馬券買うだけの人間が、馬の余生とか。

 誤読だった。それから、なんとなく嫌悪感をいだいて、さらには馬の余生まで考えたこともないのに考えようとした。浅はかだった。
 所詮はただ馬券を買うだけの人間だ。一口馬主=余裕があって結構なことだね。ペーパーオーナー=そんなんで馬主気分とかどうなん?そんな気持ちで、「馬の余生はどうでもいい」などとぶつぶつ言ったことを後悔している。一口馬主の気持ちも、ペーパーオーナーの気持ちも、全然わからないし、わかろうともしていないのだ。なにも発するべきではなかったのだ。

 ただ、馬券を買うだけの人間として、競馬を愛している。競馬が末永く続いて欲しい。そのためには競走馬が少しでも多く生産されたほうがいいだろうと思う。地方競馬が次々閉鎖され、競走馬の需要が減る状況では厳しいだろうが、個性の特定されない、種としての馬が、牛や羊やその他農畜産物よりも多く生産されるためには、食用であろうがなんであろうがその価値が高まれば良い。

 その中で、個性を特定された馬を愛する人の気持ちを満足させるものの価値が高められればいいんだろう、とは思っている。まあ、それもただ馬券を買うだけの人間には関係のないことだろうが。