熔ける 再び/井川意高

前作熔けるを読んで、以下ブログにまとめていたが、

 

ochimusha-sentouhuku.hatenablog.jp

 

早速次の、熔ける 再び も手に取ってみた。

 

結果、本書のなかでも例えでいわれているが、

リアル「半沢直樹」の内容に、一気に読み進めてしまった。

 

ギャンブルにのめり込み、会社の資産に手をつけ、

刑務所に入った著者の懺悔録。

前作ではギャンブルにのめり込む前の仕事であったり、

カジノで以下にお金を"熔かして"いったか、

また刑務所内の生活が描かれていた。

 

今作では前作では描かれなかった、一連の事件のなかでの、

著者含む創業者一族追放劇や、前作から度々暴君として描かれる著者の父との晩年のやり取りなど、ノンフィクションとして前作とまた違った一面が描かれる。

 

前作と合わせて、ギャンブル・刑務所・社内政治・芸能界との関わりから、親との晩年の介護を通した触れあいなど、ノンフィクションの"全部のせ"とでもいうような内容に、一気に読ませる勢いと面白さを感じた。

このあたりは著者も本書内で、以下のように語っていた。

 

人は無で生まれて、死んで無に戻る。ならば私は、楽しいこと(プラス)も何千、何万ポイント、つらいこと(マイナス)も何万とは言わないが何千ポイントも経験するジェットコースターのような人生がよいと思う。

 

このような波瀾万丈の人生を歩んでいるノンフィクションを読むと、最近の自分がスキルが足りない、と悩んでいたことがさも小さい悩みだった、と感じてしまう。

 

何年か前にもその時はプライベートで落ち込む出来事があったがその時は無性に村上春樹の小説が身に沁みた記憶があったが、ノンフィクションでも似たように身に沁みる感覚があったのは個人的に新鮮だった。

 

また著者は創業一族の三代目にあたる人物で、著者の父は一族の二代目として、前作では度々家族や会社の人間に対して今でいうパワハラのひどい仕打ちを行い続け、暴君として描かれる人物。

著者の事件発覚時の一度だけ、著者に向けて罵る言葉を投げ掛けた後は、その後一度も事件に対して愚痴をいわなかったという。

 

 晩年、父のそばにずっといた母はこう証言する。 「意高が事件になってから、お父さんは一回たりとも愚痴は言わなかったわ。『佐光は絶対に許せん』とはよく言っていたけど、『意高のせいでこうなった』とは私は一度も聞いたことがないわ」 父が親しくしていた友人もこう言っていた。 「いやあ、顧問はすごいですよ。モッタカさんについての悪口や文句なんて、私は一度も聞いたことがないです」 詮無きことは口にしてもしゃあない。竹を割ったような父の態度を見ながら「こうあるべきだな」「こうありたいな」と密かに尊敬していた。

 

パワハラは今のこのご時世なかなか許されることではないかと思うが、著者の父のこういった深い部分での愛情のようなものを、自分の子供であったり家族に対して持てているのか、ふと自分の生き方を振り返ってしまった。

 

ヒリヒリするギャンブルや社内政治から、生き方を振り返らざる得ないような親子のエピソードまで、文字通り"ジェットコースター"のような人生に引き込まれ一気に読んでしまった。

 

あのホリエモンと著者の対談本もkindle unlimitedでラインナップされているようだったので、また機会をみて読んでみようと思う。

 

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