「欠如モデル」と「欠如モデル批判」についての覚書

TwitterとかFacebookで書いたものについて、ブログでも公開することにした。
第一弾は、「欠如モデル」と「欠如モデル批判」について。

とある原稿で「欠如モデル」について書くので、その下書きというかメモ。
(4月にFacebookに書いたもののコピーです。あしからず。。。)


一気に書きなぐった文章なので、まだ文章が硬すぎる・すっきりしない・分かりにくい。。。orz
またちょっと長いので、もうちょっとシンプルにかつ短くまとめないといけないけれど、そのあたりはご容赦ください。


あくまでメモということで。

                                                              • -


欠如モデル
「欠如モデル(Deficit model)」とは、一般の人々が科学技術を受容しないことの原因は、科学的知識の欠如にあるとして、専門家が人々に知識を与え続けることで、一般の人々の科学受容や肯定度が上昇するという考え方を指す。このような考え方は、1980年代までの「科学の公衆理解(Public Understanding of Science: PUS)」・コミュニケーションにおいて主流となる考え方であった。しかし、イギリスの科学技術論研究者であるブライアン・ウィン(Brian Wynne)を中心として、1980年代後半から繰り返し批判が加えられることとなる(「欠如モデル」という呼称もウィンによるものである)。

現在までに欠如モデル型の「科学の公衆理解(Public Understanding of Science: PUS)」・コミュニケーションからの脱却が図られるようになっている。1980年代以降における欠如モデルに依拠したコミュニケーション実践とその反省、ならびに多くの研究成果から、科学技術に関する知識量の多寡が、科学技術の肯定的な受容に必ずしも働くわけではないこと、つまり欠如モデルの想定する「知識増加による科学受容促進」の考え方の前提自体の持つ誤謬が指摘されるようになったということが一つの背景である。その過程で明らかとなってきたことの例としては、例えば人々の科学技術に対する意識に対して、知識以上にモラルや価値観といった心理的側面がより大きな影響を与えるということであった。加えて、リスクの多様性に対する認識や文化的背景といった要素も大きな影響を与え得ることも指摘されている。また知識の増加が意識に影響を与える場合でも、知識・情報の量(informedness)が直接的に科学技術の需要促進につながるということではなく、むしろ知識の増加により、新規な成果のベネフィットなどには懐疑的になる一方で、リスクの過剰評価は避けられるようになるなど、複雑な影響を与えることを示唆されている(例えば欧州においてバイオテクノロジーを題材にした大規模な社会調査が実施されている)。いずれにせよ、「欠如モデル」が想定する「知識増加⇒科学技術の受容」という素朴なスキームでは対応・説明できない知見の蓄積があることは認識に値すると言える。

素朴な形での欠如モデル型コミュニケーションでは、一般の人々の科学受容促進には至らないということは、近年における科学技術政策やガバナンスを巡るコミュニケーションにおいて一つのコンセンサスとなっていると言ってよいだろう。欠如モデルからの脱却という方向性は、例えば2000年にイギリスで発行された報告書「科学と社会(Science and Society)」(The House of the Lord 2000)などで明確に言及されており、双方向性を主眼におくコミュニケーション推進の鏑矢となったと言える。
但し、欠如モデルを巡る議論において一点だけ注意を促しておきたい。欠如モデルを想定したPUS活動、情報提供活動が、一般の人々における「科学技術の受容」にそのままつながらないことを確認してきた。しかし、このことは(多くは一方向にならざるを得ない)情報提供そのものの重要性について否定しているものでは決してないということに、十分の注意が必要である。欠如モデルに対する批判の本来の対象は、「科学技術情報を与えれば、科学技術受容も促進される」という思考であり、それに伴う専門家による中央集権・トップダウン型の情報管理・情報提供への偏りにあったと見ることが妥当である。「欠如モデル」に対する批判の本懐とは、そのような情報流通の体制と考え方に対する批判であり、関係するアクターのネットワークにおいて、一方向・双方向含めたより裾野の広い知識・情報・意見の共有を目指す所にあると言える。その目指す情報の流通(コミュニケーション)においては、情報の共有とは重要な前提条件に他ならず、その意味で情報提供とは現代的なコミュニケーションの基礎をなすものと位置付けられる。


                                                                            • -

参考文献付け忘れていたので追加
※まあ基本的にはWynneの議論の経緯をベースにしている記事です。

Allum, N., Boy, D., Bauwe, W, M. (2002) 'European regins and the knowledge deficit model', in M. W. Bauer & G. Gaskell (ed), Biotechnology-The making of a global controversy: Cambridge University Press): 224-43.

Bucchi, M., Neresini, F. (2002) 'Biotechnology remains unsolved by the more informed: The media may be providing the message-but is anyone heeeding the call?', Nature 416: 261.

Gaskell, G., Allum, N., Wagner, W., Kronberger, N., Torgerse, H., Hampel, J., Bardes, J. (2004) 'GM Foods and the Misperception of Risk Perception', Risk Analysis 24/1: 185-94.

Hansen, J., L. Holm, et al. (2003) 'Beyond the knowledge deficit: recent research into lay and expert attitudes to food risks', Appetite 41/2: 111-21.

Midden, C., Boy, D., Einsiedel, E., Fjaestad, B., Liakopoulos, M., Miller, J. D., Susanna, O., Wagner, W. (2002) 'The structure of public perception', in M. Bauer & G. Gaskell (ed), Biotechnology - the Making of a Global Controversy: Cambridge University Press): 203-23.

Strurgis, P., Allum, N. (2004) 'Science in society: re-evaluating the deficit model of public attitudes', Public Understanding of Science 13/1: 55-74.

Wynne, B. (1991) 'Knowledege in Context', Science, Technology & Human Values 16/1: 111-21.

Wynne, B. (1993) 'Public uptake of science: A case for institutional reflexivity', Public Understanding of Science 2/4: 321-37.

Wynne, B. (1996) 'Misunderstood misunderstandings: social identities and public uptake of science', in Alan Irwin & brian Wynne (ed), Misunderstanding science? The public reconstruction of science and technology: Cambridge University Press): 19-46.

Wynne, B. (2001) 'CREATING PUBLIC ALIENATION: Expert Cultures of Risk and Ethics on GMOs.', Science as Culture 10/4: 445-81.

Wynne, B. (2006) 'Public Engagement as a Means of Restoring Public Trust in Science -- Hitting the Notes, but Missing the Music?', Community Genetics 9/3: 211-20.

廣野喜幸 藤垣裕子 (編), 科学コミュニケーション論: 東京大学出版会