こんにちは、パオロ・マッツァリーノです。多くの常識的な都民をうんざりさせた東京百鬼夜行のような都知事選から2週間。世間も落ち着きを取り戻してきたところで、振り返ってみました。
投票前に各戸に配られた選挙公報は、過去最多56人の候補者の主義主張が満載されたぶ厚いものでした。主張の9割はイカれたたわごとなので、すべて目を通すのが苦痛でしかありません。この候補者たちは都知事選を、陰謀論や差別思想を自由に発表できる闇の文化祭かなんかだと思ってるんでしょうか。
知事というのは、いうなれば都道府県の雇われ経営者みたいなものです。県政全体に目を配り、舵取りをする能力・資質が求められるので、自分の好き嫌いだけで物事を決めるような人がなってはいけません。都政とまったく関係ない個人的な主義主張を叫ばれても迷惑なだけ。
通常であれば、公言したらクソミソにけなされるような愚論や陰謀論を、政治的主張という大義名分を利用して広めようとしてる候補者が多いのだから、困ったものです。
なぜ陰謀論がいけないかというと、単純に、間違ってるからです。なんの根拠もないからです。
間違ったことや間違った価値観を信じるのは個人の自由だ? 以前は私も、おもしろがってるぶんには罪はないし、オトナになればバカバカしさに気づくはずだ、と寛容な態度を取っていたのですが、それは甘すぎたと反省し、きっぱりと否定することにしました。
バカバカしさに気づくどころか、根拠のない陰謀論に取り憑かれた連中が、政治の力を利用すれば自分が信じる価値観を正当化し、すべての人に強制できる可能性に気づいてしまいました。そしてそれを躊躇なく実行するようになったんです。日本だけでなく世界中で。
アメリカでは、陰謀論に取り憑かれた人々がトランプを支持することで、政治的な力で自分らの歪んだ価値観をすべての人に強制する動きが顕著になってきてます。選挙に負けたのは票を奪われたからだという、なんの根拠もない陰謀論を掲げて議会を襲撃した蛮行を、彼らは政治の力で正当化しようとしています。ポピュリストの王様たるトランプは、大統領に返り咲いたら、議会襲撃で有罪にされた人を恩赦にすると発言しています。
日本だって他人事ではないですよ。自民党の幹事長が根拠のない陰謀論を堂々と口にして、それを理由に学術会議を批判した実例があるのですから。
政治と陰謀論についての実証的・計量的な研究については、秦正樹さんの『陰謀論』(中公新書)がおすすめです。
ネットの書きこみなどを実証的に研究してわかった事実には、意外なものもけっこうあります。ネット上の陰謀論の巣窟といったらツイッター(X)と思われがちですし、私もそう思ってました。でも日本の場合、陰謀論に関してはツイッターの影響力はかなり低いという結果が出ました。日本で陰謀論拡散にもっとも影響力があるのはヤフコメなのだそうです。
いわゆるネトウヨや排外主義者の一部は、自分たちを「普通の日本人」と称するのを非常に好むなんてのは、あるあるネタみたいだけど、研究結果として出ています。
日本人は特有の価値観や偏った習慣を「普通」と称し、それに逆らう者を「普通じゃない」という理由で攻撃・排除するという見かたは、日本文化論としても秀逸です。
重要なのは、普通かどうかではなく、正しいか間違ってるかです。間違ってることを「これが普通だから」との理由で押しつけられるのは不条理きわまりない。
著者の秦さんによると、政治に関心がなさすぎる人と、関心がありすぎる人(右派左派どちらも)が、陰謀論にハマりやすいのだそうです。かつてご自身も陰謀論にハマってしまったことがあるという著者の、何事もほどほどが肝心だという中道的アドバイスを、みなさん参考にしてください。
そして、もうひとつ、まったく予想だにしなかったのが、石丸伸二さんの躍進でした。私はこの人の存在自体、まったく知りませんでした。投票日まで泡沫候補の1人くらいの認識しかなくて、事実上、小池さんと蓮舫さんの一騎打ちだと思ってたので、意外すぎる結果に驚きました。
小池さんの勝利で思ったのは、ああ、みんな『女帝小池百合子』を読んでないんだな、ってこと。
立憲民主党は蓮舫さんの敗因を、無党派層を取り込めなかったと分析してますが、石丸さんに投票した人と蓮舫さんに投票した人を同じ無党派層という言葉でひとくくりにしてしまうのは早計です。両者はまったく別物と考えるべきでしょう。
選挙後に、石丸さんについて初めて調べました。著書も読みましたが、いろんな自己啓発書の寄せ集めのような中身スカスカの本でした。具体的なエピソードがほとんどなくて、抽象的なことばかりなので、著者の人間性や個性がまったく見えてこないんです。
市長時代の記事や過去の言動、選挙後のテレビ出演時の受け答えなどから総合的に判断するかぎりでは、「対人スキルゼロの詭弁家」というのが私の評価です。わざとハラスメント発言をして自分を強い男に見せたがる幼稚な面には不快感をおぼえましたし、この人を政治家としても人間としてもまったく支持できません。
そんな石丸さんがどういう風の吹き回しで銀行員を辞めて政治家になろうと思ってしまったのか。人間的な側面には興味があります。歳を取るにつれて、自分より年齢も学歴も下の連中が出世していくことに焦りをおぼえたのでしょうか。ご自分では、故郷をなんとかしたかったみたいな綺麗事の理由しか述べてませんけど。
自分のことを客観的に評価できてないところからも未熟さを感じます。銀行員はゼネラリストだから政治家に向いているなどとアピールしてますが、石丸さんはゼネラリストではないですよ。おそらく彼の資質をもっとも正しく見抜いていたのは、勤めていた銀行の人事部です。幹部候補のゼネラリストとしてでなく、アナリストというスペシャリストとして起用することで彼の能力を最大限引き出せると判断したのでしょう。人間に興味がなさそうな石丸さんにとっても、人でなくデータと向き合うその職種こそ天職だったんじゃないかと思えるのですが、なぜか、高度な対人スキルを必要とされる政治家への転身を志してしまったのです。
そして幸か不幸か強運なのか、安芸高田市長になれたわけですが、東京在住の私はその辺の経緯をまったく知りませんでした。ということは、全国ニュースで報じられるほどの実績は残してないってことです。
市長時代の言動を調べると、対人スキルのなさが如実に現れてます。対話によって異なる意見の合意点を模索し、問題解決に導くというようなことをまったくやってません。自分に批判的な意見には耳を貸さず、意見が対立する議会をネットで叩いて悪者イメージを植えつける戦法ばかり。それをネットで読んだ石丸信者たちが議員たちにいやがらせをする事例が頻発し、議員から名誉毀損で訴えられて敗訴してますが、石丸さんは自分の非をまったく認めようとしません。
かといって、問題解決に役立つ斬新なアイデアを連発するようなひらめきの才もない。都知事選の選挙公報でも、著書と同じように、何の新鮮味もない抽象的な公約ばかりを並べてました。
全国的に日本の地方議会が腐ってるのは事実です。それこそ異常な慣例や既得権を「普通」「伝統」と称して維持してるだけなので、既存の政治にノーを突きつける者が現れれば、快哉を叫ぶ市民は必ずいます。
でも、既存の政治を批判・否定するだけなら中学生でもできるんです。じゃあ、具体的にどんな改革を進めるのか。それが市民全体にとってどうプラスになるのか。そしてそれをどうやって実現するのか。そういったことをわかりやすく説明し、実現のためには賛否両派の人間と真摯に向き合う。そういった能力こそが、オトナの政治家、首長に求められるのですが、はっきりいって石丸さんにはその能力が備わってません。
さらにつけ加えるなら、利他的な精神が欠如していることも問題です。困ってる人や立場の弱い人を助けよう、みたいな気概も感じられないし、いったい誰のために、何のために政治をやろうとしてるのでしょうか。
私は詭弁を弄する人を信用しません。詭弁家は自分の間違いや失敗を認めようとしないのです。間違いや失敗を認めることを恥、負け、屈辱だと考えるからです。選挙後のインタビューなどを見ていると、石丸さんも自分の間違いを決して認めようとしない人だとわかります。とにかく、自分に向けられた批判や疑問を詭弁で打ち返すことしか頭にない。
今回の選挙では、石丸さんの支持者は20代の若者が多かったとの分析が出てましたけど、人生経験の浅さが反映されてます。私なんかは経験上、石丸さんみたいな人が上司だったら最悪だなとまっ先に考えてしまいます。自分のミスを認めずに詭弁でごまかす人はだいたい、失敗を誰かのせいにします。やっぱり石丸さんみたいな人は、一匹狼的なスペシャリストが向いてるのです。
よのなかには、詭弁と論理の区別がつかない人が大勢いて、詭弁家を論破王などとほめそやすから困ってしまいます。
詭弁家がなにより重視するのは、自分に飛んできた批判を即座に打ち返すことです。いかに素早く華麗に批判を打ち返したかによって、相手をやりこめて、自分の頭の良さをアピールできると信じているからです。
詭弁というのは、瞬時に正しさを偽装するための技術です。詭弁には論理のズレを利用して相手の思考を一瞬止める効果があります。論理の流れを強引に変えられた相手は「ん?」となってしまうんです。
詭弁と論理の区別がつかない人は、詭弁家が相手を一瞬黙らせるのに成功すると、あの人スゴい! 論破した! アタマいい! 議論はあの人の勝ちだ! とカン違いします。
しかしあとから考えると、詭弁家の主張はどこかおかしいことに気づきます。当然です。詭弁は偽装されたその場しのぎの正しさにすぎないのですから。
詭弁による反論は、論理的な矛盾が隠されているか、中身がないか、論点ずらしか、だいたいそのパターンです。他にもさまざまな詭弁テクニックが知られていて、そういうのをまとめて解説してるサイトやユーチューブ動画はたくさんあるはずなので、興味があれば探してみるといいでしょう。
誠実で思慮深く、本当の知性を持つ人は詭弁を弄しません。そしてそういう人ほど議論に弱いとみなされがちです。詭弁やヘリクツで攻撃されてもむげに却下せず、いったん受け止めて検討するからです。
誠実で思慮深い人ほど、自分が間違う可能性を排除しません。自分を批判する意見が大筋で間違っているとしても、自分が見過ごしていた有益な論点が含まれているかもしれません。だから論点ずらしの詭弁だとわかっていても、正しさが含まれているかどうかをとりあえず検討するのです。
それは知的に誠実であることを示す態度なので、本来なら賞賛されるべきですが、議論の勝ち負けにしか関心のない単純な知能の持ち主たちは、すぐにいい返せないのは論破されたからだ、負けだ、と決めつけてしまいます。
みなさん、根本的なところで大きなカン違いをしています。議論に勝ち負けなどないのです。議論というのは事実をあきらかにするために行うものです。議論によって互いに相手から学び、事実誤認や思いこみがあることに気づいたら修正すればいい。それだけのことです。だから議論の最中に詭弁を弄して相手をやっつける必要性が、そもそもないのです。
正しい事実を知ることが、なぜ恥とか負けになるのですか。新たな知識を得て、自分の間違いや思いこみをただしていく。それこそがまさに「勉強」の本質です。
間違いを恥や負けと考えるのはたぶん、間違いを認めたら謝罪しなければいけないと思ってるからじゃないですか。間違いに気づいたら、それを認めるだけでいいんです。謝罪の必要などありません。間違いを認めずに強情を張ることのほうが恥ではないのですか。
口のうまさで議論に勝っても、それは知性の証明にはなりません。お笑い芸人には当意即妙の切り返しがうまい人がけっこういます。でもそれはあくまで大喜利的な才能であって、知性とは別物です。大喜利の内容が事実かどうかの保証はまったくありませんよね。詭弁はいうなれば、笑えない大喜利です。
時間をかけて調べた事実をもとに、正しい論理で粘り強く考えて、人間性も失わず、特定のイデオロギーにもとらわれず、正しい結論を導き出す能力こそが、正当に評価されるべきです。そういう能力を持つのは難しいし、努力が必要ですが、だからこそ価値があるのです。
とりあえずは、もういいかげん、瞬発力の詭弁だけで相手をやり込めるトリックスターみたいな人をほめそやす風潮をやめにしませんか。
[ 2024/07/22 20:38 ]
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