犬が嫌いな人を理解しない犬が好きな人

 hatayasanさんが、ペットの周辺の話題に関心を持っているらしい。

はてなブックマーク > 闇鍋ブックマーク > 2006年11月28日

 ここで出てくる一つ、ノーリードに関してのサイトに関心を持つ。

放し飼いするな / N P O (んぽ)NO! Pet Oasis 脱ペット宣言

 非常によくわかるけれど、でもこの内容、届いて欲しい人には届かないのだろうな、などと、ため息のように思う。
 わたしは小さいときから20代になるちょっと前まで家に室内犬がいまして。しかも二匹も。まあ犬がいるのが当たり前の生活を送っていたわけだ。
 自分ちでなでくりまわすだけじゃ飽きたらず、人んちでも犬がいるとすぐに手を出す。ガキの時分に室外で飼う大きな犬の食事中に手を出して、噛まれたり、なんてこともありましたが、いわゆるトラウマにもならず。外出先で犬に出会えば、まあそこそこにこにこなんぞしたり、さわらせてもらったりなんぞもしていたわけだ。
 子どもが生まれて、どこぞに遊びに行ったりもして、そこに犬がいればさわらせてもらったりもする。その環境なんだかなんなんだか、娘は犬がいればにこにこする、手を出していいときはさわらせてもらったりなんぞもしたがる。
 しかし。ですが。
 同じ環境に育ったにも関わらず、息子は犬が苦手だ。大の苦手だ。何があったの、なんてこともないような小さいときから、犬が嫌いだ。最初っから嫌いだ、とことん苦手だ。苦手だから手を出すなんてこともなく、そんなわけで噛まれたりなんぞした経験などということもない。でも、とにかく犬が嫌いだ。
 は〜〜、と思うくらい、この世の中、犬が嫌いな人にはいやんなっちゃうことが多い。ということが、とてもよくわかるようになった。
 犬が嫌いな人間にとっては、犬という動物は、次の瞬間何をやらかすかわからんどう出るか出てくる生き物かわからん、という風にインプットされてる。飼い主が「うちの子は」とどう言おうが、イヤなものはイヤ。なのに、イヤなものはイヤ、ということが犬好きにはどうにも理解されないらしい。
 イヤだ、という子どもに、それは犬を知らないからだ、ほらさわってごらん、怖くないよ、こんなにかわいい。って押しつけてくる飼い主がどんなに多いことか、ってのが、息子を育てていて、よくわかった。子どもは犬が好きなもんだ、って決めつけはどこから来るんだ。なんで自分とこの犬で、イキモノ教育なんぞしようとするんだ。
 犬が苦手でも、犬ってのは生活圏のどこにでも現れてくる。日常で通る道、通学路、公園にもいる。そこで時々出くわす散歩中の犬。それはそれだけで、次に何が起きるのかと緊張する。緊張しているのにも関わらず、道で出くわして避けようとしているのにも関わらず、怖くないよ、ほら怖くないでしょ、と、避けることを許してくれない飼い主ってのがいる。本当に本当にやめて欲しかった。犬が飛びついてくる、なんてことはこういう子どもにとって、恐怖以外の何物でもなかった。その上に、こんなかわいい犬にこんなに怖がるなんて、と、劣等感までお土産にくださる。真っ黒なでかい犬にこれをやられて、小型犬でさえ苦手になった。ノーリードで走り回らせる飼い主をたびたび見かけると、引き綱をつけていても、その飼い主がいつその綱を離すのかわからない、と思うようになった。要するに、犬だけではなく飼い主に対しても信用しなくなった。
 息子は猫が好き。飛びついてこないから。吠え立てないから。いきなりべろべろと舌を出してなめたりしないから。犬が嫌いはイコールで生き物が嫌いってことじゃない。そして彼の犬嫌いは、せっせせっせと犬嫌いを勘違いしている犬好きが大きくしていったものかもしれない。そしてわたしも、そんな犬が嫌いな息子の苦難を見ているうちに、そういう飼い主が多いという犬という生き物に、たいして関心を持たなくなっていった。