組織に忠実な犬を生産する体育会?

体育会出身が組織に忠実ってのはすごい思い込みのような気がするなあ。
だって、"体育会"って枠で世間の話題になるときって、ああいう事件やああいう事件やああいう事件、つまりああいう事件を起こすときですよね。
そんなのが組織に忠実って考えるのは…といっても何事にも例外が、の範疇かもしれないけど。

こうやって考える限り、組織的な部活動をきちんと頑張ってきた「体育会系」学生を一定数確保したいという企業の思惑は、それはそれで妥当なもののようにみえる。ラボで働くような例外的英才はともかく、新規採用の大半を占めるであろう“兵士”コースの大卒者に関しては、なるべく組織への適性が良さそうな人材を求めるのは企業側としては当然といえば当然かもしれない。

「体育会系が欲しい」→翻訳→「組織に忠実な兵士が欲しい」 - シロクマの屑籠

理不尽な社会への慣れ、はともかくとして体育会がイコール兵士コースかというと全然そんなことはないと思う。
ただ、会社というのは自分のことだけを考えると理不尽なんだけど、総体的にはきちんとした理由があって、そのことを思えば我慢のしどころもある、ということはあるし、そういうことがあるということを身をもって体験してきた、という部分は無きにしも非ず。努力が実を結んだり、実を結ばない努力もどこかで糧になっている、という体験も。
そういう点で、体育会系が体験してきたものを求める妥当性ってのはそれなりにある。ここで注意したいのは企業が求める体育会系というのはイコール筋肉バカ、とにかく動けばよい、という人のことではない。中にはそういうのを求める向きもあるかもしれないけれども、それなりに全体的に求める水準というのはあるはずで、体育会に学生人生の全てをささげました、みたいなのが好まれるという話じゃないはず。

どうやら、「体育会系」という言葉に企業が期待しているのは、ピラミッド型の組織の末端でも辛抱強く働き、縁の下の力持ちとして頑張れるような人材らしい。言い換えれば、企業は「体育会系」という言葉に仮託する形で、「組織に忠実な兵士」を欲しがっている、ということなんだろう。組織の末端で、素直に命令に従って動くことに慣れている人材が欲しい、と。

「体育会系が欲しい」→翻訳→「組織に忠実な兵士が欲しい」 - シロクマの屑籠

これももともとの

体育会の学生には強い精神力と高い目標達成意欲があります。組織に貢献することを考えて、縁の下の力持ちにも進んでなります。

新卒採用「体育会学生」欲しい 「精神力」「意欲」を評価 : J-CASTニュース

これを拡大解釈しているみたいで、自分でものを考え、組織に貢献し、目標達成にまい進するって、一般的に「できる」イメージじゃないですかねえ。なんで「組織の末端で」とか「素直に命令に従って動く」とかの言ってもいないネガティブワードで説明しなければならないのか。
ところで。

ところで、「体育会系」に該当する学生さんは、就活上のポジティブファクターとして無邪気に喜んで良いものだろうか?「体育会系」という言葉のオブラートにくるまれた「組織に忠実な兵士」というニーズが孕んでいる、ある種の怖さ。

「体育会系が欲しい」→翻訳→「組織に忠実な兵士が欲しい」 - シロクマの屑籠

大多数が兵士、というシロクマ先生の言に従えば、体育会系は兵士の中でもエリートコースといわれているようにしか見えないじゃないですか。前途は揚々ですよ。