黙然日記(廃墟)

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産経論説委員の地方観。他。

【産経抄】3月21日 - イザ!
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/column/opinion/371080/

 春分の日(お彼岸)と地下鉄サリン事件の二本立てみたいな内容のですが(しかし、志ん生の命日が秋のお彼岸なのは関係ないだろう)、「主張」が春分の日と地下鉄サリン事件の二本立てなので、読まされる方はいい迷惑です。

春分の日 季節の変化に心向けたい - イザ!
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/column/opinion/371056/

 というわけで、21日付(そりゃそうだ)「主張」の1本がこちら。「春分の日を境に昼が夜より長くなり」というのは、よくある誤解ですが、それだけに気をつけるべきポイントでしょう*1。

「元の木阿弥」の政権交代 「利益誘導」型へ逆戻り - イザ!
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/column/other/370845/

 20日付「土曜日に書く」は、皿木喜久・前論説委員長(現在は平の論説委員)でした。田中角栄元首相を取材していた当時のエピソードとして、「東京で雪が降るのを見て『きれいだ』と思うのではなく『山古志村は大変だろう』と思う、それが政治家だ」という趣旨の演説したことを思い出し、この言葉を「何よりもまず選挙区のことを考えるのが政治家だ」と解釈したそうです。たしかに旧山古志村は田中元首相の選挙区内であり、今は新潟県中越地震の被害が印象に残りますがそれ以前から、日本有数の(ということは世界でも有数の)豪雪地帯として知られていました。田中元首相がその演説をした場所(山古志か、新潟県内か、東京などその他の地域か)にもよりますが、豪雪地帯を選挙区とし、というより、豪雪地帯出身で、地方の苦しみを知り抜いていた彼が、そうした比喩で中央と地方の関係、政治家が認識するべきことを語ったのは、不思議ではありません。たとえば、同じ口から「震度3の地震があって、よかったと思うより、いつどこで震度7が起きるかと思い即応体制を作ろうと考える、『それが政治家だ』」という言葉もあり得たはずだろうと思います。国政の政治家は、国全体を俯瞰する視点、中央だけではなく地方も平等に見る視点を常に持たなければならない。わたしには、田中演説はそういう主旨だとしか思えません。田中元首相が、自身の地元に利益誘導し、そのスタイルが定着してしまって現在も弊害が残っていることはもちろん否定しませんが、田中角栄という人物は、決してそれだけで評価されるような小物ではなかったと、これは確信を持って言えます。その生涯の功罪をプラスマイナスで考えて、おそらくマイナスの方が大きかったと評価するべきであっても。そして、皿木記者が期待するような「国士型」政治家が、(今もはびこる「ミニ角栄」はともかく)田中角栄を超えるような視点を持っているとは、かならずしも言えないと、これも確信を持っています。*2

*1:質問のこたえ3-3:国立天文台 http://www.nao.ac.jp/QA/faq/a0303.html 参照。

*2:田中の『日本列島改造論』も、現在から見ると、また特に結果として見て、決して完璧な発送ではなく、むしろ一極集中を助長してしまったのは確かですが、これはおそらく結果論で、政治家としてのレベルの高低という評価とは一致しません。