いよいよ明日2019年11月8日、小島秀夫最新作『DEATH STRANDING』が発売される。今作のテーマは「つながり」らしい。
MGSシリーズでは1から4までは順に「GENE」、「MEME」、「SCENE」、「SENSE」、そしてPWでは「PEACE」が、Vでは「VOICE」と「RACE」がそれぞれテーマとなってきた。PW以降、メタルギアシリーズはこうした作品のテーマに対するアプローチの仕方を変化させた。このことは小島秀夫監督の口からも語られている。
反戦反核でずっとやってきましたが、これは僕の中で「こういうテーマで伝えたい」というものがあってやっていたことです。20数年続けてきましたが、なかなか世の中変わりませんよね。世界中で紛争が増えてテロも起きて…今の10代の子もあまり興味を持っている子は多くないと思いますし、どうしようかなと考えたんです。
映画では、悲惨なシーンを見せて「戦争はダメです」と伝える手法がありますが、映画でできることをゲームで伝えるというのは得策ではないと思い、「ピースウォーカー」からちょっと手法を変えたんです。
どうするかはプレイヤー自身に決めてほしい―「METAL GEAR SOLID V: GROUND ZEROES」小島秀夫監督インタビュー
『METAL GEAR SOLID PEACE WALKER』ではプレイヤーはビッグボスとなり、自らの部隊を拡大していくことになる。ソリッド・スネークが不殺の道具として使っていた麻酔銃は拉致の道具となり、プレイヤーは最終的に自衛のため、抑止力として核兵器を持つに至る。作品のテーマは先に述べたように「PEACE」、平和である。「汝平和を欲さば、戦への備えをせよ」という警句の如く、平和ために軍拡し、核武装をすることをプレイヤーに体験させるのだ。(ジョン・ウィック3面白かったね……)MGSVに関して「結局ビッグボスが悪に落ちていない」という感想が発売当時あったが拉致と洗脳によって兵士を集め、戦場へ送り金を稼ぎ、武力を拡大し、最終的に核武装に至る集団はどう考えても悪だ。ビッグボスはPWの時点で十分真っ黒だった。
続く『METAL GEAR SOLID V』では「VOICE」と「RACE(人種、民族)」がテーマだ。そこでプレイヤーに何をさせたかと言うと話す言葉だけで人を判断し”隔離施設”送りにするということだった。”民族浄化”のプロセスをプレイヤーに体験させているわけだが、1作目の「殺戮を楽しんでいるんだよ 貴様は」という台詞や3のザ・ソロー戦と違い手口が巧妙なのでそのことに気がつくかどうかはプレイヤー次第である。また、「RACE」には軍拡競争という意味もあったのかもしれない。
軍隊を持たないコスタリカの少女(PEACE)の「抑止力」となる為に、スネークとなったプレイヤーが軍拡を強いられるのが「PW」。「報復の連鎖」という動機付けの中で、再び軍拡と核武装を行うのが「TPP」。最後はスネークという役割を捨てたプレイヤー達が果たして「核廃絶」を願うかどうか。
— 小島秀夫 (@Kojima_Hideo) November 29, 2015
小島監督作品は時折「説教ゲー」と揶揄されるがPW以降は直接的に「戦争は駄目です」と説教するのではなく、プレイヤーに実際に戦争の仕組みを体験させ、そこで何を感じ取るかはプレイヤーの手に委ねるという形を取ってきた。その一つの到達点として核廃絶エンドがあったのだろう。
おそらく『DEATH STRANDING』も 「つながり」というテーマを称揚するだけの内容にはならないはずだ。現にサムは「つながり」を訴えるアメリたちを「カルトだ」と語る。そもそも棒と縄の比喩が度々引用されてきた安部公房の短編『なわ』は心中を持ちかけるろくでなしの父親を二人の姉妹が協力して「なわ」で絞め殺すお話だ。高校2年生の小島青年が読書感想文に書いたように「なわ」を「棒」として使う話であり、最後の4行は作品の「テーマ」と言うよりもシニカルな「落ち」であると見るべきだろう。
全文掲載との要望が多いので、高校2年時に書いた読書感想文コンクール原稿を公開します。実はE3直前に安部公房の「なわ」を36年ぶりに読み直しました。今、36年前の若き自分の強引であまい考察を読んで、歳を重ねる事の意味を再認識してます。 pic.twitter.com/RrE2RY0FHt
— 小島秀夫 (@Kojima_Hideo) June 20, 2016
どうでもいいが『なわ』作中で「屑鉄の死体置場」の屑鉄に”スクラップ”なんてルビは振られていない。 どうやら現在に至る小島秀夫のルビ振り芸はこの当時からのものだったらしい。
そもそもなぜ人が「つながり」を求めるかと言えば、ホモ・サピエンスという種は集団でいることで生存性を高める戦略を取ってきた生き物だからだ。アメリの言うところの「寄り添ってお互いを補う生き物」である。大昔、文明が発達する前は集団を離れてひとり孤立することはいつ肉食動物などの天敵から襲われもおかしくない状況、つまるところ死を意味していた。なので熱いフライパンに触れると自然と手を引っ込め身を守るように、孤立という危機的状況を避けるためヒトは心理的な痛みとして孤独感というもの進化の過程で獲得したのだ。つまり「つながり」とは外敵から身を守り集団の生存性を高めるための武器であり、「つながり」を持った集団は「敵」と認識した相手に対してひたすらに暴力的になることがある。昨今のインターネットでのコミュニティの先鋭化やカルト化、ネットリンチなど思い当たる節はいくらでもあるだろう。 現在のインターネットのような伝達速度のあまり速い双方向の「つながり」は「なわ」ではなく「棒」であることは監督の口からも度々語られている。
オンラインって、世界中の人が直接的につながりますよね。それで、匿名なのをいいことに、他人を心ない言葉で傷つけても何とも思わない人たちがいる。(中略)テクノロジーの進化によって世界中がリアルタイムでつながっているのに、何でそんなことばっかりしてんの……というのもあって。ネットに疲弊している人って、けっこういるじゃないですか。
インターネットは人々をつなげるだけではなく、社会の首を締め、最後には2つに分断してしまう力を持っている。一方で小島監督は手紙のやり取りのような時間差のある「つながり」はそうではないとしている。画面の向こう側にいるのが人であると考える前にクソみたいなリプライを送ってしまうSNSと違い手紙は時間的に距離があるので相手のことを想像せざるを得ないと。
いまから200年くらい前は電話もなかったので、遠方にいる人とのコミュニケーション手段は手紙ですよね。たとえば、異国の戦地にいる兵士が奥さんに手紙を書くとします。“元気にしてる? ここで死ぬかもしれないけど、まだがんばってるよ”と奥さんのことを思いながら書くでしょ? このコミュニケーションにはすごくタイムラグがあって、手紙は船に載せられて国を渡り、3ヵ月後くらいに奥さんのところに届くんです。奥さんがその手紙を開けたときには、すでに旦那さんは死んでいるかもしれない。いまのように双方向ではないから、彼が手紙を書いたときの状況を思い浮かべて、相手のことを考えないとコミュニケーションは成立しないんですね。そういう、間接的なコミュニケーションをいま皆さんに与えることで、思いやりが出てくるかなと。
『DEATH STRANDING』におけるプレイヤー間の「つながり」はおそらく後者なのだろう。一方、ゲーム中でサムが繋いでいくことになる「カイラル通信」はどちらかというと前者の棒的な「つながり」になるのではないかと思う。
繋がればUCAのサービスを使うことができるが、それと同時に常に自分の情報を取得されてしまう。ジョージ・オーウェル著のディストピア小説『1984』みたいな感じだ。小説の登場人物とは似ていない人物も登場して、“人間は過去の出来事を繰り返してしまうからUCAには繋がない”と主張するかもしれない。現代のトランプ大統領や欧州連合みたいなことだね。これはメタファーなんだ。でも、近づけば彼らは「わかった、繋げるよ」と言い始める
『1984』云々というのも気になるが「過去の出来事を繰り返してしまう」「トランプ大統領や欧州連合みたいなこと」という部分が非常に引っかかる。トランプ大統領の誕生した2016年の大統領選挙やイギリスの欧州連合離脱の是非を問う国民投票においてインターネットが選挙結果に大きな影響を与えたということは有名である。(この辺の話に関してナンノコッチャという人はNetflixのドキュメンタリー映画『グレート・ハック: SNS史上最悪のスキャンダル』を見てください)
またこのIGNの記事の引用元になっているGame Informerの記事では以下のような発言をしている。
Yes, because the world setting is the dark and lowest world you can think of. Your solitude, you’re alone – the storyline itself is a worst-case scenario.
「世界観は暗く、あなたの想像することのできる最悪の世界」、「あなたは孤独であり、ひとりぼっち」、「ストーリーラインは最悪の事態」とまあ今回もろくなことにはならなそうである。主人公が繋いできたカイラル通信が原因で物語後半何かとんでもないことが起きて隔離プラットフォームのような酷いことをプレイヤーにやらせるのではないか? みたいなことをどうしても想像してしまう。また”Your solitude, you’re alone”というのも気になる。『DEATH STRANDING』は繋がりがテーマなので逆説的ににプレイヤーにとてつもない孤独感を味合わせるゲームになっているのではないか? それこそ共同体からはぐれ、いつ茂みや物陰から肉食動物が襲ってくるかもわからない荒野を独り歩いて行くような、初期の人類が経験したであろう原初的孤独感を
とここまで発売前のゲームに対して思うところを長々と書いてみたがいざ実際に自分でプレイしてみたら「てんで的外れなことを書いてしまったな」となるかもしれない。なにせ雷電の存在も声帯虫のギミックも発売までは伏せられていたのだ。実際にプレイして自分で確かめてみるまでは何もわからないが、それもいよいよあと十数時間である。ついに「A HIDEO KOJIMA GAME」が帰ってきたのだ。デス・ストランディング、楽しみだなぁ……。
以下、デススト発売にあたって最近読んだ本の話
MEME本の文庫版。単行本から一部が割愛されていますが帯に「『DEATH STRANDING』への繋がり。」とあるように新作に繋がる話を選んで収録している気がします。(気がするだけかもしれない)
「つながり」を求める社会的な動物としてのホモ・サピエンスについて様々な側面から書かれた本。MGSの声帯虫や超個体に関するカセットテープが面白かった人は読むと面白いと思います。
SNSが如何に世の中を有り様を変えたか語るMGS4のメイキング映像にも出演していたP・W・シンガーの新刊。MGS2好きな人は読みましょう。