夢が金に屈するところばかり見せつけられている

先日、キリンビバレッジが新商品「キリンメッツコーラ」のCMに「あしたのジョー」の版権キャラクターを使用した。
キリンビバレッジCM情報・キリンメッツコーラ「矢吹ジョー篇」

「あしたのジョー」はオレにとって大切な大切な、かけがえのない漫画だ。矢吹丈をはじめとする登場人物たちは、今も我が胸の中で生きている。個人的な思い入れは、到底ここで書ききれるものではない。一方で「ジョー」が国民的な人気漫画であること、知名度抜群のキャラクターが広告に使用された場合の効果のほども理解できているつもりだ。

こういうことは、今に始まったことではない。1994年、日本生命はCMに矢吹丈、力石徹、丹下段平を出演させた。ジョーに生命保険… 悪夢じみた冗談にしか聞こえないんだが、現実にCMは作られた。アニメが制作され、当該キャラクターの声優たちが声をアテた。そして2012年、今回は矢吹丈がハンバーガーやピザをむしゃむしゃ食べ、だけどキリンのコーラを飲むから減量もヘーキ、というわけだ。

こんな愚行を、人類はいつまで繰り返すのか。作家の魂が作品を生むとするならば、オレたちは死ぬまでにあと幾度、金が魂を踏みにじる場面を見せられなくてはならないのだろうか。作品に見いだした夢が現実の金に屈するさまを、何度耐え凌げば勘弁してもらえるのだろうか。

キリンは立派な大企業であり、当然ながら版権使用料を払い作者許諾を得たうえでCMを作っている。だからこのCMに問題はない。それが理屈だ、よく判る。だけどそれって、100兆円払ってモナリザを買っちゃえば、あとは焼こうが裂こうが持ち主の自由って理屈だよな。そして理屈がどうであれ、オレはモナリザ焼くようなやつは人類の敵だと思う。意識をなくすまで殴るべきなんだ。

梶原一騎の作品の出版状況は芳しくない。ジョーや飛雄馬が大企業に金で雇われ、広告の片棒を担がされるたびにオレは我慢を重ねてきた。不愉快なCMでも、それがご遺族の収入になるのだ、そう自分に言い聞かせてきた。だが事ここに至って流石に文句のひとつも言いたくなった。せめて、このクソCMを作らせたクソ責任者の名前くらいは教えてほしいものだ。

それにしてもいったい、これはどうしたことだ。キリンのような大企業が世に出すCMである。何十人、何百人の大人が関わっている、大きな仕事の筈だ。関わった連中、誰ひとり、このCMはファンの反感買いますよ、やめましょうとは言わなかったのだろうか。誰も疑問に感じなかったのだろうか。こんな企画が通って世に出てしまうという事実に、背筋が凍りつくような悪寒を覚える。寒い時代だとは思わんかね… なんぼ危険でも原発がバンバン建つわけだ。なんか納得してしまうよ。

少しばかり前、トヨタはCMで「ドラえもん」の実写版をでっちあげた。それはもう、目を覆いたくなるような醜いCMだった。金、金、金さえあれば、どんな無法だって許される。作者がくたばってりゃ、さらにやりやすいってなもんだ。かくて、実在こそせぬものの永く大衆に愛されてきた架空の人格たちが、次々と資本の前に屈して汚れてゆく。マネー。マネーイズクレイジー。(浜省)

そう遠くない将来、宮崎駿や高畑勲、鈴木敏夫たちの没後のことを考えると今から頭が痛い。ジブリの版権キャラなんて、ありとあらゆる大企業が欲するに決まっている。ナウシカがチコの実ならぬキャラメルを食べてニッコリ笑い、トトロがスナック菓子をメイに手渡すだろう。海賊ドーラは丸大ハムにかぶりつき、イタリアのブタはサイゼリヤ、魔女のキキはヤマザキ春のパン祭り、ポニョは元気にチキンラーメンをすするのだ。そして節子はサクマドロップをなめるのだ。いや、節子はなんだかそれでいいような気もするけれど。鈴木P、ちゃんと未来を睨んで版権を整理しておかないと、この悪夢はそう遠からず現実になるよ。賭けてもいい。