「柔道は28年で114人も死亡する危険なスポーツだから必修化反対」という人は、水泳の必修授業にも反対するのだろうか?

はじめに

僕は個人的に、武道の必修化は好きじゃない。
理由は別エントリに書くけれど、たいした理由ではないので、別にどうでもいい。

さておき。こんな記事があった。

柔道事故への注意記事 掲載見送り NHKニュース

以下引用。

文部科学省の外郭団体「日本スポーツ振興センター」の名古屋支所が、来月の機関誌で予定していた柔道の部活動や授業中の死亡事故への注意を呼びかける特集記事について、「中学の武道必修化が始まる前の掲載は慎重にすべきだ」という本部からの指摘を受けて掲載を見送っていたことが分かりました。記事を依頼された専門家は「注意喚起の機会が奪われ残念だ」と話しています。

「日本スポーツ振興センター」の名古屋支所は、来月の機関誌に掲載するため、中学や高校の柔道の部活動や授業中の事故で、おととしまでの28年間に114人が死亡していることを発表した名古屋大学の内田良准教授に、事故の特徴や対策を盛り込んだ特集記事を依頼しました。しかし、直前になって掲載を見送りました。名古屋支所によりますと「東京の本部から『中学の武道必修化が始まる前の掲載は慎重にすべきだ』などと指摘があったため、掲載を見送った」ということです。一方、本部では「必修化したあとのデータが集まっていない段階での掲載は不適切だと判断し指摘したが、最終的な決定は支所に任せている」としています。記事を依頼された内田准教授は「『武道必修化を前に無用な不安をあおりかねない』という理由で掲載を見送ったと説明を受けた。注意喚起の機会が奪われたことは非常に残念だ」と話しています。

本部の「必修化したあとのデータが集まっていない段階での掲載は不適切だと判断し指摘したが、最終的な決定は支所に任せている」という言い分は、ある意味正しいと感じた。なぜなら、この記事に出てくる数字が「28年間で114人」しかないことに象徴される通り、「114」という数字ばかりが一人歩きしてしまいがちだからだ。いや、もう一人歩きしているというべきか。

柔道の授業中での死亡例は「14」または「2」

私は高校のときに柔道を選択したが(中学では武道が授業になかった)、カリキュラムとしては、半分が受け身の指導、残り半分のうち3分の2が寝技、3分の1が立ち技ぐらいだったという印象だ。むろん、リスクは全くゼロではないが、肉体的にはさほどハードな授業でもなかった。ハードというなら長距離走の方がよほどハードだった。

必修化は、あくまで授業内での必修だ。だから、死亡事故をもって「危険だ」と必修化に反対するならば、参照すべきは、部活での死亡例も含まれた「114」ではなく、授業中での死亡例でなくてはおかしい。なぜなら、部活(柔道部)のトレーニングメニューと、授業でのそれとは、大きな差があるからだ。

では、授業中での死亡例はどれほどか。元データである柔道による死亡事故 1983-2010年度(28年分)に発生した 114件 の事例一覧(pdf)から数えると、「14」なのである。

また、そのうち「柔道固有の要因」が原因となっているもの、例えば「投げ技で頭から落ちた」などは「2」でしかない。残りは心不全など、柔道にかかわらず、他のスポーツをしていても、もしかしたら命を落としていたかもしれない、という事例なのだ。
もちろん、柔道をやったがために亡くなられた例もあるだろう。が、逆にその日の授業が柔道だったがために命が救われた例もあるかもしれない。前述のように、授業での柔道は、あくまで個人的な印象ながら、それほどキツいものではないからだ。

一方、部活動では28年間で100人が命を落としている。これだけ飛躍的に例数が増えるのは、いうまでもなく、柔道は格闘技であり、勝つために過酷なトレーニングを行うからだろう。私自身は文化系の部にしか所属したことがないので、実際のところは分からないけれど。

部活での「柔道固有の要因」による死亡例を数えると、大会での事故(1)も含めて「75」だ。つまり75%が、柔道が原因で死亡しており、そのハードさがうかがわれる。

しかし、前述の通り部活の柔道と授業中の柔道は別物だ。それを一緒くたにして「柔道は危険だから必修化に反対する」というのは、「学校の自主制作映画の予算平均にハリウッド映画の予算を足し合わせて、『映画はこんなに予算がかかるのだから自主制作映画なんて作ってはいけない』というようなもの」ではないだろうか。

本当は危ない?水泳の授業

実は、柔道より危険な授業を、ほぼ必修で行っている。それが水泳だ。

以下はその資料。
学校における水泳事故防止必携(新訂二版)(pdf)

※内田氏の資料とは集計方法に違いがあるだろうし、どちらもそれぞれ、どの程度の暗数があるかも分からない。しかしひとまずは、暗数を考慮しないことにする。

中学・高校での水泳の死亡事故は5年間で17件だから、柔道と同じ28年間に換算すると95.2人だ。柔道の方が多いものの、約85%と、ほぼ拮抗していることが分かる。
また、水泳の特徴は、授業中の死亡事故が多いことだ。小学校の事例も入っているため一概にはいえないものの、授業中での死亡事故は全体の50%であり、この割合を仮に当てはめてみると、47.6人となる。柔道の3倍以上である。
さらには、「溺死」という「水泳固有の死亡原因」が75%を占めている(窒息はひとまず除いておいた)。部活と授業とでどれほどの差があるかは不明なので、これも仮に当てはめて「授業中に、水泳固有の原因で死亡した、28年間換算の死亡数」は35.7人となる。実に柔道の17.8倍だ。

余談だが、「授業中に、水泳固有の原因以外で死亡した、28年間換算の死亡数」は11.9人となる。授業の延べコマ数に違いがあるだろうから、単純に比較はできないが、柔道の数字とほぼ同じである。つまり、種目固有の原因以外で亡くなられた方は、別の種目をやっていても、はやり亡くなられていたのかもしれない。
今回は時間切れだが、このあたり、運動強度との関係も調べてみたいところである。

授業の実施率は

次は授業の実施率を検討してみる。水泳の延べ授業コマ数が柔道の10倍なら、当然事故の可能性も高くなる。

水泳は仮に100%実施しているとする。余談だが、私の通っていた高校にはプールがなく、水泳の授業もなかったので、実際にはもっと少ないとは思うが。

一方、柔道。同じく内田氏の論文柔道事故 武道の必修化は何をもたらすのか(pdf)を見ると、

たとえば神奈川県の中学校では1997年度の時点で武道の実施率が91.5%、うち柔道69.1%、剣道28.3%、相撲1%(以下略)

武道の実施率は、柔道が約6〜7割、剣道が2〜3割

などとあるので、(1.28追記)中学1年生男子の柔道の実施率は60%としてみる。
授業のコマ数は同じと仮定した。実際、同じぐらいではないだろうか。

すると、柔道が必修化された場合、28年間で起こる死亡事故は、23.3だ。これでもまだ、100%必修と仮定した水泳の半分でしかないのである。
(1.28追記 必修化されるのは、「中学1・2年」の「武道」であり、さらに、これまではダンスを履修していた女子中学生が新たに加わることになるため、上記の数値の出し方には誤りがあります。以下のように修正します。なお、後で出てくる数字ですが、「28年で1件」というケースをもって、あれこれ計算する意味は、本来ほとんどありません。一種の「実験」としてお読みください)

武道が必修化されるのは中学なので、改めて、柔道による死亡事故 1983-2010年度(28年分)に発生した 114件 の事例一覧(pdf)から中学の授業のみ拾ってみると、28年間で1件だと分かる(柔道固有の原因は0件)。
28年の間には、武道が必修だった時代もある一方、学習指導要領の98年改訂分では、1年が(武道/ダンス)、2年が(武道/球技/ダンス)の選択となっているなど、正確なコマ数を割り出すことは難しい。ここでは仮に、調査期間中ずっと、中学男子は1年が武道、2年が球技を選択し、武道の実施率は、柔道60%だったとする。
必修化後は、1・2年とも、柔道80%(残り20%は剣道)を選択すると仮定する。
事故への耐性は、内田氏の論文によると1年生の方が事故件数が多い(1年生の方が体が弱い)と報告しているが、ここでは1・2年とも変わらないものとする。
すると、1・2年の必修化により、28年間に起こる死亡事故は、男子だけで2.67人という計算だ。

また、中学女子は、これまでの28年間、1・2年とも全員ダンスを履修し(柔道を履修していない)、必修化後は全員が柔道を選択するものと仮定する。
事故への耐性は、男女変わらないものとする。
すると、女子の死亡事故は3.33人と計算される。

つまり、必修化以後28年間、(柔道固有の原因かどうかにかかわらず)柔道の授業中に起こる死亡事故は、6件と見積もられる。

水泳はどうか。
再び学校における水泳事故防止必携(新訂二版)(pdf)から中学の死亡事故を当たると、5年間に6件である。
うち半数が授業中での事故で、また水泳は1〜3年で全員が選択していると仮定すると、武道必修化に相当する中学1・2年生の死亡事故は、
6×50%×(2/3)×(28/5)=11.2(件)
であり、柔道の倍の事故が起こるという計算結果となった。つまり、柔道での死亡事故は、必修化されても水泳の約半分でしかないのである。*1

なお、「柔道事故」のデータの範囲には、いわゆる第二次ベビーブーム世代が入っている一方、「水泳事故」は少子化が進展した時代の数値である。つまり、授業を受けた母数でいえば柔道の方がかなり多いと思われることにも留意されたい。今回はこの点を無視しているが、人口統計などと併用すれば、より精度の高い(といっても、28年間に1件とか、そういった数値を使っているので、精度も何もあったものじゃないけれど)計算ができるかもしれない。

障害者数について

障害者数については、
柔道による障害事故 1983-2009年度(27年分)に発生した 275件 の事例一覧(pdf)では、14級まで記載していて、27年間に275件、一方、学校における水泳事故防止必携(新訂二版)(pdf)では1〜5級で5年間に18件(中学・高校のみ)である。前者の1〜5級を数えれば、大まかな比較ができそうだが、ちょっと時間がなかったので放置しておく。*2
あくまでも印象ではあるが、やはりほぼ拮抗しているのではないだろうか。

改めて最初の記事を見てみる

記事では名古屋支所のコメントとして、

名古屋支所によりますと「東京の本部から『中学の武道必修化が始まる前の掲載は慎重にすべきだ』などと指摘があったため、掲載を見送った」ということです。

と掲載している。では、何を「慎重にすべき」と本部は言ったのだろうか。

「必修化したあとのデータが集まっていない段階での掲載は不適切だと判断し指摘したが、最終的な決定は支所に任せている」としています。

とあるから、慎重にすべきなのは「データの掲載」であることが分かる。また、時期的な面から考えても、特集は「武道の必修化」に伴う対策だったのだろう。

では、どのようにデータを扱っていたのだろうか。これは類推するほかないが、
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20120117-OYT1T00433.htmã‚„学校リスク研究所 −重点課題:学校舎における転落事故−を見る限り、果たして「必修化=授業の柔道が増える」という特集に合ったデータ処理や説明がなされていただろうか、と疑問が残る。何しろ、「柔道固有の原因」を、部活動と授業とで区別していないぐらいなのだから。

必修化されることで、現状の授業での柔道教育よりも、ややハードな内容となるのかもしれない。
ならば現状の授業での事故事例よりも多くなることが予想されるが、かといって、さすがに柔道部ほど激しくはならないだろう。
その意味で、本部の言った

必修化したあとのデータが集まっていない段階での掲載は不適切

というのは、何ら不思議な話ではない。

この仮説が正しいならば、冒頭の記事のまとめ方も、よいとはいえない。
タイトルが「柔道事故への注意記事 掲載見送り」で、末尾が

記事を依頼された内田准教授は「『武道必修化を前に無用な不安をあおりかねない』という理由で掲載を見送ったと説明を受けた。注意喚起の機会が奪われたことは非常に残念だ」と話しています。

では、見送らせた理由がこういった「(微妙な)データ」で注意する記事なのか、それとも「安全対策」への注意を促す記事なのかがぼやけているからだ。

おわりに

(いいかげん疲れたので口調を変えます→1.27 1:00a.m.家に帰ってお風呂入ったら疲れがとれたので口調を戻し、修正・追記します)
日本スポーツ振興センターにはいくら何でも「死亡リスクを隠そう」とか「柔道は絶対安全」といった意図・主張はないと思われるし、そう思うこと自体、陰謀論の一歩手前といった危うさを感じる。
そう読めるとするならば、粗のある元記事が原因ではないだろうか。
例えば、センター本部でも
柔道によるけがを防ごう!(pdf)など、授業での柔道の事故に注意するよう、呼びかけているからだ。
(そもそも、内田氏のデータも、日本スポーツ振興センターが元データを出している)
センターの方ではきちんと「今回は、授業に特化しました」という但し書きをつけていることなども鑑みると、やはり「武道の必修化と安全対策」という特集テーマに対して、内田氏のデータの出し方には問題がある、と考えての「見送り勧告」だったのではないかと推察したが、どうだろうか。

冒頭にも書いたように、私自身、大した理由ではないが武道の必修化は個人的にいけ好かない。

また、必修化の裏側に、何となくではあるけれど、上から目線的な大人の思惑が見え隠れしているように感じられることも、人によっては嫌悪感を催すのかもしれない*3。そういった理由で反対することに対し、私は止める気もない。

だが一方で、武道を必修化することにより、ベネフィットも生まれるのかもしれない。
そのベネフィットが、リスクを大きく上回るのなら、推進するのも悪くないのかもしれない。

これらを突き合わせ、必修化が望ましいのか、そうでないのかを判断するには、なるべく精度の高い数値を用い、冷静に検討することが必要ではないだろうか。少なくとも、「柔道は中高合わせて28年間で114人が死亡している」という数値は、必修化に反対する論拠としては、やや筋が悪いのではないかと思うのである。

最後の最後ではあるけれど

柔道や水泳に限りませんが、授業の事故で亡くなられた方のご冥福をお祈りします。
また、障害を残した方にも、心よりお見舞い申し上げます。
今後、できる限り事故が防がれることを、切に願っております。

*1:結果として、修正前とほぼ同じ結論になったことに、私自身驚いている

*2:余力があったらこの部分は書き直す。

*3:これについて、実際のところは分からないし、また、私自身の「いけ好かない」思いには影響していない