平常心

四月になりました。

桜が咲き、
消費税が8パーセントになり、
ウグイスは候補者の名前を鳴き叫ぶ。


消費税があがる直前にまとめ買い、
・・・上がった後のセールで悔しがる。


選挙でも、なんとなく安易に入れて
・・・こんなはずじゃなかったと悔しがる。


どちらも想定内であれば悔しくはありません。


小売店の本音は、増税前に普通の値段で一挙に売上稼いで
増税後は態度一変!一挙値下げで客を釣る。


多くの候補者の本音もまた然り。
態度一変する人が多い。


でも、そんな姑息なことをせず、
普段からコツコツまじめにやってる人こそが報われるべきだと
・・・後になってからわかったりするものです。


そういう本物を見抜く目を、そして平常心を持ちたいものです。

消費税

いよいよあと二日で消費税が8%に。
そこら中で、消費税増税前セール・・・的な謳い文句が舞っています。
たぶん、4月の半ば〜ゴールデンウィーク頃には、今と全く違う謳い文句が舞っていることでしょう。
消費税増税前と増税後、どのように変わるのか広告類の比較が楽しみです。

白坂が消えていく・・・

まあ…時代の流れですね。
しかし、竹木が伐採されてあらわになった地形には驚きました。
あんなに城陽側が急斜面だったとは。
今は随分地面が削られていき地層らしきものも見えています。
あの形状は太古の隆起によってか?
浸食によってか?
堆積によってか?
はたまた人為的なものなのか?

とっても興味がわきます。

将来の防災にも役立つような気がして。。。

予定調和に安心し 変化に心トキメク・・心理って

ここ1年と数か月、しのだのブログ!の存在を忘れてました。
FBを始めたり 他に異なるコンセプトのブログを作ってしまったのもあるかもしれません。
でも思ったこと、どうでもいいことを書ける場所として もしかすると貴重なのかも? って思ったので今後気まぐれに更新するかも・・・。

さて、上記本日のお題。
普段当たり前の予定調和的なことが粛々とおこなわれているぶんには安心し、でも変化やアクシデントに遭遇すると心動かされてしまう・・・って心理。


伝統を守ったり、日々の安定した暮らしに安心を求めるなら前記、
古きを打ち砕き、革新的で刺激に満ちた生活を求めるなら後記。


ある人には無茶苦茶極端な事例だけど、ある人には普通だったり、
両方の考えのミックス的意見でも、前記・後記の配分が人によって相当異なってくる。


世の中の人って好みも価値観も嗜好も随分ちがいますが
こんな人たちと等しく付き合えてる人もいるし
等しく相手にできてる仕事もある。



すごい人がいるものだと思うのです。

水害の恐ろしさ

この8月14日未明の大雨による水害。


もうすぐ2カ月になるつい先日、
宇治市の天井川の決壊箇所のすぐ隣に住む知人のお家へ伺ってきました。


あのテレビに映ってたすぐお隣なので 現在もそれはそれは大変な状況です。


お話しの中で最もリアルだったのが、


【音】のおはなし。


大雨の音とは明らかに違う 【ボコボコボコボコ・・・・・】


っていう音が未明から聞こえてきたそうで、
ご主人曰く、最初は奥さんが早朝からコーヒーを淹れてるものだと思ったそうで


コーヒー淹れてるの? ・・・・って聞くと


淹れてない  ・・・・と。


じゃあ何の音か???

と家中を見ると お風呂の排水部分から水があふれかえり
・・・と同時に家の外からも 水の流れる音がしてきて


家の裏側の天井川側を見ると 家の周囲はすでに水があふれかえり
隣家との間の通路は膝あたりまで急流となっていて もはや人間が立っていられないほどの勢い。


置いていた自転車などはすでに流されて無くなっており
慌てて表の自動車を動かそうと見に行くと
まさに車が流されていく瞬間だったと。


井手町あたりの天井川にくらべると、川幅も高さもあきらかに小さな弥陀次郎川。


それでも そのチカラはすさまじく
すぐ隣から下流側の家数軒は ボロボロに壊されていました。


ブロック塀は砕け、傾き、壁はめくれ上がり
建物も明らかに傾いているのですが
辛うじて二階を保っているがため


判定は・・・・半壊扱いだそうで。。。。


強く強くおっしゃられてましたが


天井川周囲に住む人は


絶対に【水害保険】に加入するべき!!!!



っておっしゃられたました。


何より 命に別条無く、大きな怪我もなかったのが
偶然であったにせよ よかった。


しかし、これから教訓として この心を広く伝えて
残していかなければならないと 強く強く感じたのでした。


昭和28年8月15日未明の南山城水害も
季節的に同時期です。


ちなみに今年8月14日の新聞朝刊の天気予報には

午前6時の降水確率が70%。。。。



まさに あらゆる意味で人間の想定を超えたゲリラ的豪雨であったことは間違いありません。


他人や行政の責任にするだけでなく
各人が我が身を守るために最低限持たなければならない知識教訓なのかもしれません。

正しい【いじめ対策】


私は、 【いじめ】をこの世から消すことはできないと思う。


最近では【いじめ問題】をとりあげるマスコミの号令をきっかけに
一般大衆までが【いじめる側】にたってる様子もあった。


実は、大変勇気のいることかもしれないけど、
【いじめの存在】を【認める勇気】が一番必要じゃないだろうか?


減点方式の世の中、 【いじめ】を【無かったことにする】風潮が最も悪だと思う。


世の中に一定量のいじめは【存在するもの】と認めた上で
必要な対策をするほうが よいのではないだろうか?


・・・・でないと、形式上 表面的に守られて過保護に育った子供たちが
突然社会に出て面喰うことが増えて、
ヘタすりゃ ひきこもり や、自殺なんてことにも発展しかねない。


本来 いじめは 野生の動物の中でも頻繁にあるし、
そこで生き残るには 知恵や要領を見につけるなどの武装が必要となってくる。


そもそも人間も 動物の一種だし、 
今こそ真摯に学ぶべきかも。


他人の失敗や間違いの指摘に労力を集中させるより
他人の失敗や間違いを許容し、


人間関係を豊かで平和なものにすることができれば素晴らしいと思う。


大人の世界にも 【いじめ】は多数存在するはずだけど表面化しにくい。


お互い ホメあって、 長所を見つけあって、
皆が気分よく生きられたらどれだけ素晴らしいだろう・・・。

外国に学ぶべきこと

これって細かく言えばイッパイあると思いますが、
今、特に感じておきたいこととして

ものごとの長所をみつめて褒めたたえる欧州人と、
ものごとの短所をみつけて修正させる日本人。


この差は大変大きいと思う。


こと、ハイクオリティーで安定したモノを生産し続けるには後者のほうが優れていると思うけど、
こと、対人間と考えれば 長所を伸ばしやすい前者と、短所を叩きのめされ這いあがる後者の差があるような・・・。


今の日本では、極端なハナシ 一定レベル以下の人間の存在自体を否定しかねない空気さえ感じる。


口では人権だとか平等だとか言っていても
行ってること やってることは 残虐で しかも社会全体が集団いじめに参画してるかのようなことまで。


欠点や原点を無くす努力によって成長してきた日本も とうとうその歪が心にあらわれてきてるような気がする。