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カテゴリ:経済
あらゆる生命は、生命そのものを創ることはできません。
あらゆる生命は、他の生命をいただいて、その生命を繋いでおります。 あらゆる生命は、天寿をまっとうしたい、自分の子孫を残したいと思っております。 あらゆる生命は、自分が一番可愛いのです。 ですから、あらゆる生命は、まず自分を防衛します。 動物は、動くことができますので、捕獲・捕食されないように逃げます。 一方、植物は動くことができません。 ですから、一度は「捕獲・捕食」されても、「2度目」はないように自主防衛システムを創ります。 つまり、自分で「毒」を作り出し身に付け、「捕獲・捕食」されないようにします。 更には、この「毒消し」を獲得したものにだけ、自分の生命を捧げ、同時に子孫を残す役割を担って貰っております。 これが棲み分けです。 人間も、例外ではなく、他の生命の有害なものをもいただいて、自分の命を繋いでおります。 玄米にも、大豆にも、ニンジンにも、ほうれん草にも、それが無農薬で栽培されたものであっても、毒を含んでいるのです。 人間の「毒消し」の代表選手が「唾液」であり、腸内細菌様や腸内酵素様です。 感謝 ですから、有害物質を含む「食べ物」は、良く噛んで唾液を分泌させ、その唾液とグチャグチャに混ぜ合せて腸様に送り届けなければなりません。 腸内では、分解、選別、組み立て、消化、吸収、そして毒物の排出へと、生命維持の根幹部分の活動が「天の采配」によって行われ、心身のバランスが保たれています。 更には免疫システムが同じ「天の采配」によって稼動して「悪者退治」をしていただき、言わば「二重の生命維持機能」というダブルチェック機能が働いております。 勿論、嗜好品の「タバコ」にも有害なものが含まれているのは当然です。 北海道新聞2月26日朝刊の第一面のトップ見出しは、 「公共の場 全面禁煙 厚労省通知 受動喫煙防ぐ」とあります。 以下、前文を引用掲載します。 「厚生労働省は25日、飲食店やホテルなど不特定多数の人が利用する公共的な空間を原則として全面禁止とするよう求める通知を都道府県など自治体に出した。 受動喫煙による健康被害の防止を目的とした措置で、自治体を通じて関係施設への周知を図る」 引用終了 この根拠となっているのが「タバコ発がん説」であることは間違いありません。 さて私は「タバコ発がん説」が間違っているという立場です。 タバコも生命ですから有毒物質を持っています。 その毒も、人間の免疫力の守備範囲内であれば「毒消し」となります。 そして、その有益な部分が人間に活用されてきていますので、今日まで「嗜好品」として、時には「生薬」として嗜まれてきています。 タバコの毒が強調され始めたのは、たかだか約50年前からです。 この頃は、物質的には豊かになり始めましたが、環境汚染や食生活が「文明化」されて、免疫力が低下し始めました。 食べ物も農薬塗れの農作物から料理されるようになり、生命力の少ないものとなりましたので、いただく私たちの自然治癒力、免疫力も低下していくのは当然です。 日本の伝統食であります穀菜食を良く噛んで少量いただいていますと、自然治癒力も、免疫力も、適正な水準に維持されていきます。 この「適正な水準」を下回ってしまったから「タバコの毒」が「毒消し」されないまま、「注意信号」を送って「氣付き」を与えていただいているのでしょう。 ここに「タバコ発がん説のウソ(エセ科学者と厚生省の犯罪的役割)」山田千晶著 恒友出版1996年9月刊 という書籍がありますので、以下、引用掲載します。 まずは「タバコ発がん説」の原点となっている疫学調査の「平山雄センセイ一派の間接喫煙の動物容験」です。 「ハツカネヅミを二つのグループに分けて、一方のグループには毎日30~40分間タバコの煙が充満した180リットルの密閉部屋に入れ、他方のグループのハツカネヅミはまったくタバコの煙にふれさせずきれいな空気のなかで育てる。 1年後にはタバコの煙にさらしたグループでは17%の肺がん発生と33%の前がん変化があり、1年半後には33%の肺がん発生と30%の前ガン変化がみられたという。 タバコの煙に触れさせていないグループでは、1年後には肺がんはゼロ、前がん変化のみ3%、1年半後に肺がん4%、前がん変化12%が生じたのみであると言っている。(中略) 先の実験のコントロール(対照群)実験としては、 毎日30~40分密閉部屋へ移し替えられるストレスのコントロールとして煙のない密室部屋へ移し替える対照群のネズミも必要であるし、 お線香やもぐさ等タバコ以外の煙にさらす対照群のネズミも必要である。 密閉した部屋へ移し替えるストレスを与えても、タバコ以外の煙にさらしても、発がん性が増加しないというコントロール実験がなされていれば、タバコの発がん性は少しは説得力もあろう。 それにしても、小さいハツカネズミが30~40分、煙の充満した部屋のなかで過ごす実験が、人に適用した場合どんな意味があるのであろう」 更には「平山センセイの拠り所265,118人の疫学(調査)」は、1966年から1982年にかけて調査されたものです。 この調査も始めから「タバコ発がん、ありき」を前提とした恣意的な方法であり「統計でウソをつく方法」の典型的な見本であると言う。 続けて「自殺者が自動車の排気ガスを車中に引き込んで30分くらいで目的を成就するというのに、毎日何千万台の自動車が排気ガスを撒き散らし往来している事実を、健康の疫学調査にいっさい考慮しなしでいられる、その非人間性こそが問題である。 大気汚染裁判の裁判官に大きく影響を及ぼし、自動車業界に免罪符を与え続けていくことだけに情熱を傾けているのであろう」と最もな主張です。 「タバコの有害成分とやらは、この程度の微量成分なら自然食品のあらゆるものに含まれているものであり、タバコ成分の有害性を強調するならば、他の食品にはこうした成分がまったく含まれていないというコントロール(対照群)を示すべきである。 タバコ発がん説に共通しているのは、疫学調査でも動物実験でもコントロールの弱さであり、心ある研究者から軽べつされ信用されないのもその点にある。 コントロールの弱い研究は、いくらでも新発見ができるのである。 疫学や動物実験に厳密な対照群が要求されるのは、実行者による恣意的解釈を許さないためである。 タバコ発がん説を強調するためには、タバコ以外に考えられる原因を複数リストアップし、それらを対照群として疫学調査の対象とすべきなのである」 更には、「一番本質的なことを論議するのは大変厄介であり、差し障りも多い」ので、つい、身近な「二番め」から「議論するのが通例である」。 「本質的問題解決を避けるがための"二番手思考"は、国や世界のレベルでは歴史的犯罪を冒すことになり、個人的身辺で常用していると、八方美人として信頼を失うことにもなる。 だからといって、"二番手主義"の社会的潤滑油としての効用を認めないわけではない。 "二番手主義"は現在の情報社会で、"一部の事実を誇張"し"一部の事実を無視"すれば作り上げることのできる"らしさ文明"の基盤となる。 "二番手主義"が潤滑油としての役割から、"切捨て主義"へ変質堕落する道は、"二番手主義"に内在する本質的問題の回避志向を厳しく受け止めようとしない精神の堕落から生じる」 このような文明論にも言及する著者は、元国立予防衛生研究所室長という「らしからぬ」役人さんです。 最近は少なくなってしまった、愛煙家の皆様、 「タバコが生活のリズムを作り、その人の状況によって適度に興奮作用があり、適度に沈静作用があるという西洋医学にはない漢方薬的効能があることを身体で知覚しているのである。 そのリズムが大変健康に役立っているのである」から、適正な穀菜食を実践して、大きな顔して、公共の場でも、嗜好品としてのタバコを満喫してください。 さて、「魔女狩り」に引っかからないよう用心しなければならないのは、愛煙家様だけではありませんよ。 次のターゲットは貴方かも? いや、その前に私かな? 付記 本質的な問題を先送りする「二番手主義」で「大気汚染」のスケープゴートにされているのがタバコです。 この「大気汚染」の元凶は、農(毒)薬と自動車の排気ガスです。 たかが嗜好品に過ぎないタバコを締め出す前に、農(毒)薬塗れの食品を「公共の場」そして「田畑」から締め出さなければなりません。 これは厚労省や農水省、文部科学省など個々の役所の問題ではなく、日本国全体の本質的「政治」問題です。 今では、世界的に絶滅種となってしまった「政治家」が決断して断行すべきお仕事です。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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