酷評するヤツに守ってもらいたいルール
↓これを読んで思ったことをつらつらと書いてみようと思う。
●その冒涜がいったいナンボのものなのか(サヨナナ)
完全匿名で文句を言われたとき、一番無力感に襲われるのは反論したいときにそいつに直接その言葉を届ける手段がないことだ。匿名でもサイト持っている人であれば、メールアドレスとかコメント欄があればまぁ反論できる。
繊細なクリエイターってのはやっぱり才能のある人の中でもいっぱいいて、そういう人が素人の心ない批評で傷ついてしまい、作品を作ることをやめてしまうみたいなケースは結構ある。それを「繊細すぎる」とか「プロ意識に欠けるんじゃないか」と言うのは正論っぽくはあるが、単純に思いやりが足りない。というより想像力か? あなたが酷評したクリエイターが、酷評しなかったことであなたにとって人生を変えるほどインパクトのある作品を作ってくれるかもしれないのに。要は下らない中傷めいた酷評でクリエイターのやる気が削がれるのは単純に「もったいない」話なのだ。たった1通の心ないファンレターでその作品を終わらせてしまった漫画家なんてたくさんいるしな(ファンレターは編集者が事前に開封・中身をチェックしてあらかじめ酷評とか電波な手紙を抜くことも多いが、漫画家の中にはそういう編集の事前チェックを嫌う人もいる)。
どんなに人気がある漫画家だって、気の小さい人は「2ちゃんねるやインターネットなんて見るな」と編集者や友人からアドバイスされても、見てしまったりする。はてなキーワードに自分の名前があるライターやミュージシャンの中には毎日キーワードをチェックしてどういう言及されているかチェックしてるなんて人もざらだ。見たくないけど見てしまう。見たいけど見たくない。昔は直接読者の本音の声が自分に伝わってくることは少なかった。それがあまりにも簡単にダイレクトにできてしまうから、ついつい二律背反する感情を抱えながら見てしまうんだろう。そして繊細な人ほど、それによって傷ついてしまう。これのなんと不毛なことか。ホント「喫茶店でのだべりトーク感覚でネットに書いてるだけじゃん」とか言うバカは一度きちんとした作品を作ってそれを酷評されるといいと思うよ。喫茶店のだべりトークは本人が聞くことなんてないだろうに。アホか。それこそチラシの裏に書いてろっつーの。俺から言わせれば「愛がある酷評」なんてものは本人にきちんと意図が伝わらなきゃ無意味だ。その愛を酷評という形でしか伝えられないのなら、表現に関してはクリエイターが命を削って作品を作っているのと同じくらいの労力をかけてやるべきだ、と思う。ま、これはまったくもって理想論というか俺の個人的な感情にすぎないし、そもそも彼らはそんな手間をかけるようなモチベーションが自分の中からわき上がってこないから安易に酷評して小さな自分の自意識をなんとか保てているのかもしれませんね!(お、毒舌キャラだ>俺)。要はそんなことは不毛だからちょっとあれだなーと思ったら批評しなきゃいいんじゃねーの、と、鼻くそをほじりながら思うわけですよ。ま、俺は繊細じゃないから自分の作ったものが的はずれな批判をされたりしても、(落ち込むことはあっても)傷ついたり作るのをやめたりはしないだろうが。反論したい場合は反論してるしな。
個人的には酷評レビューしたいやつはすればいい、と思う。だが、まったくの匿名でやりっぱなしってのはあまりにもアレなわけだから何とかならないかなーと。ただ、酷評することが自己表現って人もいるだろうし、それを昇華させて「罵倒芸(→参考記事)」みたいにそれが1つのコンテンツになってるような人もいる。酷評を禁止することでその可能性をつむのもまぁちょっとはもったいない気もする。が、安易な酷評とそうでない酷評を分ける基準ってのも非常に曖昧で線引きは明確にできない。さて、じゃあどうしましょうかっていう。
ということで長い前置きはさておき、ここからが本論だ(誤解されないよう最初に言っておくと別に俺はネットの酷評を全部なくしたいとは思ってないし、なくなった方が世界が優しくなるよなーと思いつつも、ちょっとつまらなくなるよなーと思っている。単純に匿名云々の中傷はけしからんとか、ネットの酷評は一切禁止しろ! とかそういう単純な話ではないので文意をくみとっていただきたい)。
現実的な提案かどうかはさておき、俺がやってもらいたいのは、物事を批評するとき、最後に「自分が好きなものを列記する」ということを基本的なマナーにすることだ。例えば「ワンピースという漫画はクソだ」と言い切る人間の好きな漫画に「RAVE」て書いてあったら「あーなるほど。ものを見る目がない人なんだ」って、読む側がその人間のパーソナリティーを理解できるし、モグワイとかDCPRGのCDレビューに「難解過ぎて意味不明。音楽として価値なし」とか書いてるヤツの好きなミュージシャンが「押尾学(LIV)」だったら、読む側が「この人は心底ロック好きだから、しょうがないや!」って納得できる気がするじゃん。椎名林檎とか、名古屋大須とかの昭和歌謡ロック的なものに対して文句を言っている人の好きな音楽が「サクラ大戦」だったら( ´,_ゝ`)プッ って感じでちょっと笑えるでしょ*1。ネガティブな意味だけじゃなくて、好きなもので意外なものを出すことでちょっとしたエスプリを効かせることもできる。俺が言いたいのはつまり、読者の側も批評される側も単純にそいつがどういうものが好きなのかということを事前にわかっていれば「こいつとは趣味や価値観が違うんだな」と納得できるし、変に傷が付くことが少なくなるんじゃないかということだ。別に匿名でもいいんだよ。そいつのハンドルやら実名が知りたいんじゃなくて、批評してくるやつの立ち位置が知りたいだけなんだよね。
ともかく、「何か作品に対して批評するときは自分の好きなものを列記する」というルールを守ってくれたら、掲示板の不毛なレッテル貼り合戦が少なくなるんじゃないかなーと思うわけですよ。自分からレッテル貼ってくれてるわけだから議論の手間も省けるしね。ということで、俺的にはこのルールをネチケットとして定着するまでどんどん主張していきたいわけですよ! 匿名掲示板はともかく、せめてブログくらいはこういうルールが定着しないかねぇ。
(追記)
指摘されたことで一番重要なことは、「酷評の定義がされていない」ということなんだろうとは思う。もうちょっと具体的に言うと、「どこで酷評が行われたか」ということもポイントになる。Amazonのレビューでの取るに足らない短い酷評なのか、それとも個人のブログに書かれている酷評なのか。ある程度そのあたりを決め打ちして語った方が誤解は少ないとも思うのだが、そのあたり俺的には曖昧というか、どっちにも適用できる部分もあるかなーと思いつつ、それらを一緒くたに語ってしまうのはやや乱暴なのかなと思う面もあり、結論を出しにくい。
ま、このエントリーはエントリーとして、次に似たようなことを語る場合、Amazonのレビューはいかにあるべきか、システムとして望まれることはどのようなことか。といったより具体的かつ限定的な話をしていていこうとは思います。