ラブライブ!スーパースター!! 三期第十一話「スーパースター!!」感想 ~「イマ」を走れ!煌めくよ、スーパースター!!~

皆様、こんにちは。
今年も残すところ十日ほどとなり、年末進行の加速も止まらない今日この頃ですが、進捗いかがですか。


奇蹟のカーニバル、開幕だ。
幕間ボイスドラマやMCパートも含めた、まさかの全編(ほぼ)ノーカット。大盤振舞いか。
まさかのLiella!ユニット曲披露(これを予測出来たひとは、はたして存在していたのだろうか……)、早々に切られた「コラボパート」という切札、極めつけは「ラブライブ!」勢による765AS楽曲と「アイドルマスター」勢によるμ's楽曲のカバー。使えるカードは全部使って、観客をとことん楽しませてやるという気概を感じさせてくれたところはあるんですよね。
また、今回のコラボパートにてLiella!がメインとなった「WE WILL!!」・「MIRACLE NEW STORY」のセンターが、かのん離脱後のLiella!で部長としてみんなを引っ張ってきた千砂都と、次世代の結ヶ丘を担う存在となったきな子であるというのが、「スーパースター!!」三期のストーリーを経たことでより大きな文脈が与えられてくるように思えて、感慨深さも出てきます。


ストーリー展開を少し減速させて、キャラの掘り下げに着目した印象を受ける「スクールアイドルミュージカル the DRAMA」第四話。その分、次回のエピソードではストーリーがより一層加速していきそうな予感です。
それはそれとして、各所で話題になっていた浅井 七海さん演ずるユズハの「超絶運動音痴(の演技)」、実際に目にすると「なるほどね」の顔にならざるを得ない。こりゃ、運動音痴だわ。


それでは、本編の詳しい感想をやっていきましょう。
※以下、画像は注記がない限り「TVアニメ『ラブライブ!スーパースター!! 三期』第十一話」からの引用です。



「私」と向き合う物語

かのん「春になったら、ここでひとり……」

ウィーン国立音楽学校への入学手続きを行うため、ウィーンを訪れたかのん。そこにあったのは、「ひとり」の女の子の姿でした。

マルガレーテの姉を前にしたときこそ気丈な態度をとろうとしてはいるものの、それは相当に背伸びした振る舞いであったというのは想像に難くないでしょう(それはそれとして、行列に並んだかのんが背伸びして、カカトがローファーから脱げている描写、匠のコダワリを感じさせられますね……)。右も左もわからない異国の地で戸惑い、言葉もわからない異邦の地で狼狽え、不安を取り繕うことすらままならない。もはや弱々しさすら感じさせられるかのんの姿に、「まさか、この期に及んで『留学辞める!』なんて言ったりしないよな……?」という疑念が出てきてしまったのは、否定出来ないところです。

「『みんな』であること」を何よりも大切にするLiella!。その中でも「『みんな』であること」に人一倍のこだわりを見せ続け、あるときは誰かの近くで寄り添い、あるときは誰かの手を取って導き、あるときは誰かを遠くで見守りながら、「みんな」を「結ぶ」ためにこれまでの「物語」を歩み続けたかのん。そんな彼女が「みんな」から離れ、たったひとりで踏み出す未来への一歩。その一歩を踏み出すために、かのんがどれほどの決意と覚悟を固めてきたのか。そして、決意と覚悟を固めて踏み出した一歩にであるにもかかわらず、ふとした瞬間に不安や憂いが忍び込む恐怖がどれほどのものなのか。もはや、それを想像するのも野暮としたところなのかもしれません。

しかし、それは今のかのんにこそ必要な通過儀礼だったのでしょう。
たったひとりで、「ひとり」と向き合うことが。

もしかすると、かのんも心の奥底でそれを理解していたのかもしれません。「みんなのために歌いたい」・「音楽でみんなを結びたい」・「みんなで喜びを分かち合いたい」という想いを胸に、これまでの「物語」を駆け抜けてきたかのん。特にこの一年間は、かのんは常に「みんな」とともにあり続けました。裏を返せば、彼女には「ひとり」と向き合えるチャンスがなかったのです。「みんな」の手の届かない場所で、「みんな」に手が届かない場所で、たったひとりであるこのときこそが「ひとり」と向き合う最後にして最高のタイミング。だからこそ、彼女はスマホを手に取らなかった。ほんの少しの操作で「みんな」と繋がることが出来る文明の利器に、彼女は頼ろうとしなかったのでしょう。今と同じように、ひとりで「ひとり」と向き合ったあのときとは違って。


不安の雨に打たれながら。
恐怖の闇夜に取り残されながら。

ひとりで「ひとり」と向き合うからこそ見つけられる「光」が、きっとそこにはあるのでしょう。

幼いかのん「歌は怖くない。楽しいものだよ! だから歌おう、楽しく!」

ひとりで「ひとり」と向き合い、かのんが見つけた「光」。その中心にいたのは、幼き日の自分自身でした。

かつての自分自身が語る言葉。それは、理由のない不安と恐怖に襲われ、立ちすくむかつての自分自身に、かのんが「返して」あげた想いの結晶。歌うことは楽しい。歌うことが大好き。かつての自分自身に「返した」プリミティブな想いが、今度はかつての自分自身から「返って」きたのです。
かつての自分自身から「楽しい」や「大好き」を受け取り、そして、かつての自分自身に「楽しい」や「大好き」を「返して」あげたあの日。たった「ひとり」のステージで、「私のSymphony」を奏でたあの日。あれから時空を超え、かつての自分自身から再び「返って」きた言葉によって、かのんは「右手の小指と左手の小指をむすんで」「自分に約束」したあの日のことを思い出したのでしょう。

「理由のない恐怖に震え、立ちすくんでしまう自分自身」は、確かにいるのかもしれない。でも、「『楽しい』や『大好き』を胸に刻んで、笑顔で歩んでいける自分自身」だって、きっとそこにいるのです。


そう。かのんはただ、「大好き」な歌を「楽しく」歌えばいいのです。
まだ見ぬ未来に何が待ち構えていようとも、「イマ」はただ、この瞬間を「楽しく」歌えばいいのです。

「『イマ』が最高」であるために。「最高の『イマ』」を、この手に掴むために。
だって、それこそが「スクールアイドル」なのだから。

p1rcdfqqu.hatenablog.com

こぼれ話

十一人最後の歌、そして……

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「ラブライブ!」連覇を懸けた大舞台。そこで披露されるのは、作品タイトルをその名に冠した楽曲・「スーパースター!!」。「十一人だからこそ」織りなすことが出来るハーモニーと、眩しさすら覚えるほどに前向きな言葉が詰め込まれた歌詞は、「私を叶える物語」を歩むすべてのひとたちへと向けられた応援歌であるようにも感じられ、その楽曲タイトルと相まって、この「物語」の象徴となるために生まれた楽曲であるようにも思えてくるのです。

(「ラブライブ!スーパースター!! 」第二話より)

ライブシーンにおいては、特にこのカットが印象的に映ったところがあります。それはまるで、「スーパースター!!」一期第二話にて、自分の歌を取り戻し、嬉しさと楽しさに身を任せて通学路を駆け抜けたあの瞬間のようで。今のかのんにとっても、「イマ」の瞬間を歌えることが、あの瞬間と同じくらい、あるいはそれ以上に楽しくて仕方がないんだろうなと感じられてくるんですよね。

そして、かのんたちは念願の「ラブライブ!」連覇を果たしますが、その結果のお出しのされ方は「スーパースター!!」二期第十二話以上にあっさりした調子。これについても、「『ラブライブ!』優勝よりも、それに至るまでの過程こそが重要」・「それ以上に重要なのは、『ラブライブ!』優勝を果たしたその先の未来で、かのんたちが何を目指し、何を掴んでいくのか」という「ラブライブ!」シリーズにおける「いつもの」を感じさせられるところがあるのです。

小さな「みんな」、大きな「みんな」

「幼馴染」、「姉妹」、「盟友」、「親友」、「先輩・後輩」、「ケンカ友達」。関係性を表す言葉はそれぞれ違えど、そこにあるのは一対一の繋がり、最小単位で構成された「小さな『みんな』」なんですよね。「ラブライブ!」決勝大会と、その先に待ち構える未来を見据えて、それぞれの想いを交わしあう「みんな」の姿。それをわたしたちに観せてくれることに、Liella!の、そして「スーパースター!!」の「物語」らしさを感じられます。

そして、その「小さな『みんな』」が集まって、「大きな『みんな』」=Liella!となる。同じ場所に集い、同じ方向を向いて、同じ夢へ向かって一緒に走り出す。そんな彼女たちの背中からも「『みんな』であること」を大切にするLiella!らしさを感じられて、感慨深さまで出てくるのです。

偶然だと思いたいが、偶然だとは思えない

可可「きなきなは北海道に帰り中デス。はい」

今のは、「北海道」と「ホッ(ト)カイロ」をかけた、大変面白いギャグです。


結局、最後まで秋冬用の練習着がご用意されませんでしたね

雪が降るレベルの寒さであるにも関わらず、腕やお腹や生脚を出し放題なの、さすがにどうかと思うんですよ。いくら東京とは言え、そうはならんやろ。観ているだけで寒いわ。

今回のここ好きポイント

千砂都「はっ! ダメ! 寒いって言ったら余計に寒くなるって、ネットに書いてあった! 暑いー、暑いー。ああ、暑いー!」

ほら、言わんこっちゃねえ。寒さのせいでIQがダダ下がりしてんじゃねえか。




「夢は、歌でみんなを笑顔にすることです!」
かつて、ひとりの少女は希望に満ち溢れた表情で語りました。それから時は経ち、「スクールアイドル」と出会った彼女は、ついにその夢を叶えたのです。

「みんなのために歌いたい」・「音楽でみんなを結びたい」・「みんなで喜びを分かち合いたい」という想いを胸に、「スクールアイドル」として駆け抜けた日々。「『イマ』が最高」であるために、そして「最高の『イマ』」を作り上げるために、「スクールアイドル」として輝いた日々。その日々にも、ついに「卒業」のときが来ます。


「ラブライブ!スーパースター!!」。それは、「『私』を叶える物語」。
その「物語」は、はたしてどのような「結び」を迎えるのでしょうか。




ラブライブ!スーパースター!! 三期第十話「桜小路きな子」感想 ~「みんな」のためって思ったら、頑張れる!~

皆様、こんにちは。
そろそろ冬の寒さも本格的に牙を剥いてくるであろう今日この頃ですが、進捗いかがですか。


と言うわけで、観てきました。
良くも悪くも「総集編」といった趣(おもむき)でしたね。「最初から『総集編』だって言ってるでしょ」と言われれば、「それはそう」と言わざるを得ない。





そのついでに、こちらも観てきました。展示開始から三ヶ月近く経ってしまいましたが、別に忘れていたわけではないんですよ……。せめて、十九時まで開館してくれていれば、もう少し行きやすかったんですけどねえ。


「親が反対するから」を逃げ口上にして、ルリカと一緒にスクールアイドルをやることを渋るユズハ。母親に敷かれたレールを「自分で決めたわけじゃない」と、涙ながらに独りごちるアンズ。「スクールアイドルミュージカル the DRAMA」第三話では、このふたりの対照性が印象的に映ったところがあります。「親と子」・「母と娘」が、これまでの「ラブライブ!」シリーズ以上にフィーチャされているように思えてくるんですよね。それと同時に、「『イマ』やりたいこと」に対してどこまでも真っ直ぐなルリカの存在感が、より一層輝いてくるように感じられるところもあるのです。
椿咲花女子高校アイドル部もついに本格始動し、今後のストーリーもさらに加速しそうな予感です。


それでは、本編の詳しい感想をやっていきましょう。
※以下、画像は注記がない限り「TVアニメ『ラブライブ!スーパースター!! 三期』第十話」からの引用です。



「イマ」を大切にする言葉

無事に地区大会を突破したLiella!。かのんたちは東京大会で披露する楽曲の作詞をきな子に託しますが、大舞台へのプレッシャーのせいで彼女の筆は一向に進まず。ようやく作詞の糸口が掴めたと思ったら、今度は恋が次期生徒会長にきな子を指名して……。

きな子「みんながきな子を支えてくれるから、きな子も支えられる存在になりたいって気持ちに繋がったんす」

「ラブライブ!」決勝大会へ進むために、作詞を完成させること。恋の想いを受け継いで、結ヶ丘の生徒会長になること。
今回のエピソードにおける、きな子のふたつの挑戦。彼女の背中を後押ししたのは、やはり「みんな」の存在でした。「みんな」のさりげなくとも暖かいエールが、恋の思いやりと優しさに溢れたエールが、マルガレーテの素直になりきれないながらも力強いエールが、きな子が一歩を踏み出すための力になったのです。

「『みんな』であること」を何よりも大切にするLiella!。その一員であるきな子にとっても、いやむしろ「きな子だからこそ」、「みんな」の存在は大きな力になったのではないでしょうか。「ダメダメダメ」を自称し、客観的に見ても(他のLiella!メンバと比較して)わかりやすく秀でたスペックを持たないきな子。そんな自分を支えてくれる「みんな」は、きな子にとって人一倍のありがたさを感じられる存在なのかもしれません。そんな彼女の「『みんな』に支えられる存在になりたい」・「『みんな』にお返しできる存在でありたい」・「『みんな』のためになれる存在でありたい」という想いが込められた言葉だからこそ、恋やマルガレーテの心は動かされたのではないか。わたしには、そのように思えてくるのです。


そして、今回のエピソードにおいて、わたしがきな子の言葉からより強く感じたのは「『イマ』を大切にする」想いでした。

生徒会長就任の所信表明演説。壇上に立つきな子は用意した原稿に視線を落とすことなく、それどころか原稿に書かれた言葉さえ一切使うことなく、真正面を見据えて演説します。堂々たる姿が、そこにはありました。
恋が認めるほどに「真面目」なきな子のことです。彼女が手にする原稿は、綿密に準備されたものであるはず。しかし、きな子がその言葉を使うことはありませんでした。それは、彼女が「イマ」を大切にするがゆえの行いなのではないかと、わたしには思えてくるのです。「イマ」の気持ちを、「イマ」の想いを、「イマ」の決意を「みんな」に届けるため。だからこそ、きな子はあらかじめ用意した言葉を使うことなく「イマ」の言葉で語ったのでしょう。溢れんばかりの「イマ」の想いを、言葉という形に出来ること。それこそが、きな子の強さなのだとも感じられてくるのです。

さらに言うなら、きな子が作詞の糸口を掴めたのも、「みんな」のエールがもたらした「ひとりじゃない」という「イマ」の気持ちが、彼女を突き動かしたからなのではないかと思えてくるところもあるんですよね。
きな子の「『イマ』を大切にする」その想いは、「最高の『イマ』」を掴み取ることにも繋がるのだろうと、わたしには感じられてきます。その先にはきっと「『イマ』が最高」と、心の底から笑いあう「みんな」の姿が待っているのでしょう。


誰かの煌めき、勇気へと変わる。

「みんな」の想いを力に変えて、「最高の『イマ』」のために精一杯輝き、「『イマ』が最高」であるために力の限り駆け抜ける。
桜小路きな子は、紛れもなく「スクールアイドル」なのです。

その想いの「重さ」を


ナナミ「三年生になったら、普通、後輩に生徒会長の席は譲るものなんだよ。でも、恋ちゃんったら、いつまでも自分で抱え込んで……」
恋「譲ろうと思っています。ですが、ここは母が新しく作った学校です。決まったルールも少なく、発展途上である我が校の生徒会長を引き受けてくれる方は……」

「仲間に頼るのがヘタクソ」。
「スーパースター!!」二期第七話にて発覚した悪癖が、未だに抜けきっていない恋。この事実を目の当たりにしたとき、「ウソでしょ……」という苦笑交じりの気持ちが出てきたことは否定出来ないところです。あのとき、彼女が得た気づきは何だったのかと。

しかしながら、彼女のこの悪癖は「生真面目で責任感が強い」という長所の裏返しでもあるのです。

亡き母の遺した学校、そして、その校名に込められた「音楽でみんなが結ばれること」という祈りに、人一倍の思い入れを持つ恋。「結ヶ丘設立者の娘であり、生徒会長でもある自分が率先して結ヶ丘を盛り上げ、素晴らしいものにしていく」という彼女の強い想いは、わたしたちもこれまで幾度となく目にしてきたところです。今回のエピソードにおいて、彼女がギリギリまで生徒会長の席に留まっていたのも、後輩たちのためにより良い学校環境を整えたいという使命感があったからだというのは、想像に難くありません。
結ヶ丘に対して、人一倍の思い入れを持つ恋だからこそ。人一倍の責任感と使命感を、強く胸に抱く恋だからこそ。彼女がきな子に「生徒会長の席を託す」ことの「重さ」がより一層強くなってくるように、わたしには感じられるのです。

きな子は、その「重さ」に気づいていたのか。正直な話をすると、わたしにはわかりかねるところもあります。
それでも、わたしは信じてみたいのです。「似た者同士」の恋が認めてくれて、きな子の背中を押してくれるのだから、きっと大丈夫だと。「みんな」の想いを力に変えることが出来るきな子なら、きっと大丈夫だと。

そして何より、ふたりの少女を照らす柔らかな朝の陽光が、まるで恋の母親・花が空の彼方から見守る眼差しであるかのように、わたしには感じられてくるのです。それは「スーパースター!!」一期第八話にて、恋の背中を優しく後押ししたあの夏風をも思わせてくれます。
彼女が見守ってくれるなら、きっと大丈夫なのだと。わたしは、そのように信じてみたいのです。

こぼれ話

Keep on Smiling, Keep on Dreaming

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「ラブライブ!」東京大会にて披露された新曲「笑顔のPromise」。希望に満ち溢れた歌詞とメロディに、「みんな」の期待を受けて新たな一歩を踏み出そうとするきな子の決意が表れているようにも思えてきます。
きな子のヘアスタイルが、いつものふたつ結びのお下げ髪ではなく、ひとつ結びになっているのも注目してみたいところなんですよね。恋のポニーテールを「継承」したかのようなその装いからは、彼女の「想い」も「継承」し、結ヶ丘の生徒会長として、そして、新たなLiella!を担う存在として歩んでいくというきな子の(恋が言うところの)強い信念も感じられてくるんですよね。

そんなあっさり済ませちゃうの

千砂都「きちんと進路を決めて、決勝はみんなと最後の……、今までで一番のライブをやりたいね!」
かのん「うん!」

これまでの「ラブライブ!」シリーズとは異なり、主人公であるかのんが三年生になったことから、卒業後の進路についても(三期第五話・第六話に引き続いて)深く掘り下げていくのかと思いきや、かのんと千砂都の会話であっさり触れて終わったことについては、拍子抜けにも近い気持ちが出てきてしまうんですよね。ネタとしてはなかなかオイシイと思うのですが、可可のエピソードだけで終わらせるのはちょっともったいなくないですかね。

今回のここ好きポイント

(「ラブライブ!スーパースター!! 」第一話より)

恋からの「生徒会長、やってみませんか?!」という打診に困惑し、思わずその場を立ち去ろうとするも、すんでのところで思いとどまるきな子。「スーパースター!!」一期第一話における、かのんの「やっぱり、私……、歌が好きだ!」に繋がる一連のシーンを思い起こさせるところもあるんですよね。それを考えると、このシーンもこれからのLiella!や結ヶ丘の運命を左右する重要な分かれ道だったのではないかと、わたしには感じられてくるのです。

今回のここ好きポイント その2

きな子「ううっ……、ヘンなひとって自覚はあるっす……」
マルガレーテ「あるんだ……」

「都会への憧れ」だけで、たかが高校進学のために北海道を飛び出して上京してしまうの、控えめに言っても「ヘン」ですからね。




「ラブライブ!」東京大会も無事に突破したLiella!。あとは優勝目指して一直線! ……と言いたいところですが、次回のエピソードは満を持して冠された「スーパースター!!」のエピソードタイトルとは裏腹に、何やらインタールードめいたふいんき(なぜか変換出来ない)が。「ラブライブ!」決勝大会を目前に控えたかのんたちに、いったいどのようなストーリーが待ち構えているのでしょうか。

次回や、いかに。




ラブライブ!スーパースター!! 三期第九話「ザルツブルガー・ノッケルン」感想 ~最初から最後まで本気でしょ?一番輝いてやる!~

皆様、こんにちは。
今年も残り一ヶ月を切るところとなりましたが、進捗いかがですか。


「ラブライブ!」シリーズとしては目新しい要素があちこちに見られた第一話から一転して、「千歌と梨子」や「可可とかのん」との相似形を感じさせるルリカとアンズの関係性や、「物語」全体をグイグイ引っ張っていくかのようなルリカの行動力(穂乃果や千歌のそれを思わせてくれるんですよね)が目を引いた第二話。その一方で「アンズがただひたすら巻き込まれて流されてる!」という印象も強く、この点においては「今までは滝沢理事長に敷いてもらったレールを、ただ歩んできただけなんだろうなあ……」という想像も出てきて、ほんのりといたたまれなくなってくるところもあります。ルリカとの出会いによってアンズがいかに変わっていくのか、今後のストーリーに注目していきましょうか。


それでは、本編の詳しい感想をやっていきましょう。
※以下、画像はすべて「TVアニメ『ラブライブ!スーパースター!! 三期』第九話」からの引用です。



「真理」への叛逆 ~「限られた時間」になんて、させるもんか!~

学園祭でのライブを経て、ついに十一人となったLiella!。あの手この手を使ってマルガレーテと仲良くなろうと画策するかのんたちですが、マルガレーテはそのふいんき(なぜか変換出来ない)に今ひとつ馴染めない様子です。

かのん「みんなが、マルガレーテちゃんと早く仲良くなりたいって思ってるんだよ? こうやって、気にかけて……」
マルガレーテ「……それが嫌なの」

千砂都「今、相手がすごく自分に気を遣ってくれているとか、無理して話しかけてくれているとか、そういうのにすごく敏感になっちゃってるのかも」

「『みんな』であること」を何よりも大切にするLiella!。しかし、今回に限ってはそのスタンスが「『みんな』であるからにはマルガレーテとも仲良しでなくては」・「マルガレーテが『みんな』と早く馴染めるようにしなくては」という固定概念じみた思考となり、それがむしろ逆効果になってしまったというところはあるのでしょう。
かつて、かのんが冬毬に対して語ったように、メンバ同士でお互いをよく知ることはよりよいライブパフォーマンスにも繋がります。しかしながら、「マルガレーテのために」という想いは、却って彼女を頑なにしてしまうだけなのでしょう。

「マルガレーテ」ではなく、「私」を主体にした想いで彼女と向き合うこと。それこそが、マルガレーテの心を開くのに必要なことだったのではないかと、わたしには感じられてきます。
マルガレーテがきな子と夏美の自主練習に協力したのも、「『ラブライブ!』に『みんな』で挑むこと」への想い(「スーパースター!!」二期第九話での一件もありましたしね)と同じくらい、あるいはそれ以上に「自分に負けない姿でステージに立ちたい」・「だから、私たちは食らいついていきたい」=「『私』の納得」のためにレベルアップを成し遂げたいというふたりの想いを感じたからなのだと、わたしには思えてくるのです。


ところで、この「『私』を主体にする」向き合いかた、本来であれば千砂都が得意とするやり方なんですよね。「初対面の子と仲良くなること」を特技とする千砂都が今回の件にもっと積極的に介入していたら、解決はもっと早かったのではないかとするのは、わたしの考えすぎではないはず(マルガレーテは「初対面の子」ではありませんが、それはそれ、これはこれ)。

「スーパースター!!」二期十一話・十二話でもそうだったように、「かのんのためを思って」といったタテマエを使ったり、最終的な判断をかのんに委ねるような前口上を使わず、まずは「『私』がしてほしいこと」として、その想いをまっすぐに伝える千砂都。彼女のブレなさを感じさせてくれます。

ラブライブ!スーパースター!! 三期第一話「私の決めた道」感想 ~いつだって、僕らひとつなんだ~ - メガネ(裏)


しかし、千砂都はそうしませんでした。思い返してみれば、千砂都のスタンスはこれまでもずっとそうだったのかもしれません。「スーパースター!!」三期第三話で、四季にセンターを任せたときも。三期第四話で、かのんの「余計なお世話」を無言で諌めたときも。三期第七話で、夏美たちに楽曲制作を任せたときも。さらに言うなら、二期第五話・第六話にて二期生の独自行動を許したときも。
そして今回のエピソードにおいては、千砂都に限らず他の一期生たちもマルガレーテたちの自主練習については遠くから静かに見守るだけに留めており、エピソード序盤においてマルガレーテときな子たちの橋渡しに積極的だったかのんでさえも、マルガレーテからの「あんたも来なさいよ」という提案に対して「わたしは、もう行かない」と答えているのです。

きな子は、マルガレーテに対して言いました。「かのん先輩がLiella!にいられるのは、今年で最後」なのだと。
確かにLiella!を結成したのはかのんたちですが、遠くない未来において、彼女たちは結ヶ丘を離れ、Liella!ではいられなくなります。しかし、かのんたちが去ったあとも、Liella!は結ヶ丘のスクールアイドルとしてずっと続いていく。そうあることを、彼女たちは願っているのでしょう。きな子たちが、マルガレーテたちが、そして、かのんたちも名も知らない誰かが、その「想い」を繋いでいくことによって。
自分たちが結ヶ丘を去ったあとも、「みんななら大丈夫!」と笑顔で言えるように。安心して、未来のLiella!を任せられるように。進むべき道を手取り足取り示して導くのではなく、自らの足で歩みはじめる後輩たちをそっと見守っていく。それこそが先輩である自分たちがするべきことであるのだと、千砂都たちは感じているのでしょう。
そして、千砂都たちの「想い」は確かにきな子たちに届いている。だからこその、きな子の言葉なのです。「想い」は「継承」されるのです。

「継承」という観点から見てみると、今回のエピソードタイトルでもある「ザルツブルガー・ノッケルン」も、ある意味でその象徴であるのだと、わたしには思えてくるのです。
ウィーン国立音楽学校への進学を望むマルガレーテ。そんな彼女が日本にいる期間は、けして長いものではない。かのんたちが結ヶ丘を離れる未来が訪れるように、マルガレーテが日本を離れる未来も、きっと訪れるのでしょう。
しかし、今回のエピソードにおいてザルツブルガー・ノッケルンのレシピが、マルガレーテからありあへと「継承」されました。たとえ、マルガレーテが日本を去ったとしても、そのザルツブルガー・ノッケルンを食べたら、彼女を知るみんながきっと思い起こすことでしょう。自信満々で意地っ張りで負けず嫌いで、歌に対してはどこまでもまっすぐでひたむきな「想い」を持っていたエトランゼのことを。


「想い」を「継承」し、繋いでいくこと。
時空を超えた「結び」によって「永遠」に手を伸ばすかのようなその行いは、もしかすると「スクールアイドル」に対する叛逆なのかもしれないと、わたしには感じられてきます。
かつて、神話に名を残した女神たちは「限られた時間の中で精一杯輝こうとする、スクールアイドルが好き」なのだと語りました。その女神たちは「有限」のなかに、ひとつの「真理」を見出したのでしょう。それは、Liella!が手を伸ばそうとする「永遠」とは、真っ向から対立する概念です。

しかし、女神が見出した「真理」と真正面からぶつかることになろうとも、彼女たちは手を伸ばすことをけして諦めないのでしょう。かつて、可可が上海でのライブステージでその「真理」へと立ち向かうことを高らかに宣言したように、彼女たちもその力強い歩みを止めることはないのでしょう。


「ラブライブ!」連覇という前人未到の領域に「挑戦」するLiella!にとって、その「真理」への叛逆も、またひとつの「挑戦」なのです。

「真理」への核心 ~「最高の『イマ』」を、ここに!~

女神が見出したひとつの「真理」に反逆しながら、彼女たちが見出したもうひとつの「真理」に手を伸ばし続ける。それもまた、Liella!なのです。

マルガレーテ「千砂都先輩は三年生最後の年と言ったけれど、私たち下級生にとっても最初で最後の『ラブライブ!』になる。理由はたったひとつ。十一人で優勝を目指せる瞬間は、もう二度とないからです」

「永遠」は「不変」を意味しません。「有限」に反旗を翻し「永遠」を追い求めようとも、「イマ」が変わりゆくことからは逃れられないのでしょう。
だからこそ、スクールアイドルは精一杯輝くのです。「イマ」は変わりゆくからこそ、同じ「イマ」は二度と来ないからこそ、彼女たちは一瞬一瞬に悔いを残さないように精一杯輝くのです。「『イマ』が最高」であるために、「最高の『イマ』」を駆け抜けるために精一杯輝くのです。「最高の瞬間を、『イマ』ここに!」というマルガレーテの言葉にも、このように「精一杯輝く」ことへの力強い想いが込められているように、わたしには感じられるんですよね。
そして、「最高の『イマ』」を駆け抜けたその先に、「みんな」で手を取り合いながら前を向いて進んでいくその先に、「最高の『未来』」が待っているのだと彼女たちは信じているのでしょう。

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「最高の『未来』」への第一歩となる「ラブライブ!」地区予選。そのステージにて、満を持して披露された「Let's be ONE」に込められた想いを体現したかのように、名実ともに「ひとつ」となったLiella!。
十一人のLiella!にとって、最初で最後の「ラブライブ!」が、「イマ」ここからはじまります。

こぼれ話

それはそれとして、縄跳び勝負できな子に勝ち目があるとは思えないが

きな子「ふん! ふん、ふん、ふんっ!」

悪ノリがすぎると思う。

きな子「ふんっ!」
マルガレーテ「うえっ?! ……へっ?」

悪ノリがすぎると思う。


悪ノリがすぎると思う。

今回のここ好きポイント

冬毬「えいっ」

意外とお茶目な一面もあるのねという気持ち。

今回のここ好きポイント その2

周囲の目線が、完全に不審者を見るそれである。




「ラブライブ!」地区予選に挑むLiella!ですが、その手応えは十分な様子。この勢いであれば、東京大会・全国大会を勝ち進み「二度目の奇跡」を掴み取ることも夢ではないと思いたいところですが、はてさてどうなることやら。


それはそれとして、「スーパースター!!」第三期において、あまり目立ったムーブを見せてこなかったきな子でしたが、ここに来てついにメインとなるエピソードが来る様子。わずか2カットのみで構成された次回予告にも、なんだか意味深なモノを感じさせられるんですよね。ストーリーもいよいよ終盤に差し掛かるなか、彼女にいかなる「物語」が待ち受けているのでしょうか。




ラブライブ!スーパースター!! 三期第八話「結ヶ丘 VS 結ヶ丘」感想 ~ここからが本当のはじまり~

皆様、こんにちは。
日を追うごとに寒さがその厳しさを増していき、本格的な冬の到来を予感させられる今日この頃ですが、進捗いかがですか。


わたしが視聴している声優ソロラジオのなかでもトークの面白さにおいてはトップクラスの番組だったので、終了のお知らせはシンプルに「残念」の一言。
金曜日のお楽しみがひとつ減ってしまった。ぐぬぬ。


それはそれとして、「スクールアイドルミュージカル the DRAMA」の放送もついにスタートしましたね。
現時点においては、「母親の存在が強烈な枷となっている主人公ふたり」・「プロデビュー・メジャーデビューが念頭に置かれているかのような滝沢理事長の言動」といった、「ラブライブ!」シリーズとしては新鮮な要素が目立つこの「物語」がいかにして「ラブライブ!」となっていくのか。これからの展開が楽しみになってくるんですよね。


それでは、本編の詳しい感想をやっていきましょう。
※以下、画像はすべて「TVアニメ『ラブライブ!スーパースター!! 三期』第八話」からの引用です。



「全力」でぶつかれ ~夏美 VS 冬毬~

「ラブライブ!」出場枠をかけて、Liella!と「全力」でぶつかり合うことを決意したトマカノーテ。しかし、今回のエピソードにおいて「全力」でぶつかり合ったのは、この二者だけではありませんでした。


夏美「ここにこの四人が集められたのは、どちらのグループも納得出来る曲にするため。それを決めるためには、やはり、もっとお互いに話し合ったほうがいいのでは?」
冬毬「必要ないと思います」
夏美「……あっ、そう!」

決戦の場で披露する楽曲制作を通じて、冬毬との対話を試みる夏美。しかし、冬毬はそんな彼女に対してけんもほろろな態度を崩しません。その心の閉ざされっぷりは、まるで彼女の自室のドアのよう。この冬毬の閉ざされた心が夏美に対して開放されない限りは、ふたりの対話は成立しないのです。
冬毬の閉ざされた心を開くのに必要なこと。それは、冬毬がドアを開いてくれるまで待つことではなく、笑顔で冬毬を安心させることでもありませんでした。夏美自身の手で、冬毬のドアを開けること。そして、まず夏美自身が冬毬に対して心を開くことだったのです。


夏美のことが大好きだから、ずっと笑顔でいてほしい。
夏美のことが大好きだから、傷つくところも悲しむところも見たくない。

四季が夏美に対して指摘したように(そして、かつて冬毬自身が語ったように)、それは冬毬にとって紛れもない本心なのでしょう。今までも、そしてこれからも、誰よりも近くでずっと見守っていく大好きな姉者。だからこそ、彼女にはずっと笑顔でいてほしいし、傷ついてほしくない。冬毬のプリミティブな想いは、わたしたちにとっても容易に想像がつくところでしょう。

しかし。
たとえ、夏美がそのように望まれたとしても、いつまでも冬毬に笑顔だけを見せ続けていられるでしょうか。
たとえ、冬毬がそのように望んだとしても、いつまでも夏美の傷つくところや悲しむところを見ないでいられるでしょうか。

その答えは、「否」でしょう。

控えめに言っても、その望みが叶う可能性は限りなく低いとするところです。
ましてや、夏美はかつて、冬毬に対して高らかに宣誓しているのです。「落ち込むときや、傷つくときがあったとしても」、スクールアイドルとして最高の笑顔を追い求めるのだと。最初からそのようなことは覚悟の上で、夢見ることに手を伸ばし続けるのだと。

ならば、夏美は見せなければなりません。自分自身の、ありのままの姿を。
傷ついているところも。悲しんでいるところも。冬毬が真正面から向き合ってくれないことに対する憤りも。子供のように泣きじゃくるカッコ悪いところも。感情的になった挙句「バカッ!」を連呼するみっともないところも。
そして、冬毬が夏美のことを想っているように、夏美も冬毬のことを想っているのだということを。

夏美が、自分自身のありのままをさらけ出すこと。それこそが、彼女が冬毬と向かい合い、ぶつかり合うのに必要な「全力」でした。
「激情」や「熱情」によって、誰かの心が開かれることだってあるのです。


お互いに心を開くことによって、和解を果たした夏美と冬毬。彼女たちの手によって、Liella!とトマカノーテが雌雄を決するための楽曲がついに完成します。

「全力」でぶつかれ ~「みんな」 VS Liella!~

そして、今回のエピソードにおいてLiella!と「全力」でぶつかったのは、トマカノーテだけではありませんでした。

ヤエ「みんなに署名してもらったんだ。私たち、やっぱり十一人のLiella!が見たい。学校のみんなの気持ちは同じだった。だから……、『Liella!は敵』は、もうおしまい!」

学園祭でのライブにて「全力」でぶつかり合うLiella!とトマカノーテ。お互いに激突への決意を固める一方で、結ヶ丘の「みんな」はこの両者がぶつかり合うことに対して(理事長曰く)「かなり抵抗がある」様子です。どちらのグループも、同じ結ヶ丘のスクールアイドルなのに……。彼女たちの胸の内には、そのような想いがあったのかもしれません。
一計を案じた彼女たちは理事長に直談判し、そして行動を起こします。それは学校中から署名を集めることによって、Liella!とトマカノーテに対して「十一人が一緒になって『ラブライブ!』に出場してほしい」という「みんな」の意思を示すことでした。

ナナミたちの言葉や彼女が手にする署名の束のブ厚さから、それが文字通り「全校生徒」から集められたものであり、紛れもなく「結ヶ丘の『みんな』」の意思であると考えるのはそれほど不自然ではないでしょう。Liella!とトマカノーテに対して、全校生徒からの署名という「目に見える形」によって確固たるひとつの意志を示すこと。ひとりひとりの力は小さくとも、それらを束ね合わせて「結束の力」を作り上げることによって揺るぎないひとつの意志を示すこと。それこそが、彼女たちの「全力」なのです。
そして何より、「みんな」の存在を何よりも大事にするLiella!(とかのん)にとって、このような形によって示された「みんな」の意思は、けして無視できないものであるはず。Liella!のことを一番近くで応援し続け、Liella!のことをよく知る結ヶ丘の「みんな」だからこそとれる手段であると感じさせてくれるところです。

結果として、Liella!もトマカノーテも「十一人で一緒になって『ラブライブ!』に出場したい」という想いは同じでした。しかしながら、この両者が「結び」を迎えるにあたって、「みんな」の存在が少なからず貢献を果たし、「みんな」の意思が強い後押しとなったと言っても過言ではないのだと、わたしには感じられてくるのです。


「みんな」の意思を受け取って、ついに十一人として「結ばれる」かのんたち。
お互いに手と手を取り合った彼女たちは、「みんな」の前で、高らかに宣言するのです。

「私たち、結ヶ丘女子高等学校スクールアイドル!」「Liella!です!」と。

こぼれ話

良いシーンなんだけど。良いシーンなんだけど……。

冬毬「はうっ!」

このシーンを見た瞬間、「っぶねえなあ、おいッ!」という声が出てきそうになったところがあるんですよね。「『全力』でぶつかる」って物理的な意味じゃあないでしょ、さすがに。ヘタしなくても、頭を打っていたぞ。
「ソファベッドに押し倒した歩夢さんは、まだマシだったんだなあ……」という感想まで出てきてしまうので、良くない意味で良くない(アレのヤベーところは、その直後の「脚で脚を挟む」ところなのでしょうが……)。

「みんな」がそばにいるだけで

四季「……ファイト」

「夏美が笑顔でいれば冬毬は安心して心を開く」というのが四季のアドバイスだったわけですが、今回のエピソードにおいては、そのアドバイスはあまり活かされませんでした。結局のところ、冬毬の心を開いたのは、夏美の笑顔ではなく涙でしたからね。
しかしながら、四季たち三人が牛久まで駆けつけて「協力する」と言ってくれたからこそ、夏美は冬毬と「全力」でぶつかるための一歩を踏み出すことが出来たのですから、四季の想いはけして無駄ではなかったんですよね。そばにいるだけで、誰かの決断を後押しできる。そばにいてくれるだけで、前へ進むための一歩を踏み出すことが出来る。こういうところにも彼女たちが「みんな」であることの意義があるように、わたしには思えてくるのです。

お互いの煌めき、繋ぎ合わせてまさしく「無敵」

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結ヶ丘に並び立つふたつのグループが雌雄を決するため、両者が手を取り合って作り上げた新曲「Dazzling Game」。ひとつの楽曲を一緒に歌うことで競い合うという発想には、素直に舌を巻いたところがあるんですよね。
Liella!とトマカノーテ。それぞれの精神性をドストレートに表現し、お互いに火花をバチバチ散らしながら、両者が手を取り合って「結ばれる」未来も予感させてくれるような歌詞。クールかつロックでありながら、内に秘めし情熱と熱情をこれでもかというほどに伝えてくる曲調。ライブで披露されれば、ブチ上がること間違いなしだと感じさせてくれます。歌詞のドストレートっぷりは「Special Color」を想起させられるところもあり、「作詞はメイがメインとなったのかな」という想像も出てきます(メイだけに!)。
お互いに並び立つことでシンメトリーとなるシルエットや、「赤」と「青」という対照的なカラーがひとつに「結ばれる」ことによって、Liella!のグループカラーである「紫」になるという衣装デザインも、なかなか技巧的だと思わせてくれるところですよね。

今回のここ好きポイント

メイ「なんて変わり者で不器用でステキな姉妹なんだあ……」

ひとりだけ、感動の仕方がコミカルなメイ。ただ、このコミカルさのおかげで場のふいんき(なぜか変換出来ない)がシリアスになりすぎず、そのバランス感覚がなかなか好みだったりするのです。
それはそれとして、「スーパースター!!」三期第二話における「コイツがそんなステキなことを?!」という台詞といい、メイのワードセンスはドストレートでありながらも意外とユニークだなと感じるところはあるんですよね。




ついに「結び」のときを迎えた、十一人のLiella!。
「ラブライブ!」連覇を目指すかのんたちの挑戦が、ここからはじまり……、


ザルツブルガーノッケルン(Salzburger Nockerln)は、オーストリア料理のデザート。ザルツブルガーノッカルンとも呼称する。

ザルツブルクの郷土料理として知られ、菓子の名前は「ザルツブルクの山々」を意味する。

ザルツブルガーノッケルン - Wikipedia

……どういうこと?
次回や、いかに。




ラブライブ!スーパースター!! 三期第七話「Liella!に勝つために」感想 ~生まれたばっかの情熱を信じたい~

皆様、こんにちは。
今年最後の祝日が土曜日になってしまい、ありがたみもいささか薄れる今日この頃ですが、進捗いかがですか。


「252大佐なんて、懐かしいキャラクタを出してくるものだなあ……」と呑気に考えていたところ、何もないところからことりが生えてきたので、ぷるぷる震えています。ぷるぷる。


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それはそれとして、「永久hours」のPVが公開されましたね。
明るくポップでポジティブな曲調に、ひとかけらの切なさ。そして何より、PVに出演されている沼津の皆様の姿に、Aqoursが今まで沼津とともに歩んだ軌跡と掴んだ奇跡、そして今まで沼津で紡がれてきた縁と絆を感じさせられるんですよね。個人的には、高槻かなこさんの歌唱パートでナチュラルに映り込んでいる花丸のぬいぐるみたちに、思わずほっこりさせられてしまったところがあります。


それでは、本編の詳しい感想をやっていきましょう。
※以下、画像はすべて「TVアニメ『ラブライブ!スーパースター!! 三期』第七話」からの引用です。



「納得」、そしてその先へ

上海でのライブを通じて新たな可能性を実感し、トマカノーテと「ひとつになる」ことを望むLiella!。その一方で、「Liella!は倒すべき相手だ」・「Liella!との馴れ合いはベストであると思えない」として、「ひとつになる」ことに否定的な態度を示すマルガレーテと冬毬。
今回のエピソードにおけるマルガレーテと冬毬の言動や、きな子たちとのやり取りから、ふたりとも「ひとつになる」ことについて少なからず前向きな気持ちが芽生え、それを意識しているように感じたのは、きっとわたしだけではないはず。それなのに、なぜマルガレーテと冬毬はLiella!と「ひとつにな」ろうとせず、彼女たちと対峙することにこだわるのでしょうか。

それは、ふたりが次へ進むための「納得」を求めているからなのだと、わたしには思えるのです。

かのん「私ね、三人で練習して思った。マルガレーテちゃんも冬毬ちゃんも真剣だって。それは、マルガレーテちゃんは本気でLiella!に勝ちたいから。冬毬ちゃんは夏美ちゃんの気持ちを確かめたいから」

Liella!に勝ちたい。「ラブライブ!」優勝を果たした彼女たちとぶつかって、乗り越えたい。
夢を再び追いかけはじめた夏美の想いを見届けたい。その先に「最高の笑顔」が待っているのか、その目で確かめたい。

トマカノーテ結成当初から、事あるごとに公言してきたマルガレーテと冬毬。この気持ちこそがマルガレーテと冬毬が「スクールアイドル」であるための原動力であり、ふたりにとっての「原点」であるのでしょう。その「原点」に、ふたりは真正面から向き合いたいのだと、わたしには感じられてくるのです。
上海でのライブにおけるLiella!とトマカノーテの共演。そして、その共演を通じてLiella!と「ひとつになる」未来を垣間見たマルガレーテと冬毬。垣間見えた未来が、マルガレーテと冬毬の心に「ひとつになる」ことへの前向きな気持ちを少しずつ芽生えさせたのでしょう。いずれ訪れるかもしれない、Liella!と「ひとつになる」という未来。ふたりはその未来を意識しはじめ、もしかすると心揺らぐ瞬間もあったのかもしれません。しかし、たとえ心揺らぐ瞬間があったとしても、「原点」と向き合うことはマルガレーテと冬毬にとって譲りたくない想いであるのだと、わたしには思えてくるのです。そこから目を背けたら、彼女たちは次へ進むことは出来ない。自分自身の「原点」に真正面から向き合い、「納得」を掴んだうえで次へと進み、「ひとつになる」未来を迎えたい。彼女たちは、そのように考えているのではないでしょうか。かのんがマルガレーテと冬毬から感じた真剣さも、「納得」を求めるふたりの気持ちに由来しているのだろうと感じられるところもあるんですよね。

「スーパースター!!」三期第一話にて、わたしの胸に印象深く刻まれた「納得」のワード。
このワードは、まさしくこのエピソードのために用意されていたのではないかと、わたしには思えてならないのです。

p1rcdfqqu.hatenablog.com


そして、そんなふたりに対して、かのんは言います。
「今こそ、私たち三人で、全力でLiella!にぶつかろう!」と。

Liella!と真正面から向き合い、そしてぶつかること。それこそがマルガレーテと冬毬が「納得」を得るために必要なことであると、かのんは直感したのでしょう。マルガレーテの「納得」は言わずもがな、冬毬の「納得」も、夏美とLiella!に対して全力でぶつかることによって得られるのだと。そして、「Liella!と全力でぶつかること」は「トマカノーテとLiella!がお互いに切磋琢磨することで、一番ステキなスクールアイドルを結ヶ丘に作りたい」という、かのんの想いにも繋がっていきます。そして、その想いは(かのんが三期第一話で語ったように)「みんな」の「納得」へと結ばれていくのです。

マルガレーテの「納得」。冬毬の「納得」。かのんの「納得」。そして、「みんな」の「納得」。
それぞれの「納得」が、「Liella!と全力でぶつかること」の先にあるのです。

「ラブライブ!」優勝という大きな目標へと挑むにあたって、これらのズレがトマカノーテにとって致命的なウィークポイントになってしまうのではと危惧してしまうところも、なきにしもあらずなんですよね。

ラブライブ!スーパースター!! 三期第五話「你好!上海!小籠包~!」感想 ~もうちょっとだけ、一緒にいてよ~ - メガネ(裏)

かつて、わたしが抱いた一抹の不安。それは杞憂だったのだと、今のわたしには感じられます。
「『ラブライブ!』優勝」から、「Liella!と全力でぶつかること」へ。目標のフォーカスをほんの少し変えることで、三人は「ひとつになる」ことが出来たのですから。そして、かのんが言うように「同じ目標に向かって手を取り合う」=「ひとつになる」ことで、スクールアイドルのステージはより一層ステキで魅力的なものとなるのですから。


すべては「納得」のために。
「ひとつにな」ったトマカノーテは、全力でLiella!との対決に挑みます。

こぼれ話

期待しているんですよ、彼女のバイタリティには

きな子「そうっすよ、あれがザ・Liella!っす! 十一人で結ヶ丘女子スクールアイドル・Liella!」

「スーパースター!!」三期第三話では四季とメイが、三期第四話では夏美がフィーチャされる一方で、これまであまり目立ったムーブを見せてこなかったきな子。
Liella!とトマカノーテが「ひとつになる」にあたって、主人公であるかのんが大きな役割を果たすであろうことは、容易に想像がつくところです。そうなってくると、Liella!側にも同じ役割を果たすキーパーソンが欲しくなってくるというのが、気持ちとして出てくるんですよね。「スーパースター!!」三期のストーリーにおいて、まだ大きなムーブを見せていないきな子にその役割を期待してみたいと思うのは、きっとわたしだけではないはず。そして何より、「都会への憧れ」だけを胸に、たったひとりで北の大地・北海道を飛び出し、はるばる東京にまで来てしまう彼女のバイタリティとポテンシャルはその役割を果たすには十分すぎるほどであると、わたしには感じられてくるのです。
今回のエピソードにおけるきな子はこれまでと比較して前面に出ている印象が強く、その導線は構築されつつあると思いたいところなのですが、はてさて。

なんてったって「主人公」だし、「先導者」ですから

メイ「かのん先輩なら、ふたりの心に寄り添って解決策を見つけてくれそうだ」
すみれ「そんなこと……、まあ、あるっちゃあるか」

冬毬「でも、先輩は本当に私たちのことを考えてくれていたんですね。私たちの気持ちを、ちゃんと大事にしてくれました」

「『誰かのため』を思い、『誰かのため』に行動することが出来るのは、かのんの持つ美徳である」というのはこのブログでも度々言及しているところではあるのですが、彼女のことをよく知るひとたちから同じような言及がなされたことについては「我が意を得たり」という気持ちになってきます。
「みんな」のために尽力するかのんの姿を、「みんな」もまた見てくれているということなんですよね。

今回のここ好きポイント

四季「っふふ……、偵察」

めちゃくちゃ楽しそう。




『誰かのため』を思い、『誰かのため』に行動することが出来る。それこそが、澁谷かのんの持つ美徳。しかし、その美徳をもってマルガレーテと冬毬に寄り添い続けた結果、かのんはLiella!に戻ることが出来なくなるのではないかと、冬毬は懸念します。そんな冬毬に対して、マルガレーテからもたらされたひとつの提案。その内容を我々が窺い知ることは、まだ出来ません。しかし、それを聞いた冬毬やかのんの表情から、マルガレーテの提案が「ステキな未来」を導いてくれるであろうというのは想像に難くないとしたところなんですよね。

Liella!とトマカノーテ。両者が全力でぶつかった先には、いったいどのような「結び」が訪れるのでしょうか。
そして、「Liella!が11人になりますように」という名もなき誰かの祈りは、無事に「結び」を迎えられるのでしょうか。