メロンダウト

メロンについて考えるよ

ネットが残念になった理由は数の論理だと思うよ

読んだかも

anond.hatelabo.jp

ネット全体が残念になっているのはその通りだと思うし、以前よりもなんていうか即物的になっている気がする。バズるっていう言葉自体が瞬間的なものだけど、バズに最適化すれば瞬間的に読まれ、瞬間的に消費できて、瞬間的に反論できるものが表に出てきやすいのは当然の現象ではないだろうか。

 

ツイッターが言論界隈において覇権をとったのももはや文章はバズらないからだとしか言いようがないと思っている。仮に読まれるにしてもメディア上で採用されている著者の文章か、もしくは識者やインフルエンサーとして知られている人の文章に限定されていて文章を読む人間自体がもはやほとんど残っていないのではないだろうか。まとめサイトが出てきた時にも思ったけれどもはやまともに文章を書くだけの動機を持てるだけの土壌がネットにはない。コピペや炎上記事にはPVで勝てない上に検索エンジンではリライトしているサイトには勝てない。こんな馬鹿馬鹿しいことはない。もはや勝負にすらなっていないのだから誰が文章なんか書くのかと思わないでもない。

そうなれば残るのは炎上記事およびまとめサイトとツイッターなどのコメントだけになる。一方でまだ普通に自らが自らのために日記を書いている人はたくさんいてはてなブログに限っても相当な数がいるけれどそれらは表に出てこなくなってしまった。はてなブックマークに発見されるのは炎上記事だけではてブがそういう機能を持っていることは確かだと思う。普通に書いた記事はブックマークされない。

 

 

短文で何かをバーンと言うほうがウケるしバズる。しかしそういう短文文化に最適化しようとすればするほど実際の議論からは遠ざかることになり、傍から見るとものすごく無意味に見える。それが増田の言うところの残念だという感覚に近いのだと思う。

結局のところ古き良きネットみたいなものが仮にあったのだとすればそれは駆逐されたのだよ。数に。コピペで記事を量産するまとめサイトが出てくれば真面目に文章を書いている人の記事が読まれる率は低くなるしインフルエンサーがトップダウン式に影響力を発揮すれば普通の人の普通の感覚は埋もれることになる。インフルエンサーは人々に影響するのが仕事だからそのインフルエンサーに興味がない人からすればそのような影響は決して心地よいものではないしむしろ残念なものに見えるはずだ。そうやって数の論理が支配的になれば資本主義とネットが同化し、普通のネットみたいなものはもうかなり昔からなくなってしまっている。特にツイッターやYoutube、Googleなどのメインのプラットフォームはもう数に固着してしまっているし検索エンジンは汚染されているのでネットサーフィンして面白いサイトを探すのも難しい。

 

つまるところ数が支配的になれば様々な問題が出てくる。増田の言うイきりオタクとフェミニズムもそうだと思うけれど今のネトフェミの特徴は明日からでもフェミニストになれるところにある。ものすごくわかりやすい政治的主張なのでわかりやすさゆえに拡散されやすい。そして拡散されやすいから数を至上とする今のネットでは力を持つようになる。おそらく以前のネットだとそんな安直なフェミニズムはすぐさま唾棄されたはずである。わかりやすさが政治的決定権を持つ。それが今日のネット上における政治的主張の大勢でそれはネトウヨもリベラルも変わらない。それを称してポリコレや反知性主義と呼んでいたりもするがネットにおける数の論理が変わらない限りこの手の問題がなくなることはないと思っている。

現実が資本主義だからネットも資本主義になったという当たり前といえば当たり前の話でしかないのだけど、最も問題だと思うのはメインプラットフォームがほとんど外資なんだよね。その残念さとひきかえに巡っているお金がせめて国内経済を潤すならともかく・・・