石少Q

けし粒のいのちでも私たち

「VTuberっぽい名前」をめぐって

 少し前にフォロワーが「VTuberっぽい名前のルーツが意外とわからない」という旨のツイートをしていて首肯した。この「VTuberっぽい名前」とは、だいたい一文ないし一単語をもじった名前のことで、もう少し広く捉えれば「姓名のあいだに文意・語意を含みもつ名前」くらい言えるだろうか。これを「VTuberっぽい」とする共通認識が漠然と形成されていることは、「VTuberの名前っぽい言葉」を列挙した画像の拡散され具合からもいちおう窺える。
 ひとまず脳みそを絞り、またYouTubeの登録チャンネル一覧をひととおり確認して、該当するVTuberの名前を書き連ねてみる。当たり判定はやや大きめに設定し、完璧な一文・一単語ではない名前もいったん含める(「安土桃」や「生返るるる」など)。

2018
- 新川良(あらかわいい)|個人勢
- かしこまり|個人勢・upd8・Re:AcT・ビークエストなど
- 夜野とばり(よるのとばり)|個人勢
- 猫乃木もち(ねこのきもち)|.LIVE
- 安土桃(あづちもも)|にじさんじ
- 人生つみこ(じんせいつみこ)|個人勢
- 夢追翔(ゆめおいかける)|にじさんじ
2019
- 紺弥ミル(こんやみる)|個人勢
- 我部りえる(がぶりえる)|あおぎり高校
- 健屋花那(すこやかな)|にじさんじ
2020
- 夢野ヨウ(ゆめのよう)|個人勢
- 寝月ねろ(ねるなねろ)|個人勢
2021
- 恋惡まよ(こあくまよ)|個人勢
- 青刺める(あおざめる)|個人勢
- 息根とめる(いきのねとめる)|深層組
- クッコロ・セツ|深層組
- 生返るるる(いきかえるるる)|深層組
- 現実みろ(りあるみろ)|Charact → livecartoon
2022
- 或世イヌ(あるせいぬ)|Neo-Porte
2023
- ネルカ・オキルカ|ぶいぞっかん
- 数打あたる(かずうちあたる)|深層組
- 立伝都々(たちつてとと)|にじさんじ
2024
- 梟雄しろや(きょうゆうしろや)|のりプロ

 絶対もっといた気がする……*1。雑誌や同人誌をいくつか繙き、また「VTuberフォロー祭り」的なタグの付された投稿を目を皿にして読み込めばリストは充実するだろうが、今回は止す。なぜならVTuberは定義が不明確で(ある意味「言ったもの勝ち」で)あるぶん、網羅性を重視すると実態から離れるきらいがあるからだ。かといって私の視聴領域には偏りがあるため、これをもって有意な結論を導く気もなく、量的な推移などは特に参考にならないが(2022年が或世イヌひとりなわけがない)、見えてくるものが多少あるのも確かだ。
 まずフォロワーも言っていたことだが、意外なのは「四天王」と呼ばれる5人やホロライブのタレントのなかに該当する名前のVTuberが見当たらない点である。つまり、個人やいち事務所のインパクトによって根づいたのではなく、徐々に浸透したのだと推測できる。そもそも大きな影響力に由来するなら、「キズナアイ」や「ミライアカリ」といった名詞と名詞の組み合わせをカタカナで表記する名前がもっと増えているはずだ。
 ついでに言えば、フィクションのなかのVTuberにも「VTuberっぽい名前」は少ない。それはたとえば『青のアイリス』の「青野アイリス」、『鈴波アミを待っています』の「鈴波アミ」、『27時のシンデレラ』の「貴峰あーく」、『夜のクラゲは泳げない』の「竜ヶ崎ノクス」などである。その他、VTuberを題材にしているというライトノベルの紹介文にいくつか目を通しても、傾向は同様だった。しかし、これは単純に世界観の都合か、あるいは多くの場合で「ホロライブ的なもの」がリファレンスになっている証左かもしれない(ここでむしろ気になるのは「漢字の苗字+カタカナの名前」の歴史で……大きな流れとしては碇シンジや綾波レイが模倣の対象となり、涼宮ハルヒが決定打を放ったくらいの認識でいるが、詳しい分析があれば読んでみたい)。
 リストに含めるか迷った名前には「カフェ野ゾンビ子」「名取さな」「今酒ハクノ」「社築」「燦鳥ノム」「ジョー・力一」「黒井しば」「赤見かるび」「患愛こころ」などがある。元のキーワードから少し名前らしく寄せられていたり、姓名のあいだの意味的な繋がりが弱かったり、言葉遊び・文字遊び的な要素が加わるこれらの名前も「VTuberっぽい」と言っておそらく差し支えない。この水準──「モチーフにひと捻り加えた名前」程度の──も含めれば、上のリストは倍程度には膨れあがるだろうか。
 このような、ほとんど謎解きめいた名前のひとつひとつを解読し、思わず膝を打ったような個々人の経験が、四天王やホロライブを抜きにして「VTuberっぽい名前」の共通認識を醸成したと考えるのは妥当だ。しかし、すると気になるのは、「なぜ(特定の大きな影響元がないのに)このような名前がVTuberに散見されるのか」という点である。

 当然ながら、何かをもじった姓名はVTuberの専売特許ではない。近いところには「佃煮のりお」や「横槍メンゴ」がいるし、遡れば「大暮維人」や「久石譲」「江戸川乱歩」「二葉亭四迷」まで例に数えられる。個人的に好きなのは色川武大が麻雀小説を書くときに用いる「阿佐田哲也」で、深夜配信が多いVTuberの名前としても違和感がない。私にとって未知の世界も考慮に入れるなら、(地下)アイドルやコンカフェのキャストにも類例は存在しそうだ。つまり筆名や芸名、源氏名など、自分自身に新たな名前を与えるとき、大切なモチーフや構築したいイメージ、座右の銘、敬愛する人物の名を参照し、あるいは逆にまったく無意味でナンセンスな言葉を充てがうのは、ひとつの自然な発想なのだろう。
 また、インターネットには「亞北ネル」や「弱音ハク」といったVOCALOID亜種なる存在もあった。じっさいVTuberが親しまれる前、この手の名前は「ボカロ(亜種)っぽい」「UTAUっぽい」と認識されていた印象がある。文化圏の近さを考慮すれば、ここを影響元のひとつと考えるのも的外れではあるまい。
 では、この手の名前が「筆名・芸名・源氏名っぽい」ではなく、また「VOCALOID(亜種)っぽい」という認識をなかば塗りかえて「VTuberっぽい」とインターネットの一部の人間から見做されるに至ったのはなぜか。これは単純に文化の規模とアクセシビリティ、そしてサンプル数の多さが理由だと思う。広すぎず狭すぎない領域に類例がいくつか確認されて「傾向」は生まれる。真空ジェシカの漫才には「三谷後期高齢者です」「もうラジオネームじゃねえか」という応酬があったが、この抽象的な「ラジオネームっぽさ」は近しく、深夜ラジオはやはり、その形態や受容からしてVTuberの配信を対象化するのに有効なのかもしれない(月ノ美兎に楽曲を書き下ろすべく彼女の配信を視聴したササキトモコが、そこに「夜が寂しい若者たちと一緒に遊ぶヒーロー」という深夜ラジオの構図を見出したことを思いだす)。

 よく考えれば一般的だった「VTuberっぽい名前」は、程よく狭い世界においてクイズか暗号のように我々を何度も待ち受け、印象を残してきた。その確認が済んだところで、「なぜVTuberに多いか」という疑問に戻る。まず振り返るべきは、そもそもインターネットで用いる戸籍名ではない名前(≒ハンドルネーム)に、フルネームの概念は希薄だった事実だ。言い換えれば、これほど電子の海を、現実の通り名でも物語のキャラクター名でもない姓名が漂う時代はおそらく無かった。それはニコニコ動画の活動者を思いだしたり(だから「夏代孝明」の登場はささやかな衝撃だった)、Twitchを開いてストリーマーと呼ばれる人びとの配信を観たり、あるいは見慣れたタイムラインを更新すればきっと容易に確かめられる。
 ここにこそ「四天王」の影響を見出すべきかもしれない。キズナアイやミライアカリ、そして輝夜月が踏襲の対象となり、VTuberの名前=フルネームという不文律が定着したと考えるのは自然だ。しかし、もっと重要なのは、「アバター」や「アカウント」とは違う仕方でインターネットに「存在」しようとするVTuberの根本原理である(「VTuberは人生のサブ垢ではない」……)。それが「本当の名前」ならばフルネームの構造が備わるのは必然的で、だから「緑仙」は「仙河緑」、「葛葉」は「アレクサンドル・ラグーザ」という本名を当然持っている。
 原理がフルネームを要請するなら、何かをもじった姓名を考える回路も(作家たちと同じように)自然と働く。それにしてもVTuberに多い理由は、もはや「VTuberっぽいから名付ける」という一種の自己言及的な理屈も想像できるが、大元にはキャラクター性を単純明快に「立たせる」手段としての側面もあっただろう。それはYouTuberから引き継いだ専門性、有り体に言えば「〇〇系」と呼ばれるカテゴライズを利用する活動形態とも相性がよかった。名前に含まれる文意や語意を汲めば、自己紹介文やチャンネル概要欄を読むのは後回しにできる(むろん安土桃が、本人もたびたび忠告していたとおり「歴史系ではない」ような例外もあるが)。翻って言えば、物語の作り手である作家が、代替不可能な名前に「〇〇系」と拘束されうる強い意味を込めるのは覚悟を要する行為だったはずだ。だから「VTuberっぽい名前」は、キャラクター理論的な一貫性という幻想を引き受けた、やはり物語の登場人物側の名前なのだと思う。

 最後に、妄想に頼りきりの発信者側のみならず視聴者側の観点も含めて、「VTuberっぽい名前」の機能を考えたい。冒頭に掲げたリストをふたたび見る。「四天王」やホロライブ(あるいはななしいんくやぶいすぽ)のタレントの名前がないことの裏返しとして気づくのは、にじさんじと深層組の割合の多さだ。特に深層組は所属タレントの母数も少なく、私などは「VTuberっぽい名前」をなかば「深層組っぽい名前」のように捉えていた。ひとりひとりの名前のインパクトが強く、また活動内容も(良かれ悪かれ……)ひとの目を引くため、「VTuberっぽい名前」の浸透にも大きく寄与していると想像できる。
 言葉のとおり虹の架かる表層と、光の届かない深層のように異なってみえる両事務所だが、個々の活動者の線引きはさておき、箱として存在レベルの「ありえなさ」の許容値が高いところは共通している。にじさんじは、一見して異質な犬や悪魔の存在がそれを端的に示し、何かをもじった「ありえない名前」も同じ延長線上にある。夢を追う青年が、あるいは医療従事者が、その個性を名前にさえ滲ませるアンリアリティをにじさんじは認める。また深層組に関しては、むしろ生々しすぎる配信内容を「ありえない」次元に昇華させるための手段のひとつとして、何かをもじった名前(や、むろんVTuberとしての身体やプロフィール)を駆使しているようにも見える。
 つまり一種のデフォルメ、非現実性の強調として「VTuberっぽい名前」は機能する。姓名の構造を通して自立した「存在」としてのリアリティを確保しつつ、そのリアリティを「ありえなさ」によって暗に否定する。光輪や鋭い牙や、それを天使や吸血鬼と言い表すプロフィール文よりもさりげない(非)現実性のやりとり。取るに足らない雑談や、延々と続くゲーム実況を「物語」にする秘密のひとつ。発信者は、その操作で虚実のグラデーションの狙った位置にキャラクターを据え置き、視聴者は「この物語はフィクションです」と常に言われているに等しい事実を忘れ(しかし、ときおり思い出して感傷に浸りながら)、聞こえてくる声を虚実の中間層で保留する。そして、これは厳密な「VTuberっぽい名前」に限定される話ではない。あの異様に美しくて収まりのいい名前や、反対にあざといほど平凡な名前も、程度の差はあれど同じだろう。


*

 想定外に熱を帯びたので余談(兼布教)で締めくくってお茶を濁すが、「名前」という主題に託けて紹介したいVTuber事務所といえば「FIRST STAGE PRODUCTION」(通称いちプロ)である(次点はメンバー全員の苗字が「にゃ」から始まる「にゃんたじあ」だろう)。いちプロは所属タレントの性別や種族、活動方針がばらばらで、しかし内部コラボも多いのが特徴的だ。男性向け・女性向け、ゲーム系・音楽系など、事務所レベルでターゲットが絞られる傾向にある今どき珍しい方針である。運営元のREALTY Studioがゲーム配信を軸にした「すぺしゃりて」と音楽系の「RK Music」を抱えているから可能なのかもしれない。このふたつもいい事務所だ。
 先に書いた特徴からも察せると思うが、いちプロを視聴していると2019年か20年ごろのにじさんじを思いだす瞬間がある。いちプロがその系譜を(そしてVariumがホロライブの系譜を)辿るかたちで台頭する未来を見てみたいと思う。
 そのネーミングに関して、幽霊の「幽々ゆら」や、下ネタといにしえのインターネットネタが冴えわたる「餅付ぬるぽ」はわかるとして、「ローズ・スイング!」や「パーフェクト・ボンバー」(ボンちゃんというあだ名もいい)、そして「怪盗サフィール」「えんどるふぃ☆ミ」「大罪悪魔ぎるてぃちゃん」など、たいへん自由な名前が並ぶ。本文と関連させて言うなら、もはやVTuberの「存在」が姓名のリアリティを要さないほど定着した結果として、名付けの自由度が高まったのかもしれない。各メンバーの配信内容はもちろん、ビジュアルや紹介文などの枠組みに関する見どころも多く、なかでも私が好きなのはえんどるふぃ☆ミのプロフィールである。同じくVTuberを追う人間には刺さるだろう内容なので最後に引用する。

本コンテンツは、現実世界で生じる苦痛を和らげるために
一緒に夢を見る電子生命体である。
『ここにいれば、きっと、ずっと―――縺シ縺上r縺溘☆縺代※

*1:その他、投稿後に知った・教わった名前に「脳汁たぎる」「音夢れーぬ(ねむれーぬ)」などがある。他にもご存知の方はこちらまで。