四方田犬彦『わたしの神聖なる女友だち』

深夜起床。ひたすらぼーっとする。脳みそバカすぎる。
 
NML で音楽を聴く。■ショパンのノクターン第十四番 op.48-2、第十五番 op.55-1、第十六番 op.55-2、第十七番 op.62-1 で、ピアノはアビー・サイモン(NML、CD)。■武満徹の「夢の引用」「ハウ・スロー・ザ・ウィンド」「トゥイル・バイ・トワイライト」で、ピアノはポール・クロスリー、ピーター・ゼルキン、指揮はオリヴァー・ナッセン、ロンドン・シンフォニエッタ(NML)。

 
早く起きたので腹が減って困る。武満さんを聴いて空腹を紛らわす。
朝食を取ってホッとする。東の空はまだかすかに明らんだ程度。(06:31)
晴。
 
しばらくうとうとする。
 
昼。
いつもの藤原帰一先生の「映画で見つめる世界のいま」で紹介されたのは、スペインのペドロ・アルモドバル監督による、『ザ・ルーム・ネクスト・ドア』(2024)という作品。詳述しないが、「死と向き合う」という非常にシリアスなそれのようで、藤原先生も、「キャッチ!世界のトップニュース」のキャスターの方々も絶賛していたが、どうやら岐阜では上映されないようである。ヴェネツィア国際映画祭で金獅子賞を受賞したということだが。まあ、そのうち配信されたならば、それで観るしかないか、でも、めっちゃ大変そうな作品みたいだけれども。
 
(イスラエル軍による、今度はヨルダン川西岸地区への攻撃(BBC)。トランプはネタニヤフ首相に対し、ガザ停戦の代わりにそれを認めたともいう。なんだ、それじゃあ意味ないじゃないか。イスラエル人のパレスチナ入植は国際法違反ではないと、クソトランプはいっている。入植者はパレスチナ人に対して、やりたい放題だ。いったいこれのどこに「正義」があるのか。)
●ヨルダン川西岸地区でイスラエルの攻撃激化、10歳少年の目前で父親が撃たれ死亡(BBC) - YouTube
 
20250117152652
車内から、信号待ち中に。1.17 に撮影。
 
●オカタケの「ふくらむ読書」【45】中原中也詩集|春陽堂書店
オカタケさんのいっているとおり、中原中也は抒情詩だな。乾いた論理の時代、抒情詩はむずかしくなった。若い人たちの楽曲も、複雑・鋭角的で、ゆがんでいて、あまり「健康的」でないものが多く支持されている(じゃあ、中也は健康的か?となったらむずかしいが、そこいらは措く)。しかし、この乾いた論理の時代にも、やわらかくみずみずしい抒情詩の精神はもちろん必要だ、そのアマルガムが可能か?ということになる。
 いまある「抒情詩の精神」は、しかたのないこととはいえ、過去の遺産に依存しているものが多い。それではやはりマズいのではないか、現代の中から迸り出てくる抒情でなければ、ならないと思う。そんなことが、可能か? 人文学が既に死んだとおり、きわめてむずかしいことであるのはまちがいない。
 
 
インフルエンザのリスクを知りつつ、ミスタードーナツ イオンモール各務原ショップ。エンゼルクリーム+ブレンドコーヒー473円。
 四方田犬彦さんの『わたしの神聖なる女友だち』の続き。おもしろい。読んでいると自分の無知、貧しさ、孤独な田舎者ぶりに驚かされる。ま、でもそんなのはいまさら当たり前で、どうということもない、本書は四方田さんの非凡たるを大いに言祝ぐものなのだから。でも、なんとなく、本書の記述のすべてがハッタリ、ウソだったとしても(もちろんそんなことはないわけだが)、わたしはまったく驚かない、そんな風に(わたしなんかに)思わせるところが、どこか本書にはある。といって、わたしが四方田さんに含むところなど一切ないのは、いうまでもありませんよ。
 本書にはよくバブル時代、あるいはその前後の東京がよく出てきて、またそれが、本書の雰囲気によく合っている。まさに、バブル時代の申し子のように、わたしには見えないでもない。
 
図書館から借りてきた、四方田犬彦『わたしの神聖なる女友だち』(2024)読了。

 
夜。
●「復興・復旧なんて夢のまた夢」能登半島地震から1年 被災地で加速する人口流出【報道特集】|TBS NEWS DIG | YouTube
 
#
 
『沖縄で好きになった子が方言すぎてツラすぎる』(2025)第3話まで観る。ゆたさんに勧められた作品で、いやー、おもしろいな。沖縄言葉、めっちゃかわいいやん。かーなー(夏菜)ちゃん、気に入っちゃったね、彼女の恋を応援したくなったわ。作画も良好。
 
『黒岩メダカに…』第3話。うーん、正直いって原作ほどじゃないな。テンポが悪いし、それに(よく覚えていないけれど)原作を端折ってないか? 旭の登場とか、こんな風だったっけ。

こともなし

晴。
また iPad mini をふとんの上に放り出して、灯りを点けっぱなしで眠ってしまった。iPad を見ながら寝落ちしてしまうからなあ。そのうち、体の下敷きにして割ってしまわないか知らん。二、三時間そのままで、気づいて灯りを消してまた眠る。
 
NML で音楽を聴く。■バッハの「フーガの技法」 BWV1080 〜 Contrapunctus I-VII で、ピアノはシャガイェグ・ノスラティ(NML)。

■ベートーヴェンのピアノ・ソナタ第二番 op.2-2、第三番 op.2-3、ロンド ハ長調 op.51-1、アレグレット ハ短調 WoO53 で、ピアノは野平一郎(NML、CD)。■ドビュッシーの 十二の練習曲 〜 No.1-6 で、ピアノはアルド・チッコリーニ(NML、CD)。その鳥肌が立つような美しさと超絶技巧で空前絶後と(わたしごときには)思われる、チッコリーニのドビュッシー。ドビュッシーの究極的な録音だろう。
 
 
昼飯は生姜とツナとシメジの炊き込みご飯、ほうれん草のおひたし、正月菜の味噌汁、残り物のポテトサラダという、田舎飯。甲津原の味噌があと一ケースになったので、また口実を設けて近江へ買いにいかないとな。
 
外気13℃、暖かい。県営プール。ほぼひとり旅だった、監視員さんは二人でわたしひとりちんたら泳いでいるのを見ていなければならないのだから、随分と退屈なことだったろうな。申し訳ないって感じ。
 室内が暖かいので、水に入るときさほど温かいと感じない。でも、廊下に出るとギャッていいたくなるくらい寒いのだが。

帰りに肉屋。豚ロース肉、カツ用豚肩ロース肉3枚、ラーメン用焼豚あわせて、ちょうど2000円きっかりだった。ぴったりお札2枚、こういうのはひどくめずらしい。
 
夜、早寝。ぼーっと寝ころがっていたら寝落ちしてしまう。

アンドレイ・クルコフ『侵略日記』

未明起床。起きても何もせず、机の前に座ってひたすらぼーっとし続ける。外はまだ真っ暗。
晴。昨日は大寒だったのに暖かかったが(入浴前いつもは寒い脱衣場で、あれ寒くないと思ったくらい)、さて今日はどうか。
 
スーパー。客少なし。火曜日はプリペイドカードにチャージするとポイントが付く。ニガリが売っていることを確認する。
 
BGM としてマリア・クレメンティのスカルラッティを聴く(NML、CD)。
20250121123956
ほうれん草と正月菜。
 
昼。
NML で音楽を聴く。■バッハの 三声のシンフォニア BWV787-801 で、ピアノは野平一郎(NML、CD)。もっと聴かれていい演奏だと確信している。■ベートーヴェンのピアノ・ソナタ第一番 op.2-1 で、ピアノは野平一郎(NML)。終楽章がクソカッコよすぎて泣きそうになった。二十代の若きベートーヴェン! 1998年の録音。

 
インフルエンザが流行っているのに、またうっかりイオンモール各務原へ行き、車から出たところで気づく。まあ、流行も以前ほどではなくなったようだが、それでもと思い直して、コメダ珈琲店各務原那加住吉店へ。最初たっぷりブレンドコーヒーだけを注文したのだが、コーヒーを飲んでいるうちにひさしぶりに甘いものが食べたくなって、ミニシロノワールを追加してしまった笑。
 アンドレイ・クルコフ『侵略日記』の続き。三分の二は読んだが、それでも本書はなかなか進まない。ひとつ気づくのは、本書の記述は主に2022年ので、まだウクライナ軍が侵略者に対し、善戦しているといっていい頃のそれだということだ。本書の書きぶりは坦々としたものであるが、それでも著者の「士気」は高く、密かに旺盛であるようにも見える。
 いまのウクライナ軍は、そうではない。戦争の現状は明らかにロシア軍が優位に立っていて、ウクライナ軍は劣勢を強いられている。東部の交通の要衝、ポクロウシクにロシア軍がじりじりと迫っている状況だ。ついにトランプ政権が誕生し、アメリカの支援も確実でなくなってきている。たぶん、本書の日記は続いているのだろうが、いま、どんな感じなのだろうか。
 
図書館から借りてきた、アンドレイ・クルコフ『侵略日記』(邦訳2023)読了。日本からウクライナは遠いし、ウクライナから日本も遠い。日本(政府)もウクライナに支援をしている筈だが、本書に「日本」の文字があったか、わたしは覚えていないくらいである(「中国」「韓国」はあった)。おそらく、戦時下のウクライナが、日本(人)のことを思うのは、極小なのだろう、それも仕方のないことである。ただ、「アニメ」の文字はあり、たぶん、日本のそれなのではないか。

ウクライナ戦争に関しては、大雑把に二つの考え方があると思う。ひとつは、(日本を含む)西側諸国(G7)の「正義」を貫くべきであるというもの。侵略者ロシアが勝っては「国際秩序」が保てないから、ウクライナが「勝利する」まで支援をする。もうひとつは、いたずらに戦争を続ければ、(兵士も市民も)たくさんの人が死ぬ。だから、何よりも早く停戦すべき、戦争を終わらせるのが第一というもの。たとえ、ウクライナが一部領土を失っても、である。
 いずれにせよ、日本ではその二つのどちらかになると思う。でもやはり、ウクライナ人の意思、というものが第一であろう。
 そうなると、本書の段階では、ウクライナ人にとって、ウクライナの領土の一部を放棄して、停戦するという考え方は受け入れられない。また、現在では、既に戦争が長く続き、かつウクライナ軍は劣勢であり、ウクライナ人の中でも、「正義」に反した平和を求める声が随分大きくなっている。
 こういうことを、我々日本人は、どう考えたらいいのだろう? いくらニュースを見て、考えたところで、我々はほとんどどうしようもないのではないかという、一種の無力感をわたしは感じる。これは、必ずしも「正しい態度」と、いえないようにも、自分には思われる。正直いって、わたしはどうしたら、どう考えたらいいか、よくわからない。
 もうひとつあるか。ウクライナ戦争など、日本の民衆には関係ない。民衆はそんな遠い関係のない国の政治的なことは考えなくてよく、精々たまたま流れてきたニュースを適当に追っておくくらいでいい。平穏無事な自分の生活を大切にすることが第一だ、というもの。こういう考え方も一理あり、それはそれで「健全」で、実際はこういう人が大部分かも知れない。
 
夜。
●ガザ停戦合意の発表後も空爆 ヨルダン川西岸やユダヤ人入植地の人々は(BBC) - YouTube
ガザ停戦合意で、実際は戦争は終わらないと、BBC は考えているようだ。わたしは思う。特に、イスラエル側が終わらせないだろう、イスラエルによる「漸進的ジェノサイド」(岡真理)は続き、当然ながらパレスチナ側がそれを受け入れられる筈もなく、どちらからか、いつのことかもわからないが、停戦は破られ、また戦争が始められることになろう。そして、またすさまじい勢いで、イスラエル軍は多数のパレスチナ人を殺すだろう。世界はそれを放置するだろう。これが人類の文明化の帰結である。
●ガザ支援物資の車列、「開戦以来最大規模」に 停戦合意の発効に期待も国境で足止め(BBC) - YouTube
食べ物の配給を待つガザの子供たちの映像がつらすぎる。
 
#
 
NHK+で『東京サラダボウル』第3話。おもしろい。いろんなところが繋がってきたな。

柳ヶ瀬の CINEX にて「お坊さまと鉄砲」(2023)を観る

曇。
 
NML で音楽を聴く。■バッハの 平均律クラヴィーア曲集第一巻から 第十八番 BWV863〜第二十四番 BWV869 で、ピアノはシャガイェグ・ノスラティ(NML、CD)。
 
家族で柳ヶ瀬の CINEX にて、朝一で映画を観る。岐阜高島屋も閉店し、朝十時のかつての繁華街は、ほぼ人通りがない。大型シネマコンプレックスとして作られた CINEX も、いまや大型スクリーンは閉鎖されて、採算度外視のミニシアターになっている。
 観たのは『お坊さまと鉄砲』(2023)というブータン映画、NHK「キャッチ!世界のトップニュース」で 2024.12.25 に藤原帰一先生が紹介されていたもの。112分。とてもおもしろそうだったので調べたら、岐阜での上映があったのである。
 ブータンは国王の統治する王国だったが、2006年に国王がみずから退位し、議会制民主主義が導入されて、ブータンの山奥でも選挙が行われることになった。その投票をめぐり、都会の人たちが村に入ってきて、きわめて素朴な暮らしをしていた人々が、投票で「争う」ことを求められることになる。無知によって幸福だった家族にも、亀裂が入っていったり。そんな中、えらいラマ(仏僧)が人々を守る大切な瞑想を中断してまで、儀式を執り行うという。それには、なんと銃が必要だというのだ――。
 映画はコミカルな落ちをもっていて、明るく終わる。「銃」の意味は、是非作品で確かめられたい。
 でも、わたしは終始、かなしくて仕方がなかった。楽しい映画の話にまで、こんなことはいいたくないのだが、グローバル資本主義は、世界の隅々にまで入り込み、ブータンの田舎のきわめて素朴な人たちに、終わることのない商品的欲望の喚起と充足をさせるようになる。同時に、近代的抽象概念が人々の頭に定着する。それは、何をもってしても止めることができない。ブータンの人たちだって、先進国並に「豊か」になりたいのだ。かつて、日本が辿った道と、まったく同じである。
 結局思う。我々は近代文明化を押し留めることは決してできない。必要なのはむしろ、ある程度満足のできる近代文明化を成し遂げたあと、一切の近代文明の複雑怪奇なマトリックスを、引き受けた上で精神的に解体し切り、シンプルに再構成することである、と。それ以外、人類が「まとも」に生きていく道は存在しない。
 それには、いまの日本の位置は悪くないし、その中の「田舎」というポジションも、(やりようによっては)決して悪くないとわたしには思える。むしろ都会、東京に(いまの東京を見ていると)その可能性はあまりないかも知れない。
 
昼。
昨日の夕食の残りのカレーを食いながら、「キャッチ!世界のトップニュース」を観る。トランプ大統領の就任式は明日であり、その外交政策が「インド・太平洋地域」中心のものになるだろうとの解説があった。つまりは、対中国強行政策であり、日本はどうやら、その重要なコマのひとつになるそうである。例えば、日本の防衛費を GDP の3%にまで増額し、中国に対抗する軍事力の一翼を担わせる可能性が高いと。おお、こんなものが最先端の「文明」なのである。アメリカも中国も日本も、クソだな。
 
だらだら過ごす。
平田精耕老師を少し読む。
 
#
 
夜。
『カノジョも彼女』(2021)第5話まで観る。二股ってのがダメで以前、第1話で止まっていたのだが、観返してみたらおもしろかった。これはバカバカしいギャグを楽しむ作品なんだな。原作者のヒロユキさんの作品はいくつもアニメ化されていて、『マンガ家さんとアシスタントさんと』とか、めっちゃ楽しい作品だった。

藤高和輝『バトラー入門』

日曜日。未明起床。
晴。
 
長時間ぼーっとする。
少しうとうとする。
 
NML で音楽を聴く。■ベートーヴェンのピアノ・ソナタ第三十二番 op.111 で、ピアノはギオマール・ノヴァエス(NML、CD)。■ベートーヴェンのピアノ・ソナタ第十七番 op.31-2 で、ピアノはギオマール・ノヴァエス(NML)。いわゆる「テンペスト」ソナタ。

 
昼。
■NMLの新着をチェックしていたら、沖澤のどか+サイトウ・キネン・オーケストラのブラームスが配信(1.18 配信開始)されていたので、いそいそと聴いてみた。沖澤さん、広い射程をもっていて、重心も低く、わたしの好みのタイプの指揮者である。38歳、若手(なのかなあ?)の注目の指揮者といっていいだろう。
 ブラームスの交響曲第一番 op.68 の、第一楽章の冒頭 5分ほど、あと、終楽章はすべて聴いた(NML)。気合の入った、精緻なすばらしい演奏といっていいと思う。名演という人がいたっておかしくない。オケは超一流だしな。でも、なんかわからないけれど、全然感動しないんだよなあ。「感動」という言葉がよくないなら、わたしの心に響いてくるところが少なかった。どうしてかはわからないが。まあ、感性の古い人間が、新しい演奏を理解できなかったのかも知れない。なお、なぜか終楽章はまあまあで、最後まで聴けた。特に感銘を受けたというほどでもなかったが。2024年のライブ録音。

■沖澤+サイトウ・キネンで、ブラームスの交響曲第二番 op.73 (NML)と、リヒャルト・シュトラウスの交響詩「ドン・ファン」 op.20 (NML)をつまみ食いしてみる。これも、広大・精緻ですばらしいが、心が全然動かないという点では同じ。オーケストラのコントロールはじつに見事なのだが。
 
■メシアンの「鳥の小スケッチ」で、ピアノはチーロ・ロンゴバルディ(NML)。ロンゴバルディは検索で何もわからないピアニストだが、どうやら現代音楽に特化したそれのようだ。2023年の録音。

 
 
外気12℃で暖かい。珈琲工房ひぐち北一色店。今日はニカラグアのコーヒーだった。
 アンドレイ・クルコフ『侵略日記』の続き。本書でウクライナやロシアやウクライナ戦争について新たに知ることはあり、知的で正直な、坦々とした語り口で、信用できる本という感じだが――それにしても、戦時下で生活するということが、この極東の平和な国で日々過ごしていると、あまりにも自分とかけ離れすぎて、呆然としてしまうほどだ。これは、国際ニュースなどを観ていてもよく思う、というか、実感する。ほぼ八十年間、平和が続いてきた日本。もちろん、日本人の隠蔽体質からして、問題が覆い隠され、市民の日常から見えなくなっているとしても――それでも日本は、平和だ。日本の没落など、この「平和感」からしたら、まったく些細なことのようにすら、思える。雨宮処凛さんも、似たようなことをおっしゃっていたな。
●第706回:「戦後80年」に考える、「戦後100年」を達成する方法。の巻(雨宮処凛) | マガジン9
『まがりなりにも80年、戦争をしてこなかったということ。それって実は、ものすごくめでたくて奇跡的で本当にすごいことだと今、しみじみ思う。』
 
図書館から借りてきた、藤高和輝『バトラー入門』(2024)いちおう読了。わたし(=田舎の無知なおっさん)にはかなり難解だった。フェミニズムは時として、あまりに理知的でむずかしすぎる。バカが(理解できないために)フェミニズムから排除され、ゆえにフェミニズムから糾弾されることはあり得る。哀しいな。

 
夜。
『クラスの大嫌いな女子と…』第3話。さすがにバカくさすぎやせんか?笑 お互いにあまりにもチョロい……。

(昨年)一年の回顧(3)

昧爽起床。晴。
今朝は寒い。
 
NML で音楽を聴く。■ベートーヴェンのピアノ・ソナタ第二十六番 op.81a で、ピアノはソロモン(NML)。

 
大垣。
外気1℃、寒い。国道21号高架から、西に真っ白に冠雪した伊吹山と、空に半月。
ミスタードーナツ大垣ショップ。エビグラタンパイ+ホット・スイーツパイ りんご+ブレンドコーヒー688円。空きっ腹においしいパイが沁みる。
アンドレイ・クルコフ『侵略日記』を読む。(ウクライナ)戦争の日々。
 
朝日の中、大垣市内を運転していて、腹もくち、いい気分になる。街もいい雰囲気で、わたしは大垣に多少土地鑑があるが、住んでみたら悪くないところだろうな、って思う。岐阜県の中では、文化の香りの高い方の、街に属するだろうし。江戸時代は、旧大垣藩として纏まっていた。中心に大垣城があり、水が豊富で「水都」といわれる。あと、芭蕉の「奥の細道」の完結地でもある。
 幼稚なわたしなんかだと、アニメ『青春ブタ野郎はバニーガール先輩の夢を見ない』(2018)で、バニーガール先輩(麻衣さん)と咲太がJR東海道線の「大垣夜行」で、終点まで行って、駅前のビジネスホテルに一泊したエピソードだとかが、浮かんでくるんだけれどね笑。
 よく晴れておだやかな日差しの中で、国道21号を帰る。空っぽで、明晰な気分。
 
昼。
スーパー。三倍ポイントの日。初めてここでお掃除ロボットを見た。ゆっくりくるくると動き回って、なんか可愛らしい感じだった。
みかんが高い。袋入りで 6, 7個くらいだろうか、750円もする。
 
#
 
ブログ本(2024.10.1~12.31)落掌、一気に目を通す。450ページ以上あるので、三時間くらいかかった。昨年十、十一、十二月をまとめようと思ったが、めんどうになったのでテキトーに。
 家族で舞鶴へ旅行(11.19、11.20)、これがなかなかよかった。
 展覧会。老母と「神戸ゆかりの美術館」などへ行った(10.10)のは既に挙げた。あとは、ひとりで行った(愛知県)刈谷での「宇野亞喜良展」(10.31)。
 本は伊藤比呂美さんの『野犬の仔犬チトー』(10.12)が、やはり生にあふれて感動的だった。
 それから、マルクス(主義)やアナキズムに学ぶところが多かった。前者は内田樹&石川康宏さんの「若者よ、マルクスを読もう」のシリーズ、後者は何といっても、栗原康さんの発見だ。『アナキズム』(11.29)、それから、『何ものにも縛られないための政治学』は厳密には今年の読了になるが。わたしはマルクス(主義)やアナキズムを、「資本主義が鞏固になりすぎ、世界を隅々までほぼ完全支配するようになって、そのオルタナティブが考えられなくなった現代における、(いわば)絶望の思想」として読んでいるつもりである。我々にはもはや、選択肢は資本主義以外にない、そこで、どう「まとも」に生きるか。
 あとは、いろいろ大物アニメを観たようだな。『のんのんびより』シリーズ、『Fate/stay night [Heaven's Feel]』三部作、『アマガミSS』1期2期、『君の膵臓をたべたい』(12.6)など。
 他におもしろかったアニメ。駒田蒸留所へようこそ、がんばれ同期ちゃん、君を愛したひとりの僕へ/僕が愛したすべての君へ、終末なにしてますか?忙しいですか?救ってもらっていいですか?、かがみの孤城、A KITE/MEZZO FORTE、恋愛フロップス、WHITE ALBUM2、グリザイアの楽園、おとなりに銀河、涼風、とかかな。
 ああ、忘れていた。『エッセンシャルワーカー』という本(12.13)には啓発された。ここに、現代の多くの問題が凝縮されている。
 
夜。
●「日本の強みは人事異動とOJT」は嘘。幻想を捨て、一から日本型の能力開発を|研究プロジェクト|リクルートワークス研究所
濱口先生、めちゃめちゃ手厳しいな。わたしは「会社」というところで働いたことがないので、先生のこの発言がどこまで真実なのかわからないが、日本企業において、いかにもありそうな話だと思う。もしそうだとすると、ここでも終わってるな、日本。