ぼくの弟が銀河を発見する――バリー・ユアグローに


 ぼくの弟が銀河を発見する。弟はいつものようにちょっと得意そうな顔でぼくの顔を見上げて報告する。
 「昨日の夜、新しい銀河を見つけたんだ」
 弟は毎晩夜空を眺めている。晩御飯を食べおわると自分の部屋へ行き、就寝時間になるまで夜空を眺めて飽くことがない。テレビを見たりゲームをしたりすることはほとんどない。幼い頃から変わらない彼の習慣だ。
 「じゃあ、今晩ね!」
 弟はそういうと小学校へ向って駆けて行く。背中のランドセルがかくんかくんと上下に揺れている。弟の後姿がみるみる小さくなる。ぼくは立ち止まって空を見上げる。青空が広がっている。白い雲がところどころに浮んでいる。弟の後ろ姿が遠ざかって行き、やがて見えなくなる。ぼくは中学校へと急ぎ足で歩き出す。
 夜になって、ぼくは弟の部屋のドアをノックする。
 「いいかい」
 「ああいいよ」
 ぼくがドアを開けて中に入ると、弟は窓際に立って夜空を見つめている。ぼくは弟の横に並んで立ち、同じように夜空を見上げる。
 無数の星がきらめいている。
 ぼくは星の数を数えようとするが、途中ですでに数えたものとまだ数えていないものとがごっちゃになって数えるのをあきらめる。
 弟がぼくの顔を覗き込むように見上げて、「ね?」と目で合図をする。ぼくは頷く。
 「あれ、NGC4889だよね」
 弟の目がきらきらと輝いている。ぼくはだまって頷く。
 「かみのけ座銀河団の。すごいね。図鑑のとおりだね」
 3億光年かなたにあるというその巨大な銀河の集まりは、ぼくの目には見えない。
 幼稚園児だった弟が16万光年かなたの大マゼラン星雲に新しい恒星を発見した翌日、NASAのハッブル宇宙望遠鏡が超新星1987Aを発見したと発表した。3つのリングを持つ美しい星だ。弟はそのニュースを見て、ぼくに「ね?」と目で合図をした。ぼくはだまって頷いた。これは、ぼくと弟のふたりだけの秘密だ。
 弟が小学1年生のときに見つけたのはアンドロメダ銀河だった。250万光年かなたに存在する渦巻状の銀河だ。ペルシャの天文学者アブド・アル・ラフマン・アル・スーフィーが紀元10世紀に発見している。
 ペルセウス座銀河団を弟が目にしたのはいつのことだったろう。たぶん小学三年生の春休みのことだったと思う。およそ2億3000万光年かなたに500個もの銀河が集まっている。弟は息を飲んで茫然と見とれていた。
 それから弟は毎週のようにどんどん遠くの星を発見した。宇宙のかなたで何千万年前、何億年前に発した光を弟の瞳孔が捕獲する。
 ずいぶん遠くまできたものだ。夜空を見上げてぼくは思う。弟の瞳はやがて宇宙の地平線、137億光年前に誕生したばかりの宇宙を捕えるだろう。そしてその先は――。
 宇宙の始まりは無だといわれている。空間も時間も存在しない、まったき無。
 弟はいつか無を見るのだろうか。



【付記】
 本稿はバリー・ユアグローの「大洋」に触発されて書かれた。「大洋」は、いま発売中の雑誌『飛ぶ教室』(光村図書)2007年冬号の<特集 柴田元幸の「飛ぶ教室」的文学講座>に掲載された書下ろし短篇小説である。同特集は、柴田×ユアグロー対談や、スティーヴン・ミルハウザー「猫と鼠」、レベッカ・ブラウン「パン」などの小説のほか、ウィンザー・マッケイやフランク・キングのコミックも掲載する愉しいアンソロジーとなっている。
 私は、柴田さんの翻訳するユアグローの超短篇小説が大好きで、読むとすぐに真似をしたくなる。まるで子供だな。以前書いた「It’s a small world.――バリー・ユアグローに」http://d.hatena.ne.jp/qfwfq/20050702/1120301679は『ケータイ・ストーリーズ』を読んだときに、「海辺にて――バリー・ユアグローに、再び」http://d.hatena.ne.jp/qfwfq/20050703/p1は『一人の男が飛行機から飛び降りる』を読んだときに書いたものである。
 ちなみに現在では、マイクロ波観測衛星によって、誕生後30万年の宇宙まで観測することができる。136億9970万年前のできたての宇宙である。それ以前は、ビッグバン直後の量子のゆらぎのために光の直進が妨げられ、見ることができない。その空間のゆらぎが、やがて星となり銀河となるわけである。最初の星は宇宙誕生後、およそ2億年頃から輝き始めたとされている。