的可視性の上昇に絡み合っており、それは彼女たちの芸術や儀礼に反映されている。その意味では、ギンブタスの作品は、たしかにおおまかな筆致で描かれており、ときには戯画化されているものの、あながち的外れではないのだ。
 なお、本書は、(これまでの蓄積に強烈な批判を加えつつも)ビッグヒストリー的な内容であることは間違いないのだが、一方で、現代のフェミニズム的な観点へも丁寧に目配せをしているのが特記すべき点である。本章では、植物の栽培と並行して発展してきた工芸の実践、そして数学的・幾何学的知識の発展には女性が大きく寄与していることを著者らは指摘している。「(男性)学者のあいだには、この種の知のジェンダー的側面をすっ飛ばしたり、抽象的に覆い隠したりする独特の傾向がある」。特に槍玉に挙げられているのはレヴィ=ストロースの『野生の思考』における有名な議論である。彼は、「新石器時代の科学者」たちは、「一般化された法則や定理ではなく、自然界との具体的な相互作用から出発」し、農耕、牧畜、土器、織物、食物の保存や調理などの基礎を(近代科学的な手続きとはまったく異なる仕方で)与えたのだと論じた。
『野生の思考』は、新石器時代の「具体の科学」という「近代のそれとは別種の知を理解することを看板として掲げている。ところが、レヴィ=ストロースは、その知の「開花」が女性に負っているかもしれないという、その可能性に言及すらしていない。
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 第7章では、「氾濫農耕」のほかの、「必要に生存をゆだねすぎることなく作物や動物を育て、農耕が死活問題にならないよう十分な広さの食物網を保持する」、初期農耕のパターンについて論じられる。たとえば、南アメリカの低地熱帯地域、アマゾニア(アマゾン川流域) では二〇世紀に入ってからも、ブラジルのマットグロッソ地方に住むナンビクワラ族のような、雨季とそれ以外とで異なる集団生活を行っていたことで知られている。
かれらは川辺の村落で雨季になると庭や果樹園を開き、甘くて苦いマニオク、トウモロコシ、タバコ、マメ、コットン、ピーナッツ、ヒョウタンなど、さまざまな作物を栽培していた。栽培はゆったりとしたもので、さまざまな植物種を区別しておくための努力もほとんどなされなかった。そして乾季に入ると、こうした乱雑なる家庭菜園は完全に放棄され、グループ全体が小規模な遊動バンドに分散し、狩りや採集をおこない、翌年にはまた別の場所でおなじ作業をくり返すのである。
 そして第8章の肝となるのは、植物の栽培に精通しながらもそれを経済の基盤としては選ばなかった、アマゾンの初期住民の紹介である。彼ら/彼女らは、森を管理しながら、その間の土地で柔軟に農作物を栽培したり家畜を飼ったりする、「アグロフォレストリーagroforestry」(農耕agricultureと林業forestryを組み合わせた造語)を好んだ。
 現代の熱帯雨林農業は焼畑農業に依存しており、それは少数の作物の粗放栽培に適した労働集約的方法である。一方で、古代的な苗の育成は、現地ではテラ・プレタ・デ・インディアン terra preta de indio’=「インディアンの黒い土」などと呼ばれている、特殊な土壌に依存していた。この暗色土は厳密には、長年の集約的な農業活動の結果として形成される、自然土壌とは異なる土壌であり、「通常の熱帯の土壌よりもはるかに高い環境収容力(ある環境において、そこに継続的に存在できる生物の最大量)をもつ」。この土壌が、「戸口先の庭や集落近くの小さな森で、はるかに幅広い品種の栽培」を可能にした。
 この古代アマゾンの土壌強化も、「遊戯農耕」的に試したりやめたりしながら、毎年の作業ではなく長年の歳月をかけてゆっくりと行われた。そしてこのような場当たり的な習慣は、先住民にとって植民地国家に対する抑止力として異なる意味を生み出している。
文字通り、自由の生態学である。ひとつの場所に留まることを拒み、固定した資源に長期的に依存することなく生計を立て、食物の多くを地中で育てる(塊茎やその他の根菜のように)。そんな集団に課税したり監視したりすることは困難である。(309ページ)

 本書に記載されていない点として加筆しておくと、この種の議論は、James C. Scott "The Moral Economy of the Peasant"(1976)に代表されるように、地主や国家の権力に対する農民の日常的抵抗論として取り上げられてこなかったわけではない。しかしそれを、「国家には起源があるが、それから逃れる人がいた」と例外的に扱うのではなく、人類史の主流に位置付けようとするのが本書の特異な点である。

  少し実際の書かれ方とは時系列が前後するのだが、本章の冒頭では、遊戯農耕と対抗する、すなわち「まじめに」農耕に取り組んでいた「ヨーロッパ、アフリカ、オセアニアという「新石器時代」の三つのヴァリエーション」について言及されていた。

ヨーロッパの線帯文土器文化は、穀物や家畜の飼育に最も深く関与していた。 ナイル川流域は家畜と、ラピタは豚やヤムイモと、堅くむすびついていた。いずれのばあいも、対象となる種は完全に家畜化=栽培化されており、その生存は人間の介入に依存していて、もはや野生で繁殖することはできなかった。人間のほうからすると、そうした動植物のニーズを中心にみずからの生活を組織していた。すなわち、それらの種を囲い込み、保護し、繁殖させるこが、かれらの生活の一年を通した特徴となり、食生活の基礎をしていたのである。かれらはみな、「まじめな」農耕民と化していた。
 そしてそれらは、ほとんど誰も居住していない土地への農耕の拡散という特徴を共有している。その結果、まじめな農耕民たちは、民族的、あるいは言語的にも境界のはっきりした社会を形成する傾向にあった。
高い移動性を誇ったナイル川流域の新石器時代の人びとは、季節ごとに隣接する草原=砂漠にも拡大をみせていたが、ナイル川デルタ地帯、スーダンのジャジーラ gezira(青ナイル・白ナイルがハルツームで合流する直前の三角地帯)、主要なオアシス (湖畔の漁撈採集民が主要に住み、都合にあわせて農耕を取り入れたり放棄したりしていたファイユーム(カイロから約一三〇南東に離れたオアシス」をふくむ)など、 すでに人口が密集している地域は避けていた。同様に、ヨーロッパの線帯文土器文化も、黄土地帯や使われていない川の堤防のような、中石器時代の狩猟採集民も手を着けなかったニッチに根を下ろした。ラピタ・ホライズンもまた、比較的クローズドなシステムで、必要に応じて他者と交流するものの、それ以外はあたらしい資源を独自の生活パターンのうちに包み込んでいた。
 本章の後半において、この「まじめな」農耕民のひとり、ヨーロッパの特定地域の新石器時代の農耕民が、かつてないほど大規模な人口崩壊に見舞われたことに焦点があてられる。それは、ヨーロッパの最初期の農耕民が乏しい種類の穀物を頼りにしていたことに起因する。
 西南アジアからバルカン半島を経由して中央ヨーロッパに移動するあいだに、穀物栽培は狭隘で画一的なものとなっていた。はじめは、栽培された三種類のコムギ(ヒトップコムギ、エンマーコムギ、易脱穀性コムギ)と二種類のオオムギ(ゲンバク、ハダカムギ)に加えて5種類のマメ類(エンドウ、レンズマメ、ビターベッチ、ヒヨコマメ、グラスピー)がみられていた。しかし一方で中央ヨーロッパの線帯文土器文化の遺跡の大多数からは、苞穎コムギ(エンマーコムギとヒトツブコムギ)と 1、2種類のマメ類しかみつかっていない。
 ヨーロッパの最初期の農耕民にとっては、ほとんどすべてが単一の食物網を中心に回転していた。 穀物栽培が共同体の糧であった。その副産物である籾殻や藁は、燃料や家畜の飼料となり、また、土器の強化剤や家屋用の漆喰など、制作・建築に必要な基本材となった。 家畜は、機会に応じて、肉となり乳製品となり羊毛となり、さらには菜園の肥料にもなった。これらの最初のヨーロッパの農耕集落は、泥壁打ちのロングハウスと厚みに乏しい物質文化という点で、はるかに時代を下った農村社会と奇妙に似ている。おらく、おなじような弱点も抱えていたであろう。
 すなわち、外部からの定期的な襲撃のみならず、内部での労働力不足、土壌の疲弊、病、凶作などに、たがいに類似した共同体がつぎつぎと見舞われ、そのため相互扶助の余地もほとんどないといった弱点である。新石器時代の農耕は失敗の可能性をはらんだ実験だった。そしてときに、本当に失敗したのである。
 
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 第8章からのテーマは「都市」である。第4章で、人類史のなかで人類の活動する地理的範囲が縮小してきた様が論証された。旧石器時代の「文化圏」は諸大陸中に広がっており、中石器時代や新石器時代の文化圏も、現代のほとんどの民族言語学的集団(人類学者が 「諸文化 cultures」と呼ぶもの)の分布範囲よりもはるかに広い範囲をカバーしていた。著者らは、この「かつてオーストラリアや北アメリカの大部分を覆っていたような広大地域システムが、その仮想的性格を保持したまま単一の都市空間」に凝縮=縮小したものとして、「都市」を捉えている。
境界をもたず、恒常的な、ほとんどが想像のものである集団のうちに生活すること。事実上、人間はそれを、ずっとおこなってきたのである。
 本章では、その「都市」が暗黙に前提しているいくつかのことについて、それ以外の形があり得たこと、むしろ「傍流」が「本流」であったかもしれない可能性について、(これまでの章と同様に)例証する。
 ひとつには、都市における居住集団はしばしば「家族」と結びつけられるが、「人間の最も強力な社会的紐帯が生物学的親族関係に基礎をおくと仮定する進化モデルには、明々白々なる難点がある」と著者らは言う。
要するに、家族があまり好きではない人間は、この世に多数存在するということだ。そしてこれが、現代の狩猟採集民にもあてはまるようなのである。かれらの多数が、近親者のなかで一生をすごすことを嫌がり、近親者から逃れるために非常に長い距離を移動するのだから。現代の狩猟採集民の人口統計にかんするあたらしい研究(タンザニアのハッザ族からオーストラリアのマルトゥ族まで世界各地の事例を統計的に比較している)は、居住集団が生物学的親族によって構成されていないことが判明したと報告している。そして急速に発展しつつある人類遺伝学の分野では、更新世まで遡りつつ、古代の狩猟採集民についても同様のことを示唆しはじめている。
 そして本章のメインとなる論敵は、都市の起源を、階層化した国家の勃興に因果関係をもって結びつける従来の考古学的研究である。これまでは、そういった中央集権的なヒエラルキーを要しない「単純」な政治経済システムをもつ集団には、「都市」の名前を冠するに値しないとされてきた。しかし、それはほんとうにそうなのだろうか?
 スペインのバスク地方の村は、ダンバーが提案した認知閾値である150人(つまり、ダンバーによればこれが人間の心のなかで把握できる安定した信頼関係を築きうる人間の数の限界であり、この数を超えると社会問題を担当するリーダーや管理人を設定しなければならなくなる)をはるかに超えた100世帯を要する(これは現在の値で、かつてはこれよりもさらに大規模であった)。しかしそうでありながら、彼は/彼女らは、「複雑な物流上の課題を、中央集権的な統制や管理を必要としないまま、 複雑な相互扶助のシステムにもとづいて解決」してい流ことに著者らは注目している。詳細を論じるには紙幅が足りないが、下記の一節を引用する。
この地域のバスクの村人たちは、究極的には各世帯が等しく責任を負っているという信条を抱えているという意味で、自覚的な平等主義者である。しかし、かれらは共同体の集会(かつてバスクの町の人びとがゲルニカのような場所で組織していたものが有名である)を通して自己統治するのではなく、ローテーション、順番による代理や交替といった数学的原理を基盤としていた。そうだとしても、最終的な結果はおなじである。 世帯数や個々のメンバーの余裕力量の変化をつねに考慮できるような柔軟なシステムがそこにはある。そして、これによって、平等な関係が長期的に維持され、内部対立がほとんど完全に不在である状態になるのである。

 そのほか、ウクライナのメガサイトや、メソポタミアにあった古代都市ウルクについての詳細な記述がある。それらはいずれも、高度な平等主義的組織が都市規模で可能であったということの例証として機能している。そして、特筆すべきは、「貴族政、おそらく君主政そのものが、メソポタミア平原の平等主義的な都市に対抗してはじめて出現した」ということである。「英雄社会」はむしろ、「世界最初の大規模な都市拡大の空間的・文化的周縁部にみいだされる」のだ。

  さて、本章ではさらなる問いかけがなされる。すなわち、「形式的にはカーストのヒエラルキーをともなっているとしても、実際の統治は平等主義的におこなわれている社会の実例はあるのだろうか」? 答えは再びイエスである。少し長いが下記に引用する。

そのような組織法の証拠はたくさんあって、そのうちのいくつかは今日までつづいている。最もよく記録されているのは、中世にヒンドゥーを導入したバリ島のスク・ システムseka systemであろう。バリ人はカーストによって分割されているだけではない。その社会はその全体がヒエラルキーとして把握されている。そこにおいては、すべての集団のみならず、すべての個人がじぶん以外の人びととの関係においてみずからがどの位置にあるかを知っている(すくなくとも、知っているべきとされている)。それゆえ、原理的には平等な人間は存在しないし、バリ人のほとんどが、大いなる宇宙的秩序にあっては、そうでなければならないと主張するだろう。
 そのいっぽうで、共同体や寺院、農耕生活の管理運営などの日常的活動は、スク・システムにもとづいておこなわれている。スク・システムにおいては、メンバー全員が対等な立場で参加し、合意の上で決定するようもとめられる。たとえば、地区連合で、公共施設の屋根の補修どうするとか、今度のダンス大会の料理をなんにするかなどを話し合う場を設けることがあるとしよう。 地位の高い有力者を自認している人間が、下っ端の隣人たちと地面に輪になって座らなければならないことを不快に感じ、席しないことを選ぶこともありうる。しかし、そのばあい不参加の罰金を支払う義務がある。
 そして、その罰金は食事や補修のための代金に使用されるのである。四〇〇〇年以上前のインダス川流域にこのようなシステムがあったかどうか、いまのところ知るよしもない。この実例はたんに、包括的な社会的ヒエラルキーの観念と地域の統治の実際の仕組みとは必ずしも一致するものではない、ということを銘記するのに役に立つだけなのだ。

 さらにバリは、王制や帝国の起源を河川流域での農耕に求める見方(複雑な灌漑システムの維持を可能にするために、行政的な調整や管理の要請が生じた)に対しても、反例を与える。

バリはその歴史のほとんどにおいて、 いくつかの王国に分割されており、あれやこれやと延々と争っていた。また、なり小規模の火山島でありながら、灌漑による複雑な水稲農耕のシステムによって地球上で最も高い人口密度を支えていることでも知られている。しかし王制は灌漑システムの管理にはまったく関与していなかったようなのだ。 灌漑システムは、一連の「水の寺院 water-temples」によって管理されており、水の分配は、平等主義の原則による合意的な意思決定を通して、農耕民自身によって管理されていたのだ。

 最後に本章は、それぞれ「平等主義的エートス」を共有しているようにみえる上の例について、実際にはその形態がそれぞれ大幅に異なっていたことについて触れて締めくくられている。

 このような差異を純粋に形式的なレベルで表現することは可能である。自覚的な平等主義的エートスは、歴史上のどの時点においても、二つの対照的形態のいずれかをとるといえよう。すなわち、万人が(すくなくともみずからが重要だとみなす点では)まったくおなじである、ないしおなじであるべきだとするやりかたか、逆に、万人が各々まったく異なっていて、比較の基準さえ存在しないとするやりかたか(たとえば、わたしたちはだれしもユニークな個人であり、だれかれの優劣を判断する基準など存在しない)。現実の平等主義は、ふつう、この両方の要素を幾分かはふくんでいる。生活用品が標準化され、神殿の雇われ人に一律の報酬が与えられ、公共の合議体もそなわっていたメソポタミアでは、前者のやりかたが多く採用されていたと考えられる。

 各世帯が独自の芸術的スタイルと、おそらくは特異な家庭内儀礼を発展させていたとおもわれるウクライナのメガサイトでは、後者のやりかたを奉じていた。インダス川流域は、わたしたちの解釈がおおむねただしければ、さらに三つ目の可能性を示しているようにおもわれる。そこでは、ある部分での厳格な平等性(レンガの大きささえもまったく同一である)が、それ以外の部分でのあからさまなヒエラルキーによって補完されているのである。

 最後に(本書でも強調されているように)覚えておかなければならないのは、決して、「最初に出現した都市は必ずや平等主義の原則にもとづいて建設されていると主張している」(都市の「起源」をウクライナのメガサイト、メソポタミアのウルク、インダス川流域に求める)わけではないということだ

わたしたちのいいたいのは、考古学的な証拠は、このようなパターンがおどろくほど一般的であったことを示しているということ、そしてそれは、スケールが人間社会に与える影響についての従来の進化論的な仮定に反しているということだ。など、これまで検討してきたすべての事例において、組織化された集落の規模が劇的に拡大したにもかかわらず、富や権力が支配エリートに集中することはなかったのだから。つまり、考古学的研究によって、都市の起源や階層化した国家の勃興とのあいだに因果関係を主張する理論家たちは、その理論的根拠を問われているということだ。その主張はますます空虚なものになっているのだから。

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 第9章は、メソアメリカ社会史におけるテオティワカンについての通説から始まる。

パストリーによれば、テオティワカンはたんに「反王朝的」なだけではなく、それ自体が都市生活のユートピア的実験であった。 テオティワカンを建設した人びとは、じぶんたちがあたらしい別の種類の都市、 つまり支配者や王のいない、民衆のための「トラン」を建設したと考えていた。他の学者たちもパストリーに追随し、実質的にそれ以外の可能性をほとんど排除して、おなじような結論に達した。 テオティワカンの初期には権威主義的な支配がおこなわれていたが、後300年頃に突然軌道修正が生じる。つまり、ある種の革命があって、その後、都市の資源がより平等に分配され、一種の「集団統治」が確立されたのではないか、というのである。

 しかし実際には、テオティワカンはそもそもから自覚的に平等主義的方針で組織された都市であった。テオティワカンは、政治的発展、都市拡大に伴い、これまで一般的と考えられていた、都市の中心的モニュメントの周囲への権力集中——すなわち、「支配者の住まう、富と特権の象徴たる豪華な宮殿があらわれ、その近傍にエリートの近親者のための居住区があらわれる。そして、かれらの軍事的な征服、征服のもたらす価値ある貢物、そしてかれらの神々への奉仕を称えるモニュメンタルな芸術が発展する」——は認められなかった。実際には、「富や地位に関係なくほぼすべての市民に高品質のアパートメントを提供する」(388ページ)という、驚くべきプロジェクトに着手したのである。
 し「王室の行政官や神官などのエリート層が計画を立て命令を下すようなトップダウンのシステム」で行われなかったとすれば、いかにしてなのか。

それよりも可能性が高いのは、おそらくひとつの統治評議会に対して説明責任を負う、地区集会へと権限が委譲されていたというものである。このようなコミュニティ連合の痕跡が残っているとすれば、「三神殿複合」と呼ばれる地区神殿 [地区聖堂/祠堂]district shrines である。このような複合体は都市全体にすくなくとも20カ所あり、総計2000のアパートの100ごとにひとつの割合で備えられていた。
 これは、メソポタミアの都市区域や、第8章でとりあげたウクライナのメガサイトの集会所、あるいはのちのメソアメリカの町のリオbarriosとおなじくらいの規模の構成員からなる地区評議会への統治機能の委譲を意味するのかもしれない。

  さらに同様に評議会における高度に理路整然とした議論が行われていた例として、かつてメキシコにあったトラスカラが引き合いに出される。詳細の引用は省くが、当時の記述からはその生き生きとした議論を読み取ることができる。しかし、「このような記述は、現代の歴史家のあいだではあまり好まれていない」。

とはいえ、デ・サラサールの記述はでっちあげではないか、とか、古代ギリシアのアゴラやローマの元老院での討議を「インディオ」の口にあてがっただけではないか、などと口にする者は、さすがにいないだろう。しかし、今日、学者たちがまれに『年代記』をとりあげたとしても、ほとんどのばあい、先住民の統治形態にかかわる歴史的情報源ではなく、初期カトリック人文主義の文学ジャンルへの貢献と位置づけられるのだ。これは、ラオンタンの著作の解説者たちが、カンディアロンクの実際の主張の内容にはあま関心を寄せず、文章の一部がルキアノスのようなギリシアの風刺作家に触発されている可能性にこだわるのと変わるところがない。
 ここには微妙なスノビズムがひそんでいる。熟議政治の記述が歴史的現実を反映していることに、だれもがまっこうから否定しているわけではない。たんに、その事実に意味があるとはだれも考えないのである。 歴史家にとって興味を惹くのは、こうした記述の、ヨーロッパのテキストの伝統との関係やヨーロッパ人の予断との関係いかん、である。のちのトラスカラの文書、すなわちスペイン征服後の数十年間の市議会での議事を詳細に記録した現存文書[の集成である] 『トラスカラの法令』 The Tlaxcalan Actas の扱いもほとんどおなじである。そこには、先住民の政治家の弁舌の巧みさや、合意にもとづく意思決定ならびに理路整然とした議論の原則への習熟が、詳細に記されているのであるにもかかわらず。

 トラスカラのような評議会システムにおいては、求められる人物像も異なり、「個人的なカリスマ性やライバルを凌駕する能力を期待されるどころか、謙虚なる精神をもってそうした能力をむしろ恥とするような感覚をもってのぞむ必要があった」。それは現代の選挙政治がもたらしている帰結についても、アクチュアルな示唆を我々にもたらす。

かれらは都市民に従属することをもとめられていた。この従属がたんなるみせかけではないことを確認するために、めいめいがいくつかの課題をこなさねばならなかった。まず、野心への適切なる代償と考えられていた公衆の罵声を浴びることが義務づけられた。つぎに、自我をぼろぼろに傷つけられた政治家志望者は、長期の隔離生活のなかで、断食、睡眠剥奪、瀉血、厳格な道徳教育などの試練を与えられた。そしてイニシエーションは、あらたに公務職に就いたものが、祝宴の最中に「カミングアウト」することで幕を閉じた。
 あきらかに、この先住民の民主政体で役職に就くには、現代の選挙政治で自明とみなされているものとはまったく異なる人格が必要とされていた。この点については、選挙が専制的気質をもったカリスマ的指導者を生みだす傾向のあることを古代ギリシアの著述家たちが熟知していたことをおもいだすとよいだろう。 選挙は貴族政的政治手法であり、民主政の原則とはまったく相容れないとみなされていたのはこのためであり、ヨーロッパの歴史の大半において、真に民主的である役職の選出方法はくじ引きであると考えられていたのもこのためである。

A Feverish Start to 2025

On the morning of the first day of 2025, I lay under a blanket at my parents’ home, burning with a fever of over 38 degrees Celsius. My legs were stiff, and I could barely manage to make my way down to the living room, where my family was enjoying osechi, the traditional Japanese dishes prepared for the New Year. It was one of the worst starts to a year I’ve ever experienced.

However, at the same time, I found myself with plenty of time to reflect on my goals for 2025. As a result, beyond my personal and academic ambitions, I resolved to put more effort into improving my English skills.

Last year, I started working towards achieving a good score on the IELTS test. Initially, I focused on expanding my vocabulary. As a second step, I realized that I needed to practice writing and speaking English consistently.

That’s why I decided to write this article. In 2025, I plan to write English passages at least twice a month. Although I haven’t yet decided on specific themes, I’ll prioritize topics commonly encountered in IELTS tests.

Note: To receive accurate feedback, I will first write the passages on my own and then use ChatGPT to help correct and refine them.

2024年7月〜12月に読んだ本

2422 弦間昭彦『肺癌診療Q&A』(中外医学社、2023)

 期待していた痒いところに手が届くというほどではないが、虎の巻とかに書かれていることよりはアドバンストな内容があり、高価なぶんボリュームも十分にあり。通読してみたが、今後も辞書的にある程度は使えそう。

2423 清水泰生 監修『気管支鏡画像診断50症例』(日本医事新報社、2023)

 気管支鏡がある程度触れるようになってきて、TBBやTBLCなどひととおりできるようになった頃に、「そもそも肉眼的な気管支鏡の所見からわかることって何なんだろう」と浮かんできた疑問に答えてくれる本。それなりにメジャーな疾患から希少疾患まで球種が豊富で勉強になる。

2424 冨田康弘『よくわかる睡眠時無呼吸の診かた、考えかた』(中外医学社、2023)

 新版が出たばかりなので買ってみた。期待通りのよい本。

2425 『ガザとは何か~パレスチナを知るための緊急講義』(大和書房、2023)

 前半と後半の内容の重複は、緊急出版されたという背景を差し引いてもどうにかならなかったとは思う。とはいえ、コンパクトにコアな情報だけがまとまっている様子だった。まず手にとるべき本としてはよさそう。

2426 冨岡洋海ほか編『症例から学ぶ「過敏性肺炎診療指針」の使い方』(南山堂、2024)

 これは良書。ガイドラインに基づきつつ、豊富な放射線・病理画像もよいし、各疾患概念の解説も丁寧。過敏性肺炎の基本を知ったうえでの次のステップアップとしては右に出るものはないと思う。

2427 菅波孝祥ほか編『もっとよくわかる!線維化と疾患〜炎症・慢性疾患の初期からはじまるダイナミックな過程をたどる』(羊土社、2023)

 日常診療で線維化とか炎症とかって言うけどその実何が起きてるんや〜と思って手にとったが、基礎医学に自分って興味持てなかったよなということをよく思い出した。日々の診療に直結するわけでもないので、辞書的に使えるときがあればいいかなくらい。

2428 藤沼康樹『卓越したジェネラリスト診療入門』(医学書院、2024)

 「人文系に造詣の深い家庭医」の書く最高峰のひとつであることは間違いないと思う。多岐にわたるジャンルの概念を、実践に必要な形でその都度取り出すというやり方は、多分に臨床家的なそれであり、自分の目指す形とは違うが、勉強になった。クリニカルパール的なもの、あてはめる枠組み的なもの、経験からくるアドバイス的なもの、読者に省察を促すもの、のバランスが絶妙であると思う。

2429 田野大輔ほか編『〈悪の凡庸さ〉を問い直す』(大月書店、2023)

 「悪の凡庸さ」という概念について、通俗的な理解の誤謬を正していくだけと思いきや、その解釈をめぐって歴史学者と思想史学者のガチンコ議論をそのまま体感できる一冊。自分も『エルサレムのアイヒマン』やミルグラムの本を読んだところで理解が止まっていたので、非常に勉強になった。

 実はこの「忖度」は、近年のナチズム研究の到達点と近いところがある。それが、歴史家イアン・カーショーの提示する「総統の意を体して働く Working towards the Führer」という議論である。ヒトラーがナチ・ドイツのすべてを統べる全能の独裁者だったという議論は否定されてすでに久しい。一方で、ナチ体制はエリートたちがさまざまに関与することで成り立っていた多頭制的な支配だったという議論も、それ自体としては正しいとしても、それではなぜナチ体制は最後までバラバラに空中分解することなく支配を続けることができたのか、反ユダヤ主義や東部「生存圏」の征服など、ナチ体制にとって本質的なところでヒトラーの意志がおおむね貫徹したのはなぜなのかを理解することが難しくなる。ヒトラーの影響力がきわめて強かったというポイントと、エリートたちがかなり自分の思惑によって自律的に行動していというポイントは、どうやったら整合的に説明することができるのか。それを可能にしたのが、この「総統の意を体して働く」論なのである。

 歴史学者からは下記のように疑問が投げかけられる。

 アイヒマンが一般に考えられるような「冷酷非情な怪物」でも、大量殺戮に快楽を覚える「倒錯したサディスト」でもないという意味でなら、彼を「凡庸」と呼ぶことに異議を唱える者はいないだろう。アーレントの指摘はその点では広く受け入れられており、これに示唆を受けて行われたミルグラム実験によっ心理学的にも裏づけられている。だがこのユダヤ人移送局長官が上から与えられた任務を粛々と遂行す〈凡庸な役人〉にすぎなかったかのような印象を与える彼女の説明に対しては、ホロコースト研究者の評価は一様に厳しい。「最終解決」の立案・遂行におけるアイヒマンの主導的役割は多くの研究によって裏づけられており、彼が法規や命令を遵守するだけの杓子定規な官僚ではなかったことも明らかになっているからである。この男はウィーンのユダヤ人移住本部に勤務していた時期から、前例を打破してめざましい成果を上げるクリエイティブな組織者として名を馳せていた。彼は戦時中もベルリンの国家保安本部でデスクワークだけをしていたわけではなく、東欧各地の殺戮現場へと頻繁に出張し、特別行動部隊によ銃殺や絶滅収容所でのガス殺までも実見していたのだった。

 最大の争点は下記である。

 この点について、アーレントは「自分の昇進にはおそろしく熱心だったということのほかに彼には何らの動機もなかった」と述べているが、仕事で実績を上げて名声を得たいという出世欲や功名心が彼を突き動かしていたという見方は、多くの研究者に共有されている。見解が分かれるのは、そうした動機に「凡庸さ」を認めるかどうかという点である。アイヒマンが絶滅政策を推進したのは、誰もが抱くような出世欲に駆られたからだったのか。それとも反ユダヤ主義イデオロギーを信奉し、確信的かつ情熱的に職務を実行したのか。

 シュタングネトの研究は、アルゼンチン逃亡時代、アイヒマンはナチ・イデオロギーに染まり切った反ユダヤ主義的な発言を堂々と行っていたことを明らかにするが、アーレント研究者側(百木)は、「むしろあの「演説/独り語り」もまた、典型的な「決まり文句」のつなぎ合わせであり、周囲から期待された役割を過剰に取り込みながら、〈昂揚感〉を追求したふるまいであった」、という反論がくる。

 第II部において、田野からはさらに「百木さんの説明を聞いていて、考え方がそう違うわけではないと思う一方で、イデオロギーはいろいろな手段のなかの一つといった位置づけに関しては、ナチズム研究者はおそらくそうは見ないだろう、と思いました。自分の出世のために使える手段はいろいろあるわけですが、イデオロギーというのは包括的な次元で人びとの行動を方向づけるものであって、それをいろいろ使える道具のなかの一つにすぎないと見るのは、いまのナチズム研究からすると行き過ぎだと言えます」という重要な発言がされる。

 もう一つの論点は、「主体性」があったのかどうか、という点だ。

実際にアーレントも『エルサレムのアイヒマン』第八章で、アイヒマンはカントの定言命法を曲解して総統の意志を自らの意志と一致させるように行動していた、という分析をしていますね。しかし、そういう忖度に沿った行動を主体性と呼ぶことができるんでしょうか。ナチズム研究では、それを主体性と呼んでいるのですか。

小野寺 いえ、主体性と呼ぶべきかどうかは検討すべきところで、主体性とは明確な自律した意志や動機にもとづくものであるべきだという規範的な定義があるのだとすると、主体性とは呼べないのかもしれ ません。けれども、少なくともエージェンシー(行為主体性)ではあると思うんですよね。官僚たちは組織のなかで、権限などの制約を受けつつも、自分の使えるリソースを使って力を発揮して出世していくのですから、エージェンシーとは言えるだろうと思うんです。

 そこで必然的に、百木から中動態の議論が引き合いに出される。

 『中動態の世界― 意志と責任の考古学』医学書院、二〇一七年)とも関わりますが、本人が意図してやった、自分の主体性をもって意識的にそれをやったのだから、それによって責任を負うのは当然だという論法でこの問題を切っていいのかという点は、いま哲学や思想の分野で大きな議論になっています。責任問題が重要なのはアーレントにとっても間違いないのですが、主体性という言葉で問題を立てていいのかについては議論の余地があるところではないですかね。

 それに対する小野寺のコメント。

 私も中動態の議論がちゃんとわかっているわけではないのですが、それをホロコーストの議論に接合するのはちょっと難しいような気がしています。ホロコーストでは具体的な被害者がいるわけです。そこで加害者に責任がないということを言うためには、行動可能性が限りなくゼロに近かったということを明らかにしなければならない。行動の選択が一〇〇パーセント自由だった人などほとんどいないので、限られた選択肢のなかでどういう行動をとったのかということが責任の問題につながってくるわけです。責任を問うときに、主体性という表現が適切でないならば、「行動可能性」という言葉に置き換えてもいいと思いますが、アイヒマンのような幹部に行動可能性がなかったということにはならないはずです。多くのナチズム研究者は、基本的な認識としてこの点を共有しているからこそ、こうした研究をしているんだろうと思います。

 このような、通俗的な「悪の凡庸さ」理解の誤りや、昇進に熱心であった「有能」なアイヒマン、という人物像など根本的見解はもちろん共有しつつも、互いに相容れないようにみえる歴史学と思想史の立場について、下記のセリフが総評となるだろう。

 この「エルサレムのアイヒマン』は、歴史と思想が不用意に近づいてしまった例なのかなという気がしています。普段は歴史と思想は互いに敬して遠ざかっているわけですが、具体的なアイヒマンという人間を分析することを、裁判という場で、彼にどういう責任があるのかという、思想にとっても歴史学にとっても切実な問題を扱ってしまったために、そこで〈悪の凡庸さ〉などと言われてしまうと、歴史研究者としてはいろいろと言わざるをえないところがある。とはいえ、アーレントのおかげでわれわれはこうして対話することができたとも言えるので、必ずしも不幸なことではないのですが、やはりどうしても考え の違いが明らかになる。『エルサレムのアイヒマン』は、歴史学寄りと言うかジャーナリズム寄りと言うか、ともかく思想研究を超える射程をもっているので、やや特殊な性格の本なのかもしれませんね。

2430 浜田明範『感染症の医療人類学』(青土社、2024)

 著者の「パラ医療批判」に感銘を受けて、医療者で人類学に関心のある側の立場としては、こういうことを考えている人が人文学者でいるということにencourageされた。

 私はこの批判のあり方を、ガイスラーの「パラ国家」という発想から着想を得て、「パラ医療批判」と呼びたい。「パラ」という接頭辞を、分析の対象である国家と市民から、医療批判という人文学の特徴へと移し換えることによって、新しい視野が拓けるように思えるからである。「パラ医療批判」は、生物医療の無謬性を認めないという批判性を従来の医療批判から引き継ぎながらも、生物医療の有効性も正当に評価する営みである。ここでは、人文的な批判の実践と生物医療の実践は、排他的な実践としてアプリオリには区別されない。批判は人文学の占有物ではない。(55ページ)

 第3章「化学的環境」は特に素晴らしかった。抗結核薬がいかに空間的・時間的に配置されるのか、それぞれのアクターを丁寧に追い、明快な論旨で短い論文ながらも切れ味がすごい。医療者として読んだときに、前提として結核治療における多剤耐性菌の問題や、内服コンプライアンスを改善することの難しさ、結核というものの「生物医学的な」知識がまずもって揃っていないと書けない文章と感じて、その意味で、「パラ医療」的な態度を体現した論文であると感じた。そのうえで「体重測定」が母親にとってどんな意味を持つのか、それを地域保険看護師がどううまく利用するのか、各々の活動の様が活写されているのが目を見張る。「化学的環境chemical milleu」というタームも、一見すると文字通りchemicalな印象を持つ硬い言葉だが、この論考を読むとその重要性がよくわかってよい。これは初学者としての要望にはなるが、この「環境millleu」がフーコー的な「統治」概念を下敷きにしつつどのような重要性を持つのか、ということは第3章も踏まえると何となく理解した気になれたのだが、それがではよく聞く英語あるいは日本語での「環境environment」とどのような「文脈」の違いがあり、どういう使い分けがなされるのか、ということを論じてくれるとありがたかった。environmentのほうが、ラトゥールが言うところの「近代」的な、人と対置される自然、人以外の周辺、みたいなニュアンスを含んでいるのだろうか。さらには、ラトゥールのテレストリアルとの関係性についても勉強したいと思った。

 神戸の高校に通い、一時期その美術館にも通っていた身としては、横尾忠則が出てきたのは熱かった。パッチワーク的なポップアートや、絵画と文字、表象、指し示すものと指し示されるものの関係、にコンシャスな画家であるというのが私の認識なのだが、そのうえでこれまでの作品にマスクを付していく、というのはいかにも横尾忠則らしい発想であると感じた。また、「横尾が、若い作家たちがパンデミックという未知の事態に興奮していることに批判的に言及したうえで」、「コロナは形而上の問題ではなく、直截的な肉体の問題だ」と言っているのは、著者が紹介しているモルのペイシャンティズムにまさに通じる問題意識であると感じた。本書では、以下の3つがキーとして挙げられていた。すなわち、(1)身体のもつ被傷性(モル 2020;Robbins 2013)、(2)特定の時空間を占める身体的な存在であること(e.g. ホール 1970; 松嶋2014:306-18)、(3)そのような身体の運動の痕跡を例えば絵画として残せること(インゴルド2017)。

 人類学的な記述の厚みを言われることの多い印象であるポール・ファーマーについて、「構造的暴力」や「『文化』で隠蔽されてしまう差別」の重要性はもちろん、著者が一定の評価をしていたのは意外だった。しかし、「それぞれの現場で医療実践に従事してきたファーマーの議論には、人文知によって医学を全面的に批判するという大雑把な批判性ではなある医療実践に対して別の医療実践を並置することによって批判するという、異なるタイプの批判性が備わっている。私たちが生物医療を完全に排除することに同意しないのであれば、この種の代替的な批判性は、いかに迎合的に見えようとも、より誠実なものであることは否定し難い」の一文を読んで、そういう読み方があるのかと納得した。

 あとは単純に面白かった記述のメモ。

 私はかねてより、授業のなかで、患者に責任を帰しうる病気とそうでない病気についてのアンケートを様々な大学で実施してきた。従来は、遺伝病については患者の過失が問われない傾向が強いのに対し、生活習慣病については患者の過失が強く問われるという回答が多くあった。しかし、二〇二〇年以降、それまでほとんど見ることのなかった呼吸器感染症を、患者に責任を帰しうる病気として挙げる回答が、明らかに目立つようになっている。

2431 日本呼吸器学会 編『難治性びまん性肺疾患治診療の手引き』(南江堂、2017)

 Hermansky-Pudlak 症候群合併間質性肺炎を疑う患者がいたため、ついでに肺胞微石症、閉塞性細気管支炎も併せて勉強。

2432 日本結核・非抗酸菌症結核菌症学会 編『結核診療ガイドライン2024』

 普段結核の診療をする機会がないので、ガイドラインくらいは読んでおこうと思い勉強。

2433 荻野昇『ロジックで進める リウマチ・膠原病診療』(医学書院、2018)

 免疫膠原病疾患に伴う間質性肺疾患の勉強をする機会は多いが、免疫膠原病内科からの視点をわかっとかないと困るよな〜と思って手に取った本。自分の知識量的には、ちょうど読むのが難しくてしんどい部分が随所にある感じがとてもちょうどよく、こういう雰囲気なのか〜と把握するのによかった。総合内科外来にも活かせそう。

2434 東浩紀『観光客の哲学 増補版』(ゲンロン、2023)

 本書の一文「だから、ぼくは、もういちど基礎の基礎に戻り、近代思想の人間観と政治観を、過去のテクストの小手先の解釈変更などに頼るのではなく、根本から問いなおすべきだと考えるのだ」とあるのは、アカデミアから敢えて離れることを選択した彼のこれまで、現状を思うと味わい深い一文である。しかし読者にとってreadabiltyの高い文章を目指された本書は流石にわかりやすく、カントの第三確定条項、シュミットの友敵理論、ヘーゲルの国家意志、ネグリらのマルチチュード、自身の「郵便」論、ネットワーク理論、それらの帰結として描き出される「観光客の哲学」の全体像はクリアである。

 二一世紀の新たな抵抗は、帝国と国民国家の隙間から生まれる。それは、帝国を外部から批判するのでもなく、また内部から脱構築するのでもなく、いわば誤配を演じなおすことを企てる。出会うはずのないひとに出会い、行くはずのないところに行き、考えるはずのないことを考え、帝国の体制にふたたび偶然を導き入れ、集中した枝をもういちどつなぎかえ、優先的選択を誤配へと差し戻すことを企てる。そして、そのような実践の集積によって、特定の頂点への富と権力の集中にはいかなる数学的な根拠もなく、 それはいつでも解体し転覆し再起動可能なものであること、すなわちこの現実は最善の世界ではないことを人々につねに思い起こさせることを企てる。ぼくには、そのような再誤配の戦略こそが、この国民国家=帝国の二層化の時代において、現実的で持続可能なあらゆる抵抗の基礎に置かれるべき、必要不可欠な条件のように思われる。二一世紀の秩序においては、誤配なきリゾーム状の動員は、結局は帝国の生権力の似姿にしかならない。ぼくたちは、あらゆる抵抗を、誤配の再上演から始めなければならない。ぼくはここでそれを観光客の原理と名づけよう。二一世紀の新たな連帯はそこから始まる。

 ただ、そもそもの「観光客」の概念を持ち出してくる際の「フクシマ」についての議論は、彼の理屈はわかるが、いやわかるがゆえになおさら、同意しかねるもので、それがこの「観光客の原理」の受け入れ難さ、あるいは「実際にどうなるのか」のみえなさに寄与していると感じた。シンプルに、下記の文章を読んで「フクシマ」もとい福島の人々がどう思うか、という話で、それは仮に「理屈」が正しくとも、フィールドに分け入っていくうえでの真摯さを求められ、反省させられてきた人類学に関心を持つ身としては、受容できない。

 原作を大切にしてもらうためには、いちど二次創作を通らなければならない。これはいっけんわかりにくいかもしれない。論理だけ追えば、言葉遊びのようにも見えるだろう。けれども具体的にはとてもわかりやすい話である。たとえば、ぼくがいまチェルノブイリに人々を案内することができるのは、彼らが二次創作のチェルノブイリ(放射能汚染の不毛の土地)をいちど信じたからである。原発事故がなければ、そしてチェルノブイリが「ふつうではない」と思わなければ、だれがわざわざウクライナの辺境の田園地帯まで赴くだろうか。
 同じように開沼が「はじめての福島学」を出版することができたのも、そもそもあの事故があったからのはずである。原発事故がなければ、そしモンスター化したフクシマが流通しなければ、なぜわざわざ福島学など構想する必要があるだろ二次創作がなければ原作への回路もない、そういうことはありうるのだ。

 お前はフィールドの外から来た失礼な「観光客」だろう、という「現地の」人の怒りに、正面からこの理屈をぶつけられるだろうか。 

2435 つやちゃん『スピード・バイブス・パンチライン: ラップと漫才、勝つためのしゃべり論』(アルテスパブリッシング、2024)

 2017年12月3日、私はM-1グランプリ決勝で披露されたジャルジャルの漫才「ピンポンパンゲーム」を視聴しながら、価値観を激しく揺さぶられていた。それは、文字どおり衝撃的な出来事であった。漫才について「ボケとツッコミの二人がエピソードをしゃべるなかで、緊張と緩和によって笑いを生成し膨らませていくもの」といった程度のごくごく表層的な理解しかなかった自分にとって、 ジャルジャルの表現はその定義を根底から覆し書き換えてしまうものだったのだ。そこで披露されているのは「エピソード」ですらなく、表情や身振り手振りも加えながら、ほとんど「意味」の存在しない 「音」を発することによって、ぎりぎり漫才を成立させていた(16ページ)

 という冒頭は、同じくピンポンパンゲームに衝撃を受けた自分にとって、非常に期待させるものだったが、読み進めるうちに絶望に変わった。HIP HOPは有名どころを知っている程度の知識だが、お笑いはそれなりのディープなファンである自分にとって、その逆である著者の論考におけるお笑いの取り扱い方には不満が残るばかりだった。
 賞レース漫才を追う際に、時系列に歴史を追っていくというのはしばしば意味をなさない。どのコンビがどの年に優勝するというのは、経時的なお笑いのトレンドや進化を反映していることももちろんあるにはあるが、偶発的あるいは関係のない要素も多いためだ。著者がしばしばそのような書き方をしてしまうのは、ひとえに「お笑い」全体ではなく賞レース漫才くらいしか徹底してみていないからだと思う。
 その肝心の論考も、核心部に迫るといつも、情動を煽るような、レトリックの効いた表現で誤魔化すばかりで、ロジカルな積み立てが欠けていると感じる。手前味噌でも、「お笑い分析」するイタいファンでも何とでも思ってもらって構わないが、それならば自分のお笑いと構造に関する一連の論考のほうが優れていると思ってしまう。 

satzdachs.hatenablog.com

 この本の最も大きな問題点は、漫才とラップに「スピード・バイブス・パンチライン」の重要性を見出しているが、それらを語るにおいてこのふたつを並置することが必ずしもベストではなくて、より広い(漫才とラップに特異的でない)表現一般に重要なこととしてのそれらがある、ということだと思う。たしかにそれらを並べて論じることは楽しいが、必ずしもその必然性がないことがあり、漫才のこの部分とラップのこの部分が通じるところがあっておもしろいねという域の話をついぞ出ないまま終わっている。

2436 総合診療・家庭医療のエッセンス 第2版

 編者も書いているが、第1版とはまったく違う本である。読者の対象が明確となり、よくある導入から始めて、最終的には「深み」まで連れて行けるような素晴らしい内容・構成になっている。入門書であり概説書であるが、こんなにも読んでいておもしろいそれは他にないのではないだろうか。大胆にも「プライマリケアの5つのA」からの導入という定番から離れ、第一章でクラインマンに触れたあと、第二章で「コンテクスト」が登場し、その種明かし的に患者中心の医療の3つのコンポーネントが紹介される。この順番で「概念」を扱うというのが、本書の末尾に書いてあるスタンスの表れなのだと思う。

 総合診療・家庭医療研修中の専攻医の方は、家庭医療にまつわる概念を書籍で学んでも、当たり前すぎて当然のように、あるいは抽象的すぎてピンとこないと感じているかもしれない。その理由の1つは、そうした概念は、事実として暗記する意味が薄く、それを用いて具体的な個別の患者・家族・チームの事例について考えてはじめて意味をなすものが多いからである.この後の加藤医師が述べているように「いつ」知識を得ているかが、異なるのである。

 対話篇という形式も効果的である。読書が自己投影しやすいのはもちろんだが、地の文章だとtoo assetiveだったりエビデンスに乏しかったりすることも、ぽろっと漏らすように書くことができる。
 話を各論に戻す。「コンテクスト」みたいなものが何か実在としてあってそれを聞き出すのではなくて、目の前に「何かよくわからないこと」が起こっていてそれを理解するために「意味付け/位置付け」としてのコンテクストを探る、という順番が、「臨床的」であり、また、「人類学的」と思い、素晴らしいと思う。
 これは私の学問的立場のせいかもしれないがコンテクスト、BPS、SDHなる概念がそれぞれあるとして、その重なり合っているのをどう体系だって理解したらいいのか、は教えてくれないと感じる。注意深く読めばそんなことはないのだが、「遠位コンテクスト」は「社会的なこと」で、それはSDHのあの表を埋めれば達成できる、と勘違いする読者はいると思う。それは、いろんな領域から雑食的にとりこんでできた学問分野としての家庭医療の特性で、ある程度仕方がないのだろうが。
 Cue to Context で列挙されている状況、医療者が「不可解さ」、ドナルド・ショーンにおける「違和感」は、自分がフィールドノートに何を書いているのか、という議論に使えそうなので覚えておこうと思った。

 今回佐藤医師が平山さんを介して出会ったような、個別の臨床経験から生じる違和感は,その契機の1つとなりうる.そこから遡行するようにして,自分の個人的背景に立ち返り、自分が形作ってきた 「当たり前」 はもしかしたらこうなっているのかもしれない,と仮説を持ち, それをいったん保留して違和感を持った経験を見直すことは、自分の「基準」に気がつき, 患者の多様な社会的背景を捉え直すうえで重要なステップになる。このような流れは、身体診察で正常をまずは覚え込み、そこからずれるものを異常として認識できるように訓練するのとは対照的である。

 oodやMattinglyにも言及してナラティヴを論じているのは、踏まえるべき文献を踏まえている感じがしてよかった。また、表象の危機を踏まえた、「そういった医師と患者の相互影響に目を伏せたまま、あたかも影響を与えていないふりをして、客観的な第三者として関わりをするべきだという机上の空論を述べるのではなく,どんなに客観的になろうと尽くしたとしても、自らが相手に影響を与え,相手から影響を受け続ける存在であることを引き受けることが現実に即した医師の立ち位置だと言える」という接続もよかった。

2437 高橋佑磨・片山なつ『伝わるデザインの基本』(技術評論社、2021)

 スライドをつくった経験はそれなりにあるつもりだったので舐めていたが、目から鱗、あるいは痒いところに手が届く部分が多くて読んでよかった。

2438 橋爪大作『大地と星々のあいだで』(イースト・プレス、2024)

 読書会で読んでいて、結局、「人間」と「自然」という構図で書いている部分が多いのではないか、という指摘に納得してしまった。

2439 桑平一郎/小林弘祐ほか編『呼吸のトリビア - レスピ・サピエンス』(中外医学社、2009)

 タイトル通り,トリビア的な面白さもありつつ,呼吸機能検査の勉強にもなる.おすすめ.

2440 千原幸司ほか編『呼吸のトリビア (2)- レスピ・サピエンス』(中外医学社、2013)

 1に引き続きざーっと読んだ。

2441 大田ステファニー歓人『みどりいせき』(集英社、2024)

 素晴らしかった。百瀬は孤独で、どこまでも甘えた人間で勝手だが、それゆえに一度暴力を振るわれて売人から手を引こうとするところとかの人間臭さ、リアリティがある。そこに春の成熟していて、淡白で、斜に構えたところが対照的なのだが、その春が愛について語るシーンは、デタッチメントに転化したあとの村上春樹作品において、『ねじまき鳥クロニクル』のラストで失踪した妻をみつけた主人公がかける言葉のような、一周まわったうえでの率直さで胸を打つものがあった。愛である。結局。

2442 舞城 王太郎『短篇七芒星』(講談社文庫、2024)

 出だしが話題になっていた『代替』は、あそこから単に自意識過剰ネガティヴ系の主人公の私小説を想像した人が多い(だからこそバズった)だろうが、まったくそんなものではないのが舞城らしくて笑った。不合理な暴力性にどう対峙するか。『狙撃』の、善とか悪とかではなくて狙撃という仕事がただある、という倫理観は彼の作品に通底している。『縁起』はおそらくいちばん一般ウケしそうだし、実際いい。引用されるモチーフは毎度のことながらどこから思いついたんだというくらい妙ちくりんだが、メッセージは明確だしラストのカタルシスもある。

2443 『肺炎マイコプラズマ肺炎に対する治療指針』(2016)

 最近流行しているので勉強。

2444 キム・テウ『複数の世界を生きる身体』(柏書房、2024)

 あくまでノンフィクション作品であって学術書ではなく、韓医学的な意味での病気は、西洋医学的な実体なのではなく、患者と医師の「あいだ」にある、ということ以上に議論が進んでいない印象だった。

2445 則末泰博 編『人工呼吸管理レジェンドマニュアル』(医学書院、2021)

 田中竜馬の人工呼吸器本に加えると病態の説明は必要十分なだけであるが、その分ぎゅっと凝縮されていて読みやすい。モニターの例とその対処も具体的で実用的。買ってよかった。

2446 千原幸司ほか編『呼吸のトリビア (3)- レスピ・サピエンス』(中外医学社、2013)

 ざっと目を通した。

2447 倉田宝保ほか編『一筋縄ではいかない症例の肺がん治療』(メジカルビュー社、2023)

 痒いところに手が届く、というほどではないが、専攻医2年目にしてたしかにこれまで出会って悩んできたケースが並んでいる印象。もう少し早い段階で読んでもよいかもと思った。

2448 沼崎一郎 監修『多軸的な自己を生きる』(東北大学出版会、2024)

 複数のポジショナリティを抱えて人類学するというのは私にとって関心事であったため読んだ。ただあまり自分の研究に資するところがあったかというとそうではなかった。複数のポジショナリティがあり、人類学的な自己がreflectitionにつながること、そのほかの自己と衝突することによる葛藤があること、は描けているが、だから何なのかとか、どうしたらいいとか、実践はどのようなものになるのかとか、もう一歩先の話がなかったように思う。ナイーヴな自分語りの域をどこまで脱していられたかどうか。
 そもそも、(これは監修の沼崎の意見で本書の著者たちの総意ではないかもしれないが)人類学的な自己に特権的な位置を与えているがそれはほんとうにそうか、という疑問も浮かぶ。人類学をすることと医師をすることがはじめから一体であった私としては特に。そういう特権性の与え方は、生き方としての人類学ではなくて、インスタントな研究手段としてのそれ(複数のポジショナリティが衝突する内的葛藤を研究に落とし込む便利なツール)に成り下げているのではないか。

2449 藤田次郎ほか編『臨床・画像・病理を通して理解できる!~呼吸器疾患:Clinical-Radiological-Pathologicalアプローチ』(南江堂、2017)

 臨床・画像・病理の三者の関係から呼吸器疾患を理解する本で、びまん性肺疾患の理解を深めたく購入したが、むしろ感染症やアレルギー疾患などでこれまで所与のものとして覚えているだけだった臨床的・画像的特徴が、病理からより深い次元での理解をすることができ、良書であった。IPの記述は物足りなく、むしろほかの専門書に譲ったほうがよい。レジデントの最初に持っておいて、知らない疾患に出会うたびにこれを引いて病理まで理解する、というやり方もよいかもしれない。

2450 川村孝『臨床研究の教科書』(医学書院、2016)

 今の職場で臨床研究をする必要性が生じ、読んだ。概要を掴むにはよかったが、個々の解析方法の説明は簡素過ぎてついていけなかった。また別の本で勉強しなければならない。

2451『臨床画像 2023年vol39 no5 絶対苦手分野にしない間質性肺炎・びまん性肺炎の画像診断』

 久保先生が編集してる『臨床画像』の特集。びまん性肺疾患の画像がぎゅっと豊富にまとまっていて、深掘りには向かないが、ざっと眺めるにはよいと思う。ローテしてる研修医に渡すとか。

2452 酒井文和 編『画像から学ぶびまん性肺疾患』(克誠堂出版、2018)

 これは良書。びまん性肺疾患の画像について、端的に、詳しく、病理と関連づけられて説明されている。新たに知ったことも多かった。通読したが、辞書的にも使える。

2453 姫路大輔 編『気管支鏡ベストテクニック 改訂3版』(中外医学社、2024)

 気管支鏡検査の手技はその施設のローカルなものになりがちなので、標準的なそれを学べてよかった。充実していてこれ一冊で十分。

2454 酒井 隆史 編『グレーバー+ウェングロウ「万物の黎明」を読む―人類史と文明の新たなヴィジョン』(河出書房、2024)

 これを読んで、原著も読むと、おもしろすぎたので、こんな記事を書いた。残りも読み進めていきたい。 

satzdachs.hatenablog.com

2455 多和田葉子『雪の練習生』(新潮文庫、2013)

 まず文章が非常に高級で、惚れ惚れするようである。動物視点での物語という、一歩間違えれば陳腐になりかねない形式を、リアリティとファンタジーにあふれた世界をつくりあげることに成功している。さらにふりかけるだけではない、通底し、織り込まれている社会批判のエッセンスが鋭く光る。 視点が入れ替わったり、あるいは種が明かされたりするのも、単に物語上で読者を驚かすレトリックなのではなくて、リクール的な意味での「物語る」という想像的なプロセスの力を証明するためだと思う。

2456 シャンタル・ムフ『左派ポピュリズムのために』(明石書店、2018)

 これを読んで下記の記事を書いた。

satzdachs.hatenablog.com

高齢者に使う幼児言葉——Elderspeakについて

2020年x月x日 とある診療所にて
 17時頃、目が赤くなったということを主訴にやってきたおばあちゃんがいた。診療室が空いておらず、処置室の広いペースにおばあちゃんが通されて、診察が始まった。
 最初xx先生が通常の声量で話しかけても、おばあちゃんは「え?」と言って聞き取ることができなかった。なので彼はかがみこんでおばあちゃんの元へ寄り、耳元で大きな声で会話をした。(略)
「ちょっと見せてもらうで」
  目の下を引っ張りながら診察したあと、xx先生は私を見た。私も診察をしろという事だと思ったので、近寄ると、確かに目が真っ赤になっていて、これはびっくりするだろうと思った。
 「これは悪いもんではないではないから、大丈夫や」
「すんません」
 おばあちゃんは申し訳なさそうにしていた。  
「表面に血が出てるだけで、よくある。大丈夫なやつだで」
「ありがとうございます」
  xx先生の口調は、例えば私に対するそれとは違っていて、小さい子に話しかけるような印象に近かった。耳が遠いゆえ、なるべく短い単語で切って話したほうが伝わりやすい、という理由でそうなってしまっているのかもしれないと私は思ったが、それでも違和感はあった。

2020年x月x日 とある特別擁護老人ホームにて
 次はまた、4人部屋の回診が始まった。印象に残っているのはxxさんだった。xxさんは、目、口が大きく、黒々とした髪を左右に分けた女性で、紫のタートルネックを着て横になっていた。弱々しい応答ではあるが、xx先生の質問にひとつひとつ答えられてはいた。
 なぜ彼女が印象に残っているかというと、その理由は彼女のベッドの上に張られた一枚の絵だった。それは大きなネズミの塗り絵で、茶色の色鉛筆で雑に塗っただけのものに、スタッフによると思われるサインペンのコメントで「上手に塗れました!」と書いていた。それは、xxさんのできることを褒めよう、暖かく見守ろうという、スタッフの思いやりなのは十分に伝わってきた。しかしながら、塗り絵に茶色一食で塗っただけで「上手に塗りました!」というのは、相手を馬鹿にしている、子ども扱いしているともとれかねないような際どい表現だと思った。もちろん、外からぱっと来ただけの人間が、そのように評価するというのは大変おこがましい行為であることは承知しているのだが。「上手に塗れました!」の文字と、茶色いネズミの絵がどうしても頭に残ってしまった。  

 医療現場に働く人々にとっては、高齢者に対してそれより若い医療者がタメ口、場合によっては幼児をあやすような口調で話しかける、という光景は日常的なものだろう。私はずっとそれに違和感を覚えていて、医療者になった今も頑なに敬語で、他の目上の人に話しかけるのと同じ丁寧な語り口で話すように心がけている。

 医学生から医師4年目の今になるまでずっと頭にあったこの問題について、最近、"Elderspeak"という名前がついていたことを知った。Elderspeakとは、高齢者に対して乳幼児に話しかけるような大げさな抑揚や高い音程,過剰な復唱,ゆっくりとした口調や極めて短い文法などが用いられるコミュニケーションのことである*1。その背景には高齢者に対する偏見や差別であるエイジズム(ageism)があるとされているが、用いている当の本人はそのことに気づかず良かれと思って行っている場合もあり、「善意あるエイジズム」と呼ばれることもあるという(Williams, et al.  J Gerontol Nurs. 2004;30:17-25.)。

 Elderspeak は認知症の人が攻撃的な時など BPSD を呈しているよりも普段の自然な状態の時に現れやすく、また、Elderspeak の使用は介護に対する抵抗を起こしやすくする*2。これらの結果は、Elderspeak の使用は本来であれば避けるべきであるにもかかわらず,認知症の人との関係性を構築するためには Elderspeak の使用が有用であるという、誤った認識があることを示唆している*3。

 もう少し自分で考えてみると、Elderspeakが生まれる背景には、私が上記のフィールドノートでも推測しているように、耳の聞こえにくい、あるいは認知症のため理解の乏しい高齢患者に対しては、文章を短く切って、単語ひとつひとつを強調しなければならないという要請があるとは思う。
 しかしそれ以上に、認知機能が低下した高齢者についてその人格を「敬語を使うに値しない」「不適格な」ものとしているのではないか、という疑念がやはりある。あるいは本人が好意的な感情のもとにやっていたとしても、そこで表象される「かわいい」高齢者は、医療者-患者の権力勾配のなかで、自分の「理想の医療」から逸脱しない、医療者にとって従順な人というだけなのではないか、とも感じる。私のとある先輩が、高齢者にそのような接し方をすることについて言った一言がずっと印象に残っている。いわく、「高齢者に残った尊厳を奪う残酷な行為だ」。

*1:Kemper, S. Aging and Cognition. 1994;1:17-28.

*2:Herman, R. E., et al. Am J Alzheimers Dis. 2009;24:417-423.

*3:以上は大庭. 高齢者のケアと行動科学. 2018;23:2-10.からの抜粋

民主主義における「熟議」と「闘技」、そして左派ポピュリズム

0. はじめに

 ILDにおけるMDDへの関心*1から、「話し合って何かが決まること」について考えている。その何かのヒントになるかもしれないと思い、民主主義における「熟議」と「闘技」について勉強したので、それをまとめる。 本記事の下敷きになっているのは、山本圭『現代民主主義』(中公新書、2021)と、シャンタル・ムフ『左派ポピュリズムのために』(明石書店、2019)である。

1. 熟議民主主義(deliberative democracy)

 ハーバーマスは『コミュニケーション的行為の理論』において、「生活世界の植民地化」 というテーゼを提唱する。このテーゼは、伝統的な規範や活動によって営まれていた人々の暮らしにかかわる領域が、国家による統制のもとで標準化、 規格化される事態を表現したものである。政治システムによって引き起こされた正統化の危機は、市民による抵抗や異議申し立てを招くことが予想され、ここにおいて、市民社会からのインプットと政治からのアウトプットをつなぐ回路を準備することで政治の正統性を回復するのが、ハーバマスにとっての課題だった。その関心が「熟議民主主義」への結実へと向かう。

 熟議民主主義の特徴の一つは、それが民主主義の手続き主義的な理解にもとづいている点である。確かにいくら話し合いを尽くしても、多様な利害や価値観があるなかで、全員が満足する正解を見つけるのは難しい。そこで熟議民主主義は、公開の討議のなかで、多様な意見から公正な意思決定を行うための手続きを重視し、そうした手続きを経て得られた結論には正統性があると考える。これを手続き的正統性と言う。それでは、これはどのような手続きだろうか。これが中心的論点になる。
 重要なのは、話し合いが、合理性や不偏不党性などの諸価値に則って行われることである。つまり、相手を否定する攻撃的な態度や、「絶対に説得されないぞ」といった姿勢では、望ましい話し合いはとうてい不可能である。熟議とは、理性的な討論を通じて決定を行うことを目指しており、そのため、概して思い込みや強い党派性、さらには感情的な高まりは抑制すべきものとして位置づけられている(むろんこの点については論者によって温度差がある)。

 第一に、熟議の参加者は平等であり、誰もが意見を述べ、議論を開始し、疑問を呈する機会を等しくもつことが必要である。社会的な立場や権力関係を熟議に持ち込むことは、望ましい熟議の条件を破壊するだろう。したがって、熟議は対等者のあいだで行われなければならない。ここには忖度やへつらいに居場所は与えられていないのだ。
 第二の特徴は、参加者の誰もが、提案されている議題にかんして異議申し立てができなければならない、というものだ。もちろん何をテーマに熟議するかはそれ自体きわめて政治的であり、 問い直しの機会は全員に開かれていなければならない。もし熟議のアジェンダが、特定のマイノリティに対して配慮を欠いたものであったり、抑圧を追認するようなものであれば、それを見直すことも必要だろう。
 そして最後に挙げられるのは、熟議の形式にかんする特徴である。 熟議が行われるための手続きやルールを再検討する権利が、誰しもに認められていなければならない。たとえば、参加者が長広舌をふるう男性ばかりの場合、女性が萎縮して発言を遠慮してしまうことが知られている。あるいは、熟議がマジョリティの言語(たとえば英語や日本語のように)で行われた場合、その言語を母語にしない参加者にとっては発言のハードルが上がることになるだろう。そのようなとき、参加者のジェンダーバランスに配慮したり、他言語での通訳や持ち時間を調整するなど、運用ルールを見直す機会があることがますます重要になる。

 以上が、熟議民主主義の基本的な特徴である。こうしたモデルは、私たちのふだんの何気ない話し合いとは根本的に異質である。そのため、熟議が意思決定の正統性を保障するものとして機能するためには、単に人々が集まって話し合うだけではうまくいかない。これらの厳しい基準をクリアするための仕組みや工夫、あるいは制度化がどうしても必要になる。

2. 闘技民主主義(agonistic democracy)

 シャンタル・ムフは、この熟議民主主義に対抗して、闘技民主主義というアイデアを打ち出した。

 ムフによると、熟議民主主義に代表される合理主義的な民主主義論は、コンセンサス形成の可能性を前提としているかぎりで、異議申し立ての声をあらかじめ排除してしまっている。つまり彼女は、参加者の合意を目指して行われる熟議のうちに、不合意の声を退ける暗黙の強制力が働いていると考えた。
 また、熟議民主主義ではハーバーマスの影響から「理性」や「合理性」の役割を強調する傾向が強いが、それでは政治における感情や情念の役割を適切に評価できていないのではないか、と疑念を呈している。たとえばムフは、欧州における排外主義の台頭を引き合いに出して説明している。それによると、合理主義的な民主主義論では、こうした動向に十分な対抗策を提示できていない。 噴出する人々の怒りや義憤、あるいは嫉妬やルサンチマンを前にして、政治理論は感情や情念を排除するのではなく、むしろそれらを政治に不可避の次元として認識する必要がある。ムフは次のように述べている。

 ムフの闘技モデルの理解にあたって重要なのは、それが「政治(politics)」とは区別された「政治的なもの(the political)」の次元を強調していることである。まず、ムフにとって「政治」とは「実践と制度の集合」であり、通常私たちが政治という語でイメージするもの、たとえば議会や選挙制度などを考えればよいだろう。

 ここでムフは、カール・シュミットを参照している。よく知られているように、『政治的なものの概念』のなかで、シュミットは政治的なものの特徴を友と敵という区別に求めた。ムフはこの友敵理論をある程度評価し、民主社会でも、こうした友と敵との対立が不可避かつ重要と考えたのである。つまり民主主義の本性は、熟議を通じて対立を克服することではない。むしろ、私たちと彼らの境界線をどこに、そしてどのように引くかをめぐる終わりなき抗争のうちに、彼女は民主主義の意義を見出すのである。
 ムフによれば、こんにち危機にあるのは、この「政治的なもの」であるという。民主主義における対立は、様々な立場を認めることになり、意見やアイデンティティの多様性を承認する。逆に言えば、社会の多元性の保障対立の解消は、多元性の事実を見えにくくする。かくしてムフは、合意形成ではなく差異の承認に民主主義の本性をおいていた。

 しかし、対立や敵対関係を強調し過ぎることで、相手を文字通り破壊の対象と捉えてしまうならば、民主政治どころの話ではない。シュミットの友/敵の理論にはそうした危うさがあった。そこでムフは、対立を民主政治内部に位置づけるために、敵対性を「闘技」に、敵を「対抗者」に転換することを提案した。
 対抗者は確かに一種の敵対者には違いないのだが、自由民主主義の基本的理念(たとえば言論の自由や寛容の精神といった価値観)を共有する正統なライバルのことである。それは、破壊の対象としての「敵」でも、あるいは「競争者」という自由主義的観念とも区別される。 
 そして重要なことは、敵対性なき社会というユートピアを放棄し、対立と権力関係の抹消が不可能であると認識すること、そのうえで民主主義をコンセンサス形成としてではなく、共通のルールを遵守する対等な対抗者同士での闘技として捉えることである。そこでは、闘技のすえに一定のコンセンサスが形成されるとしても、それは「ある暫定的なヘゲモニーの一時的な帰結」、いわば「抗争を含んだ合意」であり、たえず新しい抗争にひらかれた不安定なコンセンサスに過ぎない。

3. ポスト・デモクラシー

 しかしムフはその後の欧州の政治状況——すなわち、新自由主義の台頭、そしてその帰結としての「ポスト・デモクラシー」から、闘技民主主義が喪失され、その闘技空間の回復こそがさしあたっての命題であると考えるようになる。まずは「ポスト・デモクラシー」と呼ばれる状況について、順を追って確認していく。

 ムフの「政治的なものについて(On the Political)」(2005年)では、英国のアンソニー・ギデンズが理論化し、トニー・ブレアと彼が率いるニューレイバーによって導入された「第三の道」の影響力について考察している。かつてマーガレット・サッチャーは、新自由主義によるグローバル化以外の選択肢などない―有名な「TINA(There Is No Alternative)」 だという独断的な教義を打ち立てた。この教義を受け入れたことで、政治の対抗モデル左右の対立を時代遅れであると主張し、中道右派と中道左派の「中道での合意」を歓迎することで、いわゆる「ラディカルな中道」は専門家支配による政治形態を進めることになった。この考え方によれば、政治とは党派的対立ではなく、公共の事柄を中立的にマネジメントすることである(かつてトニー・ブレアは、「左派的な経済政策か右派的な経済政策かではなく、よい経済政策か悪い経済政策かという選択である」と口にした)。
 新自由主義的ヘゲモニーの帰結として、「ポスト・デモクラシー」に陥っているとムフは指摘する。すなわち、自由民主主義の構成要素である自由主義原理と、民主主義原理の闘技的な緊張関係が消し去られたと。どういうことか。
 一方には政治的リベラリズムの伝統があり、これは法の支配、権力分立、個人の自由の擁護を含んでいる。他方では民主主義の伝統があり、これは平等と人民主権を中心に据えている。これら二つの伝統のあいだに必然的な関係はなく、偶発的な歴史的節合があるのみである。
 翻って現在の欧州の政治状況は、平等と人民主権という民主的価値が死滅したことで、様々な社会的プロジェクトが対抗するための闘技的空間が消滅し、市民から民主的権利を行使する可能性が奪われてしまった。「デモクラシー」はそのなかの自由主義原理へと縮減され、自由選挙と人権の保護を表しているに過ぎない。自由市場の保護を唱える経済的リベラリズムがますます中心的な地位を占め、政治的リベラリズムの多くの側面が二の次となってしまった。これが、ムフが「ポスト・デモクラシー」と呼ぶものである。

 結果として、市民がそれを通じて政治決定に影響を与える議会や諸機関の役割は劇的に後退してしまった。選挙はもはや、伝統的な「統治を担う諸政党」を通して、真の代替案を選択する機会にはなりえない。ポスト・デモクラシー的な状況においては、中道右派政党と中道左派政党の二大政党的な政権交代しか起こらない。「中道での合意」や新自由主義的なグローバル化以外に選択肢はないという教義に反対する者はすべて、「過激主義者」と表現されるか「ポピュリスト」であるとして、政治にかかわるべきではないとされたのだ。

4. 左派ポピュリズム

 この「ポスト・デモクラシー」な状況では、右派と左派による「闘技的」な交渉の可能性はもはや失われている。そこで提唱されるのが「左派ポピュリズム」である。

 著書『ポピュリズムの理性(On Populist Reason)』においてエルネスト・ラクラウは、ポピュリズムを、社会を二つの陣営に分断する政治的フロンティアを構築するとともに、「権力者」に対抗する「敗者」を動員する言説戦略であると定義している。ポピュリズムはイデオロギーではないし、特定の内容をもつ〔政治的〕プログラムから生まれるものでも、一箇の政治体制でもない。それは時と場所に応じて、多様なイデオロギー形態をとることがあるし、様々な制度的枠組みとも両立する政治技法(way of doing politics)である。
 たとえばサッチャーは、善良で責任感のある「納税者」と、国家権力を濫用し彼らの自由を奪う官僚主義的エリートを対立させる言説によって、新自由主義的ヴィジョンを中心に、ポピュリズム戦略によって社会的かつ経済的な勢力図を大きく塗り替えた。
 あるいはポスト・デモクラシー的なコンセンサスに対する政治的抵抗として、オーストリア自由党(Freiheitliche Partei Österreichs; FPO)やフランスの国民戦線 (Front National) のような右派ポピュリスト政党が現れたことにも注目すべきである。一方に抑圧的な国家官僚、労働組合、そして国庫の恩恵を受ける人々といった「既得権益をもつ勢力」を置き、もう一方に官僚的勢力とその同盟者によって犠牲を強いられる勤勉な「人民」を対置することで、両者のあいだに政治的フロンティアを引いた。それにより、彼らは支配的なコンセンサスから排除されたと感じている人民セクターの諸要求を、国家主義的な語彙によって表現することに成功した。

 左派は、これらのポピュリスト政党に対して、唾棄すべき信じがたい考えを持つ人々と一蹴するのではなく、自分たちの問題を真剣に気にかけてくれていると思うことで魅力を感じる人々がいることを理解しなければならない。左派の基本的な過ちは、現実において人々がどのように存在しているかではなく、彼らの理論にしたがい人々がどのように存在すべきか、ということにだけ注目してきたことである。
 左派も、これらポピュリストから教訓を得て、民主主義の深化と拡張のためにその回復に努めなければならない、とムフは主張する。 左派ポピュリスト戦略は、民主的な諸要求を、少数者支配という共通の敵に立ちむかう「私たち」、すなわち「人民」を構築するための集合的意志にまとめあげることが求められる。このためには、労働者や移民、不安定化した中間層、さらにLGBTコミュニティのような、その他の民主的諸要求をもつ人々のあいだに、等価性の連鎖を確立する必要がある。
 ここで注意すべきは、ムフは、ギュスターヴ・ル・ボンが理解したような「群衆」を扱っているのではない。「群衆」においては、あらゆる差異は消え去ってしまい、完全に同質的な集団を生み出す。一方でムフの言うポピュリズムにおける「等価性の連鎖」は、互いに異質な民主的な諸要求を、異質なままに節合されたものである。ゆえに等価性の連鎖を通じた集合的意志の創出には、対抗者を明示する必要があり、環境保護、性差別やレイシズム、その他の支配形態に対する闘争こそが重要である。
 左派ポピュリズム戦略は、「常識」にもとづく様々な考え方に働きかけ、人々の感情に届く方法で訴えかけなければならない。この戦略は、呼びかける人々の価値観とアイデンティティとも調和し、人々の経験の様々な側面と結びつかなければならないだろう。人々が日常生活のなかで直面している問題と共鳴するような呼びかけを行うためには、彼らがどこに暮らし、何を感じているのかということから出発する必要がある。彼らを非難する立場から抜け出て、未来の展望と希望を示さなければならないのだ。

間質性肺疾患の存在論③——診断するという営為について

0. はじめに

 本章では、2023年に出版されたMDDに関するレビュー論文*1をもとに、MDDの歴史をさらいつつ、現状抱えている問題点を論じ、さらに医学的な主座と、人文社会科学的な主座の双方からどのような議論が展開できるのか、その可能性を考えたい。

satzdachs.hatenablog.com

1. MDDの歴史

 そもそもは悪性腫瘍など他領域と同様に、ILD診断のゴールデンスタンダードは考えられていた病理組織学的評価だと考えられていた*2。しかし後述するように観察者間の一致率の低さが言われるにつれ、ILD診療において呼吸器内科医・放射線診断医・病理診断医のface-to-faceのコミュニケーションが重要視されるようになった。そして2001年の欧州呼吸器学会(European Respiratory Society; ERS)のガイドライン以降、臨床・画像・病理のデータをもとにしたMDDという概念が言われるようになった*3。
 その後、
2013年のアメリカ胸部学会(American Thoracic Society; ATS)/ERSアップデート*4によってMDDが初めて強調され、2018年のFleischner statement*5によってさらに強化されることとなる。これらのガイドラインはIPF診断基準の更新を提案し、主に確定的な放射線学的所見や病理組織学的所見がない場合にIPFのMDDを策定することを支持した。
 さらにATS、ERS、日本呼吸器学会(Japan Respiratory Society; JRS)、ラテンアメリカ胸部学会の2021年ガイドラインでは、ILDの高精度評価としてMDDへの信頼が高まっていることが強調されている*6。すでに触れたように、当初はIPFの診断のために開発されたが、現在は特発性だけでなく、過敏性肺炎や膠原病関連のILD、さらには広くびまん性疾患の診断において使用されている。

 ただ、放射線診断医、病理医の協力が得られることはそう簡単ではないため、そもそもMDDを行っている施設が少ないことには留意すべきである。JRSびまん性肺疾患学術部会がJRS呼吸器専門研修プログラム基幹施設を対象に行ったアンケート調査によると、MDDを定期的に行っている施設は9.6%であった*7。
 さて、以下ではMDDが抱える問題を大きく2つにわけてみていくこととする。

2. MDDの問題(1) 観察者間のコンセンサスの低さ

 現在MDDが抱える問題のまずひとつめは、異なる観察者間での組織標本に関するコンセンサスの低さ(exceedingly low inter-observer agreement between expert thoracic pathologists)である。先述した蜂巣肺も、基本的な基準はあるにしても最終的な評価は胸部専門放射線科診断医による定性的なものが中心となっており、その所見の解釈は専門家間でさえ、必ずしも一致しないことが知られている*8。例えば私が今働いている施設では、前施設と比べて「蜂巣肺」と言い切るためのハードルが高く、「世間で言うところの蜂巣肺」というような言われ方を頻回に耳にする。

2023年x月x日14:00 A先生の外来診察室にて

 A先生にせっかくなのでいろいろ質問しようと思い、「これって蜂巣肺っぽいですけどやっぱりちょっと違う感じですよね」と恐る恐る尋ねると、「まあ世間ではUIPって言われるかもしれんな」とバッサリと言われた。
「どのあたりがハニカムっぽくないんですか」

「まずこれ、一緒に出てきてるやろ。時相が一致してるやんか。それで、基本トラクション、気管支拡張の延長になってるねん。気管支とつながってるやろ。肺胞の構造破壊があまりなくて折りたたみになってるねん。だからこれを言うなら、『牽引性気管支拡張を主体とした嚢胞性変化』やな」

 この施設の例は極端かもしれないが、実際、「真の」UIPパターンと、牽引性気管支拡張の成れの果てとして蜂巣肺「様の」画像所見を示す非特異性間質性肺炎(Nonspecific Interstitial Pneumonia; NSIP)パターンの鑑別は常に問題になる。「真の蜂巣肺」であれば、前章で触れたように、肺胞虚脱を伴う線維化=構造改築を伴い、正常肺と隣り合った急峻な変化(abrupt change)がホールマークである。

蛇澤晶 編『非腫瘍性疾患病理アトラス 肺』(文光堂、2022)32ページ

 一方で、NSIPパターンにおいては気管支壁に破壊性病変を伴わず、気管支周辺の肺組織が容積が減少した結果として気管支が拡張しており、正常肺が周囲に存在しておらず一様に線維化している(時相が一致している)。

蛇澤晶 編『非腫瘍性疾患病理アトラス 肺』(文光堂、2022)33ページ

下記の図のように、病理組織像のほかの部分をみればリンパ濾胞があっていわゆるIPFとは鑑別が容易な場合もあるし、そうでなければ、病理や画像からは区別がつかず、身体所見や血清学的所見といった臨床症状が重要になり、MDDがより強力な意味を持つ症例となる。 ある報告*9では、83人のILD患者から採取された133の肺生検のうち、10人の胸部病理医による観察者間一致は0.38のカッパ係数(κ)と低く、100%の信頼性をもって診断できた症例は39%に過ぎず、観察者間で意見がわかれた症例の半分以上はUIPとNSIPの鑑別であった。

 では一致しない場合、どうやって決めるのか。話し合いである。そこでは、それぞれの専門家がそれぞれの矜持を持って信じていることのぶつかり合いとなる。「MDDはポリティクスだ」とは私の知っているILD専門家の言だが、まさしく、誰がどの疾患の権威だとか、その分野について強い拘りがあるのが誰だとか、そういった力学でその場の診断が大きく左右される。なお、関西で数十年の歴史のあるびまん性肺疾患研究会では、ポリティクスによってILDの診断が決まっていく過程を目の当たりにすることができる。

2. MDDの問題(2) 放射線的・組織病理学的パターンは重複する

 次は、HRCT像・組織病理像のオーバーラップ(the frequent overlap of radiologic and/or histopathologic patterns)である。たとえばこれまで蜂巣肺=UIPパターンとIPFが一対一対応であるかのように説明してきたが、実際には、リウマチ肺などIPF以外の二次性の間質性肺炎で組織学的/放射線学的UIPパターンが観察される。実は、「典型的なUIPパターンの画像」として前章で示した画像は、IPFではなく関節リウマチの患者である*10。

*11">

リウマチ肺は、IPFではない二次性の間質性肺炎でUIPパターンを示す代表的な例である*12

 紙幅の都合ですべてに触れることはできないが、UIP、NSIPのほかに名付けられた形態的パターンにはOP、DAD、HPなどがあり、特発性の場合は一対一対応で名付けられているが、原因のある二次性間質性肺炎であればどれでもあり得ることになってしまう(もちろん実際には、このようなパターンを呈しやすい傾向性はあるし、それぞれ病態と結びついている)。

私は研修医の頃、この図*13をみて、どこにでも線が繋がるならそもそも図を書く意味すらないのではないか、と苦笑したのを覚えている。

 病理組織像とHRCT像に矛盾がなければ診断にケチのつけようはないが、重複しているがゆえに選択肢が複数で消えないままになることもあるだろうし、あるいは、病理組織像とHRCT像で異なる疾患を指し示すかもしれない。そのような場合には、身体所見や血清学的所見といった臨床症状が重要になり、MDDがより強力な意味を持つ症例となる。このように臨床・画像・病理は時折不整合を起こし、それがどうやって最終的に決まるのかはMDDというブラックボックスのなかに隠されたままなのだ。

3. 今後の展開について——なぜ診断するか?

 前節において、いくつか今後に繋がるであろう問いを残してきた。最終節となる本節では、また別の角度から、今後考えていきたい展開について論じて締めくくることにする。
 私が改めて論じなければならないと思っているのは、「MDDという医療者にとっては骨の折れる、患者にとっては侵襲的な検査によるリスクを伴う過程を踏んでまで、なぜ診断をする必要があるのか?」ということである。以下に、今働いている施設での一場面を示す。

2023年x月x日10:00 医局での会話

 この病院生え抜きの専攻医ふたりが、外の病院事情について話している。
「××病院は謎に包まれてますよね、肺癌のことになるとエビデンスで責められるという噂ですけど。でも間質性肺炎は結局パルスするから同じやろみたいな空気らしいです」
「うちは診断にこだわるからなあ」
「まあでも診断にこだわるってびまんくらいですもんね」

 MDDを行なっている施設は少ないということを書いたと思うが、間質性肺炎の診断をどこまで突き詰めたいのか、という関心は本当に施設によって様々である。たしかに間質性肺炎の急性増悪(急激にぐんぐん悪くなること)に対してできることはただひとつ、ステロイドパルス(大量療法)である。慢性期であったとしても、診断をつけたところで呼吸器内科医の使える薬はステロイドか免疫抑制剤か抗線維化薬かくらいしか選択肢がないわけで、「診断にこだわる」ことにどこまで意味があるのかという視点を持つ人がいてもおかしくはないだろう。実際、肺癌診療に力を入れている施設で私が働いていたときは、間質性肺炎は「あるかないか」以上の関心が払われる対象ではなかった(間質性肺炎があれば使用可能な化学療法が変わるのだ)。
 しかしながら、すぐにできる反駁としては、前節で挙げたリウマチ肺とIPFが鑑別になるような例では、やはり診断をつけることは重要だろう。なぜなら診断がそのまま治療に直結するからである。「患者の呼吸状態を考えると治療介入すべきであるから、リウマチ肺と判断してステロイドを入れる」という結論に至る場合、それはまさに、そのあとに続く治療が遡行的に診断に影響する、という有様について端的に表している。本稿では、そういった事態について充分に説明し切れていない。

 また、なぜ診断するか、という観点では、第2節で挙げたような「真の」蜂巣肺と「それ以外」をわけることに、どれだけ意味があるのか、という問いも挙げられる。形態学的には厳密に異なる定義がなされるものも、同じ線維性の変化として予後に影響がないのであれば区別する必要があるのか、というのも、「臨床家」の問いとしてはスタンスの差こそあれ妥当であることは認めざるを得ないだろう。ここでも関係しているのは、「治療する」という営為である。診断と治療は一セットである、という一見当たり前の事実を改めて突きつけられる。

 今後の展開のために私がまず取り組むべきなのは、呼吸器内科医としての勉強を重ねていくことはもちろん、MDDの議論を詳細に記述することであると感じている。その資料の蓄積が充分なものになり、本稿の議論を発展することができればまた論じようと思う。

*1:Zamparelli, et al. Diagnostics. 2023

*2:American Thoracic Society/ European Respiratory Society. Am J Respir Crit Care Med. 2000;161:646–664.

*3:American Thoracic Society. Am J Respir Crit Care Med. 2002;165:277-304.

*4:Travis W.D., et al. Am J Respir Crit Care Med. 2013;188:733–748.

*5:Lynch D.A., et al. Lancet Respir Med. 2018;6:138–153.

*6:Raghu G, et al. 2022;205:E18–E47.

*7:富岡洋海. 日呼吸誌. 2021

*8:Walsh SLF, et al. Thorax. 2016.

*9:Nicholson A.G., et al. Thorax. 2004;59:500–505.

*10:敢えて混線させてみた。

*11:日本呼吸器学会・日本リウマチ学会合同 膠原病に伴う間質性肺疾患 診断・治療指針 2020 作成委員会 編『間質性肺疾患 診断・治療指針 2020』7ページ

*12:日本呼吸器学会・日本リウマチ学会合同 膠原病に伴う間質性肺疾患 診断・治療指針 2020 作成委員会 編『間質性肺疾患 診断・治療指針 2020』7ページ

*13:画像診断 Vol.41 No13. 特集『なぜによくわからない間質性肺炎―疑問と悩みにお答えします― 』(学研メディカル秀潤社、2021)1344ページ

間質性肺疾患の存在論②——フラクタル構造とスケールの問題

0. はじめに

 前章では、疾患を基礎付けるものとして「病理の神託」が肺癌では絶対であること、対するILD診療におけるMDDではそうならないということをガイドラインから読みとってきた。本章ではILDの何がそうさせるか、その実際をみていく。

satzdachs.hatenablog.com

1. 間質とは何か

 改めて、ILDとは、肺の間質と呼ばれる肺胞(隔)壁を炎症や線維化病変の基本的な場とする疾患群*1のことである。では間質とは何かというと、その解剖を理解することが必要である(むろん、この知識の蓄積においても、死体解剖の貢献は大きい!)。

 私たちの口や鼻から入った空気は、声門を通り抜け、気管へと入る。気管はまず左右の主気管支にわかれ、次に葉気管支に分岐する。右肺は3つ、左肺は2つの大葉にわかれており、それぞれに繋がるのを葉気管支と呼ぶわけである。さらに奥に進むにつれ気管支は内径が2mm以下になると細気管支、1mm以下になると終末細気管支と呼ばれるようになる。厳密的な意味での気道(壁を持つ管構造)はここまでである。さらに終末細気管支は、呼吸細気管支(第1次〜第3次)に分岐し、その壁には肺胞という内径0.2mm程度の小さな袋が多面体構造として付着している。ここがガス交換を行う場である*2。下図をみてわかるように、これらはある種のフラクタル構造(fractal structure)を呈している。

気管支の分岐と小葉、細葉、肺胞*3

 

 このフラクタル構造ゆえに、気管支鏡を初めて握る者は、ほとんどの場合気管支の中で迷子になる。気管支の中の景色は(一見)どこも同じで、モタモタしているうちに自分が今どの分岐にいるのかわからなくなってしまうのだ。そのため、「入るとき」と「出るとき」に必ず写真をとることを私たち呼吸器内科医は指導される。つまり、気管分岐部→右上中間幹分岐部→三分岐と奥へ進めていくごとに写真を撮るのはもちろんのこと、三分岐→右上中間幹分岐部→気管分岐部と戻ってくるときにも写真を撮ることによって、あとから見返してもその写真がどの場所なのか(どの位相のものなのか)を追体験することができる。

 2021年x月x日 14:00 気管支肺胞洗浄(Bronchoalveolar Lavage; BAL)
 自分が呼吸器ローテ中にやる、2回目のBALである。
 気管支鏡は、目隠しをした上にマスクをし、そのマスクに開けた小さな穴からチューブを入れていく。私は左手に気管支鏡の本体を持ち、右手の親指と人差し指でチューブをつまみながら口の中に入れていった。少しアップをかけながらチューブを進めていくと、すぐに声帯がみえた。教科書通り、三角の頂点に近づくようにアップをかけてからダウンをかけると、すんなり声帯を通ることができた。(…)それから気管支の中を進んでいく。何度も予習したつもりだったのだが、気管支鏡の操作で頭がいっぱいになると、すぐに自分の場所を見失ってしまった。(…)見下ろしの三分岐だと思ってみていた底幹枝が異様に細く思えて、こんなことあるのだろうかと焦っていたら、すでに底幹枝に入っていてB8、B9、B10を勘違いしていたのだった。

左から気管分岐部、右上中間幹分岐部、見下ろしの三分岐、中葉枝*4

 さて、肺の解剖学的な単位として重要なのは、ひとつの細気管支で支配される小葉(Millerの二次小葉)と呼ばれる領域である。この領域は、約1cm四方(小指頭大)くらいの線維性の小葉間隔壁(狭義の間質interstitium)に囲まれている。広義の間質(すなわち間質性肺炎という疾患の主座)にはこの小葉間隔壁と、肺胞毛細血管(ガス交換に寄与する狭義の間質)、肺静脈、リンパ管が分布している。
 本筋ではないが、間質に対となる概念である肺の「実質parenchyma」には、通常、ガス交換に必要なものとして、上皮細胞と、肺胞腔内の空気が含まれるということである。人間の「実質」であるのに空気という外部を内包しているのが興味深い*5。

 さらに小さな単位として、Millerの二次小葉には複数個の細葉(一次小葉)が含まれている*6。細葉は、大まかに一つの終末細気管支以下に支配される5mm四方くらいのひとまとまりの領域を指している概念であって、細葉と細葉の境界を具体的に指摘することはできない。非線維性過敏性肺炎の画像などにおいて小葉中心性粒状影などというときの「小葉」とはこの一次小葉のことを指し、従って、一つのMilerの二次小葉には複数の「小葉中心部」があることになる。

蛇澤晶 編『非腫瘍性疾患病理アトラス 肺』(文光堂、2022)11ページの図に外山加筆(黄色い線で囲まれたくらいの範囲が細葉に対応する)。

 ILDは、この間質において炎症や線維化が起こる疾患である。
 この小葉間隔壁(広義間質)というのは、現在日本のかなりの病院において普及している高分解能CT(high-resolution computed tomography; HRCT)であっても、空間分解能の問題から通常は画像的には確認できない。HRCTというのは、1mm以下のスライス厚で撮影されたCTから、空間分解能を重視したアルゴリズムで再構成を行なって作成した画像のことであ*7。従来のシングルスライスCT(single-detector row CT)よりも性能のよい多列検出器CT(multi-director row CT; MDCT)のおかげで、より薄く輪切りにして空間分解能が上がっている*8。ILDに関するガイドラインでも「推奨撮影条件」として、「0.5mmから1mm程度の連続スライスデータとして撮影し、そのデータを再構成することによって、5mm厚のCT(肺野条件、縦隔条件)および0.5-1.25mm厚程度のHRCTを作成して観察する」という記載がある*9。

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スライス厚が薄くなることで血管や気管支、小葉構造がくっきりみえるようになっている*11

 しかし、ILDにおいては、二次小葉、場合によっては一次小葉レベルに病変がみられることによって、CT上でもその構造が確認できることがあるのだ。

2. 病理組織学的蜂巣肺と放射線診断的蜂巣肺

 さて、ここではILDにおいて特に、IPFに注目してみよう。IPFは、通常型間質性肺炎(usual interstitial pneumonia:UIP)と呼ばれる病理組織像によって特徴づけられる。UIPは、下記の表のようにどこまでの確からしさがあるのかを評価されるのだが、なかでも重要なのは蜂巣肺(honeycomb lung)と呼ばれる概念である。

2018年ATS/ERS/JRS/ALATによるIPFガイドラインにおけるIPF/UIPの病理診断基準*12

 蜂巣肺は、病理組織学的には、小葉辺縁部の肺胞虚脱を伴う線維化と末梢気腔の嚢胞病変の集合からなる。その名の通り、蜂の巣のように小さな分厚い壁の袋が多数集まったようにみえることが特徴である。UIPの診断においては、蜂巣肺のような慢性に経過した線維化病変に正常肺が介在し急激に変化すること(abrupt change)が診断上重要であり、「1つの二次小葉内で正常の肺胞領域から、進行した線維化初見までの、新旧の病変が混在する空間的時間的多彩さ(temporal or spatial heterogeneity)」が病理学上のホールマークのひとつとされている。*13

UIPにみられる蜂巣肺*14

 この蜂巣肺という概念は、間質性肺炎の放射線画像診断においても、あるいはより一層重要である。IPFのHRCTに認められる所見は病理組織像にならってUIPパターンと呼ばれており、下記の表の通りに確からしさを評価されている。一読すればわかるように、UIPがdefiniteであるかprobableであるかをわけるのは、蜂巣肺があるかどうかが鍵となっている。画像所見における蜂巣肺の定義は、「1-3mmの壁の厚みを持つ3-10mm程度のサイズの嚢胞の集簇」である*15。

2018年改訂ATS/ERS/JRS/ALATによるIPF診断ガイドラインのCTパターン*16
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典型的なUIPパターンの画像。正常肺に隣接して、胸膜直下にのめり込むような不整な嚢胞性病変が連なっている*18。

 さて、病理組織像としてのUIPにおける蜂巣肺と、HRCT画像としてのUIPパターンにおける蜂巣肺が出てきたが、これらは常に一対一対応で理解してよいのだろうか。実はそうではない。もしそれならば、前章で説明したMDDのような、病理診断医と放射線診断医を含めた話し合いは必要ないはずである。そもそもUIPパターンという用語自体が、組織学的UIPに対応するだろうという含意がある。それでは、どのようなときに病理像と画像とで不整合な(imcompatible)状態が起こり得るのか。

 ここで、顕微鏡的蜂巣肺(microscopic honeycomb)という概念を考える*19。これは、病理組織像としては蜂巣肺があるが、HRCTとしては蜂巣肺がないという事態である。これはなぜこうなるのか。
 
それを理解するには病理と画像におけるスケール(scale)の問題を理解する必要がある。
 下に、前掲とは異なるUIPパターンの病理組織像を示す。この病理組織像は先ほどよりも弱拡大(=より大きなスケール)でみたものであり、みにくいが左下の黒い縮尺の棒*20には「2.5mm」と書かれてある。引用元の書籍には、病理組織像の注釈に「小葉や、より小さな細葉の辺縁部に沿って線維化病変が分布している」との記載がある*21。図中のISとは小葉間隔壁(interlobular septum:IS)のことだが、小葉のスケールでの「分厚い壁の袋の集まり」と、細葉のスケールでの「分厚い壁の袋の集まり」のどちらもを一望でき、そのフラクタルな構造を直感的に理解しやすい視野となっている。

より大きなスケールでみたUIPパターンの病理組織像と、そのシェーマ

 前掲の「小葉の構造」の図と下の図を総合的に考えると、UIPパターンのCT像というのは、基本的には小葉のスケールでの「分厚い壁の袋の集まり」をみつつ、一部細葉のスケールでの「分厚い壁の袋の集まり」でも大きいものは確認できる、ということになるのだろうか。
 なぜ常に細葉まで、病理組織像と同じように認識できないかというと、それはまず第一には、既に確認したように空間分解能の問題である。小さ過ぎると単に斑状の高吸収域にみえてしまう。あるいは、下記のように内腔を何かしらの構造物が埋める場合があり、その場合も嚢胞状にはみない。

内腔を粘液が埋めている*22

 改めて蜂巣肺の定義に立ち戻ってみると、「1-3mmの壁の厚みを持つ3-10mm程度のサイズの嚢胞の集簇」というのはあくまで大きさと形態の話であり、小葉か細葉かという解剖学的構造には由来していないことがわかる。ガイドラインにおいても「IPF/UIPのみならず間質性肺炎は、一般的に小葉、細葉辺縁の肺静脈周囲から病変が始まる」という記述がある*23。
 少し話を整理しよう。小葉間隔壁肥厚も細葉辺縁の線維化もどちらもあるとき、病理組織像としてもHRCT像としても蜂巣肺が認められる、というのは想像に容易い。一方で、ひとつは、細葉レベルでは蜂巣肺があっても、小葉レベルでは蜂巣肺が認められないという事態もあり得る。そしてHRCTではスケールと空間分解能の問題から、それは病理組織学的にのみ認められる蜂巣肺=顕微鏡的蜂巣肺になる場合がある。

 さて、このようにサイズの違い(size gap)が混乱を招く理由は、ひとえに気管支〜肺胞がフラクタル構造をしていることに起因する。ひとつ、私を含めた多くの呼吸器内科医が、蜂巣肺について説明するときの文言について考えてみたい。それは例えば、「肺というのは小さな袋の集まりで、蜂巣肺というのは、その袋の壁が分厚く硬くなってしまうことです」となる。
 ここで呼吸器内科医が、「肺は小さな袋の集まり」と言うときに意識しているのは、どのスケールなのだろうか。それは、小葉であり、細葉であり、肺胞である。そのどれでもあると言える。胸部HRCTをみているときは小葉のスケールを意識しているだろうし、つくしのようなモコモコした肺のシェーマを紙に書いて疾患の説明をしているときは細葉のスケールを使用しているし、聴診でfine cracklesというバリバリとした音を聞いている瞬間は、線維化した肺胞のひとつひとつが開いていくイメージが頭の中に浮かんでいる。呼吸器内科医は、どこまで自覚的かどうかはさておくにしても、そういったフラクタルな構造とスケールの問題について常に無関係ではいられない職業なのである。それが間質性肺炎の臨床だけではなく、気管支鏡検査を施行するときにも付き纏うということは、もう改めて確認するまでもないことだろう。

3. カントールの塵、あるいは人類学におけるスケールについて

 これまでみてきたように、蜂巣肺において病理像とHRCT像は不整合(imcompatible)を起こし得る。ただしこの例では、病理のほうがHRCT像と比べてより詳しく、より本質的であるという風に解釈されかねない。これでは「病理の神託」の絶対性は温存されたままであるし、MDDのような話し合いの必要もない。
 それでは、病理像のほうが「より詳しい」わけではなく、HRCT像も病理像と同じ価値を持ったものとして対等な話し合いの場に参加できる、MDDとはいったいどういうわけか。それを考える補助線として、これまで強調してきたフラクタル構造、そしてスケールの問題が、人類学における根本的命題に関わる重要な問いを提起していることから学ぼう。

 下の図は、パプアニューギニアをフィールドとする人類学者、マリリン・ストラザーンが『部分的つながり』(1991)の冒頭で重要なイメージとして提出する「カントールの塵(cantor dust)」である。実はこの『部分的つながり』は、その章立て自体が「人類学を書く」と「部分的つながり」のフラクタル構造をとっている*24のだが、どうして彼女はそこまでストラザーンがフラクタル構造に拘っていたのか。

まず一線分からはじめ、これを三等分して中央部を取り除く。そして残った各線分を三等分しては、その中央の1/3 の線分をとっていく過程を繰返す。カントール集合とは、残った点の「塵」である。この埃の数は無限だが、全長はゼロである。(…)*25

 それはストラザーンが、カントールの塵のイメージから、スケールが変わっても表現される図の複雑性は変わらないというフラクタル構造の特性を引き出したからである。

 「スケール」とは、ひとまずは文字通り、どのくらい縮尺・規模で物事をみるかという意味で理解してもらって構わない。「近づけば近づくほど、物事はより緻密になる。ひとつの次元(レンズの倍率)を上げれば、他の次元(データの緻密さ)が増大する」*26。人類学者たちは、どのスケールで対象を分析するかということに常に頭を悩まされている。

 スケールの切り替えは情報を増殖させる効果だけでなく、情報の「損失」をも作りだす。例えば青年儀礼の描写から社会化をめぐる一般化へと切り替えをするときに、データは異なる種類のデータにとって代えられるように見えるだろう。ここで情報の損失は、その時点で探究される焦点によって、細かな部分や特定の範囲が覆い隠されるという形で現れる。これは、視野の拡縮変更によっても、取り扱う領域の変更によっても等しく生じることである。しかしながら、スケールを切り替えていることを承知していたとしても、不釣合いの感覚(a sense of disproportion)が忍び込むことは妨げられない。人類学者たちが互いに近視眼的だとか過度に総括的だとかと批判しあうときなどは、この感覚自体がある種の絶望をもたらす。個別的な事例も広範な一般化も、民族誌だけでも分析だけでも、臍も地球も、いずれも充分ではないように思える*27。

 ここで前提となっているのは、スケールを切り替えることによって含まれる情報量が変わるということである。より広いスケールであれば全体を見渡せる代わりに詳細は捨象され、狭いスケールであれば個別具体的な営みに注目できる代わりに全体性は失われる*28。

 しかしながら、上の図において、一段目、二段目、三段目、どのスケールに注目したとしても、黒い線分(塵)がふたつ並んでいるという状況は変わらない。あるいは第一節の例に戻れば、気管分岐部、右上中間幹分岐部、見下ろしの三分岐、中葉枝、それぞれ異なる「スケール」であっても写真ではほとんど同じようにみえるということは、言い換えればその情報量に変化がないと解釈することができる。
 ストラザーンは『部分的つながり』において、スケールの変更によって複雑さが変わらない例として、パプアニューギニア高地南部のウォラにおける工芸品・日用品についてポール・シリトーが作成した表について触れている。その一覧表は、驚くべきことに、「ひとつの社会全体についての標準的なモノグラフと同じ量のページに達する」。

 言い換えるなら、分類、構成、分析、弁別といった同じような知的操作は、どんなスケールであるかに関わらず行われなければならない。パースペクティヴの変化は、まったく新しい世界を立ち上がらせるものの、一揃いの「同じ」知的活動を要請するのである。視野の大きさは単純な例を提供する。近くから観察したひとつのものが遠くから観察した多くのものと同じくらいややこしく見えるとしたら、ややこしさ自体は変わらない*29。

 ここにおいて、より細かく見たりより広く見たりするというスケールの変更は意味を成さず、具体的なものと抽象的なものの区分を無効化するような状況が展開されている。そしてこれをもとにストラザーンは、それまでのポストモダン人類学/再帰人類学の認識論的前提であった多元主義および観点主義(遠近法)を批判し、代わりにポスト多元主義の提案へと至るのだが、ここではその詳細に立ち入らないこととする*30。

4. びまん性肺疾患におけるサンプリング問題

 本章では、スケールの切り替えによって情報量が変わらないという図式は、ILD診療においてもみることができることを確認する。

 ILDは間質に主座がある疾患のことだが、その上位概念として、「びまん性肺疾患」に含まれるものとして語られることがある。びまん性肺疾患とは、「胸部X線写真や胸部CT画像にて、両側肺野にびまん性の陰影が広がる疾患群」の総称のことである。要は肺癌の結節/腫瘤のようにひとところに病変が局地化されているのではなく、肺の全体にわたって病変が認められるような疾患すべてを指す。その定義から察せられるようにびまん性肺疾患に分類されるものは多岐にわたり、そのひとつのグループとして広義間質を炎症の主座とする間質性肺肺炎という疾患がある、という位置付けになっている。

びまん性肺疾患の一覧*31

 想像に難くないように、びまん性に肺が広がっているということは、(遡行的に亡くなったあとの病理解剖として肺全体をみることはあっても)共時的に確認するにはその一部を選ぶしかない。そして、前章で触れた肺癌stageIVの例とは違って、その一部をもって全体を理解したと常に言うことができないのが、びまん性肺疾患の問題である。

 第一に、採取した標本の代表性(the representativity of the sample taken)の問題がある*32。びまん性に広がる病変のなかで、どこをとっても同じではない、すなわちheterogeneousな病態が考えられる場合、とった標本からすべてを語ることはできない。たとえば、複数の疾患を合併していると(サルコイドーシスと肺MAC症を合併して、気道病変と間質病変を認めている場合など)、どこをサンプリングするかということ自体が診断に重要に寄与する可能性がある。あるいは単一の病態であっても、特にNSIPパターンでは同じ患者でも異なる葉に異なる病理学的パターンが存在することがあり、病理組織学的データに関連する不確実性が大きいという報告がある*33。

 第二に、病理像では、肺全体のなかでの分布がどのようになっているかを把握できない、という問題がある。先述のUIPパターンの特徴には「胸膜下肺野優位」とあるが、胸膜直下にあるというのは(もちろん該当部位の検体を採取すればという前提のもとだが)病理でわかるかもしれないが、「肺底部優位」にあるというのは、肺全体を通してみることで初めて言うことができる。
 別の例として、先ほど触れた過敏性肺炎HPのガイドラインをみてみよう。IPFのUIP同様、病理組織像のHP、そしてHRCT像のHPパターンが定義されている*34。病理像とHRCT像を見比べてみると、後者では明確に「分布」の欄が設けられ、「頭尾側方向:びまん性(肺底部がスペアされる可能性あり)」、「水平方向:びまん性」と言及があることがわかる。繰り返しになるが、垂直方向、あるいは水平方向にどのように分布しているのか、ということ理解するには、全肺にわたる病変分布が評価できるHRCTが必要である*35。

日本呼吸器学会 編『過敏性肺炎診療指針2022』(克誠堂、2022)46ページ

日本呼吸器学会 編『過敏性肺炎診療指針2022』(克誠堂、2022)63ページ

 ここにあるのは、モルが「実在を実行する際の行為の詳細が前面に出されるとすぐに、そのようなスケーリング〔ある尺度に基づいて順序立てること〕の努力は崩壊する」*36と書いているように、スケールの問題である。改めて、ストラザーンがフラクタル構造から取り出した、「より細かく見たりより広く見たりするというスケールの変更は意味を成さず、具体的なものと抽象的なものの区分を無効化するような状況」を思い出そう。組織病理像からHRCT像にスケールが変わってもどちらも特権的ではなく、情報量は保存されそれゆえに同等の価値をもつ*37。

 さて、議論の流れの都合上、病理組織像とHRCT像の関係について書いてきたが、MDDにはもうひとり、呼吸器内科医も参加している。私たち臨床医は、性別・年齢、患者背景(家族歴・喫煙歴・飲酒歴・職業歴・居住環境・ペットの有無・粉塵暴露歴など)、常用薬、身体所見、血液・尿検査・動脈血液ガス、肺機能検査、6分間歩行試験、気管支肺胞洗浄液*38の所見について述べる*39。病理、画像に加えて臨床もまた特権的でなく、同等な価値を持つ情報としてMDDでは扱われる。

5. おわりに

 本章では、ILD、そしてびまん性肺疾患ではなぜMDDが必要となるのか、ストラザーンのフラクタル構造とスケールの問題を補助線に用いつつ論じた。ただ、ようやく概要は掴みつつあるものの、MDDの実際についてはまだ不明なことが多い。次章では、本章でもすでに引用した2023年の最新の文献からMDDの抱える現在の問題点と、本稿が目的とする主座で今後どのような議論があり得るかを考える。

satzdachs.hatenablog.com

*1:日本呼吸器学会 びまん性肺疾患診断・治療ガイドライン作成委員会 編『特発性間質性肺炎 診断と治療の手引き 2022 改訂第4版』12ページ

*2:蛇澤晶 編『非腫瘍性疾患病理アトラス 肺』(文光堂、2022)8ページ

*3:藤田次郎. 日本内科学会雑誌. 2013.

*4:『改訂第2版 初めて握る人のための気管支鏡入門マニュアル』(メジカルビュー社、2021)80ページ

*5:呼吸を主客(息を吸うものと、吸われる空気)が互いに混ざり合う営みとして記述したのが下記のエッセイである。

satzdachs.hatenablog.com

*6:日本呼吸器学会 びまん性肺疾患診断・治療ガイドライン作成委員会 編『特発性間質性肺炎 診断と治療の手引き 2022 改訂第4版』13ページ

*7:Murata K, et al. Radiology. 1989

*8:なお5mm厚や1mm厚というのは体軸(Z軸)方向の空間分解能であり、体軸断面(XY平面)内側の空間分解能は0.5mm程度である。このようにXY平面に対してZ軸方向の空間分解能力が粗いことを指して、非等方性のデータであると言う

*9:日本呼吸器学会 びまん性肺疾患診断・治療ガイドライン作成委員会 編『特発性間質性肺炎 診断と治療の手引き 2022 改訂第4版』11ページ

*10:中島 啓『胸部X線・CTの読み方やさしくやさしく教えます!』(羊土社、2016)

*11:中島 啓『胸部X線・CTの読み方やさしくやさしく教えます!』(羊土社、2016)122ページ

*12:日本呼吸器学会 びまん性肺疾患診断・治療ガイドライン作成委員会 編『特発性間質性肺炎 診断と治療の手引き 2022 改訂第4版』70ページ

*13:日本呼吸器学会 びまん性肺疾患診断・治療ガイドライン作成委員会 編『特発性間質性肺炎 診断と治療の手引き 2022 改訂第4版』66ページ

*14:日本呼吸器学会 びまん性肺疾患診断・治療ガイドライン作成委員会 編『特発性間質性肺炎 診断と治療の手引き 2022 改訂第4版』70ページ

*15:Hansel DM, et al. Radiology.  2008.

*16:日本呼吸器学会 びまん性肺疾患診断・治療ガイドライン作成委員会 編『特発性間質性肺炎 診断と治療の手引き 2022 改訂第4版』67ページ

*17:32ページ

*18:蛇澤晶 編『非腫瘍性疾患病理アトラス 肺』(文光堂、2022)32ページ

*19:日本呼吸器学会 びまん性肺疾患診断・治療ガイドライン作成委員会 編『特発性間質性肺炎 診断と治療の手引き 2022 改訂第4版』67ページ

*20:ちなみに、このような顕微鏡写真や地図の四隅のいずれかに表示される、実際の長さの目安となる物差しのような目盛りは、スケールバー(scale bar)と呼ばれる。

*21:画像診断 Vol.41 No13. 特集『なぜによくわからない間質性肺炎―疑問と悩みにお答えします― 』(学研メディカル秀潤社、2021)1324ページ

*22:日本呼吸器学会 びまん性肺疾患診断・治療ガイドライン作成委員会 編『特発性間質性肺炎 診断と治療の手引き 2022 改訂第4版』70ページ

*23:日本呼吸器学会 びまん性肺疾患診断・治療ガイドライン作成委員会 編『特発性間質性肺炎 診断と治療の手引き 2022 改訂第4版』13ページ

*24:「人類学を書く」営みのうちに『部分的つながり』が位置づけられ、そのオリジナル版序文が「人類学を書く」と題されたのちに、本書全体が「人類学を書く」と「部分的つながり」に二分される。さらに、前者の「人類学を書く」の最後のサブ・セクション、より正確にはサブ・サブ・サブ・サブ・セクションが「部分的つながり」で結ばれ、後者の「部分的つながり」の(サブ・サブ・サブ・)サブ・セクションが「人類学を書く」で閉じられる。

*25:マリリン・ストラザーン『部分的つながり』(水声社、2015)67ページ扉絵

*26:マリリン・ストラザーン『部分的つながり』(水声社、2015)21ページ

*27:マリリン・ストラザーン『部分的つながり』(水声社、2015)24ページ

*28:以前出会ったある人類学者が「自分は理論じゃなくてあくまで地域研究者なので」と話していたのが印象に残っているのだが、この発言もこのスケールの問題をめぐって人類学者が常に自分の立ち位置を意識せざるを得ない状況を反映してのものだろう。

*29:マリリン・ストラザーン『部分的つながり』(水声社、2015)25ページ

*30:以下では、ストラザーンによる多元主義および観点主義(遠近法)批判と、その代わりに提出されるポスト多元主義について論じる。彼女はこう言う。

 スケールを変化させるという言葉で、私は、人類学者が資料を組織化するときに決まってする、現象に対するひとつのパースペクティヴから他のパースペクティヴへの切り替えを指している。このパースペクティヴの切り替えが可能なのは、世界が本来的に複数の存在多様な個体や集合や関係性から構成されているという自然観があるからである(マリリン・ストラザーン『部分的つながり』(水声社、2015)22ページ)。

 世界には異なるまとまりが共在していて、お互いに重なり合うことがない離接的な状態にあり(多元主義(pluraism))、その世界に対する複数の視点を加算していくことで、全体的な眺望を手にできる(観点主義/遠近法(perspectivalism))。ストラザーンが批判するその世界観を理解するには、『部分的つながり』の原著が書かれた1991年から新版(日本語版の訳出の底本となっている)が出版された2004年あたりの時代の雰囲気について知っておく必要がある。
 当時の人類学が直面させられていたのは、ジェイムズ・クリフォードの『文化を書く(Writing Culture)』(1986年)が与えた多大な影響のもと、民族誌は「大地を上から眺めて」唯一の絶対的な「真実(the truth)」を描くことなどできないという反省であった(書籍のオリジナル版の序文と前半セクションの題である「人類学を書く(Writing Anthlopology)」が、 『文化を書く(Writing Culture)』のもじりであり、さらに書籍のタイトルである「部分的つながり(partial connections)」は、『文化を書く』の序論「部分的な真実(partial truth)」のもじりであることにここで言及しておきたい)。そのようなポストモダン人類学/再帰人類学の流れにあって、もはや「権威的なヴィジョンをもったフィールドワーカーという『単一形象』」(マリリン・ストラザーン『部分的つながり』(水声社、2015)109ページ)に頼ることはできず、複数の、より多くの声を集めるほうへと力学が働く。そこにあるのは「一に取って代わるものは多である」(マリリン・ストラザーン『部分的つながり』(水声社、2015)160ページ)という事態だ。

 この論点はのちに、望ましくないイメージをモノグラフから取り除くことをめぐる問いへと至るものの、資料が豊富であるばかりか過剰でさえあるとの筆者の感覚は、当初の通り一遍な取扱いでは充分に向き合うことができないものだった。当時、研究者も大学も、生産する情報の量を倍増しなければならないとされる時代だった。ただ研究するだけでなく、研究者が自分自身について、そして自らの研究活動について幾重にも記述を重ね、アカデミック・パフォーマンスの監査に備えなければならなかった(マリリン・ストラザーン『部分的つながり』(水声社、2015)48ページ)。

 多元主義と観点主義/遠近法の批判をするとき、ストラザーンの念頭にあるのはそういう時代性なのである。ただそういう「より多くの」断片を集めることへの志向性というのは、結局、俯瞰や全体性という「一なるもの」へのノスタルジーを捨て切れていないことの表れなのだ、とストラザーンは看破する。

 ここには、コラージュをひとつの複合体と捉えるポストモダンのまなざしとの類縁性がある。いかにも、〔死んだはずの〕主体が消費者像のうちに復活したかのようでなかろうか。旅人が消費者であるというのは、著者性の関わりからでも、出会いの形式との関わりからでさえもない。ただ出会いの効果が立ち現れる場所と想像される点で、消費者なのである。私たちは、フィールドワーカーの殺戮のはてに、ツーリストを発見しただけだったのだろうか。結局、問題になっているのは多声性でなく、自分自身にどのように作用するかを基準に経験を選ぶ、審美家の趣向のうちにある異種混淆性だったのだろうか。自分たちを特定のテクストの生産者として考えることに背を向けたすえ、私たちはただ、すべてを貪り食う消費者に巡り合うだけなのだろうか(マリリン・ストラザーン『部分的つながり』(水声社、2015)89-90ページ)。

 しかしストラザーンによれば、「いかなるパースペクティヴも想定とは異なり、〔加算することで辿り着けるような〕全体的な眺望を提供することはできない」。なぜならばスケールを変更しても複雑性は変わらず、情報量は保存されており、すなわち、より大きなスケールはより小さなスケールの単なる集合ではない。あるいは「すべての」スケールを足し合わせることも原理的に不可能であると、彼女は論じる。

 現象「に対して」数多くのパースペクティヴや観点があるという考えは、理念的には、ありうるすべての見方の総和のようなものを、あるいは少なくとも、パースペクティヴ自体の生産に関する枠組みや発生的モデルのようなものを定式化することができるということを含意している。しかしこれは、パースペクティヴを切り替える際に人が感じる移動や旅の感覚や、ありうるパースペクティヴの数は実際には無限であるという暗黙の知識を、説明できないだろう。というのも、その数とは、そこに立って世界を見ることができる事物の数、あるいは、そのために世界を見たいと考える目的の数、足す一に等しいからである。すなわちそれらの数に、パースペクティヴを通して世界を見るということ自体から生じるパースペクティヴが加わるのである。どれほど多くのパースペクティヴが集められようと、それらはいずれも〔残余であるまたひとつの〕パースペクティヴを作りだす。この形式的な帰結は無限性である(マリリン・ストラザーン『部分的つながり』(水声社、2015)257-258ページ)。

 「複数の一」や「一の多数化や分割」(マリリン・ストラザーン『部分的つながり』(水声社、2015)161ページ)の代わりにストラザーンが提示するのが、異なるまとまりが共在していて、なおかつお互いに部分的に重なり合っている状態、つまりポスト多元主義post-pluraismと呼ばれる状況である。人類学者ストラザーンのフィールドであるメラネシア(あるいはグローバル化する現代世界)においては、様々な文化的・社会的要素が互いに部分的につながりあい、互いを前提しあっている。

 西洋のいかなる歴史観に基づいたとしても、広域的な比較ができるのは、パプアニューギニア内陸部にみられるような諸社会が歴史的に関係しあっているという、暗黙の知識が前提としてあるからである。(…)それらの社会はある種の起源、諸集団の移動という同じ歴史を共有し、人々とともに、あるいは彼らとは別に旅をする観念や人工物を共有している。その意味で、諸社会は相互にコミュニケーションしているのである(マリリン・ストラザーン『部分的つながり』(水声社、2015)227ページ)。

 ストラザーンはその事態を、先の「一に取って代わるものは多である」に対抗して、「一つは少なすぎるが二つは多すぎる」(マリリン・ストラザーン『部分的つながり』(水声社、2015)128ページ)と表現する。なおこのタイトルが付けられた節を含む章「フェミニズム批評」で中心的に論じられるのは、ダナ・ハラウェイの「サイボーグ」概念である。本稿では深く立ち入らないが、書籍のタイトルでもある「部分的つながり」は、サイボーグの「つながっていながら比較可能=同質(compatible)でないというイメージ」(マリリン・ストラザーン『部分的つながり』(水声社、2015)136ページ)に大いに喚起されて提出された概念である。

 私がサイボーグにこだわったのは、その人型の像が釣り合いの感覚に対峙するからである。 サイボーグはスケールに従わない。サイボーグは単数でも複数でもなく、一でも多でもなく、お互いに同形ではないがゆえに比較できない部分と部分を結合するつながりの回路である。単一の存在、あるいは複数の存在からなるひとつの多数体として、全体論的あるいはアトミズム的にアプローチしてはならない。
 サイボーグは、異なる部分が作用するための諸原理が単一のシステムを形成しないため、身体でも機械でもない。各部分は互いに釣り合いがとれてもいないし不釣り合いでもない。内部のつながりは集積回路を構成してはいるものの、単一のユニットというわけではない。 ハラウェイのイメージもこのように作用する。それはひとまとまりのイメージではあるが、全体性のイメージではない〔a whole image but not an image of a whole〕。想像と現実とを接合するからだ。サイボーグは、仮想存在のイメージであり、その文脈や参照点のイメージである。つまり、想像上のサイボーグたちの世界における、他者とつながっているサイボーグのイメージであると共に、そのイメージを用いて思考するに相応しい今日の世界におけるさまざまな状況のあいだのつながりのイメージである(マリリン・ストラザーン『部分的つながり』(水声社、2015)128-129ページ)。

 なお、サイボーグ・フェミニズムの議論の詳細については手前味噌であるが下記の論考を参考にされたい。satzdachs.hatenablog.com

*31:日本呼吸器学会 びまん性肺疾患診断・治療ガイドライン作成委員会 編『特発性間質性肺炎 診断と治療の手引き 2022 改訂第4版』1ページ

*32:Zamparelli, et al. Diagnostics. 2023

*33:Flaherty, et al. Am J Respir Crit Care Med. 2001;164:1722–1727.

*34:なおこのように、病理組織像の確度が明確に定義されているのはIPFとHPのみであり、なぜこのふたつなのかは歴史的背景から理解する必要がある

*35:喜舎場朝雄 編著『間質性肺炎のみかた、考えかた』(中外医学社、2022)116ページ

*36:アネマリー・モル『多としての身体』(水声社、2016)172ページ

*37:一方が他方を包含するということはなく、むしろ、客体はお互いの部分であり得る——すなわち包含は相互的である。このことを、モルは非推移性(intransitivity)という言葉を用いて説明している。

 スケールが固定され階層化されているという性質を持つ推移的な世界では、AがBを包含する一方で、BもまたAの内部にあるということは、ありえない。しかし、私たちが住んでいる、実行された客体の世界では、これは起こる。さらには、客体が互いを内包する一方で、同時に、複数の意味で、それらが互換不可能だということもありうる(アネマリー・モル『多としての身体』(水声社、2016)174ページ)。

*38:ここで詳細に踏み込むことはできないが、気管支肺胞洗浄という呼吸器内科医にとってお馴染みの検査もなかなかなか興味深いものである。すなわち肺という知りたい対象そのものではなく、病変があるだろうところへ向けて生理食塩水を150mL程度かけ、それを回収し、その成分から疾患の性質について類推する、というずいぶん間接的に実在に迫る方法なのだ。これは、呼吸器内科医にとって疾患そのものが(気管支鏡を使ってでさえも)「肉眼的に」みえることが少ない、という診療科の特徴と切っても切れない関係にあるのだが、この論点についてはまた紙を改めて触れたい。

*39:喜舎場朝雄 編著『間質性肺炎のみかた、考えかた』(中外医学社、2022)116ページ