わたくしと安倍と暗殺とカルト

安倍晋三暗殺とその後の10日間について、自分の気分を自分の視点で書いておこうと思う。言うまでもなく、こんなもん書きなぐったっていいことなんかひとつもないのだ。罵倒され馬鹿にされ嫌われるのは明らかで、繊細なボクチャンの心はズタズタに傷つくだろう。それでも書くのは、1年もすればこの時期の記憶など全部忘れてしまうに決まってるからだ。たとえばオレは去年のオリンピックのことなど何も覚えてない。東海に現れた現代の妖怪、怪奇メダルかじり男しか記憶にない。かじられたメダルが何の競技のメダルなのかも記憶にない。この記事は後で自分で読んで、ああこの時オレはこんな気分だったのか、と知るためのものだ。じゃー非公開でもいいのだが、それもつまらない。

2022年7月8日(金)の昼、安倍晋三が撃たれて心肺停止と聞いてまずはビックリした。そんなことが起こりうるとは、全然思ってなかった。いったいなぜなのだ、安倍を殺す理由とは、と犯人の動機を想像したが、思い当たる理由が多すぎて何が何だか、逆にまったく判らなかった。正直言ってこりゃー助かるまいなと思った。夕方、死んだと聞いた。

「激動の昭和」と言うけれど、平成令和だってなかなかの激動だ。立ち会いたくもねえのに現代史の重要な瞬間に立ち会わされているという実感があった。これを分岐点としてひどい世の中がもう一段、さらにひどくなるという確信もあった。ガンダムで言えばカイ・シデンの「ホント、ヤだねえ…」という心境に近い。

安倍晋三は政治家として人間として最悪に近いと思っているうえ、そもそもオレは冷酷な人間なので、くたばったこと自体は特に気の毒とは思わなかった。撃たれた瞬間は痛かっただろうなと想像しただけだ。他ならぬ安倍晋三なら、こういう惨事も起こりうる(それにしてもビックリはする)。しかし逃げきられてしまった、という思いは痛烈にあった。とうとう安倍は裁かれなかった。我が世の春のまま、最後の数秒痛かっただけで人生を終えてしまった。Zガンダムで言えばジャミトフ・ハイマンみたいなもんだ。

この日の夜にオレの脳内に浮かんできたのは愚にもつかぬ不謹慎な断片ばかり。蘇生させるためには晋三マッサージだとか、心肺機能はアンダーコントロールされているとか、こんな人たちに撃たれるわけにはいかないとか、撃ち殺されたという認識でしたが射殺されたという認識ではありませんとか、アベノマスクと一緒に燃やして火葬しろ公文書焼くよりずっといいとか、駆けて駆けて駆け抜けてったなとか。安倍ボキャブラリーの面白さ、生前はとても面白いとは思えなかったが(実害しかないので)、死なれてみるとアイツ本当は面白かったんだなとやっと理解できた気がした。彼は病的な嘘つきであるとともに、邪悪なトリックスターでもあったのだ。筒井康隆のスラップスティックに出てくる軽薄な悪人のようでもあり、間違って本当に最高権力者になってしまった葦原将軍*1のようでもあると思った。支持者の皆さんは、たぶんこういうとこが好きだったんだろうな。違うのかな。

気になったのは、この日が参議院選挙投開票日の前々日だということだった。オレが思ったのは、安倍ちゃん死んじゃったショックで意味もなく自民党に投票するバカが大勢出るだろうということだ。ヤだなあ、怖いなあ…(稲川淳二)、このまま参院選やっちゃうのかなあ(オレは期日前投票を済ませてた)。しかし与党政治家が投票日2日前に殺されたからって選挙自体を延期だの中止だのするのも、民主主義としておかしな話ではある。やはりここは粛々と予定通り執り行うがよかろう。まあバカには粛々も民主主義も知ったこっちゃねえだろうが…

2022参院選は7月10日に投開票され、毎度の自民党圧勝に終わった。安倍暗殺があってもなくても、結果は同じだっただろう。自民党に投票する人の気持ちは、オレには判らない。これによりこの国は日本国憲法破壊に向けてまたまた大きく前進(後退)したし、安倍の死も政治的に利用されるだろう。封建主義における多数のマゾヒストが今なお日本人の本質であって、いつまで経っても民主主義なんか身につかないんだよな。毎度おなじみ暗澹たる気分なのだが、暗澹もこれだけ何度も繰り返すともう何がなんだか判らなくなってる。

犯人の供述によると統一協会のトップを殺したかったが、不可能なので広告塔の安倍を狙ったという。カルト宗教のトップより容易に殺せる首相経験者って何やねんと思うが、現場の警備のガバさを見ると犯人の言う通りだった。犯人の供述した動機は筋が通っており(通りすぎてるので要検証とはいえ)、これで実際の凶行さえやってなきゃ同情して援助したくなるほど悲惨な身の上である。DIY精神あふれる自作の銃を発砲する瞬間まで、気の毒なのは犯人であり、気の毒じゃない悪党は安倍晋三だったのだ。オレから見ると凶行の後もそれは大して変わっておらず、安倍はおそらく国葬で弔われて(香典はお肉券がよかろう)真っ黒が真っ白になり、人生を失った犯人は裁かれる。オレは獄中の犯人が口封じで不審死するのではないかとさえ思っていた。しかし犯人の犯行以前に、本来まず司法に裁かれるべきは安倍だったのだ。

一般人からの安倍への献花が報道され、やつの死を悲しむ一般人のインタビューがテレビで流れる。以前からそうだったが、テレビはすっかり「安倍晋三のケツを舐める会」会員のようだ。決して口には出さないしここにも書かないが、内心では気持ち悪いなアベノチンコでもしゃぶってろと思ってた。

政治家がカルトを利用しカルトに利用されることは誰がどう考えても危険な火遊びであり、この事件は火遊びの、たぶん必然的な帰結だ。安倍ちゃんはヤクザコントロールにさえ失敗して火炎瓶投げられたというのに、カルト(とその影響)なんてコントロールできるわけがない。それでも、カルトと繋がっている政治家の皆さんはこの程度のリスクは全員とっくに覚悟している筈だ。カルトと手を組むというのは、冗談抜きでそういうことだからだ。だから、これを機に政界からカルトが一掃される、なんてことには全然ならない。自民党なんか絶対無理だよ、カルトを手放せるわけがない。カルトの側だって、おとなしく手を切らせてくれるわけがない。だからこそ主権者たる国民がカルト政治を拒否する意志を選挙で示すしかないのだけど、絶対にそうはならないのがこの国のニッポンすごいところだよな。

政治家を操るカルトの手が政策にまで届いていたことには、まあなんとなく薄々そうなんかもなとは思っていたものの、やはり戦慄するしかない。政策は、すべての国民に影響する。カルトが政策に手を出せるってことは、カルトと関係ない人たち、カルトを知らない子供たちも含めて全国民が巻き込まれるということだ。

自民党の極右政治家が唱え推進する家父長制、女性差別、人権軽視、メディア支配、軍事独裁国家への接近といった傾向は連中の思想や信念でさえなくて、ただカルトに気に入られて票と支援をいただきたいからやってるだけだった。凄まじい虚無感がある。幾人は後からカルトの教義を内面化して、辻褄を合わせた。立派なカルトになったのだ。

知ってか知らずか参院選で自民党、とりわけカルト候補に投票した人はどう思ってるのだろう。オレの住む香川県では自民の現職・磯崎仁彦が相対得票率51.5%で圧勝した。磯崎は過去に統一協会関連イベントに出席しており白黒で言えば完全に黒で、彼への投票は間接的直接的に統一協会への支援になりうる。香川県では石を投げれば磯崎に投票したやつに当たるといった状況で、ホントに驚くべきことだと思うんだけど、彼らは別にヘッチャラなんだよな。「騙された」とも「しまった」とも「失敗した」とも、微塵も思ってない。問題だとさえ思ってない。自分が投票した磯崎が勝ったんだから、自分も磯崎も正しいのである。そうなのである。選挙とは、紙に自民党と書くことと見つけたり。家畜のように飼いならされて、勝利の味をもっちゃもっちゃと反芻してる。 …あのさー選挙ってそもそも、勝ち馬を見つけて乗っかるゲームじゃねえんだよ。だいたいお前ら配当もらえてないし税金上げられてるやん。負けてるやん。ま、田舎者の投票心理なんてこんなもんだ。

で、これは日本中そうだと思うのだ。これからもカルトとの繋がりは全力でウヤムヤにされ、安倍晋三は国葬され、選挙は自民党が勝ち、性的マイノリティは差別され、政治とカルトとの蜜月は続く。なんちゅうか、オレは国民主権って素晴らしいと思ってる日本国憲法ファンなんだけど、主権者として主権を行使したぜというような手応えは、人生の中でほとんど感じたことがないんだよなあ。やっぱりアレかなあ、オレも安っぽい全能感に身を任せて自民党のカルト政治家に投票して勝たせれば、何かしら手応えがあるのかなあ。ヤだなあ、怖いなあ…(稲川淳二)