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母を憎むトラウマ!水筒の中身は水じゃなければならない理由

水筒の中身は何を入れるか?
私の家は「水」一択だった。
遠足も運動会もお弁当の横にある水筒の中身は水でした。


小学校に入学して、初めての遠足の時に私は何かがおかしいと気付いたのです。


「水筒に何を入れてきた?」


何人かの友達にその質問をされたから。
水筒に水以外の何を入れるというんだろう?


私の家は麦茶を飲む習慣がなかったの。
父と母は家で、よくコーヒーを飲んでいました。


コーヒー、それは子供が飲んではいけないもの。
子供は水を飲むこと。


そりゃあ、たまにはジュースも飲ませてもらいました。
父がコーラを好きだったから、冷蔵庫にコーラがある日はコーラも飲めた。


しかし、だいたい水。


私は自分を普通の家の子だと思っていたけど、水筒を見ると悲しくなるトラウマがあります。


私の小学校時代のトラウマになるほどの水筒との戦い。
三つ子の魂百までって本当だわ。
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水筒の中身

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■目次

 ▶水筒の中身
 ▶トラウマ
 ▶麦茶
 ▶まとめ
 

水筒の中身


「水筒の中身は水」


友達にその一言を言うことがどんなに辛いか、私の母親は分かっていなかった。


遠足のとき、水筒の中身が水だったのは私だけ。
運動会のときも、お弁当持参の登校のときも、水筒に水を入れてくる小学生は、私の知る限り私だけでした。


おかしいっ!


うちは他の家と違うのか?
皆と違うことをしているのは恥ずかしい。


私は早速母に抗議したのです。


「水筒の中身を水以外の飲み物にして欲しい」


今思えばそんなに無茶な要求じゃなかったと思うけれど、母は火のように怒ったのです。


「私は水筒に水以外は入れたことが無い!
私の家は水しか認めない!
私の兄も妹も水筒に水以外は入れなかった!」


母は怒ると怖い人でした。
母の時代は何年前の話なのか、小さな私は更に抗議をしようという勇気がなかった。


だいたい、お弁当を持って行く時は特別な行事のときだけ。
水筒の出番はそんなになかったからすぐに忘れてしまう。


しかし、行事は忘れた頃にやってくる。


運動会の日は水筒の中身がカルピスの子まで登場!
女の子同士は皆でお弁当を食べるとき、おかずや水筒の中身を取り替えっこする恐怖の仲良しタイムがあるのです。


麦茶の子が殆どで、カルピスの子は「いいなぁ」って羨ましがられた。
そして私は憐れみの目の対象。


「なんで水なの?」


そんな情け容赦ない質問をしてくる友達に「だってお母さんが水しか許してくれなくて」と悲しそうに言うしかない。


水が憎いっ!
カルピスや麦茶じゃなくてもいいから、薄い番茶でも水以外なら友達から同情されずに済む。


私はお弁当持参の行事がある度に母に抗議。
遠足がある前の日は泣いて騒いだ。


水は嫌だー!


ああ、可哀想な私。
けれど母は決して折れなかった。


ある日はおばあちゃんに電話までして「水筒の中身は水でいい?」なんて聞いて、大正生まれのおばあちゃんの「水でいいべ」に満足。


「ほら、おばあちゃんも水だと言っているでしょ!
嫌なら水筒を持っていくのをやめなさい」


頑なでした。
泣いて騒ぐ私は火のように激しく怒る母にガミガミ言われ、水の入った水筒を持って行くしかなかったのです。


私はお弁当持参の日だけは皆に憐れみの目を向けられるけど、それ以外の日は友達も多くて普通に楽しく生活していたの。


だからこそ、行事がある日も皆と同じように楽しくしたかった。
水筒の中身さえ水じゃなければ問題は無かった。


母はなんであんなに頑なだったのか?
何度か聞いたこともありましたが、よく分からない。


もう亡くなってしまったから真相は闇の中です。
覚えているのは水筒を持って行く日の惨めな気分の小さな頃の私。


トラウマ


可哀想な私。
あの時の私は本当に水筒が嫌で嫌でたまらなかった。


世の中には日々の水さえ飲めない人も沢山いるし、好きなだけ水が飲めるだけでも幸せだと思え!

そんなお叱りを言おうとしている貴方!


そんな事は分かっている。
だけど私の家は麦茶が買えない程の貧乏ではなく、それどころか母は毎日のように喫茶店にコーヒーを飲みに行っていた。


私もよく喫茶店に連れて行ってもらい、ジュースやパフェを注文。
麦茶が買えないどころか、飲み物に贅沢をしていた母!


いつの日か、私はとても母を憎んでいることに気が付いたのです。


あの時、水筒に水しか入れてくれなかったことは許せない。
小学校6年間ずっと水筒の中身は水。


私の楽しかった6年間の中での汚点。


子供の頃に味わった理不尽な思いって、トラウマになってしまうんですね。
水筒の中身が麦茶の子が羨ましくてたまらなかった。
水筒を見る度に母への憎しみが蘇る。


普段は憎しみなんて無いし、育ててもらった恩があるし感謝しているわ。
母が亡くなるまでよく会話もしたし、関係は普通でした。


ただ、あの時の母を思い出すと怒りと悲しみの感情に包まれる。
小さな私を可哀想だと、今の私が同情している。


麦茶


中学生になってからは、自分のお小遣いで麦茶のパックを買って自分で麦茶を作るようになりました。


初めて麦茶を飲んだのは小学校3年生のとき。
水筒の中身が水だった私は、遠足や運動会の行事やお弁当持参のときに誰とも水筒の中身を交換しませんでしたから。


あれは暑い夏の日、友達の家に遊びに行って冷蔵庫から麦茶を出してくれた友達に「ついに麦茶が飲める」とドキドキしていた私。


世の中にこんなに美味しい飲み物があるなんて知らなかった。


私は麦茶に憧れていました。
私の妹もそう。


この豊かな日本で、普通に生活していた私達の憧れはただの麦茶。


中学生になってから麦茶がいつも冷蔵庫にある生活になったの。
母は何も言いませんでした。


小学校時代のあれは何だったんだろうと思う位に麦茶や烏龍茶が普通に飲めたり、水筒に入れられる生活になったのです。


ご飯やおかずに文句を言ったことは無かった。
欲しいお菓子を買って貰えなかったことはあったけど、全然恨んでいない。
当たり前のこと。


もっと可愛いお弁当を作って欲しいと言って友達の可愛いお弁当の話をしたとき、母は可愛い小さなおにぎりをいくつも作ってお弁当を可愛らしく盛り付けてくれた。


感謝している。


その反面、水筒のことは何年経っても許せない。


まとめ


教育だったのかな?
だとしてもいつまでも恨まれる教育なんて悲しい。


私は自分の子供が生まれたら決して水筒の中に水を入れないと決めていました。
あの時の私のような思いをさせたくないから。


何年何十年経っても恨まれるトラウマ。
あの時の母を許せない。


いつかは許せる日がくるのかなぁ。


子供の頃の強力な恨みっていつまでも心に残るものだと身をもって知りました。


悪いことをして怒られるとか、わがままを言って怒られるということじゃなくて、理不尽だと分かっているからかな。


何故水筒の中身は水じゃなければいけなかったのか?


答えは永遠に分からない。
ただ、水筒を見ると小さな私がいつも泣きながら訴えてくる。


たかが麦茶くらいで心が狭いと思われるでしょうが、何十年経っても癒されないトラウマです。


でもね、おかげで麦茶入りの水筒を持っている時は嬉しくてたまらない。



おほほほほ



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