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本シリーズ記事は、「写真用(等)の交換レンズ に興味を持ち、それを収集したり実用とする趣味」 つまり、俗称「レンズグルメ」の趣味への「入門編」 であり、入門層/ビギナー層等を対象とした説明内容 にしている。 その際、初級層等が疑問に思うだろう事を、1人の 仮想人格、「ビギナーのB君」の質問内容に集約し、 本シリーズ記事を「仮想問答」の形式としている。 今回第10回目は「OLYMPUSレンズ」編とする。 現在、OLYMPUS社は、カメラ事業を行っておらず、 それはOMデジタルソリューションズ社(OM SYSTEM ブランド)に、2021年頃から引き継がれている。 今回の記事では、銀塩のOM-SYSTEM時代(注: 銀塩時代では、ハイフンを入れる事) での1970年代~1990年代のレンズ、そして、 デジタルでの4/3(フォーサーズ)の時代である 2003年~2010年頃の(ZUIKO)レンズ、 さらにミラーレス機のμ4/3(マイクロフォーサーズ) の時代である、2009年~2010年代全般での、 OLYMPUS銘、あるいは、レンズの名称であるZUIKO (ズイコ-)を冠するレンズを7本、および補足機材 を、だいたい時代に沿って紹介していく記事となる。 本記事では、レンズそのものの話よりも、OLYMPUSの 歴史や時代背景についての考察が主眼となる。 では始めよう、まずは最初はOLYMPUS機。 カメラは、OLYMPUS-PEN EES-2 (1968年) (中古購入価格 8,000円税込) カメラ種、銀塩35mm判、ハーフサイズMFコンパクト機 搭載レンズ、D.Zuiko 30mm/F2.8 では、以下は「仮想問答」となる。 B「古いカメラだな。だが、OLYMPUS PENと言ったら 有名だ。近年のミラーレス機でもPENは売っている」 匠「正確に言えば、銀塩時代のカメラはOLYMPUS-PEN デジタル時代では、OLYMPUS PENだ」 B「何処が違う? ああ、ハイフンの有無かあ。 どうでも良い話では無いのか?」 匠「いや、そうでも無い。OLYMPUSや、そのカメラ事業 を引き継いだOMDS社の"OM SYSTEM"のカメラでは 似たような名前の機体が多いので、それらを区別 する為に、ハイフンの位置や有無は重要だ」 B「ふ~ん。そうなのか? で、このカメラで写真は撮れるのか?」 匠「最近は撮っていないけど、まず問題なく動作すると 思うぞ。この時代の機械式カメラは、構造がタフで 耐久性が高いので、製造後60年や、そこらでは ヘタる事は無い」 B「当時では、いくらくらいしていたのだ?」 匠「OLYMPUS-PENシリーズは、この機体だけではなく、 1959年~1986年頃まで、多数の機種が販売されて いた。 初代のPENの定価は6,800円。これは現代の 貨幣価値だと、8万円台くらいに相当する。 本機EES-2の定価は12,800円、こちらは時代が やや新しく、現代の価値だと5万円台くらいだ」 B「ふ~ん、意外に安いな。いや、妥当な線か? 最近(2024年)に発売された「PENTAX 17」の銀塩 ハーフ判機は、税込みで9万円近くという感じだ」 匠「PENシリーズは、当時において、一般大衆層への カメラの普及を狙ったコンセプトなので、できる だけ安く売る事を目指していた。 8万円と言うと高く感じるかも知れないが、カメラ が贅沢品だった時代なので、これでも十分に安い。 でも、当時だと、フィルム代や現像代が高額だが その為、ハーフサイズと言って、35mm判フィルム を2分割して撮影し、2倍の枚数が撮れる仕様だ」 B「ほう。それだと、安上がりでいいな。 売れそうなカメラだ」 匠「実際にも売れているよ。PENシリーズ全体で 800万台もの販売数があったといわれている」 B「800万台? 多分、当時の世帯数は3000万世帯 くらいではないのか? 1家に一台とは言わない までも、4世帯に1台くらい普及していたのか?」 匠「いや、日本だけではなく、世界全体での数字だろう。 で、この数字は、ほんの数年前まで「1700万台」と 言われていたが、2018年ごろに「実は800万台 でした」と、OLYMPUSにより下方修正発表された。 その発表時、私は、「何で、何十年も前のデータ を今になって修正するのか? しかも半分以下の 数字じゃあないか、凄い”盛って”いたなあ」と 不思議に思ったが・・ 恐らくは、もうその頃から、OLYMPUSは、カメラ 事業から撤退(分社化)する準備を進めていて、 その為、投資家等に企業(製品)価値を説明して いたのだろう。 その際、”じゃあ、昔のPENは何台売れたのだ? その数字を見て、今後のデジタルのPENの売れ行き の参考にする”とか言った非常につまらない質問 (=勿論だが、世情が全く違う)が出て、OLYMPUSが ちゃんと調べてみると、”やっぱ昔の数字は、盛り すぎだった”事が判明したのかも知れない。 そういえば、2011年ごろにもOLYMPUSは、巨額損失 を隠した粉飾決済が発覚した事件を起こしていた」 B「ふ~ん、なんだかドロドロしているみたいだが、 まあ、カメラ製品自体には関係が無い話だ」 匠「そうだ、あまり深く調べても、面白く無い話だ。 で、このPEN EES-2は、あくまで参考機種だ、 そろそろ(銀塩)OM-SYSTEMの時代に進もう」 レンズは、OLYMPUS OM-SYSTEM ZUIKO 90mm/F2 Macro (中古購入価格 50,000円)(以下、OM90/2) カメラは、OLYMPUS OM-D E-M1 (μ4/3機) 発売年不明、恐らくは1980年代後半頃と思われる MF中望遠1/2倍マクロレンズ。、 B「OM-SYSTEMって何だ? 現在のブランド名とは どういう関係なのだ?」 匠「長くなるので、少しづつ話をしていこう。 まず、OLYMPUSは1919年に「高千穂製作所」として 創業している。 2019年に、カメラで100周年のイベントがあるのか? と思っていたら、結局何もやらなかった。 その理由は恐らくだが、まず、1919年の時点では OLYMPUSはカメラを製造しておらず、それを始めた のは、1936年頃だった事が1つあると思う。 もう1つは、その翌年の2020年には、OLYMPUSは カメラ事業からの撤退を発表しているので・・ 100周年とかは、もはや、どうでも良い話だったの かもしれない」 B「1936年と言えば、第二次大戦の少し前の時代だな?」 匠「そうだ、そして、ちょうどその時代、独国では、 ライカやコンタックスの高級カメラが生まれている。 それらは、当然、”光学兵器”としての様相が 強かっただろう。ヒトラーの命を受けた研究開発 だったのかも知れない」 B「ああ、”戦前のライカやコンタックス(の価格)で 家が建った”という話だな?」 匠「光学兵器だからなあ、他国には、あまり売りたく ないだろうな。ちなみに、現代の貨幣価値では、 300万円位に相当する。当然、殆ど誰も買わないが ずっと後年に中古品を手に入れた人たちが、それを 自慢するため”家が建った”という話を良くしていた」 B「つまらない自慢話だ。そもそも、300万円じゃあ 家は建たないだろう?」 匠「戦前の”文化住宅”という簡易建築様式だったら、 それくらいの金額でも建ったみたいだぞ」 B「ふ~ん、まあ、どうでも良い話だ」 匠「OLYMPUSの歴史の話が長くなるので、ここで一旦 レンズについて締めておく。 OM90/2は、希少な開放F2級マクロだ。 他を見渡しても、開放F2のマクロの機種数は 少なく、存在していたとしても、僅かな例外を 除き、全て1/2倍迄の最大撮影倍率だ。 このレンズは、1980年代のオールドマクロ ながら、描写表現力が高い点が特徴となる。 ただし、AF時代に入ってからの高額MFレンズの 発売だった為、あまり(殆ど)売れていない。 よって、後年には希少価値から、酷い投機対象と なっていて、高額すぎる中古相場でコスパに劣る ので、一切推奨はできない。 まあ、こんなところで、次のレンズに交替する」 レンズは、OLYMPUS OM-SYSTEM ZUIKO 85mm/F2 (中古購入価格 39,000円)(以下、OM85/2) カメラは、OLYMPUS E-410 (4/3機) これも発売年不明、恐らくは1970年代であろうか? 今回はμ4/3機ではなく、一眼レフの4/3機を母艦とする。 匠「で、OLYMPUSだが、戦時中は軍需工場となっていたが、 戦後すぐ、民生用カメラの製造販売を開始する。 1950年代では、二眼レフやコンパクトカメラ等を 作っていた。 レンズは、最初から「ズイコー」の名称だ。 これは「瑞光」(めでたい光)という意味や、 当時レンズ設計をしていた「瑞穂光学研究所」 の名前(略称)から取られた、とも言われる。 ZUIKOは、上のPEN EES-2では「Zuiko」と記され 銀塩機では、稀に、その記載法もあったと思うが、 自然に全て大文字の「ZUIKO」に統一されていき、 デジタル時代以降では、もう完全に100%、全て 大文字表示だ。だから「ZUIKO DIGITAL」や、 「M.ZUIKO」表記が正しく、大文字小文字混じりは 近代製品においては誤った記載となる」 B「その後の1960年代は、PENの時代だな? 一眼レフの時代は、いつから始まる?」 匠「先を急ぐなあ(笑) 歴史をちゃんと理解する 事は、とても重要だぞ。それを知らないから 最近の機種だけを見て、ああだ、こうだという 話ばかりに終始してしまうのが、近年の初級 マニア層での大きな課題だ。 で、銀塩PENシリーズの主要設計者は、カメラ界で 最も著名な技師(エンジニア)の「米谷美久」氏だ。 ちなみに、米谷氏は、デジタルのPENが発売された 2009年7月に他界している。 その米谷氏は、銀塩一眼レフ「OM」シリーズの 設計者としても著名であるが・・ 実は、OM-1が発売される前年、1971年ごろに、 OLYMPUS FTLというM42マウントの一眼レフが 発売されている。 この機種は未所有だが、E型(ZUIKO)と通称される 交換レンズは1本だけ持っている。 ただ、そのレンズは後年にマウントアダプターを 用いて、CONTAXのカメラに装着したら、なんと 外れなくなってしまい、修理に出す等で難儀した。 この時代(1970年代前半)の、各社M42マウント 改型(PENTAX、FUJIFILM、OLYMPUS等)のレンズは M42とは完全には互換性が無いので、極めて要注意だ。 FTLは、いわゆるワンポイントリリーフだったが、 本格的な銀塩一眼レフの設計を、米谷氏に委ね その開発コードは、米谷(まいたに)のMを取り 「Mシステム/M-SYSTEM」と呼ばれたそうだ。 ただ、設計者の名前をそのまま製品名とするのは ちょっと変なので、後に「Mの意味は、一眼レフ だからMonoなので、Mだ」という方便(ウソ)が 言われている。ちなみに、一眼レフは、英語では 「Single Lens Reflex/SLR」と呼ばれているので、 Monoという単語は関係が無い」 B「いよいよOMの時代か?」 匠「話が続くため、いったんレンズについて締めておく。 OM85/2は私が”OM中望遠F2三兄弟”と呼ぶレンズ の末弟だ。本記事では、その3本を全て紹介している。 三兄弟の中では、OM90/2とOM100/2の兄貴達 が極めて優秀であり、末弟のOM85/2は、だいぶ 見劣りする描写表現力だ。 戦国時代の毛利三兄弟(毛利隆元、吉川元春、 小早川隆景)や、浅井三姉妹(茶々、初、江) あるいは、近年のスケート等での本田三姉妹 (真凜、望結、紗来)のように、兄弟姉妹が揃って 名を残している訳では無い訳だな。 だが、こういう不遇なレンズは、個人的には応援 したくなるので、小型軽量の利点を活かし、たまに 持ち出して使って、ブログ記事でも良く紹介する 次第である。一般的には、このレンズも非推奨だ。 では、以下、またレンズを交替する。 次も優秀なレンズだ」 レンズは、OLYMPUS OM-SYSTEM ZUIKO 100mm/F2 (中古購入価格 35,000円)(以下、OM100/2) カメラは、PANASONIC DC-G9(μ4/3機) 1980年代後半頃発売のMF単焦点中望遠レンズ。 匠「さて、M-SYSTEMの話だが・・ 米谷氏は、まず”世界最小&最軽量の一眼レフを 設計する”という方針を立て、それは実現された。 また、初号機M-1には様々な拘りの仕様がある」 B「こだわり? 具体的には何だ?」 匠「M-SYSTEMとは、カメラとレンズの両者の特徴が あいまって、効能や利点を発揮するシステムだ。 カメラ側においては・・ 世界最小&最軽量、システム拡張性、システム 汎用性(共通性)、高精度横走り布幕シャッター、 ”左手思想”による先進的な操作系設計、 最大級のファインダー倍率、少ないミラーショック。 レンズ側においては・・ 小型軽量化、左手思想を踏襲した絞り環の位置。 開放F3.5と開放F2に統一したラインナップ。 フィルター径をφ49mmとφ55mmに統一。 開放F2級で20(21mm)から250mmまで揃う。 ”宇宙からバクテリアまで”と言われた、豊富な レンズバリエーション」 B「ううむ、良くわからんが、凄そうだ」 匠「まあ、派手な新技術ではないが、とても論理的で システマチックだ。 昔は、好き勝手に設計をする技術者が多い中で、 この様々な「論理性」は、特に技術分野に詳しい 人ほど、共感を覚える設計思想だ」 B「で、それがOM-SYSTEMか?」 匠「いや、M-SYSTEMだ。 初号機M-1は、1972年の発売。 ただし、その発表時に事件が起こる。 レンジファインダー機、Mシリーズ(ハイフンなし) を販売していた、西独エルンスト・ライツ社 (現ライカ)が、OLYMPUSに対して「Mは使うな」と クレーム(というか、言いがかり)をつけてきた」 B「言いがかりならば、無視するべきだ」 匠「現代の感覚ではそうだが、まず当時は、訴訟等 についての世間での理解度は低く、何か問題を 起こすと、企業やブランドイメージが酷く低下する。 それ(揉め事)を嫌い、OLYMPUSは名称変更を 甘んじる事とした」 B「酷い話だ、西ドイツは、ずいぶんと上から目線だな」 匠「そりゃあ、戦前1930年代は、世界に冠たる独国の 光学技術として隆盛を極めていた歴史がある。 敗戦後の東西分断から歯車が狂い始めてしまった。 同盟国かつ敗戦国の日本で、カメラ産業が急発達 した事に、良いイメージを持っていなかったかも 知れない。 1970年代、西独の老舗ブランドは、日本製カメラに 対して苦戦を続け、カールツァイスは、CONTAX銘 (ブランド)を日本のYASHICAに売却し、さらに フォクトレンダーも西独ローライに売却して撤退 してしまった。ちなみに、YASHICAは1975年に 国産CONTAX機を発売するが、何とその年に倒産 してしまう(よほど、CONTAXを買うのが高かった のか? まあ、他にも理由はあったと聞く) 後の国産CONTAXは「京セラCONTAX」となった。 言いがかりをつけたライカも日本のMINOLTAと 組んでカメラを製造してもらう、といった状態だ。 後年、ローライも1981年ごろに倒産してしまい、 フォクトレンダーの名前は宙に浮き、後に日本の COSINAがフォクトレンダーの商標を買う」 B「ボロボロの状態だなあ・・ そんな切迫した状況 だったからOLYMPUSに文句を言ったのだろうか?」 匠「さあ、そのへんの真意は今となってはわからない。 でもまあ、それでM-1は、やむなくOM-1に改名した。 だが、1972年の内に製造した1000台だか2000台 あたりは、そのままM-1の名前で販売された。 これが後年にまた事件を引き起こす。 M-1の発売から四半世紀、1990年代の中古カメラ ブームの時代だ。 既に希少機種となっていたM-1は「投機対象」と なり、高額での転売や取引が続いていた。 しかし、M-1そのものの完動機体は、殆ど残って いない。 そこで、M-1の故障機体から、M-1のエンブレム (名称が記載された部品)だけを取り外し、それを 動作するOM-1に嵌めただけの「偽M-1」が多数 作られ、それを高額に売買する状態となった。 OM-1自体も1990年代後半には人気機種であったが プリズムの腐食の持病を持っていて、市場に流通 する機体の多くは、ファインダーが汚く見える。 OLYMPUSは、この状況を見て、OM-1の補修用 プリズムを1500個ほど、新たに限定販売した。 だが、この1500個は瞬時に売り切れ、その一部は なんと、また「偽M-1」偽造に使われてしまった」 B「ふむ、OLYMPUSは世の中の実情が見えていないな。 現実は、もっと”汚い”世界なのだよ」 匠「だから、この一連の話は書きたくなかったのだよ。 書いていても、読んでいても不愉快になるだけだ。 ともかくドロドロとした世界だ、純粋にカメラを 楽しむなど、全くできない。 むしろ、こういう暗い歴史は、カメラやメーカー への愛着を、どんどん失ってしまいかねない。 現に、「OLYMPUS党」の人たちの一部は、頑固な までの「アンチ・ライカ」の様相もある。 50年以上も昔の経緯(いきさつ)が言い伝えられ、 いまだに不愉快に思っている人も多いのだろうな」 B「ふむ・・ 確かに、あまり面白く無い話だ」 匠「じゃあ、1つだけ面白い話をはさんでおこう。 OLYMPUSは、2021年に、カメラ事業を「OMデジタル ソリューションズ」(以下、OMDS)として分社化し、 2022年には「OM SYSTEM OM-1」を発売している。 1972年のM-1(後にOM-1)から、ちょうど50年後 での新発売だ。 ただ、これのロゴ名は「OLYMPUS」のままだ。 なので、このデジタル機は、 OMDS社のOM SYSTEMとしてOLYMPUS銘のOM-1だ。 50年前の銀塩機は、 OLYMPUS社のOM-SYSTEMとしてのOM-1であるが、 かなり区別がややこしい。ハイフンの有り無しも 微妙に違っている」 B「だから、ハイフンの有り無しに拘るのだな? でも、これはM-1にするべきでは無かったのか? それが本来の名称なのだろう?」 匠「そう、私も、その方が良いと思った。 だが、既に50年もの間、OMの名前は十分に 世間に浸透していたし、新会社もOM銘なのだから、 さすがにここでM-1に戻そうとは思わないだろう」 B「なるほどな・・ で、銀塩OM-SYSTEMは、その後どうなったのだ?」 匠「さらに紆余曲折だ(汗) 長くなるので、簡単に説明する。 1985年の「αショック」(MINOLTAが、世界初の 実用的なAF一眼レフシステム”α”を発売し、 他社を大きくリードするとともに、他社に対して も、一眼レフのAF化か? それとも撤退か?の 二択を突き付けた、歴史的な出来事)の後、 OLYMPUSも一眼レフのAF化を行うが、様々な 事情により、そのAF一眼レフは商業的に失敗する。 この為、1990年代の銀塩時代を通じ、OLYMPUSは MFのままのOM-SYSTEMの販売を続けるが、もはや 新製品の発売もなく、だんだんとマニア御用達の システムとなり、何度かの大きな値上げもあって、 銀塩末期には、極めて高額(カメラが20万円位) な贅沢なシステムとなっていた」 B「ふ~む。 米谷氏は、何をやっていたのだ?」 匠「取締役に昇進していた。恐らく開発の現場からも 少し距離が離れたのだろう・・」 B「そっか。現場を見る人が居なかったのかもな。 しかし、なんだか不運だな。で、よくOLYMPUSは カメラ事業を続けられたものだ」 匠「幸いにして、銀塩AFコンパクト機のμ(ミュー) シリーズが好調だったのだよ。 ここで、μ機を一台だけ紹介しておこう」 カメラは、OLYMPUS μ[mju:]-Ⅱ LIMITED (1998年発売、新品購入価格 28,000円) 搭載レンズは、35mm/F2.8 4群4枚(内、非球面1枚) B「ああ、以前に匠ブログで見た機種だな。 非常に高性能なのだろう?」 匠「μ(ミュー)シリーズの話も長くなる。 ごくごく簡単に述べておけば、μシリーズでは 単焦点機のμとμ-Ⅱの2機種、およびそれらの 限定版2機種、外装変更版1機種が高コスパだ」 B「ああ、確か、”高級コンパクトにも見劣りしない” とブログ記事に書いてあったな(?)」 フィルム:FUJICOLOR SPERIA PREMIUM 400(カラーネガ) 匠「そうだ。μ-Ⅱは”傑作機”と言っても過言では 無い。詳しくは以下の記事を参照されたし」 参考関連記事:本ブログ 「フィルムカメラで撮る」第7回μ-Ⅱ Limited編 匠「さて、そろそろ、デジタル時代に進む」 レンズは、OLYMPUS ZUIKO DIGITAL ED 50mm/F2 MACRO (中古購入価格 22,000円)(以下、ZD50/2) アダプターは、OLYMPUS MMF-2(4/3→μ4/3電子式) カメラは、OLYMPUS OM-D E-M5 MarkⅡ Limited (μ4/3機) 2003年発売のAF中望遠相当1/2倍マクロレンズ。 B「フォーサーズ(4/3)用レンズだな? どんな特徴があるのだ?」 匠「4/3は、比較的短命だった悲運のシステムだ。 発売当初(2003年~)は、数十年ぶりにOLYMPUSの 本格機(一眼レフ)が発売された事で、OLYMPUS党/ OM党といった、昔からのファン層に大歓迎された。 ただ、デジタル機の進化は恐ろしく速く、他社が どんどんと新機能追加や記録画素数の向上等を 施した新鋭機を、バンバンと発売してくる。 しかし、実際のところ、各社のデジタル一眼レフで 使う部品(センサー等)の多くは共通であり、例えば 画素数の増加も、ほぼ各社が横並びだった。 4/3機は、当初KODAK製のCCDセンサーを用いて いたが、センサーの改良も、新カメラの発売も、 他社ほどのハイペースで行う事はできず、だんだん 市場に対する遅れが発生してきた」 B「多数のデジタル機が発売された時代だったのだな? 4/3は、何か特徴を掲げていかないと厳しいなあ」 匠「そうだ。その頃(2005年頃)、市場においては ”オリンパスブルー”という好評価が拡散された」 B「聞いた事がある。”オリンパスの青色は綺麗” という話だろう?」 匠「そうだ。だが、厳密に言えば、その時代2000年代 前半頃の各社のデジタルカメラは、どれも多少 なりともオリンパスブルーの発色傾向があった。 理由は、当時のCCDやCMOSセンサーは青色側の 感度が低く、それを画像エンジンで補正していた からだ。その補正した色味が、特に青空等の 描写に優れる、という訳だが・・ 実際のところ他社機でも似たような傾向がある」 B「なんだ、オリンパスだけの特徴では無い訳ね。 じゃあ何で・・? ああ、わかったぞ。 それはオリンパス機に注意を 向けようとする為の、情報拡散だった訳だな?」 匠「恐らくはそうだ。元々は、ファン層、マニア層からの 善意の好評価だったとは思うが、その情報が、ある 程度拡散した後では、それはもう宣伝そのものになる」 B「だけど、性能的進歩が遅い事は、依然、問題点だ」 匠「その通り。だから、OLYMPUSはKODAKとの提携を 数年で解消し、Panasonic社の(LiveMOS)センサー を4/3機用に使用する事とした。 これは、その名の通り、ライブビュー撮影が実現 できる特徴を持つ。 ライブビュー撮影は、一眼レフでは珍しいが、 まあ言わば、従前からのデジタル・コンパクト機 等でも実現されていた訳であり、これは大きな 付加価値にはならない」 B「じゃあ、どうする?」 匠「話が長くなるので、いったんレンズについてまとめて おく。 本ZD50/2は、希少な開放F2級マクロだ。 ”開放F2のマクロは通常1/2倍まで”と前述した。 このレンズもそうだが、4/3機なので、換算2倍と する事で、(約)等倍の撮影が実現できる。 このレンズの前機種は、OM-SYSTEM時代のOM50/2 であるが、非常にレアで、投機対象の高額レンズで ある為、私も購入できていない。 勿論、OLYMPUSは、その状況も鑑み、”4/3機用の このレンズを買えば、希少レンズを代替できますよ” というコンセプトがあったと思われる。 初期4/3機と組み合わせて使う事が前提の、高性能 レンズではあるが、私の所有レンズは、経年劣化や その他の要因からか? 若干のコントラスト特性の 低下が見られる。 また、4/3機ではカメラの電源を入れない限り レンズ側のピントリングは回転しないか効能が 無いので、MFを中心とした近接撮影には向かない。 後年のμ4/3機に、電子アダプターを介して使う 状態では、近接撮影後にカメラの電源を切ると、 鏡筒が伸びっぱなしで、引っ込められず難儀する。 よって、あまり使い易いレンズでは無いが、まあ、 描写力全般的には、さほど悪いレンズでは無い。 では、ここでレンズを交換しておく」 レンズは、OLYMPUS ZUIKO DIGITAL 35mm/F3.5 Macro (中古購入価格 8,000円)(以下、ZD35/3.5) カメラは、OLYMPUS E-520(4/3機) 2005年発売の4/3機用AF準標準画角等倍マクロ。 匠「このレンズは、OLYMPUSの戦略転換を、如実に 表している。 つまりOLYMPUSの4/3機や一部のレンズは、 性能の向上ではなく、低価格化を目指した訳だ。 2000年代後半になれば、もうデジタル一眼レフは 世の中に普及し、価格も下がって、贅沢品では なくなってきた。 そんな中、どのメーカーのデジタル一眼レフよりも 安価なセットを、OLYMPUSでは提供し、それを 多数販売しようという戦略を取った。 レンズも同様、このZD35/3.5は、一種のお試し版 レンズであり、低価格だが、高性能である。 マクロレンズをエントリーレンズ(お試し版)と する実例は極めて少なく、恐らく、史上、4例 (MINOLTA AF50/3.5(銀塩)、SONY DT30/2.8、 NIKON DX40/2.8、そして本ZD35/3.5) しか無かったと思われる(注:一眼レフ用)」 B「システムが安ければ、これは売れたのか?」 匠「2000年代末の数年間はな。 ただ、そうした安売り戦略を、いつまでも続ける 訳はいかない、あまり儲からないからな。 その頃、PanasonicとOLYMPUSの間では、水面下で いままでの4/3用の資産(部品や開発ノウハウ等) を活用する為の新しいカメラ、つまりミラーレス機 の検討と試作が進められていた」 B「おっ、ここでミラーレス機が登場する訳か?」 匠「そうだ。 では、以降は、μ4/3機用レンズの紹介とする」 レンズは、OLYMPUS M.ZUIKO DIGITAL 45mm/F1.8 (中古購入価格 16,000円)(以下、MZ45/1.8) カメラは、OLMYPUS PEN-F (μ4/3機) 2011年に発売された中望遠画角AF単焦点レンズ。 匠「ミラーレスの初出は、μ4/3機からのスタートだ。 前述のように、新機軸のカメラの展開を意図した OLYMPUSとPanasonicにより、4/3システムの資産を 活かしながら、まったく新しいカメラの開発が 水面下で進んでいた。 その「μ4/3システム」の規格発表は、2008年の 夏頃であったと思う。 その発表内容は、私も資料等を読んだが、技術仕様的 な内容ばかりであり、その長所や特徴等については、 当初は、私もわからなかった。 むしろ「コントラストAFのみでは、AFが合わないだろう」 とか「光学ファインダーを搭載する事ができない」等の 否定的な課題ばかりが目についてしまった」 B「ふむ・・ まあ、最初はそんなものかなぁ?」 匠「2008年の末頃、Panasonicより、μ4/3機の初号機、 (LUMIX)DMC-G1が発売された。 技術発表から、わずか数ヶ月、あまりに早い製品化 なので、”これはもしかすると既にDMC-G1の試作機 は早い段階で完成していて、μ4/3規格は後から 作られて、製品発売前に慌てて発表されたのでは?” とも思った。まあ、それは恐らくその通りであろう」 B「それがミラーレスの初号機かあ、市場からの評判は どうだったのだ?」 匠「多分だが、一般層での評価と、マニア層等での評価と 市場関係者(他メーカー)では、全然異なっていたと 思われる。 一般層は、”赤や青色の外装の、カラフルな小型の 一眼レフが出た”と、特に女性層でのウケは良かった。 そこでは、カメラの機構的な特徴(つまり、ミラーレス 機である事)は、全然関係の無い話だった。 マニア層やハイアマチュア層にはウケが悪かった。 いわく”赤や青の機体外装は軟弱だ、子供向けか?” ”センサーサイズが小さい、今時、せめてAPS-Cだろう?” ”コントラストAFのみかあ、AFが合うはずが無い” ”光学ファインダーが無くEVFのみかあ・・物足りないな” などの否定的評価が大半であった。 まあ、これは後年においてミラーレス機が普及した 時代の感覚とは異なる。 あくまで彼らの比較対象は、これ迄の時代の (デジタル)一眼レフな訳だ。 他メーカー、あるいは市場関係者は、ちょっと違う。 新たなスタイル(構造、方式)のカメラが発売された 事で、すぐさま、各メーカーの技術者等は、その 方式の利点や弱点の分析を始めた事であろう。 もし、この方式(ミラーレス)が、今後進化した場合、 自社の(デジタル)一眼レフビジネスにも、強い影響を 与えるかも知れないわけだ」 B「ふむ。最初のミラーレス機は、それを見る人の立場に よって、それぞれ異なる印象や評価となった訳だな?」 匠「そうだ。そして私も、当初はこのDMC-G1を無視する 事とした。マニア的観点からは、あまり利点を感じ 難かったからだ。 だが、これの発売直後、たまたまだが、Panasonic社 と技術的な商談を行う必要があり、そこでDMC-G1の 開発陣と対談をする機会に恵まれた。 そこで私が感じたのは、”DMC-G1の開発陣は極めて カメラの事に詳しい”という点だ。 それまでは”家電メーカーが、カメラを作っている”と むしろ否定的に思っていたのだが、この詳しさは一体? 後で良く考えてみれば、2005年~2006年にかけ、 関西では(KONICA)MINOLTAや京セラ(CONTAX)といった 老舗のカメラメーカーが、次々とカメラ事業から撤退 していた。恐らくは、それらの企業に所属していた ベテランのカメラエンジニアが、同じ関西のPanasonic や関東のSONYに転職(転属)をしたのだろうと思われた。 (KONICA) MINOLTAやCONTAXの末期(2000年前後)の カメラ群は、写真を撮る為の「操作系」に極めて優れる 事が特徴だ。こうした「操作系設計」は、よほど写真を 撮る事に精通していないと、設計そのものが難しい。 そもそも、ほとんどのユーザー層、市場関係者から メーカー技術者に至るまで、「操作系」の概念を持ち 合わせていない事がある。デジタル機器の非常に多数の 機能を効率的に使う為には、単に操作子やメニューの 動かし易さや選びやすさといった「操作性」のみならず 実際の写真撮影のシーンにおいて、その際に必要となる 特定の機能を、いかに効率的に素早く呼び出し、それを 変更できるか?という「操作系」の概念が重要だ」 B「その”操作系”の話は良く聞くが、ボクにはさっぱり 理解できない」 匠「膨大な撮影経験を持たないと、理解が難しいと思う。 だからまあ、今の(ビギナーの)段階では、あまり 気にする必要が無い。 で、カメラメーカーのベテラン技術者が家電メーカーに 流れた事で、PanasonicとSONYにおける、2008年~ 2012年の期間に発売されたカメラは、極めて操作系 が優れたものが散見される。 ただし、そうした機種が全てでは無い。 各カメラには、想定されるユーザー層(のレベル)が 存在するからな。 そして、操作系を向上したところで、それを使う ユーザー層が、フルオートのモードでしか撮影をしない 初級層であれば、その恩恵は得られないどころか、むしろ ”カメラの操作が、ややこしくてわからない、使い難い” と、逆の評価になってしまう危険性すらある」 B「なるほど、改善をした事が、仇になるケースもある 訳だな」 匠「操作系の変遷の話は、興味深い要素があるが、かなり 冗長となるので、今回は割愛しよう。 で、結局、DMC-G1は操作系に優れたカメラである 事を私は理解し、Panasonicとの対談後、すぐに それを入手。そして実際に使ってみると、さらにその 操作系の無駄の無さを実感できたので、もう1台を 追加購入する事とした。 こんな場合に、色違いのボディは有難い。 個々の機体識別が容易であり、それぞれの使用頻度、 使用目的、バッテリーの充電量や消耗度合い等での ローテーション(交替)使用にも有益だ」 B「赤や青の機体は軟弱では無かったわけだな」 匠「まあそうだ、単に、消費者層が、見慣れないものに 反発していたに過ぎなかったのだろう。 酷い意見では”色つきボディは、被写体にその色が 映り込むから、いかん!”といったものもあった。 だが勿論、そんな事は撮り方でどうとでも回避できる。 むしろ、撮影者が着ている派手な黄色いシャツ等の 方が映り込みの課題としては大きいだろう。 これもまた、見慣れないモノへの”いいがかり”だ。 ポイントはまだある。DMC-G1の発売翌年頃から μ4/3機用のマウントアダプターが、各社(サード パーティ)から多数発売された。 その中には、これまでデジタル一眼レフでは使用不能 であったオールド(レンズ用)マウント、例えば、 CANON FD、MINOLTA MD、KONICA AR、NIKON S 等のマイナーマウント版があった。 私は瞬時に、これまで自分では気づいていなかった 点を悟り、大きく反省した。 ”そうか、ミラーレス(μ4/3)機は、これまで休眠 していた、全てのオールドレンズを使える、夢の 万能母艦になる訳だな? その為の、ショートフランジバック化だったのか? そして、オールドレンズ母艦としての用法ならば、 コントラストAFのみの低性能でも、何ら問題には ならない、だって、全てMF撮影だしな”・・と」 B「すると、μ4/3機はオールドレンズ用だった訳だな?」 匠「そうなんだよ。で、しかもDMC-G1ではオールドレンズ を装着した際に、使いやすくなる操作系の工夫が 随所に盛り込まれていた、これは、カメラに非常に 詳しい設計者による”確信犯”的措置だな」 B「ん? 何故”確信犯”なのだ? 良い仕様では無いか?」 匠「だって、Panasonic(やOLYMPUS)で開発した新鋭機を 自社製のレンズを使わず、オールドレンズを使う等の 企画方針は、社内、社外いずれにも公言できる筈が 無いではないか!? 仮に、そんな事を”企画会議”等で言ってしまったら、 ”他社レンズを使う為のカメラを作るのか?”とか、 お偉いさんに怒鳴られて、瞬時に企画は、ぽしゃって しまう。そうならないように、この仕様は技術者達は 口が裂けても、これを言わなかった。 ”きっと、マニアなら気づいてくれる”、そう信じて。 そして、恐らくマウントアダプターの件も、Panasonic 側から、アダプターメーカー等に図面を早目に供給し 多数の発売に誘導したのであろう」 B「うわ~ 製品に隠された秘密の機能かあ? 面白い話だ」 匠「だが、その仕掛けが強いのは、Panasonic機のみだ。 OLYMPUSは、自社レンズのブランド銘、つまり"ZUIKO" の力が強い。(注:Panasonicのレンズは無名だ。 それ故に、当時から提携していた、独Leica(ライカ) のブランド銘をつけて、高付加価値化・高額化した レンズも発売している) だからOLYMPUSのμ4/3機では、自社レンズを使った 場合にのみ効能を発揮できる機能も多いし(例えば フォーカスブラケットや(被写界)深度合成等) 他社MFレンズをマウントアダプター経由で使うと、 デフォルトでは、ピーキング機能すら出ない仕様と なっている。そしてMF撮影時の画面拡大操作系等 は劣悪であり、(使い易い)Panasonic機との、 あまりの違いは、”笑ってしまう”程の大差がある。 こちらは”自社レンズ優先”の設計思想であり、 Panasonicのμ4/3機とは、明らかに正反対の状態だ」 B「ふうむ・・・ 各メーカーで事情が異なる訳だな。 μ4/3機など、どれも似たようなものだと思っていたよ」 匠「OLYMPUSのμ4/3機の発売は、やや遅れて2009年7月 での「OLYMPUS PEN E-P1」(未所有)からだ。 前述のように、この月、銀塩PENや銀塩OMの生みの 親である米谷技師が他界している。 現代でのOM SYSTEMの、OMやPENは、いずれも米谷氏 の遺産とも言え、そもそもOMの「M」の文字は米谷 (まいたに)氏の頭文字のMでもある訳だから、 つくつぐ偉大な人だったと思う」 B「そうか・・ 死んでなお名を残し、かつ、今の OM SYSTEMのカメラのコンセプトを全部一人で 創り上げた訳か、それは偉人だな」 匠「OLYMPUS機は、その後、PEN/PEN Lite/PEN Mini の3シリーズを、主にビギナー層向け、一部は、 銀塩PENを知るマニア層やベテラン層に向けて販売。 初期のμ4/3機の隆盛の礎を築く事に成功した。 これでもう、4/3機は、”お役御免”であり、 2010年頃からの4/3システムの新発売は無くなり、 2013年には、μ4/3旗艦機「OM-D E-M1」の発売 に合わせ、OLYMPUSから「4/3機を終了する」という 旨(注:正確には”統合する”)の発表があった」 B「Panasonic機は、どうなった?」 匠「一部の機体(DMC-G、DMC-GH)は、前述のように オールドレンズ母艦としての適正が高く、ごく 一部のマニア層では、それらの機体を使っての ”第二次オールドレンズブーム”が訪れそうになった。 だが、この事は、多くのマニア層が、その利点に 気づいた訳でもなく、新進のPanasonic機に偏見を 持っていた人達も多かった為、ごく一部のマニア層の 中でのブームに留まり、”オールドレンズブーム”は、 一般層にまで拡散する訳ではなかった。 結局、Panasonicのミラーレス機も、DMC-GFシリーズ 等の、小型軽量で、お洒落なシリーズ機体が、初級層 入門層、女性層等にウケて、それらが販売の主力と なっていく」 B「すると、μ4/3機はビギナー向けとして売れたのだな?」 匠「その通りだ。当時のPanasonic機の販売数は、後年の 10倍以上にも及んでいた。 参考だが、Panasonic社には、後年にも訪れた事が あり、”当時のカメラ部門には、予算がいくらでも ついた”等の話を聞いた事もある。 OLYMPUSには訪問した事は無いが、恐らくは同様だろう。 で、μ4/3機の伸びが大きかった為、他社も慌てて、 ミラーレス機の発売に追従する。 2010年:SONY NEXシリーズ 2011年:NIKON 1シリーズ PENTAX Qシリーズ 2012年:FUJIFILM Xシリーズ PENTAX K-01 CANON EOS Mシリーズ また、他に、ミラーレスに含めるか?は微妙だが、 2009年:RICOH GXRシステム が発売されている」 B「なるほど、他社においても、ミラーレス機の存在を 無視できなくなった訳だな?」 匠「その通りだ。 しかも、この頃(2010年代初頭頃)、μ4/3機の シェアが高かった為、業界の一部からは、 ”μ4/3機は、センサーのサイズが小さい為に、 そんなものが良く写る筈が無い”という否定的な 噂(=いわゆる、ネガティブ・キャンペーン)が 拡散されている」 B「そんな”足の引っ張り合い”は、意味の無い話だ」 匠「しかし、この”ネガティブ・キャンペーン”は、 単なる”悪口”に留まらず、少しだけ戦略的要素を 含んでいる。 すなわち、ここで”小センサー機を否定した” 次第なのだが、これは、続く時代に、一眼レフを フルサイズ化し、センサーサイズの圧倒的な差で ミラーレス機や、初期スマホ内蔵カメラを打倒して ミラーレス機等に押されていたデジタル一眼レフの 売り上げを再興したい、という戦略だ」 B「なるほどな。 良く考えられた”悪口”だ」 匠「だが、これはつまり、2010年代初頭では、主に デジタル一眼レフを主力とする陣営(NIKON、CANON、 PENTAX等)においては、(流行の)ミラーレス機は 一応は発売したものの、主力は、あくまで一眼レフ だと考えていた模様だ。 だから、それらのメーカーの初期ミラーレス機は 一眼レフと比べての性能制限が甚だしく、とても 実用的とは言えず、売れていないし、早々に生産 終了となってしまったシリーズも多い」 B「ううむ・・ 複雑な歴史だな。 後年には、それら一眼レフメーカーも、結局は 高級ミラーレス機に転換するのだろう?」 匠「その話は長くなるので、今回は割愛する。 OLYMPUSの話に戻ろう。 初期(2009年~2011年)のOLYMPUS μ4/3機は いずれもEVFを持たず、コントラストAFのみの シンプルな構成のものばかりだ。 そこで使えるレンズも、開放F2.8級、あるいは それ以下の小口径の単焦点または標準ズーム ばかりである」 B「一般に、”松・竹・梅”と呼ばれるヤツだろう。 F2.8以下とかの、フツーのレンズが”梅”で、 F1.8級だと”竹”となり、F1.2級は”松”だ」 匠「OLYMPUS自身が、そう区分した理由もあるのだが・・ ただ、そう分類して、商品にランクを付ける考えは 消費者的に必ずしも正解とは言えない。 これは、時代毎の製品戦略、そして技術的な進歩も 大きく背後に関連している。 具体的には、初期μ4/3機は、ピントが合い難い、 だから小口径のレンズ(梅タイプ)しか実用的 には使えない。 像面位相差AFが搭載されるようになってからは、 (2013年、OM-D E-M1以降) 初期像面位相差AF 機では、開放F1.8級(つまり”竹”)レンズは 実用範囲だ。 松竹梅は、後から(2010年代後半頃)OLYMPUSが 分類したものであり、当初は、そんな分類は無かった。 でも、近年のマニア層等は、殆どが「新規マニア」だ、 つまり、ほんの数年前までの市場がどうだったか? などは全く知らないから、その時点での様相を見た だけでの、どうのこうの、という話が主体となる」 B「なるほどね。歴史や市場背景は良く勉強しておかないと 真意を見失ってしまいそうだな・・」 匠「余談だが、2013年はSONYが世界初のフルサイズ ミラーレス機、α7/α7Rを発売した年だ。 この対比は面白く、本ブログでの過去記事 「デジタル名機対決クラッシックス第2回、2013年 注目ミラーレス機編、「OLYMPUS OM-D E-M1」 vs「SONY α7」編で、詳しく述べている事と、 それに加え、2013年、SONYはOLYMPUSの株式の 11.46%を取得して筆頭株主となっていた」 B「ん? 裏で繋がっている訳か? 像面位相差AFの技術も、SONYから供給されたとか?」 匠「詳しい事はわからない、あくまで水面下の話だしな。 そこはもう良い、好きに内情を憶測すれば良い。 OLYMPUSの松竹梅レンズの話に戻れば・・ さらに後年、AFアルゴリズムの改善が見られた 2010年代後半頃からは、F1.2級レンズ(”松”) も、高性能機では実用範囲となる。 つまり”松竹梅”は、レンズのランク(価格帯) よりも、母艦との性能(AFおよび、センサー ピクセルピッチと、レンズ解像力との関係性) のマッチングを意識して選ぶべきだ」 B「ううむ・・ そんな事は全然考えていなかった。 というか、普通、絶対わからないだろう?」 匠「わかっていなければ、もうやむを得ない。 松竹梅とかで、その談義をしているだけの状態だ。 まあそこは良い、本レンズMZ45/1.8は、 典型的な”竹”レンズではあるが、描写性能に あまり手を抜いておらず、それにしては価格も そう高価では無いので、コスパが、なかなか良い。 母艦は、像面位相差AF機でも、それが搭載されて いない中級機でも、まあ実用範囲だ。 換算画角90mmは、人物撮影にも向く画角であるから 人物撮影を志向する多くのユーザー層にも向く。 有料モデル撮影会等に限らず、家族や知人友人等 多くの撮影シーンで、人物撮影は一般的だ」 B「了解した。ボクはμ4/3機は所有していないが、 それを買ったら、このレンズも買う事としよう」 匠「ただ、マニア層には、あまりウケが良くない。 ・・というのも、銀塩用MF50mm/F1.8級レンズは、 中古品で数千円程度で買えるし、しかもオールド レンズながら、レンズ光学系(5群6枚の変形 ダブルガウス型構成)の完成度が極めて高く、 現代での使用も、あまり課題にはならない。 ”その類のレンズを安価に買ってきて、マウント アダプターで装着し、MFで撮った方が簡便だ” という代替手段が存在するからだ」 B「なるほど。でもまあ、AFで撮れるのは便利だ」 匠「じゃあ、ここでレンズを交代する、μ4/3機用 これが今回ラストのシステムだ」 レンズは、OLYMPUS M.ZUIKO DIGITAL ED 75mm/F1.8 (中古購入価格 59,000円)(以下、ED75/1.8) カメラは、OLYMPUS OM-D E-M1 MarkⅡ(μ4/3機) 2012年に発売された高描写力AF望遠相当レンズ。 B「これも”竹”レンズか?」 匠「一応、そう(M.ZUIKO PREMIUMに)分類されては いるが、実際には、もっと複雑な出自と企画上での コンセプトを持ち、高性能(高描写力)レンズとして 開発されたものだ」 B「ふ~ん、”竹”といっても、色々あるのだなあ」 匠「だから、”松竹梅”とかは、後年でのユーザー層が 勝手に言っているだけの話だ。最初からOLYMPUSが そのような製品戦略を立てていた訳ではない。 本レンズに関しては、過去記事での紹介回数が とても多い。詳しくは、それらを参照してもらうのが 良いと思うが、ごくごく簡単にポイントを纏めておく。 ・本レンズは、75mmの焦点距離から、ポートレート 用レンズだと誤解されやすい。 初出の際のOLYMPUSのWebに、その主旨の記載が あった事で、評論家等が、その文言をコピーして 広めてしまったので、誤解が解けないままだ。 ・実際には、150mmまたは、デジタルテレコン併用 で300mmの画角として使うコンセプトのレンズだ。 人物撮影に向く状態(画角)では無い。 ・これの企画の元は、幻の名レンズとも言える 4/3時代のZUIKO DIGITAL 150mm/F2である。 そのコンセプトを踏襲したのが、本ED75/1.8だ。 ・描写表現力は非常に高いレンズだ。 ただし、AF性能は低く、最低限でも像面位相差 AF搭載OLYMPUS機(注:高級機のみ)を母艦とする 必要性がある。 なお、PANASONIC機の”空間認識AF"は、カメラ内 に、このレンズのデータが入っていない為 有効に動作しない。(コントラストAFのみの利用) ・150mmまたは300mmの画角で使う場合、中遠距離 の小型高速動体(例:飛ぶ野鳥、飛ぶ昆虫等)を 捉える画角にも向く。 しかし、AFの課題があり、それら高速動体には 像面位相差AF搭載機でも、まずピントが合わない。 ・AFの課題を回避するためにMFで使用しようと しても、無限回転式ピントリングで、距離指標を 持たない仕様である為、MFの操作性に劣る。 ・総合的に、速写性が得られない為、高速動体 撮影には向かず、静止被写体または低速動体 被写体専用のレンズとなる。 だいたい以上だ」 B「なるほどね、動かないモノを撮る場合には良い レンズになる訳だな。 どうせ、ボクは”動きモノ”を撮る実力値は 持っていないから、そこは、どうでもいいや。 これは良さそうなレンズだな」 匠「結局、レンズの評価というものは、ユーザー 各々の用途次第、あるいはスキル(腕前)次第で 変化してしまうものだ。 くれぐれも、他人の評価だけを聞いて、商品の 良し悪しを判断してはならない」 B「わかった、そこは”耳にタコができる”だよ」 ---- では、本記事は、このあたりまでで。 次回記事の内容は未定としておく。
by pchansblog2
| 2024-10-09 20:46
| 完了:レンズグルメ入門編第一部
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