チェンライの日々

タイ(チェンライ)に住んで16年。日々の暮らしを綴ります。

味覚障害と取材

昨日は変な夢を見た。
凡そ取材の仕事など現役の時にした事が無いのに、どう言う訳か退職してから16年経って自分が記者か何かで仕事をする夢。
不思議なのは遠くに黒い物が見えて居て、近寄ると餡の様に見えた。
すると忽ち気分が悪く成ってその黒い物の取材が出来ない。
味覚障害で甘い物は食べられ無いと言う事は度々言って来たが、次に玉葱の天ぷらを見ると、これも甘そうで取材が出来ない。
いや、もう一つ不思議なのは其の取材が深夜で在るにも関わらず、誰もが親切に対応してくれる。
そして、甘そうな物を見ると忽ち気分が悪く成って呼吸困難に成り、深呼吸をして耐えようとする。
その繰り返しを明け方までして居たが、完全に寝てるのでは無くて、おぼろげに意識が有る様に思えた。
目が覚めても強烈な印象だったので、何時までも覚えて居た。
一体、この夢は何を表して居るのだろう。
味覚障害は分かるが、どうして取材と言う場で現れたのだろうか。
しかも取材対象者は妙に親切だった。
若しかして此れは妻だったんだろうか。
そう言えば「此れは甘い」だとか、「甘く無い」だとか甲斐甲斐しく世話をしてくれて居る。
そう言えば深夜でも私が咳き込むと心配して起きて来る。
妻もずっと寝て無い筈だ。
私の体力も心配だが、妻の体力も心配。
何を食べても甘く感じるので、食べる物が余り無い。
今日は朝が早かったせいか、3時頃に腹が減ったので、試しに食パンを食べて見た。
トーストにしてバターを塗ったが、イマイチ。
試しに蜂蜜を塗って見たらこの方が良かった。
トーストに氷水。
この組み合わせで何とか凌げる。
半分も食べれば満腹に成る。
兎に角、食べられる物は何でも食べなければ体力が持たない。
在住の友人から貰った山芋が食べられる。
有難い事だ。
これで命を何日繋ぐ事が出来るのだろう。


昨日の朝食


昨日の夕食


今日の朝食


今日の昼食


今日の夕食
いつも美味しい料理をありがとう。


今日はこんなYOUTUBEを見て居た。


Deshazte De Toda Mala Energía | Flauta Curativos Tibetanos | Cura El Daño En El Cuerpo

味覚障害

この歳に成ってこんな病気に成ろうとは、単なる亜鉛不足では無く、もっと重篤な病気が隠れて居るのかも知れないが、今は弁膜症に依る息切れが最も大変で、腎臓病に依る足の浮腫みも重症化して居る。
その上、味覚障害で何を食べても美味しく無い。
唯一、塩鮭と豚足のみ食べる気がする。
後はレタスとセロリー。
ご飯は永谷園のお茶漬け海苔で流し込む。
刺身も鯖の二杯酢は感じる事が出来るが、他の物はワサビの辛さで誤魔化す。
どうして豚足を美味しいと思えるのかは不思議だが、豚足の甘味は気に成らない。
他の物は何を食べても甘く感じて食べられ無い。
パンをトーストにしてもフワッとして食べ難い。
もっとパリパリのイメージだったのに…。
塩飴を買ったのだが怖くて手が伸びない。
甘くて食べられ無いのでは無いかと…。
これからも益々味覚障害は強く成るだろうが、最悪、梅干しとお粥で凌げるのではと思って居る。
歯の悪く成った在住の人で、お粥で10年生き延びてる人が居る。


昨日の朝食(きのこ炒め)


昨日の夕食(豚足)。


今日の夕食(刺身&鮭の塩焼き)
いつも美味しい料理をありがとう。


今日はこんなYOUTUBEを見て居た。


売国奴に乗っ取られていた考古学!

傲慢

そもそも日本の為だとか、国民の為だとか、利他は利己であると言う事を自覚するなら、傲慢で実に上から目線な事だ。
小学校の恩師の教えも「正直・努力」と言う事で、他人の為と言う教えでも無い。
父の教えも「コップに溢れる水の分だけ他人の為に」と言うものだった。
此処に来て、自分の事で精一杯に成って初めて、他人の為どころでは無いと言う想い。
そもそもどうして「善」とか「良心」とかを追い求める様に成ったのだろう。
利他は気持ち良いと言う感情が青年の頃には素直に心の中に入ったのだろう。
もっと自分本位に生きれば楽だったろうになどと何時も考える。
幼児期の何かの出来事が「愛他主義」を強烈にさせる何かが有ったのだろう。
もっと自分本位に考えれば、今までの反国民的生き方を其れほど忸怩たる思いで過ごす事も無いだろう。
これからどう生きようが世の中にそんなに影響を与えるものでも無いし、そもそもそんな考え自体がお人好しだ。
もっと自由に!
もっと気楽に!
それで良いのだ。
凝り固まった人生を解き放とう!


今日の朝食



今夜は海鮮丼。
いつも美味しい料理をありがとう。



今日はこんなYOUTUBEを見て居た。



【田舎一人暮らし】93歳の一日のルーティン

その後

今まで何度も述べて来た様に、遥か異国の地で私がブログで何を書こうとも、私が現役時代にして来た事と比べれば、風呂の中で屁をこく様な物だ。
私が居なく成ってから入党された方も居られるだろう。
それは私の背中を見て入党されたのかも知れないし、或いはそうで無いのかも知れない。
そして労働運動も私の活動に励まされ後を引き継がれた方も多いかも知れない。
唯、労働運動に関しては、世の中に全く役に立たなかったとは思い難い。
労働条件の改善や労働環境の向上には資して来たと思いたいし、府民の基本的人権の向上にも資して来たと思って居る。
一方で、共産党の活動に関しては懐疑的である。
勿論、国民の基本的人権の向上に果たした役割も一定有るとは思いつつも、一方では誤った平和路線の弊害や、自虐史観の増長など、今と成っては取り返しの付かない自らの過ちに忸怩たる思いも有る。
この歳に成って今更どうする事も出来ない。
唯、それでも座して死を待つのでは無く、限りある命の中で幾ばくかの抗いをしようとするものである。
私は長い間、偏見の中で生きて来た。
皆さんが党員を偏見の目で見て来たと思って来た私自身が保守と思われる人を偏見の目で見て来た。
いや、右派とか左派では無く、グローバリズムこそ人民の敵なのだ。
国際金融資本、彼等こそが国の垣根を越えて人民から収奪しようとして来た。
私がこの歳に成って幾ばくかの抗いをしようとするのは、僅かながらも反グローバリズムの兆しを感じて勇気が得られるからである。
トランプの出現もその一つである。
ウクライナ紛争も中東の紛争も収束の方向に成るだろう。
そして何よりも中国の力を弱めるだろう。
唯、日本も正しい選択をしなければ同じ運命が待って居る。
何より焦った中国が危険でもある。
前置きが長く成ったが、差し当たっては自虐史観からの脱却が必要だ。
ウクライナ紛争に依って、日本の防衛談義が進み、それが自虐史観からの脱却に繋がると考えて居る。
唯、国のアカデミズムの上層部が自虐史観で染まってるから事は容易では無い。
例えば日本では他国の国旗を燃やしたら刑法に問われるが、日本の国旗を燃やしても問われない。
日の丸を国旗と認めるかどうかは意見の分かれるところだが、外国では一旦それが国旗と決まれば万人に法が適用される。
日本では表現の自由の名のもとに処罰されない。
変な話だが、これも自虐史観の影響を受けて居る。
次に憲法前文の話、「諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたって自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によって再び戦争の惨禍が起ることのないやうにする」此処にまやかしが有る。
自国の政府に依ってと言うよりも、世界の軍事バランスの不均等に依る事の方が常である。
そして兵器を売りたいグローバリストのせいでもある。
近年では軍需産業よりも製薬会社の利潤へのシフトも有る。
日本がWHOに最も加担して居ると言う恥ずかしい面も有る。
WHOは各国に緊急事態宣言を出させ、強制的にワクチを接種させる目論見で、その小委員長を日本人がやって居る。
しかし、各国民の反対で未だ成立して居ない。
さて、私は味覚も変わり、どうやら単なる亜鉛不足では無く、回復の兆しは無い。
体調も一進一退で、足の浮腫みも取れず、利尿剤も効かなく成って居る。
何より何を食べても美味しく無いと言うのが一番残念な事で、田原総一朗が90で毎朝レタスとトーストを美味しそうに食べて居るのを見ると羨ましい。
矢張り人間食べる事の楽しみと言うのは大きい。
今は美味しいと思えるメニューも少なく成り、この先の人生の楽しみも、もう一度考え直さなくては。


今日の朝食



今夜は冷うどん&茶碗蒸し。
いつも美味しい料理をありがとう。



今日はこんなYOUTUBEを見て居た。


 

【総理に提言】闇バイト問題について緊急提言を提出しました

党の体質とGHQ

戦前は党幹部の変節や稚拙さが有った。
それまでは党の歴史も浅く、組織的にも未成熟な面が多々有った。
何よりソ連からの指導に頼って居た。
そして日本での確固とした熟成に至る前に戦時に突入した。
幼稚な組織論で有ったが故に、特高の前に脆くも崩れ去った。
戦後は紆余曲折を経ながらも、牢獄で転向しなかった数少ない宮本同志が党を立て直して行ったのだが、そもそも理論的水準が高かった訳では無い。
単に変節しなかったと言う事を持って、必要以上に英雄視された。
理論的水準の低さ故、その後様々な問題を抱える事と成る。
まず後継者選びに問題が有った。
理論的水準が高かった不破哲三に自己批判を迫り、それと引き換えに後継者とした。
不破哲三は自己批判を呑む事に依って、その後の問題を内包する事に成る。
彼もまた正常な選挙では無く、恣意的に後継者を選ぶ事と成った。
当然の事ながら後継者の理論的水準は低い。
その矛盾は当然の事ながら現指導者にも至って居る。
ソ連が核実験をした際、あらゆる実験に反対するのは米国の利益を擁護する事に成るなどと誤った主張をし、その後訂正したが、未だに「我々は一貫して反対して来た」などと詭弁を弄して居る。
また、松竹氏が指導者は公選制にすべきだと主張したら、反党・分裂主義者だと言って除名した。
公選制に無理が有るとしても、除名はオカシイ。
一つには今の専従制に問題が有る。
専従は党から給与が支給され、反対意見が言い難い。
一定の専従者は必要だが、もっと大幅にそれ以外の者を登用すべき。
労働運動で闘って来た者と専従者との理論的水準が余りにも違い過ぎる。
そんな専従に囲まれて育った幹部の中には、「自衛隊は暴力装置」などと教条主義的で世間知らずな事を平気で言う者も現れ、未だに幹部で居る。
私が党の誤りに気付き難かった原因の一つに、組合活動の幹部には党の幹部も多く、大企業本位の自民党府政と対峙しながら、府民と共に歩み、政党支持の自由を尊重する組合路線の素晴らしさを思う時、党の誤りに目を背け勝ちだったと言う事が有る。
そして、党の課題と組合の課題に休む暇も無く追われて居たと言う言い訳も有る。
公務員としての仕事も人並みにこなした。
最後の職場ではビルメンテナンスや紺綬褒章など36種類もの仕事を抱えて居た。
どの仕事が何処まで進捗して居るかを全てパソコンに記録して居たので、退職時の引継ぎも無難に終わった。
それを見れば1年の内でどう言う時期に何をすべきか、また、どの様にすべきかも記録して有ったので、後任者は助かっただろう。
自画自賛はこれ位にして、今はGHQに引かれた自虐史観で過ごした日々を大変悔やんで居る。
小学校は湯川秀樹の卒業した学校で、講堂にはその掲示が有った。
図書室にソ連の本が置いて在った様に、後で分かった事だが、党員が多かった。
私を3年間担任してくれた恩師は幸いアカでは無かった。
同窓会で京都教職員組合の書記長に成った者が居たが、彼が恩師と口論をして居たと言うのを後で聞いた。
恩師の教えは「正直・努力」
同窓生全員がその教えに感謝してると言って居た。
私は結婚式の時に恩師が退職して神戸の垂水区から遥々祝辞に駆け付けてくれた。
私は大層可愛がられたのだ。
2年生の時には肩車をして廊下を歩いて貰った事も覚えて居る。
さて、自虐史観の話だが、アメリカは日本が再びアメリカに歯向かわない様に、あらゆる制度設計をした。
農地解放で零細小作農を増やし、財政法4条で戦費国債の発行を出来なくし、財閥解体で軍需産業を破壊し、教育勅語の廃止で神話や天皇制から遠ざけ、日本の成り立ちに目を覆わせた。
また殊更にへつらう憲法を制定し、ウクライナの人が聞いたら驚く他力本願の平和論を押し付けた。
憲法は国会で審議したから国民が作ったのだと共産党から教えられた。
お人好しにも程が有る。
日本が単なる侵略戦争をしたのでは無い事は、戦後のアジアの国々が独立して行った事を見ても明らかだ。
これが偶然で無い事は、中東やアフリカが未だに内紛して居る事の証左だ。


今日はこれまで。


今日の朝食



今夜は冷やし中華。
いつも美味しい料理をありがとう。