ニコニコ動画とゲーム

ニコニコ動画について、ゲームというキーワードで考察しているエントリを見かけ、いろいろなことを考えさせられたりした。

ゲームってそもそも何なんだ - nagaimichikoの日記
長文日記

そこで僕も「ニコニコ動画」と「ゲーム」というキーワードについて、ちょっと文字を羅列してみることにした。

ただ、

コンピュータゲーム的な楽しさをその他のサービスに応用することは決して無駄なことではない。

iPhoneもニコニコ動画もまさにゲーム的なエッセンスをゲームでないものに対して適用して成功したソフトウェアと言えるだろう。

(引用はshi3zさんのエントリから。以下も同じ)
について、「コンピュータゲーム的な楽しさを応用すること」と「ゲーム的なエッセンスをゲームでないものに対して適用」が同じことを指しているのか、また、「ゲーム的なエッセンス」としてshi3zさんが何を想定しているかが読み取れなかったので、無駄打ちになる気がしなくもないけれど。

空き地や原っぱとしてのニコニコ動画

ニコニコ動画はゲームとして設計されたわけでもなく、ゲームとして売り出された訳でもない。だからゲームであるはずがないのだ。

ニコニコ動画を「正しく遊ぶ」ためのルールは誰も規定していないし、それを強制的に守らせるような審判にあたる力も働かない。

確かに、ニコニコ動画そのものは、いわゆる「ゲーム」ではないと、僕も思う。
が、ニコニコ動画で起こっていることは何かと考えると、結構ゲームっぽい、とも思っている。

では、ニコニコ動画とは何だろうか。近いものを一言で言い表すなら、僕は空き地とか原っぱとかだと考えている。

空き地や原っぱそのものは、もちろんゲームではないし、ゲームとしてデザインされたものでもなければ、ゲームとしてのルールも規定されていない(「○○をしてはいけない」という、禁止事項としての「ルール」はあるけれど、その禁止事項を使って遊ぶわけではない)。

でも、その空き地や原っぱで、人は何かしらのゲームを始めたりする。もちろん、ゲームをしないこともある。単にぼーっとしていたり、寝ていたり。でも、その空き地や原っぱを使ってゲームを楽しんでいたとして、それはゲームでないか、というと、言うまでもなくゲームだろう。

ニコニコ動画の「ゲーム」とは

さて、shi3zさんが定義するゲーム、すなわち

ゲームとはルールである。

ルールとは、守らされる物ではなく自発的に守る物だ。

について、確かに、ニコニコ動画で起こっていることのうち、たいていは、ゲームではない。共通して守るべきルールもない。
が、上にも書いたように、ニコニコ動画という場の中では、ゲーム的なことが、そこかしこで起こっている、と僕は思う。

たとえば。


ある投稿者が、こんな動画をあげたところ、動画の中の
・36秒(前後)
・アイドルマスターに関連した何かに関する販売促進
という部分が抽出され、これをルールとして、突発的に動画の投稿合戦が始まった。
箱○を買ってシリーズ
「ゲームとはルールである」「ルールとは、守らされる物ではなく自発的に守る物だ」という定義にも、よく合致している。
蛇足をひとつ。ゲームに必ず勝敗をつける必要はないと思うけれど、あえて勝敗という観点で言えば「再生数」「マイリスト数」「マイリスト登録率」ついでに言えば「面白かったかどうか」などがその判定基準になったりするのだろうな、と。

閑話休題。面白いのは、「こういうルールにしようぜ!」と強く提唱した人がいて始まったのではなく、ニコニコ動画という「空き地・原っぱ」に集まった人が、自然発生的にルールっぽいものをつくりあげたことだ。

ニコニコ動画はゲームとして設計されたわけでもなく、ゲームとして売り出された訳でもない

ニコニコ動画を「正しく遊ぶ」ためのルールは誰も規定していないし、それを強制的に守らせるような審判にあたる力も働かない。

けれど、ニコニコ動画を舞台に、「ゲーム」は生まれている*1。

そして、これは僕の主観だけれども、

それは、ゲームの代替品にはなるかもしれない。だから文学的な意味で「ニコニコ動画はゲームだ」と言う日本語は成立するかもしれない。ゲームによって満たされていた時間をニコニコ動画が奪った。だから「ニコニコ動画はゲームだ」と言う人が居てもおかしくない。

だから「ニコニコ動画はゲームである」という言葉の裏には、「いままで僕はヒマさえあればゲームをしていたけど、いまはニコニコ動画をしている、僕にとって今ゲームの代替品となっているのはニコニコ動画なのだ」という意味を極限まで強調した表現である。

というよりも、ニコニコ動画で起こっている「ゲーム」は、実際的であり、そのゲームとは、遊んでいて結構楽しいものだと思うのだ。

結論めいたこととして

「ゲームとは何か」ということを突き詰めて考えると、たとえばコンピュータゲーム売り場で「ゲーム」として売られているソフトウェアは、まだこの段階ではゲームではない。単なる円盤みたいな物体あるいは四角くてうすっぺらい物体であり、データの集積であり、起動したとしても、それはまだ「絵」でしかない。
ゲームがゲームたりえるのは、そのゲームを「楽しみたい・遊びたい」という人がいて、そのゲームで設定されたルールに従う意向があって、プレイという行動を起こすからだ。言い換えると、これらが満たされていないと、「ゲームとして売られているもの」も、畢竟、空き地や原っぱと変わらない、といえるのではないだろうか。

ニコニコ動画では今、そこかしこで「楽しみたい・遊びたいという人がいて」「(自然発生的に生まれた)ルールに従う意向があって」「プレイという行動を起こしている」。その意味では、ニコニコ動画はゲームだ、という考え方って、少なくとも的の一端は射ているように思えるのだけど、どうだろうか。

*1:ほかにも、見る側のゲームとしては、コメントアートとか、弾幕とかがあったりする。これも「空気」という一定のルールに従っていたりして、傍観していても、なかなかに面白い。あくまで僕は、だが。