美的価値論ビギナーズガイド

美しい花、かわいい犬、優美なダンス、あざやかな絵画には美的価値[aesthetic value]がある。美的価値を持ったアイテムは、ある独特な仕方での良いものであり、私たちが気にかけるものである。生活における多くの場面で、私たちは美的なものに配慮している。賃貸の部屋を選ぶときには、家賃やエリアだけでなく、建物の外観は洗練されているか、共用部はきれいか、壁紙はシックか、押入れは古臭くないか、部屋に目障りな出っ張りがないかを気にかける。美しさや醜さは、必ずしも最優先事項ではないにせよ、私たちの選択にとって重要な考慮事項のひとつである。

美学[aesthetics]というのはその他の判断や態度や経験とは区別される、美的判断・美的態度・美的経験などをターゲットとして、その本性を哲学的に探る分野だが、美的価値はそのなかでも近年とりわけ注目されている主題である。言ってしまえば、これは古代ギリシアから続く美についての哲学の最先端である。本エントリーは、美的価値をめぐる議論において誰がなにを論じているのか、おおざっぱな見取り図を与えようとするものだ。また、私がいま取り組んでいるトピックでもあるので、自分の研究を対外的にアピールする意図もある。*1

  • 1 なにが問われているのか
    • 1.1 線引きの問い
    • 1.2 規範的問い
  • 2 どんな反応に理由を与えるのか
  • 3 なにゆえ理由を与えるのか
    • 3.1 美的快楽主義
    • 3.2 実践的アプローチ(ロペス)
    • 3.3 原始主義(シェリー)
  • 4 どれだけ強い理由を与えるのか
  • 5 その他の探求
    • 個性・スタイル
    • 専門性
    • 能動的関与
    • 文化的多様性
  • さいごに
  • 付録1:年表
  • 付録2:リーディングリスト
    • 日本語で読めるもの(たぶん全て)
    • サーベイ論文
    • 重要文献10選

*1:勉強したてのころに書いたものよりも、だいぶ体系的なものになったかと思う。ところで、私は2023年までは美的快楽主義者だったが、以降はこれに反対するようになった。

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「行為」は美学にとって真っ当な主題と言えるのか

7月27日土曜日に大妻女子大学で、「美と行為」をテーマにした公開ワークショップに登壇します。

6月はじめの勉強会で、「美的行為論の論文を書いている」と森さんにお話したところ、5人も登壇者が集まり、難波さんにおしゃれポスターを用意していただき、あれよあれよと大規模なワークショップに発展しました。ありがとうございます、とても楽しみです。

自分は「美しくする、美しくやる:なにが行為を美的行為にするのか」と題して話す予定です。要旨はこんな感じ。(他の方の要旨は上の森さんのブログにあります。)

なにが行為一般から美的行為を線引きするのか。本発表は、美的なものと形式の概念を結びつける古典的見解に基づき、美的行為を特徴づける。(1)行為の対象、(2)感性の行使、(3)美的評価からの動機づけが、いずれも美的行為をうまく線引きできないことは、興味深く、独特な仕方で美的と言える行為などないことを示しているように思われる。このような線引きの放棄に対し、私は美的行為を美的価値の担い手となる行為として同定するイージー・アプローチを提案し擁護するつもりだ。このアプローチに、美的価値についてのある種の形式主義を加えることで、美的領域に含まれる多層的な規範性について理解することができる。ときに、私たちにはアイテムから形式的欠陥を取り除く(すなわち美しくする)理由があり、ときに、その理由はさまざまな考慮事項によって拘束力を増す。しかし、より根底的な事実として、ある種の行為(演奏したり、発音したり、歩くこと)は、美しくなされなければならない。私たちに美への配慮があろうがなかろうが、私たちの美的行為は形式的欠陥を回避しなければならないのだ。

なのですが、問題の所在や背景を導入するパートが長くなりすぎてしまったので、ここで先出しします。私の発表だけでなく、今回のワークショップ全体の主題に関わる内容なので、予習に使っていただけると当日より楽しめるかもしれません。まぁ、今回のワークショップは「美×行為」での大喜利企画なので、話の方向性は発表者それぞれなのですが、少なくとも青田麻未さんのご発表には深く関わる内容だと考えています。

ワークショップの趣意文に「美学は伝統的に判断(judgment)・鑑賞(appreciation)を議論の中心に置きがちであった。しかし、近年の美学はその偏重を脱し、美的領域のより多様な側面に目を向けようとしている」とありますが、本エントリーはこの辺の解説です。

つい最近、青田さんによる日常美学本の背景解説として、同じような話を高田さんが書かれていました。本エントリーよりだいぶミニマルにまとまっているので、先に読んでおくのがおすすめです。

なので、本エントリーや上記ワークショップでの私の発表は、日常美学という、青田さんによって日本に紹介されたばかりの分野に対するコメントという性格を持っているとも言えます。日常美学については、本文のなかでも触れます。

前置きはこれぐらいにして、本題に移ります。

  • 美的なものの特徴づけという課題
  • 美的判断論と美的態度論
  • 美的経験論と日常美学
  • 美的行為論と美的価値論
  • バックラッシュ
  • まとめ
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美しいものに感動する義務?

美的に良いアイテム(優美な絵画、壮大な自然風景、etc.)に、「感動すべきだ!」と言うことはよくあるが、そこには本当に義務と呼べるようなものがあるのだろうか。

サウサンプトン大学のダニエル・ホワイティング[Daniel Whiting]は、美的理由をめぐってよく読まれている論文「Aesthetic Reasons and the Demands They (Do Not) Make」(2021)のなかでこの問題を扱っている。結論として、特定の情動を抱くよう要求するような美的理由、美的義務はない。せいぜい「感動することに無理はない」「感動するのももっともだ」と言えるに過ぎず、「感動すべきだ」とまでは言えない。以下、ホワイティングの議論をさっくりまとめよう。

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