足利事件当時の新聞報道

「足利事件」を伝える当時の読売新聞の記事*1の一部です。
地裁・高裁の判決文(e-politics - 刑法・刑事政策/足利冤罪事件)と合わせれば、事件の流れの概要がつかめるのではと思います。
なお、被害者とその遺族の名前は伏せました。

1991年12月1日 読売東京 朝刊 一面 14版 1頁


幼女殺害 容疑者浮かぶ足利
45歳の元運転手 DNA鑑定で一致


 栃木県足利市の渡良瀬川河原で昨年五月、同市内のパチンコ店員Mさんの長女M・Mちゃん(当時四歳)が他殺体で見つかった事件を調べている足利署の捜査本部は、三十日までに、容疑者として同市内の元運転手(四五)を割り出した。一両日中にもこの男性に任意同行を求め、殺人、死体遺棄の疑いで事情を聴取、容疑が固まり次第逮捕する。M・Mちゃんの衣類に付着していた男の体液のDNA(デオキシリボ核酸)と元運転手のものが一致したことが決め手となった。同市とその周辺では、昭和五十四年から六十二年にかけ幼女三人が他殺体で見つかる事件が起きており、捜査本部は関連に強い関心を抱いている。


周辺に類似殺人3件
 M・Mちゃんは昨年五月十二日午後六時半過ぎ、父親に連れられ遊びに来ていた同市伊勢南町のパチンコ店「ロッキー」で行方不明となり、翌十三日午前、パチンコ店から南へ約五百メートル離れた渡良瀬川左岸のアシ原で死体で見つかった。死因はケイ部圧迫による窒息死で、絞殺されたと見られている。
 現場付近は当時、車や人通りが多かったにもかかわらず、有力な目撃情報はなく、捜査は長期化した。捜査本部は、市内全域でローラー作戦を展開するなどして不審者や変質者の洗い出しを続け、昨年秋ごろこの男性が浮上、慎重に周辺捜査を進めていた。
 捜査本部は、現場近くで見つかったM・Mちゃんの衣類に付いていた体液と、内偵中に入手した元運転手の毛髪を警察庁科学警察研究所に送り、血液鑑定とDNA鑑定をした結果、「ほぼ同一人物の遺伝子。他人である確率は千人に一人」との結果を得た。血液型も一致した。
 さらに、捜査本部は、これまでの調べで、男性が<1>少女を扱ったビデオソフトや雑誌を愛好している<2>Mちゃんが失踪したパチンコ店に度々きていたが、事件後、姿を見せなくなった<3>事件当日の夕方以降の足取りが不明――などをつかんでいる。
 足利市と、県境を隔てた群馬県尾島町では、ほかにも三件の未解決事件が起きている。
 昭和五十四年八月、足利市内の会社員Fさんの長女F・Mちゃん(当時五歳)が、近くの神社の境内に遊びに行ったまま行方不明となり、六日後、約二キロ離れた渡良瀬川河川敷で、リュックサックに詰め込まれた絞殺死体で見つかった。
 また、五十九年十一月には同市内の工員Hさんの長女H・Yちゃん(当時五歳)が、両親と遊びにきたパチンコ店から姿を消し、一年四か月後、自宅から一・七キロ離れた畑で、白骨死体で発見された。死因は窒息死。
 六十二年九月には、同市から約十五キロ離れた尾島町の会社員Oさんの二女O・Tちゃん(当時八歳)が、自宅を出たまま消息を絶ち、翌年十一月、自宅から約二キロ離れた利根川河川敷で白骨体で見つかった。死人は特定されていないが、他殺と見られる。


DNA鑑定
 細胞核内の染色体に含まれるDNAには、遺伝情報が四種類の塩基の配列順序として記録されている。この配列順序は個人によって異なるため、体液や血痕、毛髪など犯行現場に残された資料のDNAを分析すると個人を三百六十五通りに分類でき、血液鑑定と併用すれば百万人中の一人を特定できる。今回は、M・Mちゃんの衣類に付いていた体液が微量だったため、「千人に一人」の精度にとどまった。警察庁は今後一、二年で全国の捜査に本格導入する計画だ。昨年二月に東京都足立区で発生した主婦のバラバラ殺人事件では、容疑者の車に残されていた血痕がDNA鑑定で被害者のものと判明し逮捕の決め手となった。

1991年12月2日 読売東京 朝刊 社会 14版 31頁


"ミクロの捜査"1年半幼女殺害、容疑者逮捕
一筋の毛髪決め手 菅家容疑者ロリコン趣味の45歳


 容疑者に導いたのは一筋の毛髪――栃木県足利市の幼女殺害事件で二日未明、同市内の元運転手、菅家利和容疑者(四五)が殺人、死体遺棄の疑いで足利署に逮捕されたが、延べ四万人の捜査員を動員したローラー作戦とともに"DNA検査"が、四千人に及ぶ変質者リストからの容疑者割り出しにつながった。週末の「隠れ家」でロリコン趣味にひたる地味な男。その反面、保育園のスクールバス運転手を今春まで務めるなど、"幼女の敵"は大胆にもすぐそばに潜んでいた。


 事件発生から四か月が過ぎた昨年秋、ついに菅家容疑者が浮かんだ。ピーク時は四千人に達した変質者リストを基に、一人一人のアリバイをつぶすという途方も無い作業だった。捜査本部は、この後一年を超える内偵で、菅家容疑者の毛髪を入手。M・Mちゃんの遺体などに残された体液とDNA鑑定を依頼、先月下旬、ついに「他人である確率は千人に一人で、ほぼ同一人物と断定できる」との鑑定報告を手に入れた。
 M・Mちゃんが失踪したのは昨年五月十二日午後六時半。この約十六時間後に遺体を発見、比較的新しい状態でM・Mちゃんの遺体から犯人の体液を採取したことが、結果的にDNA鑑定の成功に結びついた。
 事件発生から約一年七か月。動員された捜査員は一日平均百人、延べ四万人を超えていた。
私がやりました
 「私がやりました……」
 菅家容疑者は、絞り出すような声でMちゃん殺しを自供した。午前中、取調官が事件に触れると、「容疑者に間違いない」と取調官は感じた。
 だが、菅家容疑者が事件について語り始めたのは夜十時近くになってから。取調べは一日朝から十四時間にも及び、事件発生から一年半にわたる捜査がようやく実を結んだ瞬間だった。
無言のMさん夫婦
 昨年十月、千葉県船橋市内のビルに引っ越してきたM・Mちゃんの両親のMさん夫婦は二日午前一時ごろ、自宅に戻り、無言のまま室内に入った。
 同じビルの商店主は「Mさんとはほとんど接触はなかった。引っ越してきたとき、夫婦二人だけなのに子供用の自転車があり、どうしたのかなと思っていた。そんな大きな事件に逢っていたとは」と話していた。


"週末の隠れ家"借りる
 菅家容疑者は、昭和三十七年地元の中学校を卒業後、職を転々としたが、五十六年六月から今年四月までは、同市何の保育園と幼稚園計二か所で、スクールバスの運転手をしていた。
 このうち、今週までの約一年間は、五十九年十一月にパチンコ店から行方不明となり、その後白骨体で見つかったH・Yちゃん(当時五歳)が通っていた幼稚園に勤めていた。
 五十六年から約八年間働いていた保育園の園長は「朝夕二回の運転のほか、休職の準備や草むしりなどもしてもらっていた。仕事ぶりはまじめで、園児たちともごく自然に接していたが、仕事以外の趣味などは分からなかった」と話している。
 二十代半ばに結婚したがすぐに離婚。同市家富町の実家で両親や妹と暮らしているが、十数年前「週末をゆっくり過ごすため」と、M・Mちゃんの遺体発見現場から南へ約二キロはなれた同市福居町に、六畳と四畳半二間の木造平屋一戸建てを借りた。この「週末の隠れ家」には、少女を扱ったアダルトビデオやポルノ雑誌があるといい、菅家容疑者の少女趣味を満たすアジトとなったらしい。
 実家近くの主婦(五二)によると「もの静かでいつもうつむいて歩いていた。地味な人という印象だった」という。事件後しばらくして実家に県警の刑事が聞き込みに訪れた際は、特に変わった様子も無く、普通に受け答えしていたという。

1992年2月14日 読売東京 朝刊 解説 13版 15頁


「F・Mちゃん」「H・Yちゃん」自供したが…
物証無く起訴は困難


 栃木県足利市のM・Mちゃん(当時四歳)殺害事件で、元保育園運転手・菅家和利被告(四五)は、十三日の初公判で起訴事実を認めた。しかし、犯行を自供したとされる他の二つの事件の立件は難しそうだ。
 宇都宮支局 清水純一


 菅家被告がMちゃん殺害事件以外に自供したのは、同じ足利市内で昭和五十四年に起きたF・Mちゃん(当時五歳)と五十九年のH・Yちゃん(同)殺害事件。
 足利署の捜査本部によると、菅家被告は二人の当時の服装などについてもほぼ正確に記憶、H・Yちゃんの遺体を包んだリュックサックについても「市内のごみ置き場で拾った」などと詳しく供述したという。
 このため捜査本部は昨年暮れ、菅家被告をH・Yちゃん殺害容疑で再逮捕した。しかし、事件発生から十二年余り経過していることもあって、供述を裏付ける物証が発見できず、宇都宮地検は先月十五日、「証拠不十分」として起訴を見送り、捜査本部に継続捜査を指示した。
 H・Yちゃん殺害容疑についても、捜査本部は菅家被告を任意で取り調べ、今月十日に書類送検した。だが、物証は全くない状態で、F・Mちゃん事件以上に立件には困難が伴い、処分保留となる公算が大きい。
 刑事訴訟法三一九条は<自白の証拠能力>について、「自白が事故に不利益な唯一の証拠である場合には有罪とされない」と規定。自白をもとに検察側が有罪判決を得ようとすれば、その信用性を高める「補強証拠」が不可欠となる。
 起訴されたMちゃん事件では、遺体に付着していた男性の体液と菅家被告のDNA(デオキシリボ核酸)が極めて高い確度で一致するとの遺伝子鑑定が出た。検察側にとって公判を維持するうえで唯一最大のよりどころとなる。しかし、二事件に関しては、これに相当するものが見当たらない。
 宇都宮地検の矢野光邦次席検事は、M・Mちゃん事件で処分保留にした際、「全国で再審無罪が続いており、十年や二十年かかる公判にも耐えられる証拠がなければ起訴は困難」と説明した。
 最高裁によると、戦後の殺人、強盗殺人事件の再審で無罪となったのは十一件。東京高裁が昨年四月に言い渡した千葉県松戸市の「OL殺人無罪判決」、死刑囚で四人目の再審無罪となった平成元年一月の「島田事件」などで、判決は捜査当局の自白偏重を厳しく批判した。
 刑事司法の健全さを示すバロメーターといわれる一審判決での無罪率は、昭和六十二、三年には過去最低の〇・〇九%にまで下がっていたのが、平成元年は〇・十七%と急上昇する傾向を示している。
 被告の自白しかない両事件で、地検が慎重姿勢を見せる背景には、こうした司法をめぐる情勢がある。
 弁護士経験のある立命館大の井戸田侃教授(刑訴法)は、「犯罪が古くて形がい化している場合などには、どうしても供述があいまいになって信頼性、正確性を欠き、訴訟不能に陥るケースがある」といい、今回の地検の判断を妥当と見る。
 北海道大の能勢弘之教授(同)も「容疑者が当局に容疑をかけられたまま放置されても、それは法理論上、仕方がない。法治国家としてはむしろ自然だ」と語り、処分保留の措置もやむを得ないとしている。
 二事件が"灰色決着"に終わりそうな気配に、県警や被害者の遺族には虚脱感が漂っている。十数年間にわたって幼女殺害事件の陰におびえた足利市民からも「自供しているのに、なぜ……」という素朴な疑問の声が聞かれる。
 だが、捜査当局の証拠価値への過信などによって数々の冤(えん)罪事件が生まれたことを思えば、証拠不十分のまま強引に起訴することは厳に慎まなければならない。


個人的には、全般的に断定的な筆致であること、菅家さんが借りていたという木造平屋一戸建てを「週末の隠れ家」と断じているところ、幼女殺害事件の犯人であるに違いないと印象付ける、しかも伝聞調の情報(『この「週末の隠れ家」には、少女を扱ったアダルトビデオやポルノ雑誌があるといい、菅家容疑者の少女趣味を満たすアジトとなったらしい。』*2)を載せていることなどが特にひどいなと感じました。
最近の重大事件でもそうですが、被疑者の「自供」があれば報道機関も安心して「犯人視報道」ができる、ということでしょうか。

*1:「新聞から見た現代社会論」(読売特別講義)という一般教養の講義にて、講師の読売新聞記者から配布されたもの(コピー)

*2:高裁判決文では「被告人が持っていたポルノ類の中には、性的に未成熟な子供を取り扱った、いわゆるロリコンものはなかった」と否定されている