ペンギン日記(旧akoblog)

identityやprivacyに関心を持つ大学教員のブログ。20歳の頃から「ペンギンみたい」と言われるのでペンギン日記。

「仕分け」会議を聞いて勿体ないと思ったこと

シカゴ出張中だが、部屋のネットでライブ中継を聞いていた。若手の競争的研究資金は「縮減」という結論になった。
明日は、まさに科研費(若手B)の出張費での成果発表だが、心が落ち着かないのでブログに書いておこう。

行政刷新会議ワーキンググループ日程・ライブ中継サイト
http://www.cao.go.jp/sasshin/oshirase/live.html

ライブ中継を聞きながら、Twitterの#shiwake3 というハッシュタグでコメントを投稿しつつ、皆さんの反応も読んでいたが、だんだん悲しくなってきた。これまでの運用を見直し、しかるべきところに割り当てなおし、無駄がでないように使いやすいようにしていこうということについては、毛頭反対する気はない。当事者目線で見直すというのならば、単年度での使いづらさや、若手にとって「自分の」研究費が持てることの価値を取り上げていただきたかった。だが、その期待は完全に裏切られたと思う。

悲しいと感じることはたくさんあった。なぜか、博士課程に進学することに対するネガティブなコメントや、海外の研究者との交流に対する保守的なコメントが多かったように思う。細かいことはTwitterをみていただくとして、私が感じた一番の問題点だけ書いておく。

それは、博士課程で学位を得た人間を「活用しよう」というデザインがみえてこないことだ。
自然淘汰というのはある意味言い得ていて、学位を得たからと言ってその先は保証されないのは確かだ。学位という「免許」を持って、どこまで創造性を発揮するかは、個人の努力と周囲の環境にゆだねられるだろう。問題は後者だ。それだけの時間とコストをかけて育成した「博士」を、使わないことが、一番の無駄ではないか。
文系の博士は本だけ読んでいると勘違いされてないだろうか?例えば私(博士(政策・メディア))が学位を取得するプロセスで得たものは、論理的な思考のトレーニング、データの分析の方法、読み取り方、プレゼンテーションの方法、プロジェクトの立ち上げと運用と言ったスキルを含む。これらは、今も産学のプロジェクトで活きているし、いろいろな場で活用していただきたいと思っている。その上に乗っかっているのが、私個人の研究テーマである、匿名性や名乗りの問題だ。
博士を使ってほしい。救済する対象としてでなく、使い倒してほしい。それまでにかけたコストの「納税者に見えるリターン」(れんほう議員)ってそういうことではないだろうか。

その意識が共有されていれば、数年スパンで直接の結果が出てこない研究成果であっても、今の我々の生活を支えている技術のように(意識せず便利に使えている、というのがいかにすばらしいことか)、将来の我々の生活を支えていくということも周知されるのではないだろうか。若手の研究者に自由に使える研究費を付与し(科研費はボスの意向と無関係に使えるという意味で、本当にありがたい)どんどん機会を与えることは、日本国内のアカデミックポストだけでなく、海外はもちろんのこと、アカデミック以外に応用できるのだと視点を広げることにつながるのではないだろうか。そして、もちろん当事者である若手研究者も、使命感を持ってどのような場であっても力を発揮できるのではないだろうか。

※追記: 2009.11.13 0:15 CST
座して待て、口を開けて待てとは言っていない。
自分のやっていることの説明をすることは、研究者の責任だ。ただ、学位がdisadvantageになってしまう状況は、研究者と国のデザインの両方の問題だと考えている。少なくとも、Twitterでつぶやく「だけ」のことを、議論のたたき台としてblogにしたためたのは、その意図があるからだ、とは言っておく。