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「被災地女性は自衛隊に手を振って」のおかしな所をまとめた

 

このたび九州地方を襲った震災により被害を受けられた方々には、心よりのお悔やみとお見舞を申し上げます。

はじめに

twitterをされてる方はどなたも同じ状況だと思いますが、14日以降のTwitterでは震災関連の話題が多くを占めています。

その中で私の周辺では、あるひとつのツイートが問題になっていました。

私もそのツイートについては思うところがあったので、すでにTwitterではいくつかの呟きをしたのですが、その話題に触れている方々のツイートを観ると、ここ数日でもまだ賛否両論が相容れないバチバチ状態になっている様子なので、今日は改めてそのことに関して私が思ったことを整理して書き残しておこうと思います。

なお、私が今から書くことは元々のツイートをした方に対する敵意や攻撃が目的ではないのは前提としてご理解いただきたいです。

もちろん、こうして書いているのは元々のツイートに私が「ん?おかしくないか?」と思ったから書いているわけですが、それでも私は「おかしいだろ?あーん?」という難癖を付けたくて書いてるわけではないのです。

ただ、その元々のツイートに関して色々な人が「言ってる事がおかしい」VS「いや、おかしくねーよ」の言い争いになっている現状を眺めるうちに、私が「おかしいよ」と思う側の一人としてある程度まとまった意見を書くと「もしかしたら対立する両者の相互理解に役立つかもしれないな」と思ったので、そういう目的で書きます。

私はこのところ「偽善者」と言われることが時たまありますから、今回も「また善人ぶったウエメセ長文ババァ乙」と思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、どう思われても構いませんのでこの文章が「件のツイートをやり玉に挙げる」のが主旨ではないという事だけは伝わるとありがたいと思います。

 

おかしいと思う要点は2つ

さて、先ほどから「元々のツイート」と書いてる件のツイートですが、勝手にツイートを貼るのはご本人が不快に感じるかもしれないので、リンクは貼りません。(もしご本人の希望があれば貼りますが)

そのツイートは現役自衛官と思われる方によるもので「自衛隊車両を見かけた女性(女子高生)は隊員に手を振ってあげてください。元気の源になるし作業時間外の話の種になりますんでwww」というものでした。

私がこのツイートを初めて目にしたのはこれ単体ではなく、別の方による「支援者が支援対象に笑顔やら感謝の言葉を期待してはいけない。」という旨の引用ツイートと合わせてでした。

その時点ですでに「賛否」で言えば「否」のバイアスがかかっているので、その点を「桜島は元ツイを公平に判断できてない、身内目線で観てる。」と指摘されたら確かに私には「そうじゃないよ。」と証明するすべがありません。

でもいくらかの反論をさせてもらえるなら、私はそこに書かれていた「支援者が支援対象に笑顔やら感謝の言葉を期待してはいけない。」というのは、既に心得ている事でした。

何と言ってもこれ「対人援助」を仕事にする上で「基本のき」なんです。

つまり、私はいちおう福祉畑の人間ですから、自分も含めてこれまでの仲間内でも介護や医療や福祉分野で真面目にやってる人にとってはこれは「そんなのは踏まえてて当然」のことで「言うのも野暮なこと」という認識でいました。

だから私は元々のツイートを単体だけで目にしたとしてもやっぱりその内容が「支援者が支援対象に笑顔を要求」している時点で、自分は「変なの」と思ったと思うんです。

まぁここは「たられば」の話なので、信じられなければ本題ではないですし、別にいいんですが、とりあえずそういうわけで、私はその元ツイートについて引っかかったので、よく考えて「自分はこのツイートのどこが変だと思うか」の要点をまとめてみました。

要点は2つ。

1つは、今すでにあがっているように

「プロとしての支援者が、支援対象に笑顔やら感謝の言葉を期待してはいけないんじゃないか?」ということ。

2つめは

「自分達が手を振ってほしい対象を女性(女子高生)に限定することの失礼さがすごい。」ということです。

 私の言いたい事はそれだけですが、さすがにこれだけだと言葉足らずだと思いますので、次の章で1つめから順に説明をしていきたいと思います。

 

人助けのプロは「要支援者が助かること」以外を求めない。

まず1つ目の「プロとしての支援者が、支援対象に笑顔やら感謝の言葉を期待してはいけないんじゃないか?」について書きます。

元ツイは被災地の女性に向けて「手を振ってください。隊員の元気の源になるから」と呼び掛けている内容なのですが、これについて私は、自衛官の中のお一人がそう書きたいお気持ちはすごく分かります。

自衛官の方は自分の家族を差し置いてまで真っ先に現地に飛んでますから、そこで被災者が「来て当然」とばかりにシラーっとしてるより「笑顔でお礼を言われたり手を振られる」があったほうが、やりがいや喜びを感じるのは、もう人として当たり前の心情です。それがあるほう皆さん頑張れるに決まっています。

でも私はそれがいくら事実でも、支援者側から「乞う」たらアウトだと思うんです。

あくまでこれは

支援される人のお礼という『現象』⇒ 支援者の喜び・励みという『結果』

が正しくて、そこに大事なのは「現象」が生んだ「結果」であるという順番だと私は思います。

いくら過去の前例で「この因果関係はセットだ」というのが人々の常識だとしても、私はこの順番を破り「結果」のために「現象」を起こそうとした時点で、もうそれはプロの仕事ではなくなってしまう気がするんです。

この感覚は「美学」と言ったらクサいですが、その感覚が持てるか持てないかで同じ職業間でも「プロ」と「そうでない人」に分かれる所なのかな、と思っています。

もしこれに納得できない方は想像してみてください。

もし老人ホームの利用者入り口に「利用者の皆様へ、介護士が出勤したら笑顔で迎えて下さい。仕事の励みになります。」と張り紙がしてあったらどう思うでしょうか。

「え…なにここ…。そりゃそうだけど、それってそっちから言う事か…!?」って思いませんか?

つまり「支援者」が「要支援者が助かる事」以外の見返りを求めることは、そういう変な違和感を「支援される側」に感じさせる行為なんです。だから、それを1ミリも感じさせずに支援を提供するのが対人援助のプロの仕事かな、と私は思います。

さて、それでもやはり「被災地での話を老人ホームにすり替えるな!」と思われる方がいるかもしれません。

その場合は元ツイに登場する「自衛官と被災者」を「ボランティアと被災者」に置き換えて考えてみて下さい。

もし被災地へボランティアに出向いた人が現地で「県外からのボランティアを見かけた女性(女子高生)は手を振ってあげてください。元気の源になるし作業時間外の話の種になりますんでwww」とツイートしたら、どうなるでしょうか。

たぶん「てめーふざけんなし」「何目的で行ってんだよ」「こんなやつボランティアに来られても迷惑」という批判ばかりがこってり来るんじゃないかと思います。

今回の自衛官の方によるツイートは同じ内容なのに、なぜそういう「批判」だけでなく、ちゃんと「擁護派」もいるのかと推測すると、たぶん日本の多くの人の頭には、すでに3.11以降「自衛官」という職業へのリスペクトがあるから「彼らの本音を大目に見ろよ」という擁護心が働きやすいからじゃないかな、と思います。

でも私は話の本質として「支援者は支援対象者に何も求めるべきではない」については、ボランティアでも自衛官でも同じように適用(むしろ自衛官のほうがプロだからちゃんとするほう)だと思いますから、「自衛官だから何を言って批判するな」とするのは変かと思います。

もちろん自衛隊は大所帯ですから、色々な自衛官がいて、その中には「女の子が励みになるんだよぅ!」が本音の自衛官もいて当然ですし、自衛官の方は普段は一般人から「税金泥棒」とか言われつつも有事の際にはいきなり「聖人君子のスーパーマン」な言動を強要され、そういう「民間人からの扱いの乱高下」に飽き飽きしていると思いますから、内心「俺だってそこまで人間できてねーよ。」と思ってる方も非常に多いと思います。

だから、その点を踏まえれば元ツイは「一部の人間らしい正直な自衛官」による「ただポロっとこぼした呟きだったのかな」と私も思うんですが、だとしても「職業の看板背負ったまま」あの発言をしてしまったのは迂闊すぎると思いました。

なぜなら、やっぱり自衛隊という大所帯の中には、正義感と使命感で被災地での活動に力を尽くしているプロ意識の高い自衛官も存在していて、そういう精鋭の本音を言わせれば、元ツイとは間逆だと私は思うからです。

たぶん精鋭にツイートさせたら「被災された方々から自衛隊へのお気遣いはありがたく思いますが、どうか我々に気を使うことで余計な体力を使わないで下さい。」って感じになるんじゃないかと思います。

まぁ「こんなスーパーマン居ない!」と茶化したい人もいるかもしれませんが、私はどの分野にもプロは一定数居るものと思ってます。

実際、私が今まで観てきた医師や看護師や救命士といった「人の命関わる仕事」で「この人プロだわぁ」と思った方は、要救助者に見返りなんて全く求めていなくて、彼らを動かすのは命や仕事に対する使命感だけのように見えました。その気高さには「神聖さ」さえ感じます。

だから私は元ツイを読んだ時に「人命救助、対人援助のプロがいる職業」の看板を背負ったままこうやって軽はずみな発言をしてしまうと「職業そのもの」や「プロ意識を持ってやってる自衛官」の顔に泥をぬる行為になってしまうので、「やめた方が良かったのでは?」という感想を持ちました。

仮にこれが被災者側から自発的に出た「自衛隊さんに手を振れる人は振ると彼らも喜ぶよ」というツイートならば、同じ内容でもまだ事態はおかしくなかったのかも、と思いますが、よりによって自衛官側から発信していたので、次の章で書く要素とあいまって批判が多くなってしまったのだと思います。

 

要支援者に「色目」を意識させないで欲しい。

 

では、ここからは2つめの 「自分達が手を振ってほしい対象を女性(女子高生)に限定することの失礼さがすごい」について書きます。

これはもう読んで字のごとくそういうことなのですが、確かにこの世の中「女が好き♡しかもなるべくなら若いほうが好き♡」という心情をお持ちの男性がゴマンといるのはもう世の中周知の事実です。

その事実はあまりにも常識化し過ぎているので、この国に住む私たちは男女共にそれを「飲み込むこと・飲み込ませること」に慣らされてしまっている気もします。

だからこそ巷の安居酒屋に張ってある「20代女性は生ビール半額、ミニスカならさらに一杯無料!」みたいな「ガハハエロじじいノリ」の張り紙もこれまでの時代は「ちょっとしたシャレで~す」で通ってきてるわけで、それに対する「女性に失礼でしょ」という声も「うるさいフェミババア発言」としてスルーされてきてるんだと思います。

でも、酒場はある程度「下品なことを言っても許される場」ですから、こういう「女の子大好き~若い子大好き~♡」を前面に押し出した発言もまだ「他の場所で発言するよりは許容」されていますが、その発言が「失礼」な事に変わりはありませんから、時と場合が変われば、これは本当に「ただのゲス発言」でしかなくなります。

その「失礼さ、ゲスさ」がどういうものかという説明が分かりやすくなる為に、ここでひとつ私の友人の話を載せます。

 

という話なのですが、私は彼が「複雑な気持ちになった」原因は、率直に言えばそのお婆さんの言葉に対して「そんな目線で自分はここに居ないのに。」と思ったからだと思うんです。

つまりこのお婆さんの発言は、彼や救助に当たった自衛官にとっては「失礼」だったと私は思います。

しかし同時にそれを「失礼だけど仕方ないこと」だとも思います。

なぜなら、お婆さんはこの世に浸透している「男の子は女が好きでしょ」っていう「シャレ」が染みついている世代の人だし、公人でもなく被災された1人の民間人の立場だけでものを言うのだから、そこでご本人の気が済むなら冗談でも失礼でも咎められる立場ではないと私は思うからです。

しかしそこに「失礼さ」があったのは確かですから、その「失礼さ」がどういうものかというのは明らかにしたいところです。

そこで考えてみたところ、そのお婆さんの発言の失礼さをまとめると、要救助者に対して「老若男女関係ない気持ち」で職務に当たっているプロに対して「男だから若い女をより好む目線を持ちつつ現場にいんでしょ。」という見方をしたこと。だと思いました。

 で、私はこの「失礼さ」と元ツイの発している「被災女性に対する失礼さ」の根っこは同じ気がします。

それは、被災地という「生死に関わるレベルの話」がされている場所での話題を、一気に「色事目線(ようするにシモ関連の話)」に引きずり下ろしているところ。が共通するからです。

そういう風に「話のレベルをシャレや冗談の出るレベルに下ろす行為」っていうのは、被災者側から出るぶんには良い傾向だと思いますが、支援者側からやっちゃダメな事ではないかと私は思います。

なぜかというと、被災された方々にとって当面は自分達の生死や衣食住が深刻な状況で、まだその「命のレベルでものを観て考える」をしている段階なのでそこへ、安全圏に住む支援者が現地に「色事や冗談話ができるレベルで来ている」のが分かると被災者にとっては侮辱されているとも取れて、一言で言えば「こっちは真面目な話してんのにふざけんな」となるからです。

だから、私は元ツイが被災地の方へ向けたメッセージのテイを成しながら、色目冗談レベルの話だったのでそこがあまりにも失礼だと感じました。

あと、自分がもし被災していると想像してみたら「命単位で仕事に向かってる自衛官」や「生死の瀬戸際から生還した人々」の中に混じって平時の飲み屋ノリで「女の子が手を振ってくれたら嬉し~」「おばさんだとがっかり」と思ってる自衛官がいるということを知ったら、私は自衛官に失望します。

たとえそれが一部の方だけと分かっていても、自分から自衛官の方に手を振ろうかな、と思った時に「まてよ、手を振ったら後で彼らに『あの人可愛いかった』だの『いや、30超えてそうだから無いわ』だの「作業時間外の話の種にされる」かもしれないんだ…じゃあやめよ。」って思って手を振るのをやめます。

プライバシーが保たれない環境で避難生活をしている方は、ただでさえ「他人の視線」が煩わしいはずです。その視線にさらに「色目」も混じり、しかもそれが「支援に来てる男性自衛官からも向けられてる。」なんて事が分かったら、被災地の女性にとってはひどいストレス源です。

そういうわけで、元ツイは「だだ被災した女性に『自衛官による色目が少なからず向けられているよ』という事を知らせる不要な情報」だったのかな、と思います。

というわけで、今回、この元ツイを問題視された方にはそれぞれの視点があると思いますが私が「変」と思ったのは以上の2点です。

「本当にうるさい女はいちいち何言ってんの?」と思う方に「こちらが何言ってるのか」がいくらかでも伝われば幸いです。

最後に

ここまで散々と書いた内容が、元ツイ自衛官の方をこき下ろす文章になってしまいましたが、ただ一点だけ最後に自衛官の方を擁護したいと思います。

私は、この発言の「内容」はともかくとして、この自衛官の方はまだ「ネットでの発言」に関して「声の大きさが自分では選べない」ということに自覚がないだけで起きたこたかな、と思います。

「隣の席の人に向けた、ほんの冗談」としてつぶやいただけのことが、SNSだと拡散されていつの間にか街頭で拡声器で喋ってるくらいの声の大きさになります。

私もこのところ、その怖さや扱いの難しさに困惑することがありますので、元ツイの方もうっかり内輪ウケする事を書いたら大勢に批判されて驚いているかもしれません。

しかし震災関連についての発言はとてもデリケートです。

だから、このメッセージが軽いノリではあるものの「内輪ウケ」から「被災された女性の方へ」の呼び掛けの形をしていたので、多くの人が「被災者を思って」意見したくなったのだと思います。

いま、被災された方々を思う気持ちは、それぞれの心に大なり小なりあると思いますので、どうか協力してそれぞれが出来る支援を届けられると良いと思います。

被災された方々に1日も早く心休まる日が来る事を願って書きました。

ではまた。

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