orangestarの雑記

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評価経済社会が実装された世界を描いたアニメ“フラクタル”

昨日、評価経済社会の実装について思考実験した記事を上げたのですが
評価経済社会(岡田 斗司夫 )についてそろそろ言っとくか - orangestarの日記
(そしてそれに反応も貰いまして、
 旧teruyastarはかく語りき: 「仕事のやりがい」を絶対視しない社会)
それをもとによくよく脳内を検索すると、評価経済社会を実装したアニメがありました。



当時、色々話題になったのですが、本編の内容に触れる人はあまりなく、語られることのなかったアニメなので覚えてる人は少ないかと思いますが、なかなか、面白いアニメでした。自分は今でも作業中のBGVとして結構見ます。最初は“なんか普通だなー”としか思わなかったのですが、何度も見てるうちに、世界観の深さとその世界のありようが分かってきて、あ!これはすごいアニメだぞ、と思うようになりました。
全11話しかなく、人間関係の説明と物語に説明の時間を割き過ぎてしまったせいで、世界観の説明があまり入らなかったのですが、なかなか、骨太なSF世界観をしています、(そしてそれがメインに押し出してないのは、横浜買い出し紀行などを思い出します)

フラクタルというアニメについて

フラクタル (テレビアニメ) - Wikipedia

世界観については、wikipediaからの孫引きですが

フラクタルシステム
クレイン達がいる世界の約千年前に造られた世界中に張り巡らされたセンサーグリッドと、複雑系量子ネットワーク、そしてそれらに電力を供給し続ける環境発電ユニットクラウドの総称。成層圏に定点浮遊する200万弱の高高度浮遊サーバ中継基地「バルーン」によって維持されている。人々は、脳内に埋め込まれた微小機械「フラクタルターミナル」を使って定期的にライフログを提供することで、一定の基礎所得(ドネ)を得ることができる。またこれによってドッペルを含む様々な拡張現実を利用することができる。
しかし、長く時が経つにつれ、フラクタルシステムを理解できる技術は失われ、バルーンも故障や事故により、年々その数を減らしており、量子ネットワークの完全な維持はもはや不可能となりつつある。バルーンのカバーできないエリアは「圏外」となり、今では圏外難民が頻発している。
ドッペル
人々が日常的に使用する電子的分身。持ち主の思考をある程度トレースして、機能する人工知能エージェント(代理人)であり、他人との簡素なコミュニケーションを執り行う。この時代、ビジネスや交友において、まず相手に自分のドッペルを発行するのが一般的となっている。よほどのことがなければ、直接本人同士が接触することはない。ドッペルが行ったコミュニケーションの記録は、ネットワークを介して、定期的に本人に報告される。本人との接続が途絶えても、自立して機能し続ける。また、フラクタルシステムが動き始めた当初は、ドッペルも人型をしていたが、時が経つにつれ、フラクタルシステムの劣化と共に、形も簡単な形にしかなれない様になっている。しかし、ザナドゥのような完全都市では、未だに人型のドッペルが多数存在する。
ロストミレニアム運動
フラクタルシステムが起動し始めてからの千年を、人類が堕落し、誇りや気概を失ったとして、フラクタルからの解放を目指す運動。略称は「ロスミレ」。劇中に出てくる、スンダが率いている「グラニッツ一家」、ディアスが率いている「アラバスター」の他にも、様々な氏族が存在している。ただ、それらの氏族達は、スンダやディアスも含めて、穏健派や過激派など、様々な主義・主張で分かれており、全氏族が集まる会議が前回招集されたのが50年も前のことである。
ドネ
いわゆる基礎所得電子紙幣。週ごとに、個々人のターミナルに転送され、貯蓄や投資などと言った行為には使用することができない。一般の人々の多くはこれを得ることにより、働くことなく日常を過ごすことができる。
モネ
市場経済を支える古典的経済システム。ドネ等で穏やかに暮らす人々がいる一方で、ザナドゥ等の経済活動が活発なところでは、経済活動を活発に行う人々がごくわずかではあるが存在している。
完全都市ザナドゥ
フラクタルシステムが唯一完全に機能している都市。人型のドッペルやカジノなどが存在する。ザナドゥ等の経済活動が活発な場所で使われた「モネ」でできた剰余がベーシックインカムの「ドネ」として、一般民衆に分配されている。劇中の多くの者があこがれる都市であるが、実際には、コンクリートで出来た無機質な都市である。よって、殆どの物が「作られた」物であり、ベットや噴水なども実際には、触れないようになっている。ザナドゥのお金持ちの一部は、本体は郊外で、遊牧民のような生活をし、その一方で、ドッペルをザナドゥで暮らさせている。
星祭り
僧院が開く「祭典」。普通の祭りとは違い、人々を空に向かって伸びるアンテナの近くに呼び寄せ、星(バルーン)を集め、僧院の巫女が僧院の祝詞を唱えて終了する。だが、実際には、人間の体内のナノマシンをアップデートし、人々がフラクタルシステムに疑問を抱かない様に「洗脳」するものである。また、アップデート中はナノマシンを体内に入れている者は動くことができず、目が空のバルーンに向かって釘づけとなる。

分かりやすくとらえると、上の説明みたいになってますが、実際はもうすこし複雑です。

ベーシックインカムが実装された滅びゆく電脳世界と2つの貨幣

この世界には、BI(ベーシックインカム - Wikipedia)が実装されていて、それが、この説明にある、ドネという通貨です。人間が基礎的な労働(食糧自給や、基本的な服、建築など)から解放されて、ただ暮らすだけなら問題ない世界になっています。(実は色々問題もでているのですがそれは後述)
そして、価値創造的な仕事は、モネ、という通貨で、例えば服をデザインしたり、彫刻を作ったりなどという仕事はこちらの通貨を使っています。こちらの通貨は、“価値創造”のみに関わる通貨で、たとえば、今まで絵を描いて売っていて評価を得ている人が、人気がなくなって、絵を売ることができなくなってモネがなくなれば、基礎的な生活をすることはできますが、ほかの価値創造的な商品(服や、おそらくゲームや音楽など)を手に入れることはできません。ですので、一度価値評価的世界で生活するようになった人は、自分の価値が下がり、その価値創造世界から追い出されることに対してとても恐怖しています。


フラクタルシステムというのは、攻殻機動隊の“電脳化”のようなシステムなのですが、“電脳化”のように個々がインターネットを通じて情報をやりとりする形ではなく、他人の情報に行き来はできずに、フラクタルのセントラルとターミナル(個人)の間だけでの情報のやり取り(こういう形のシステムになってるおかげで、攻核機動隊のような問題が生じてないと思わわれる)するのみの物となっています。また、BIの管理もそれによって行われてるらしいです。(何せ話数が少ないために駆け足)


(ドッペルというのは、コピーロボットみたいなもので、遠隔操作ではなく、自律的に動きます。おそらく哲学的ゾンビのようなものだと思うんですが、説明がありません。作中でめんどくさい仕事はドッペルにやらせればいい、というセリフが出ていますが、これが、“work”なのか、それとも、各種申請業務みたいな、わずらわしい仕事なのか作中では判断できません。)


この世界では、そういうシステムを使って、評価価値経済を実装しています。ただし問題がないわけではないです。


この世界は、フラクタルシステムを導入して1000年以上経っていますが、その間に、ネットワークを物理的に構築する“バルーン”がいくつも失われ、そしてそれを保守する技術が失われています。また、街ですが、道路や町の建物が劣化して、あちこちボロボロになっているのですが、それを補修する技術や労働者がうしなわれているようで、そのボロボロな街を、フラクタルシステムで“視覚などの五感をハックして”まるで無事健在であるように錯覚させているのが現状です。

価値評価経済になると、社会の基礎となる、学問や技術が衰退する。

この、崩壊していく世界、というのは、最初見た時には“物語を物語るために作られたよくある舞台装置”だと思っていたのですが、何度も見ているうちに、このフラクタルシステムという、価値評価経済のシステムの結果、必然的に起こったことであるということが分かってきます。

価値評価型経済では、“価値がない”とみなされる技術の更新がなくなり、技術が失われていく。

そしてその“価値”を評価する主体が、アカデミアなどの“本当の価値が分かる人間”(アカデミアが本当の価値がわかるかはともかく)ではなく、一般民衆であった場合、例えば、核融合発電を出来る技術を持ってる人間よりも、アイドルとか、面白い漫画を描ける人間の方に価値、が集中することになる。

今現在も起こっている評価価値経済の弊害

(id:teruyastar)さんが旧teruyastarはかく語りき: 「仕事のやりがい」を絶対視しない社会で

評価や信用が金になるのは昔からそうであって、僕も完全に置き換わることはないと思います。何か一つ物差しが必要で、それが貨幣の役割。

と書かれているように、今、私たちが生きてる社会も、ある種の、評価価値を経済に変換しているシステムなので(技術知識や基礎学問なども、最終的には評価と言い換えることが出来る)フラクタルシステムが起動した直後は、いまと同じように、科学技術の更新やその他の社会の物理的インフラを作る仕事にも評価が払われていたと思われるけれども、BIが導入され、基礎的な労働から解放された結果、みんなが、“直接人から評価されること”を求めるようになり、基礎技術が失われ、そして基礎技術が失われれば、基礎技術を評価する人が相対的にすくなくなり、基礎技術の評価がさがり、そうすると、基礎技術をするひとが更に少なくなり…というスパイラルの結果、基礎的な技術がどんどん失われて行ったのだと思います。今、私たちが生きている現代日本でも、80年代くらいから、原子力の人気がなくなり、新しく学生が入ってこずに、人材がどんどん枯渇して、技術や知識を継承することが出来ずに、どんどん日本の原子力に関するもろもろのレベルが下がっていっていたと聞きます。


(id:teruyastar)さんが旧teruyastarはかく語りき: 「仕事のやりがい」を絶対視しない社会で

評価経済という考え方で参考になるのは、「稼ぐお金」とバカやったり見栄をはったりの「承認を得る評価」を別々に分けて考えた方が生きやすくなるんじゃないかということ

と書かれていますが、まさに、フラクタルの世界観はその二つがハッキリと分けられた世界で、そしてその結果、世界が衰退するまでを思考実験した作品です。
そういう骨太の部分は、作中では暗に語られるだけですが、非常に示唆にとんでいて、面白かったので、「ともあれ、フラクタルは見るべきであると考える次第である」