今日は書けたので普通に書いていた。とりあえず6話書いた。

根を積めればもっと書けたんだろうけど、そんなに全力になって書かないといけないって事でもないし。義務ではないもんな。義務にすると途端に書けなくなるからなあ。私は私のペースでやらせていただきますのでね。明日も沢山書けるといいなあと思っております。まあ書いていることは雑談レベルの話なんですけどね。主題が日常系なので、そうならざるを得ないと言いますか、苦手な人は苦手なんだろうな。

 

私の書いてるものについては、多分せっかちな人には合わないんだろうなって思っています。私自身はどちらかと言えば、のんびりタイプなのでね。仕事に関してだけせっかちになるんですよね。根を積め過ぎるんだろうな。それではいかんと思う訳ですが。何とかなるだろうとは思っております。根を積めるのは仕事だけ。それ以外は基本的にのんびりと過ごしております。

 

小説は書けるときに書きたいだけ書けばいいと思っている。私の場合はそうしております。その所為でストックが激増するわけなんですが。1話2000字ってのも影響しているんだろうと思います。その位が読みやすくないですか?1話に1万字とか詰め込んでも、疲れるだけな気がしているんですよね。続けようと思ったら2000字くらいがちょうどいいと思うんですよ。

 

追いかけるにしても、その位の方が、いつでも読み止めることができますからね。話が長いと切るところが見つからんのですよ。私的にはそう思っている。錬金術師道の頃は暇があったからあんな感じになったけど、今は土日しか暇がないもんな。そんな訳で、書き方が少しだけ変わってきたんですよね。これが良い傾向なのか悪い傾向なのかが解らん所ではありますが、好きに書きます。

 

好きで書かないと続かんのですよ。小説家になろうでアップロードをしておりますが、別段小説家になりたい訳でもないのでね。なりたかったら色んなサイトに同時掲載して、色んな賞に応募してってやってますよ。多分ね。私は面倒なのでなろうだけで活動してますが、沢山のサイトに同時掲載をしている人が結構いるもんな。私には無理かなあ。なろうのシステムに慣れすぎてしまった感がある。

 

予約投稿マシマシのスタイルがあっているんですよね。というよりも、そうしないと仕事終わりに毎日アップロード作業をしないといけない破目になる。まあ何処のサイトにも予約投稿のシステムはあるとは思うけど、1話書くたびに、投稿サイトを回って予約投稿をするのも大変な作業だと思う訳ですよ。よくやっているなあと思う次第でございます。私はなろうだけで十分かなあ。

 

小説家になりたいって意欲が湧いてきたら複数の投稿サイトに投稿するかもしれませんけど。誰かが代わりにやってくれるのであればそうして欲しいって思ってしまう。私はのんびり屋のものぐさなのです。仕事だけが違うんですよね。自分の身の回りも仕事場は掃除するけど、自宅は掃除機をかける回数が決まっているからな。コロコロは転がすけど、掃除機をかけるのは月に2回くらいしかかけない。

 

いや、毎日掃除しろよとは思わなくも無いんですが、仕事じゃなければこんなもんでいいかなあと、コロコロで妥協します。仕事してから掃除機かけるとね。うるさいからね。夜間にやるものではないのはその通りなんだよなあ。だからって掃除しないのもどうなんだって話ですが。やってくれる人が居ればいいんだけど、一人暮らしですからね。どうしようも無いんですよ。

 

でも別に埃っぽい訳ではないんですよね。ちゃんと換気はしているし、晴れてたら布団も干すし。生活ができない訳ではないんですよね。やらないだけで。料理もできるが、しないな。今はジャガイモ貰ったので、色々と晩飯を作っているが、基本は弁当を買いに行きます。そっちの方が最終的に安上がりなんだよなあ。自分で作ると高くつくんですよね。一人暮らしだから余計にな。一人分を作るのって金がかかるんですよ。

 

昔は大量に作って、タッパーで保管してって言うのをやっていた。やっていたが、そこまでの時間が取れなくなったんですよ。小説を書き始めたから。小説書くのって楽しいんですよね。読むのも好きなんですけど。書くのもまたいい感じなんですよ。自分の書いた作品は読み返せるし、自分が読みたいものを書くから比較的読めるしな。60点くらいの作品しか書けないけど。赤点じゃないだけマシです。

 

人の書いたのが読めるのであれば良いんだけど、致命的に合わない作品とかもあるからな。面白い設定だと思うのは思うんだよ。文章が致命的に合わないってパターンが存在するからな。なんでなんだろうね?難しい文章ではないんですが、どうも読めない作品というものがありまして。なんでなんだろうなあ。この辺を突き詰めていけば、私の作品も面白く読んでもらえるようになるのだろうか。

 

今読んでくれている人はどう思っているんだろう。面白い、楽しいと思って読んでくれているんだろうか。あくまでも自分用の作品でしか無いんですよね。他人に読ませるというよりも、自分で読みたいって欲求の方が強いんですよね。こういう作品を読みたいから書くと言った感じで。あくまでも自分用なんですよね。それを公開しているだけってスタンスなんですよ。

 

少しでも楽しんでくれる人が居てくれればいいなって感じなんです。誰も読まないのであれば、自分で書くだけにしておけばいい話ですからね。自分で書いて、保存しておいて、いつの日か暇が出来たら読み直す。それでいいからな。積極的に賞に応募するのは評価してくれる人が居るからですよ。評価してくれるんならしてくれた方がありがたいし。どういった書き方が良いのかもわかってくるだろうしな。

 

小説の書き方は解らんですよ。どれが正解なのかが解らないんですよ。どれも正解に見えてくる不思議。でもなんでか知らないけど、読めない作品がある。設定は好み。プロットも解っていいよねって思っても文章が駄目ってパターンがあるんだよなあ。他の人は読めているのに、自分だけが無理って時もあるんですよ。こればっかりはどうしようもないのでね。話の筋が関係ないんですよね。

 

小説を書いてて、楽しいのはなんでなんだろう。自分の世界を作れるからかな?話の続きをそうぞう出来るからかな?解らんですが、魅力的な趣味になったと思いますね。書けない日もあるけど。まあそう言う日もあるよなって感じです。あくまでも趣味。趣味を仕事にする必要は無いと思うんだよな。なんかそうしたら楽しくなくなりそうで怖いんだよなあ。何でか解らんけど。

 

仕事は仕事で片付けたい。趣味は趣味なんですよね。あくまでも自分が楽しいのが一番ですよ。自分が楽しくないのは趣味ではない。それは苦行です。修行とも違うんですよ。ただの苦行でしかない。自己修練にもなってないからなあ。やっぱり楽しんで書かないといけないんだよな。苦しんで苦しんで作品を書いている人は小説家だけだと思いますね。本職の人は仕方が無いだろう?

 

流行を読んで書いたり、先んじて書いたり。自分の書きたいものとは違う物を書かないといけないんだろうと思います。自分の書きたいものを書いて売れるのであれば、それは才能があったとしか言いようがないですよ。プロの作家さんとかはそう言うレベルなんでしょうね。私とは次元の違う話をしているんですよ。何十万部、何百万部と売れる人はやっぱり才能があったとしか言いようがない。

 

努力で何とかなる分野と、何とかならない分野があると思うんですよ。私はスポーツと芸術は才能だと思っている。体や思考がそう言う人向きなんだろうな。私には芸術の才能もスポーツの才能も無かったわけですが。あったらプロとして何とかやっているって話ですよ。才能君は私の中には眠っていると思うんですが、何の才能なのかが解らんのだよなあ。解れば話は早いんだけど。

 

外見も才能の一つだと思っている私です。才能ってものは発揮することの方が少ないんですよね。誰しもが1つ以上は持っているわけなんですよ。持って生まれたものがある訳なんですよ。それがどこで活かせられるのか。解れば誰も苦労はしないんだろうな。遺伝子で解るものなんだろうか。そんなものとは違うような気がしないでもない。何が作用しているのかが解らんのですよ。

 

今回はこんな所で。まあ好き勝手やらせてもらうというのが私のスタンスですのでね。これからも今まで通りにやらせてもらいますよ。迷惑をかけることもあるのかもしれないけれど、それも私なんですよ。私は私が肯定してやらないといけないんですよね。自分を否定してたら何もできなくなるからな。私は私を肯定する。たとえそれが不出来な自分であってもだな。

 

自己否定は色んなところで歪みを作るだけなのでね。一番は他人に迷惑がかかるところ。他人と言っても近しい所に迷惑が掛かるんですよ。親とか友達とか同僚とかね。そういう所に迷惑が掛かる。多少はかけても良いんだよって思わないといけないですよ。自分のケツ持ちを出来るのであれば、それでも良いんだけど、他人に持ってもらう事に抵抗を感じたらそれはそれで問題ですよ。

 

ここまで読んでくれてありがとうございます。うつ病になって解ったことは色々とあるが、素直になることだよな。1番はそれだな。出来ることは出来る。出来ないことはできない。そう言わないと伝わらないんですよね。楽しい時には笑えばいいし、嬉しい時にはありがとうと言えばいい。それで何とかなるんですよね。抱え込んでも仕方が無いんですよ。オープンに行きましょう。全裸で良いと思うんだよな。次回もよろしくお願いします。

暇があるときには長文になります。今日は暇だったんです。