「なり替わり」の才人たち〜丸田祥三氏『棄景』剽窃被害3

PaPeRo2010-04-14


   写真家・丸田祥三氏が同業者の小林伸一郎氏から「盗作」されたと訴えた件、小林氏は複数の写真家からも盗用の疑いが指摘されています。
  http://haikyo.kesagiri.net/

 そして下記URLは、小林伸一郎氏側の弁護士から即刻閉鎖を求められている、丸田氏が盗作問題について書いているブログです。
  http://blogs.yahoo.co.jp/marumaru1964kikei
 一人でも多くの人に読んでもらいたいと思います!

 さて今回の話題は、いまから8年前の話に遡ります。
 2002年に、ある廃墟イベントが開かれました。これは当時日本で公開予定だった複数の外国映画に廃墟の描写があることから、廃墟ブームを起こそうという意図で行われたものです。
 そこで既に『棄景〜廃墟への旅』『棄景2』『同3』等を出していた丸田氏のもとに洋画配給会社が来て、大量の廃墟写真(約100点)を借りていきました。

 ところがその後小林伸一郎氏が「丸田は俺の後追いで、先駆者は俺だ」と主催者側に吹き込み、いつのまにか小林氏が中心でイベント企画が進み、イベント当日は、会場に丸田氏の写真が百点貼られた前で小林氏がマスコミのインタビューに答えました。

 この廃墟イベントの際、小林伸一郎氏は主催者側に「私の事務所は画像の使用についてうるさく、許可が難しい」ということを理由に自分の写真を一枚も出しませんでした。

 多くの取材者が、これまでにどこか見覚えのある丸田氏の写真(90年代に朝日新聞やテレビ朝日の『ニュースステーション』などに出ていた廃墟写真)を眺めつつ、廃墟の「先達」と自称する小林氏の話を聴くという状況になりました。丸田氏の90年代の地道な功績に対し、それは小林氏のものだったと、事情を知らない取材者たちが思いこんだとしても無理はないでしょう。

 そして、そこで小林氏は自著『廃墟遊戯』と『廃墟漂流』を売ったのです。
 丸田氏の丸山変電所やロープウェイの廃墟を掲げた会場の真ん中で、小林氏がそれを模したと現在訴えられている丸山変電所や廃ロープウェイの載った写真集が売られていたという驚愕の事実。

 これが「他人が築き上げてきたものをかすめとり、いつの間にか自分が成り代わってしまう」ことでなくて、なんでしょうか。

 先日、丸田祥三氏が小林伸一郎氏を盗作で訴えた話をツイッターでつぶやいたとき、新井満氏の『千の風になって』の問題と並べて語る人がいました。荒井氏が、『千の風になって』を最初に翻訳した南風椎(はえ・しい)さんの訳をパクり、原著者不明のまま自分が商標登録してしまった事件です。

 丸田氏の写真を評価し写真集の推薦文も書いている映画監督の故・実相寺昭雄氏が、生前、小林氏が丸田氏を剽窃したことにいたく立腹され、「小林伸一郎っていうのは、言ってみれば<新井満の小物>じゃないの?」と言っていたのを私は思い出します。
 当時はまだ『千の風』ブームの前でした。しかし、見抜く人は見抜いていたのです。

 新井満氏はかつて、小椋佳氏がサラリーマンをやりながらシンガーソングライターをして話題になった後に、『ワインカラーのときめき』で突如歌手となりました。
 人々は新井満氏も小椋佳氏のように自分が作詞作曲をしているシンガーソングライターだと思い込みました。いまだにそう思っている人もいるでしょう。

 CMソングとして流れる時に、画面の隅に、「新井満」とテロップが出たからです。これは従来の感覚で言えば、作詞作曲そして歌を兼ねた人にされるのが当時の共有感覚だったと思います。
 こういう、自分のやってもいないことを人々にイメージの広がりとして刷り込む才能を持っているのが新井満という人物なのかもしれません。
 そこは、たしかに小林氏による、丸田氏の業績を剽窃する手口にも似ています。

 奇しくも、丸田氏が朝日新聞で『少女物語』を連載していた時、新井満と組んだことがあります。
 『少女物語』は、全回を通して写真家が丸田氏であるということだけは変わらず、作家がバトンタッチして小説を書いていくという形式で、各作家は彼の写真をもとにして物語を書きました。

 この時、新井満はただ一人妙なイチャモンをつけてきたといいます。
 いわく、小説を読むのに邪魔だから写真を外せ、と。
 最初から写真とのコラボという約束でその仕事に入り、丸田氏の写真をもとに話を書いていながら、完成させるや、写真の方を外せ、と迫ったのです。
新井氏は丸田の写真はポップじゃない、こんなのイマ風じゃないとしきりに言っていたといいます。それは個人の価値観の問題ですが、だとしたら自分が最初から降りるべきではないでしょうか。

 結局『少女物語』は、小説部分と写真が別々の本として出版されました。他の作家は一人もイチャモンをつけてこなかったといいますから、新井氏の我がままのおかげで、われわれ読者は本来のコラボレーションの成果としての『少女物語』に、新聞の縮刷版でも見返さない限り、触れることが出来なくなってしまいました。
 当時一読者として刊行を楽しみにしていた私は、がっかりしたのを思い出します。

 私には新井氏のあり方は小林氏のそれに酷似していると思えてなりません。
 他人をどかしてでも自分が中央に居座ろうとする執着心。そして、外側に対しては、あたかも初めから自分がそこにいたかのようにふるまう。
 おそるべき「なり替わりの才人たち」です。