著作権は誰得の権利なのか

コンテンツビジネスは華やかかりし。娯楽だからかね。でもコンテンツってのは余暇を消費するためにあるわけだから、平均かけられる時間×平均消費できる金額×人口が市場の最大の規模になる。もっとも積ん読的な状況(消費者にとっては負債と言っても良いだろう)や、リピート(消費者にとっては利息と言ってもよいか)などにより、時間のパラメーターは変化してしまうけど。みんながもうこれ一つでいいやというコンテンツを所有してしまったら、市場は0になってしまう。

著作権は、その成り立ちはともかくとして、現在、商売という点においては不正を回避するための一手段でしかない。著作権があるから売れる、なんてことはもちろんない。
確実に一定量売れるとわかっているコンテンツにおいては著作権は利権だ。そうでないコンテンツにとって著作権は海賊版(という存在が規定されるのも著作権があってこそ)を防ぐための手段である。
それだけの話と考えるとビジネスにおける著作権は非常にシンプルなものだね。もちろん、そこまで単純ではないとは思うけど。

海賊版(あるいは不正ダウンロード)を防ぐことで得られるものは、逸失利益ではない。そこに利益がほんとうにあるかどうか(不正がなければ売れていたか)は不正ダウンロード問題を語るときに常に意見が合わない。しかし、昨日のエントリーで触れたように、逸失利益なんてものは実はなかったかもしれない。

もはや、ビジネスにおける著作権は曲がり角を迎えているように思える。最近の隣接権のクローズアップもそれを意味しているのだろう。本来、著作権という権利にXX権というサブカテゴリが存在する事自体が違和感がある。それらは本質的には異なる権利(出自である出版権と現在の著作権も本当は別物だよね)をまぜこぜにしているように思える。
ただ、ビジネスとそれ以外を弁別することは実際には難しい。たとえば二次創作がビジネスを阻害するか。場合によってはする。阻害する場合はビジネス側面の権利からそれを抑制しなければならないというのが建前としてはある。いや、どっちかというと本音のほうか…
「人」がそこから収益を上げるのであれば、人そのものにリターンがあればよい(パトロンシステムで良い)のだけど、「組織」が収益を上げなければならないという状態も権利をいびつにしている。今後、著作権はどこに向かっていくのだろうか。