音楽の「質」の話とか


個人的に関心がなく、また本題ともあまり関係がないと思ったので(ちょっとズルく)避けた話題だったけども、典型的な誤謬の元にもなりがちなので一度整理しておこうと思う。
音楽の「質」の話だ。


音楽の「質」について話す時は、常に混乱が付きまとう。
なぜなら、質の高い低いは受け手それぞれの評価であり、それぞれの主観の問題だからだ。
誰かにとってゴミでも誰かにとっては傑作、ということは常にありうる。
「質の高い音楽」と聞いて頭に浮かべるものは人それぞれ違う。そして、そのどれが正しいかは客観的には決められない。


一方で、志の高い低いは作り手の意識の問題だ。
どこまで独善的に自己表現を貫くか、自分のアーティスト性を優先するか、ユーザーのニーズにどこまで敏感、あるいは鈍感でいられるか、という話。
もちろん、志の高くて売れる作品もありうる。


という前提の上で、この間の文章は、志の低い、つまり一般ユーザーのニーズを可能な限り取り込んだはずの作品が売れなくなったのはなんで? というか一般ユーザーのニーズはそもそも音楽自体にはないんじゃないの? という話だった。
そして、もうひとつのテーマが、そんなふうに「売れる」作品がなくなってメジャーや小売店の体力が落ちることにより、それぞれが質が高いと思う音楽をそれぞれのファンに届けているインディーも含めた、音楽産業全体がダメージを受ける。という業界構造の話だった。


CDが売れない「本当の理由」
http://blog.goo.ne.jp/matsuoka_miki/e/9da0d2f090b41a14b03ebe7a4108574e


ここで勘ぐられているような、自分にとって質の高い音楽が売れないのはなんで?なんて話ではない。誤読だ。
ただこの記事で指摘されているような認識が、(自戒も込めつつ)業界内でわりとありがちなのも事実。
こんな状況でも「質の高い音楽を作れば」とか「とにかくいい音楽を」とか「No Music No Life」とか、会議で本気で口にするスタッフもいる。
そういった耳に心地よい言葉は思考停止以外の何ものでもない。
…が、それでもだ。
アート/表現に関わる以上、その心情は非常に理解出来る、というもまたホンネである。


また、実際にいくつかのリアクションでも見られたが、ユーザーが「これからは(私にとって)いい作品を届けてくれ」と主張をするのはまったくもって正当なことだろう。例えば ここ(http://peer2peer.blog79.fc2.com/blog-entry-909.html)でされている「J-POPシーンなどというわけのわからない」ものではなく「私の言うところの質の高い音楽」をもっと!という主張も、たとえその論旨が僕がしたかった/している議論とは全く次元の異なるものだとしても、ユーザーの態度としては100%正しい。
そして彼のように、様々な位相で「私の言うところの質の高い音楽」を望むユーザーとアーティストをつなげ、それぞれにとって「いい音楽」を届ける機能をしていたのが、個人レベルのインディーからメジャーまであるレーベル、そしてメディアや流通、小売も含めた音楽業界だ。その部分がスポッと抜けちゃうかもね、というのが業界構造の話であり、下記で僕よりうまくまとめられている。


終わりの始まりのあとに(2)
http://shiba710.blog34.fc2.com/blog-entry-4.html


ちなみに、ダウンサイジングすべきというのは正しいし、その流れは以前から起きている。
実際、個人商店のような規模でレーベルをまわしているDIYな人達がインディーにいっぱい出てきた。が、ここ数年、まずそういった本当の意味でのインディペンデントなレーベルからどんどん閉鎖/撤退していった。
インディーであればあるほどビジネスとしては成り立たなくなっている。ブクマで「1000枚レベルのビジネスモデルを」とあったが、それがわりと容易に成り立っていたのが10年前の話。いまは難しい。
ただし、レーベルの副業化兼業化がすすめば、結果的にはインディー・シーンの安定化に寄与するかも、とも思っている。