幽谷霧子×スルツェイの話

People In The Box合同の再版分がめでたく完売し*1、再々版の予定がなく、思ったよりだいぶ評判がいいのでweb公開をきっかけにわざわざ解説してみる。入稿直後は自信がないのを通り越して大メンヘラ期に突入してた*2ので普通に駄作だと思ってたしこれ最後に載っけて大丈夫かなあ、って考えてた。それでも載る作品のうち、いちばん起承転結が決まってるやつなので〆はこれだと思った。前に置いても重たいし。

 

起点は2021年の11月、かぜかんむりのこどもたちを読んだ辺りか、そのちょっと前。遠藤周作の『死について考える』を読んだ頃で、だいたい9月末。

『死について考える』は名前の通り死について考えるエッセイで、その中に出てくる看護師の台詞が印象的。

聖母病院の婦長さんは、自分の経験から一番いいと思うのは、患者の苦しんでいることを理解してあげることだ、と言っておられました。

「本当に苦しいでしょうねぇ」

と言ってあげる。更に、あなただけが死ぬんじゃない、今元気にしている私もやがて死ぬんです、ということを示してあげるそうです。

「いずれ私だって、おばあちゃんと同じようになるんですよ」

— 遠藤周作『死について考える』光文社文庫版 p49~50

幽谷の優しさって寄り添いであって一方的な施しではないというか、相手の気持ちになっていたむ*3ことができる性質なんじゃないかなあ、と思った。たぶん。W.I.N.G.のコミュでオーディションで他人を気遣って力を出し切れなかったくだりと結びついた……はず。スルツェイがどこから飛んできたかは覚えてない。Twitter検索しても出てこなくてビビった。

Evernoteにメモ作ったのが3月末で、PITB合同の募集をかけたタイミングだったはず。これより少し前に参考文献を買って読んでたらまさかのSSF落選。ざっくり1ヶ月の後ろ倒しに。なお進行は修羅場です。どうして。

 

参考文献は以下の通り。遠藤周作だけ再読。

読みました

人死にの話だし自分だっていつか関わるかもしれない話*4だし、あんまり知らずに書くのは不誠実だなあと思ったのでとにかく情報が必要だった。足りてるかはわからん。活用できたのは1割くらいな気がするけど、必要で有意義な手順だったと思う。だからといって全部わかりましたわきまえた上で話してますと言うつもりはなくて*5、結局は消費・搾取なんですよね。他人の不幸だし。なんの話だっけ?

 

・死を前にした人にあなたは何ができますか?

『死について考える』と似た話がある。「相手の不幸を完全に理解することはできないが、『理解してくれている』と相手に信じてもらうことはできる」みたいな話。幽谷の寄り添いってそういうことなんじゃないかなと。初対面で涙を流した理由*6はこれが元……なのか? 幽谷はそういう打算*7ではなく、本当に相手と同じになっていたんでくれる……みたいな信念を足している。

・ホームホスピス「神戸なごみの家」の7年 「看取りの家」から「とも暮らしの家」に

 ネガティブな印象を与えがちな『ホスピス』に前向きな意味を与えるというか、近づいてくる死を柔らかく受け止めるというかそういう話だったはず。本文に出てくる『治療ではなく生活を』のコピーはここから着想を得ている。

・こどもホスピスの奇跡 短い人生の「最期」をつくる

 上記2点が老年層に焦点が当たってたのに対し、こっちは若年層のホスピスについて。大学受験の話とか末期状態で服用する薬の副作用とかはここを参考にした。

・ホスピス病棟の夏

 夫婦の話。日記に近い文体で淡々と書かれていて、看病・闘病と関係ない話もいっぱい。病気と共にあっても生活は劇的なことばかりじゃない、って感じで良い本。話に転用した部分は殆どないはず。帯でめっちゃ感動!みたいに書かれてたのが違和感あった。淡々としてるからいいと思うんだけど。

・シシリー・ソンダースとホスピスのこころ

 抽象的な話が多くて難しかったけど、看護の立場・考え方を学ぶのに役立った記憶がある。シシリー・ソンダースの伝記っぽい部分もあったようななかったようなで読み応えあり。

 

参考にするなら本編とか幽谷の描写なんじゃないのって思うけどそんなに読んでない。今まで読んできた分の上澄みというかぼんやりした像をうまいことお話に落とし込んでいくのがいいなあと思ったので。たぶん。

メイン二人の造形はあんまり悩まなかった。名前は珍しすぎず平凡すぎずがコンセプト。あきらじゃなくてあかるです。渾名のカエルは歌詞から、ネズミは【菜・菜・輪・舞】から。見た目からこの渾名がつくってことは三枚目以下なので、その辺りを幽谷と対比できてよかった。片方が関西弁になったのは文章で見分けがつきやすいから、性格に差を出せるから*8。あと霜降り明星のラジオを死ぬほど聴いてたのでそれかもしれない。「そういうのもうええて」とかしょっちゅう言ってるし。

冒頭の問いはこの手のお話*9へのアンチテーゼ。とはいえ白山自身も何気なく過ごして死にそうだけども。アンチテーゼであるからにはカエルとネズミに違う結論を用意する必要があるので、逆算して二人の境遇を考えた。幽谷もそうで、死を過剰に(?)恐れていない、その後に何か残すこと、って考えたら感謝の言葉であったり鉢植えであったり施設のこどもたち、ってなるのかなと。

幽谷と出会ってから二人に変化が生じる。家事手伝いだったりこどもと遊ぶことであったり大学受験であったり。こどもの描写わからんすぎて2秒で終わったの割と後悔してるけど、主題じゃないしという逃げ。泣くような目にあってもスッと遊びに来るしこっちのことをなんとも思ってない(?)幽谷霧子とかいう怪物、かわいいね。あと『怪物か異物』って言おうとしたけど駄洒落なのでやめた。

神の見えざる手のくだりは歌詞の『見えない手に押されて放り出された舞台じゃないから?』から。ゲーム本編の描写を本文でやるのは文量を稼げるのでオススメです。違う視点で見た時の話もできるし。

カエルが死ぬのは最初から決まっていた。難病だし。狂言回しというか進行役っぽい位置だから、ここから先が悩ましかったけどなんとかなった。命日の描写はたぶん一番スムーズに書けたところで、かなり最初の方に書いた記憶*10。唱えたアンチテーゼをなぞれないの、白山の手癖感がすごい。礼拝は遠藤周作であったり参考文献各種であったりで、ホスピスとキリスト教の結びつきを認識してたから。説教でテーマの補強もできるし。つって色々調べたけど上手く説明できた感じはしない。むしろもっちゃりしてる。キリスト教のこと全然わからん。あといきなり教会に誘われるっていうの、そこだけ抜き出すと微妙に心証が悪い。予防線は張るけども。幽谷が歌うシーンはもっとねっちり書いてよかったかもしれない。

独白と幽谷がここに来る理由の説明。シーンの締め方がわからなかったのと、勉強目的だけで幽谷が来るわけないよなあ、と思ったので足した。母親との和解(?)もしておくべきというか、冒頭の恨みが幽谷に解消されたっていう変化があれば物語として筋が通るので入れた。この辺から駆け足気味だけど地の文を書くのは気持ちよかった。

夢の風景。こういうの手癖でついつい入れてしまう。オチは「いずれ私だって、おばあちゃんと同じようになるんですよ」をやるのが決まっていたというか、ここから逆算して書いたようなもの。ここは屋上、神のプールなので。当初はネズミがそのまま事切れるつもりだったけどオーバーな気がしてやめた。末尾の一文はギリギリで入れたけど画竜点睛って感じでいいですね。読後感よければすべてよし。

雑誌のグラビアか施設のレクリエーションでビニールプールを出すとかして、幽谷の水着を書こうと思ったけどあまりにも性欲すぎてやめた。その直前か直後にカエルが死ぬ手筈だったのでなおのこと。でも男子高校生だし仕方なくない? なくない了解。切れた糸電話もどこかで入れたかったけど場所がなかった。こどもが出てくる流れになるはずだし。全体的に施設の生活感をあんま出せなかったのが後悔ポイントなんだけど、やったらたぶんテンポが悪くなるしこれでよかったかな。

スルツェイ(島)にも言及しようか迷ったけど(テレビでそういう番組が流れるとかで)、唐突だし見えざる手とシチュが被るしで省いた。結果的によかった。

 

 

こんなに頑張ってるんだぜアピールってクソ寒いからやらんでおこうと思ってたけど、あんまりにも予想外に褒められたのでやってしまった*11。振り返るとこの頃も結構活き活きと書いてた感じがする。今は搾りカスです。

*1:スペース貸してくれた外山ありがとうね

*2:今もメンヘラではあるが……

*3:わざとひらがなです

*4:病気じゃないにしろね。そういや祖母はそういうシリアスな局面になってから10年くらい元気だったし、祖父は知らんうちに亡くなっていた

*5:だから『こんなん人の不幸・難病や死をダシに楽しんでるだけやんけ』という批判は否定しない。いちいち反論もしないけど

*6:末尾で説明してる

*7:って言うほど冷たくないはずだけど

*8:ステレオタイプだけど

*9:物語でも、われわれの話題としても

*10:一番おいしいところを最初に書く癖がある

*11:そしてずっと温めていた