書くしかできない

発達障害、神社仏閣、読書記録、日々のつぶやきを主に書いています。

やたら量産する事の是非

 ある方が、「やらないより、やったほうがいい」という主旨のSNSを発信されていました。その方は、SNS(YouTubeやブログ等)で集客されています。

 で、その方の発信の内容は、「やりたいと思ったら、どんどんやればいい。どんなに中途半端で不完全なものでも、発信しないよりは、したほうがいい」というものでした。

 その方は、例えばYouTubeだと、音が小さすぎたり雑音が多かったり、画像が暗かったり、見苦しいものがうつっていても、作ったならアップすべき、と仰る。内容も、論旨が曖昧だったり、出まかせだったり、感情的過ぎて見苦しかったりするものでも、作ったならアップすべき、と仰る。

 その方いわく、理由は、「やらないよりやったほうがいいから」だそうですが、本当は「不完全なものでもそれなりに労力がかかっているのだから、ボツにするのは勿体ない。アップしておけば、少しはお金に変わるんだから」という事なんだと思います。要するに、作ったものはレベル云々に関係なくとにかく世に出して1円でも多く稼げ、という事です。

 

 でも、本当にそうなんだろうか。。

 

 量産の是非、という言葉が出ると、私の脳裏に必ず浮かぶのは、森瑤子さんという作家さんの事です。

 森瑤子という名前を、若い人はもう誰も知らないと思いますが、かつて、ものすごく売れっ子の作家さんでした。デビュー作でいきなり、「すばる文学賞」を獲った方です。書店には、彼女の本がずらーっと並んでいました。

森瑤子 に対する画像結果

~ウキペディアより~

森瑤子(もり ようこ、1940年11月4日 - 1993年7月6日) は、1980年代に活躍した日本の小説家。本名、伊藤雅代。静岡県伊東市出身。37歳でデビューしてから52歳で没するまでの短い活動期間に、小説、エッセイ、翻訳など100冊を超える著作を生んだ。作品は20回以上テレビドラマ化されている。

 

 でも、今、彼女の本を書店で見る事はありません。何故ならば、彼女は、非常にハイクラスの生活を求め(カナダの離島を島ごと買うとか)、それを維持する為に、お金を稼ぎ続けねばならず、中期以降は駄作以下の作品を、量産し続けてしまったからです。

 駄作だとて、作るにはそれなりのエネルギーを必要とするわけで、経済的な苦労とあわせ、無理がたたって彼女は病み、52歳という若さで亡くなりました。

 初期の頃の彼女の作品は、才能に溢れていたのに、彼女の没後、彼女の本を求める人は少ないです。なぜなら、彼女は「経済的な理由で、不完全なものを量産し続けてしまった事で、彼女自身の名を下げてしまった」からです。

 もし彼女が、初期の頃のエネルギーを維持できなくなり、中期以降、レベルの高い作品を書き続ける事ができなくなったのなら、出版の頻度を落としてでも、作品のレベルを維持すべきだったと思います。それにより、経済的に苦しくなるなら、低い生活レベルに落とせばよいだけの話です。

 カナダの離島を買ったのは、中期以降のことです。なぜ、そんな不必要な贅沢をしたのか。駄作を量産し、ファン離れをおこし、名を落としてまで、不必要な贅沢をなぜ追い続けたのか。

 彼女には3人のお嬢さんがおられるのですが、彼女達は母親のことを「いつも家にいなくて、家にいる時は仕事ばかりしている人だった。甘えさせてもらった記憶がない」と語っているのを聞いた事があります。

 彼女は、1億単位の年収があったにも関わらず、住民税を滞納し、何千万もの借金をし、娘たちのお弁当はご飯の上に焼き海苔とお醤油、夕食は納豆だけ。一方で、夜毎パーティーに出かけ島を買い豪邸を建てる。

 アンバランスな生活が悪いと言っているのではないのです。どんな生活を送ろうと、一流作家と一度は呼ばれた人なのだから、作品のレベルを維持して欲しかった。どんなおかしな生活をしていても、作品さえ良質なら、彼女は死ぬ事はなかったと思うのです。彼女の病はスティルス性の胃癌ですから、精神的な事が原因であろうと思われます。自身の作品のレベルを維持できなかった事が、彼女を内側から蝕んでいったのだと私は思います。自分に満足できなかった事が。常に不満と不安を抱えていた事が。

 

 最初に書いた方も、贅沢な生活を追い求めておられる方です。贅沢な生活を維持する為に、高収入を維持せねばならず、その為にはせっせと集客せねばならず、集客するには不完全でもいいから、SNSを量産せねばなりません。日によっては感情を駄々洩れさせたものを出したり、人から又聞きの嘘か誠か不明の情報を紹介したり。

 そういうご自身のやり方に、頭のどこかで「これでいいのだろか」と不安になる事がおありなのでしょう。だからこそ、その不安を押しつぶす為に、あえて「作ったものは不完全でもいいから、とにかく出すべき。質が低くても、とにかく量産すべき」と主張されるのでしょう。

 

 森瑤子さんも、この方も、ある意味バブルの後遺症を抱えていると言えるのかもしれません。

 勿論、バブル世代でも、堅実に生きている人間は多いです。むしろ私は、バブル自体に違和感があったので、当時より今のほうが、生きやすい。

 

 上に書いた方は、どのような人生を送られるのだろう。ある程度売れたという事は、才能はおありだと思うので、サービスや発信の頻度を落としてでも、しっかりした内容のものを提供して頂ければなあと思います。収入は下がるでしょうが、安定的に長続きするファンがついて、満たされた人生を送られるのではないでしょうか。

 

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