「戦勝国の正義」という世界観から脱却しないと行き着く先は第三次世界大戦

全世界的に見てどうかというとまだ勝ったもん勝ち(当たり前)的な価値観が蔓延はしているが、少なくともいわゆる西側諸国の建前(であり努力目標)としての価値観はそこから脱却しようとしている。歴史的経緯から正義とされていたことが「敗戦によることなしに」変えられていく。差別の問題はその典型だろう。

つまり右傾化する人達は、自分達が生きている世界は「正しいことが正しいことと認められる完成された公正な世界」であるはずだと勘違いしているわけです。残念ながら我々が生きている現代の世界は「欧米を中心とする偏った価値観が幅をきかせている世界」であり、「第二次世界大戦の戦勝国側が第二次世界大戦から得た利益を手放そうとはしない程度の野蛮な世界」なのです。

右傾化する人達が根本的に分かっていない一つの事実 - 誰かが言わねば

この段に従えば日本は西側諸国の一員として繁栄しており、欧米を中心とする偏った価値観の元で栄華を満喫している。「日本はWW2で他国と比較して特にひどいことなんてしてないもん!」と涙目になるようなことをしなければ十分他国から羨望されるレベルの国である。

そもそも、正しさなんて物自体が社会においては相対的な価値観にすぎない場合がほとんどである。欧米諸国においても過去の過ちを認めることは(ほとぼりがさめた後が多いとはいえ)良くある。たいていの「過去のあやまち」は当事者がいなくなってしまえば容易に反省可能な問題だったりもする。

結局、変容する正しさを受入れられずにそれを「押し付けられた世界観」と考えているといつまでたっても「次の機会は勝つ」という結論にしか至ることが出来ない。書かれていることとは裏腹に、不公正であることを認めてしまえばそれこそが右傾化の種になる。
事実として、「戦勝国の価値観」はあるけれども、それは同時に公正であらんとする価値観でもある。公正であろうとする人々がどのようなものを正しいとみなそうとしているかにきちんと向き合い、それに抵抗するのが単にプライドだけの問題であるのならば、それは受け入れることが可能な正しさだろうし、他に理由があれば、受け入れるために時間が必要か、あるいは、(少なくとも現時点では)正しくないのだ。

無条件で正しさを受け入れる必要性はないが、戦勝国の価値観を悪の権化とみなした先には次の戦争しか無い。