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結婚出産の「規定コース」を外れても幸せな女は存在する

 

私はかなり幼い頃、女の人の出産について大きな勘違いをしていました。

それがどういうものかというと、私は女の人の出産というのは天命で勝手に決まってるものだと思ってたんですね。

女の人は年頃になるとひとりでに妊娠する人はするし、しない人はしない。妊娠する場合もそれがいつなのか?何回妊娠するのか?というのは本人にも分からないものなんだと思っていました。
その感じはなんというか、おたふく風邪や水ぼうそうみたいな病気が、一生かからない人もいたり、かかる人もどんな順番でかかるかは本人も分からないような感じです。
 
だから私は少し大きくなって妊娠や出産ということが、そこに本人や相手の男性の意思があって「やることやって作った結果」だと知った時には結構驚きました。
 
この勘違いに対して、皆様は「変な説を考えついたもんだなぁ」と思われるかもしれませんが、実は私は自分では何故こんな説を勝手に作り上げて信じていたのかというその根拠を覚えてるんです。
 
その根拠は、私が物心ついた時から聞かされていた母の発言でした。
 
ここからちょっと重い話になってすいませんが、以前「産みたい女ー」の記事にも書いた通り、我が家は私が物心ついた時から両親が不仲だったんですね。
不仲と言っても毎日両親が喧嘩してたパターンではなくて、うちの場合はほとんど父が家に居なくて喧嘩する姿すらあまり見たことのないまま、母がとにかく父を嫌っている事だけが家族の常識になっている、冷戦パターンのやつでした。

父は典型的な仕事中毒&外面重視の人で、家にお金は入れるもののほとんど家で見かけることが無かったので、金銭面以外ではうちは母子家庭のような状態。
 
そんな中で、幼少期の私はいつも母に小言を聞かされていました。
その小言の内容は、主に父の文句なのですが時には母が自分の「今の状況を呪う言葉」として私に向ける内容もありました。
それは「あんたなんか産まなきゃ良かったわ」とか、その他にもうちは4人きょうだいで私が末っ子なのですが、上の2人と下の2人の間には8歳の年齢差があって、そのことからも「下の2人が居なければお母さんとっくに離婚してたのに。」と言われたりしました。
 
あと、最もよく言われたのはこれ。
「ニニちゃんが出来た時、お父さんは『堕ろせ』って言ったのよ。お母さんがそれに反対して産んだからニニちゃんは今生きてるんだからお母さんに感謝しなさい。お父さんのことはうんと怨みなさいね。」
 
うーん、こうして字面で見ると私、結構酷いこと言われてますね。
今考えると当時の母はそうとうこじらせていたんだと思いますが、まぁそれはさておき、私は幼い頃から母のこういう「子供がいなければ」系の発言を刷り込みのように聞いていた結果、物心ついた時にはてっきり先ほど書いたように勘違いをしてしまったんです。
つまり、幼心に「お母さんは子供がこんなに欲しくなかったけど現に私は居る」=「子供の誕生とは自分の意思でどうにかなるものではない。」と解釈したんです。
先入観の無い子供ならではの発想ですかね。
 
今、これをお読みの正しい子供の生誕システムを知ってる大人の方からすれば、母の発言は「自分で作っときながら、その後悔を子供本人に言うなんて、浅はかな女だ、毒親だ」と非難されるかもしれませんね。
私も生誕システムの真実を知った当初は、母に対して怒りでは無いものの、その理不尽さに首を傾げてしまいました。
「えっ、自分の意思で出産するしないが選択できるもんなら、次兄も私も作らなきゃ良かったじゃん。しかも産んだ後に後悔してるとしてもそれはお父さんに言うべきじゃん。私に言われても困るよ。」という感じに。
 
でも、私は性格的にぼけっとした子供だったのと、そんな事を言いつつもなんとなく私を可愛がってくれてる母のことが好きだったので、事実を知っても母に対して「お母さんひどい!」とは思わずに「そう言われてももうワシ産まれてるしなぁ…どうしようもないよなぁ。」といつも受け流していました。
 
大人になってから時々こういう話を人様にすると「よくグレなかったね」と言われたりしました。
確かに子供が小さい頃に「親から必要とされなかった感覚」を植えつけられると思春期にはそういう親に反抗してグレるという定石はあるので、私もグレてもおかしく無い環境だったのかもしれません。
でも、私がグレなかった理由は多分2つあって、1つ目はずっと「こういう事を親に言われるのは普通のことだと思っていたから」というのと、2つ目は「きょうだいが仲良くて姉や兄から十分な寵愛を受けていたから」だと思います。
 
まぁ、そんなわけで私はなんとなくグレずに無事大人になったのですが、最近になって当時の母の発言を改めて考えると「やっぱ子供に言うべきことではなかったんじゃないの?」とは思います。
 
でも、私はそういう事を子供に言い聞かせてきた母のことを恨んだり「愚かな親」と思えないところがあります。
確かに世間的に見たら自分で作っといた子供に「産むんじゃなかった」と直接言う母のような人は「酷い毒親、愚かな人間」という見方をされて仕方ないかなと思いますし、同じような事を言われて育った他の方がいたとして、その方がずっと親を恨んでいたりしてもおかしくはないと思います。
 
でも最近になってから私は「なぜ母はああいう事を私に言っていたんだろう?」と考えた時に、それが母1人の人間性が愚かだったせいではない気がしてきたんです。
簡単に言うと「母1人の頭がおかしいせい」で、私がそういう事を言われていたんではなくて「母の周りの環境によって、母もそういう事を言わなきゃやってられない精神状態だったんじゃないか」と思うようになったわけです。

まぁ、私がそう思うようになったのは、多分大人になってから身に付いた私の「考え方の癖」のせいだと思います。
昔の私はなにかの犯罪者が捕まった時に、ただ単に「この悪いやつめ!」と思ってたのですが、大人になってからの私はどうも犯罪者にも「こいつは悪いことをしたけど、生まれながらの悪人ではなくて、何か悪いことをせざるをえなかった環境が揃ってしまったのかもしれないな。」という考え方をするようになって、それが癖になっているんです。
 
なので、最近ではその当時のことを考える時、母のその当時置かれていた環境や事情について色々察するようになりました。

そうしているうちに私はこの頃、当時の母に対して同情を感じるようになりました。
それは世間にはびこる、ある風潮を私自身も感じ取れるようになったからだと思います。

その風潮とは、まず世間の男尊女卑的な空気。
それに付随して世間が女の人の生き方に対して「結婚を経て出産する事が女の幸せ」という型を押し付ける空気です。
 
私がなぜその空気を感じ取ることで、母に同情できるかというと、母は肩書きで言えば「4人の子供が居る専業主婦」だったんですね。
それは当時、子供を産めなくて周囲に責められていた女性や、生活苦で共働きをしなきゃならないような女性から見たら「羨ましい立場」と捉えられてもおかしくありません。
また、外でひたすら働き、家族を養う生き方が強制させられていた世の男性とっても「家でぬくぬく過ごせてなにが不満なんだ」と思われる立場でしょう。

つまり母は、その当時の風潮で言えば「幸せでなければおかしい立場」なんです。
 
私はそのように世の風潮が「結婚出産してこそ女は幸せになる」&「結婚出産しない女は不幸である」という常識に囚われていたということは、同時に「結婚出産しないで幸せな女はいない」&「結婚出産してるのに不幸な女はいない」という常識にも囚われていたのではないかと思うんです。

だから母のような人が、もし生活に不満があっても人にそれを言えない。
言ったとしても「そんな恵まれた環境を手に入れていて文句を言うなんてワガママだ、バチ当たりな女だ」と言われて口をつぐむしかない時代だったんじゃないかと。

でも実際の母は、子供にそんな事を言わなきゃやってられない精神状態なので、幸せを感じていなかったと思います。

 æ¯ã¯ãã†ã„う、世間からは「幸せでしょうね」とされている立場でありながら、本当は幸せを感じられない自分の現状とのギャップに苦しんでいて、そのどうしようもない不満の行き場が私だったんじゃないかと思うんです。

今だったら、Twitterとかブログとか個人の発言ツールもあるし、各種の相談センターもあるので、母のように不満を持つ女性を「そうだよね」と受け入れてくれる受け皿が社会にあるかもしれませんが、「その当時の社会のどこにそういう受け皿があっただろう?」と考えると、私は母に同情してしまうのです。
 
もちろん、本来母の1番の受け皿になるべきなのは当然父のはずで、本当ならこんな風に、母が人生に後悔を感じるなら、その問題を根本から解決するためには父と母が家庭について良くするために話し合う事でしか解決はしないと思います。
 
でも、当時の父もきっと世間的には「家計を支える為にバリバリ働く立派な男」という評価を受けていて、本人も自分の落ち度を感じていなかったようでした。

それがなぜ分かるかと言うと、父は一昨年亡くなったのですが、亡くなる前の1ヶ月間に、色々あって私はそれまでの人生で父と喋ったのと同量になる位に父と話す機会がありました。
その時、私が父に「なんでお母さんと仲が悪くなってしまったのか」と聞いたら、父も「自分では思い当たるフシがない」と言っていて、色々話した結果、父は本当に自分が家庭を顧みなかった事が母をおかしくさせていたという自覚が無かったんです。

今だったら家計を支える為にとはいえ外で働くだけで、家庭的な事には一切関知しない父のような男性は、ある程度世間からも「ひどい男だねー」という見方をされますが、当時は「男は仕事だけしてればいい」という考え方が今よりはびこっていて、父もその考え方が浸透していた人間の1人だったんだと思います。

だから私は両親が不仲だったことも、母が私にぶつけていた言葉も、母1人の人間性の責任として背負わせるのは可哀想だと思うようになりました。
母のことを、その男尊女卑の風潮が強い時代背景の被害者だと思うからです。

で、今日私がなんでこんな話をわざわざ書いてるかというとですね、こないだまで話題になっていた雑誌FRAUの山口智子さんのインタビューに関することがちょっと引っかかるからです。

あの山口智子さんのインタビューを読んで私は、彼女は何も嘘いつわりなく自身の結婚観や「子供を持たない意思」を語っていたと読み取れました。
そして、このように自身の生き方が「結婚出産」のいわゆるお決まりコースではなくても堂々と「幸せ」だと語れる山口智子さんに共感しましたし、素敵だと思いました。

でも、ネットニュースの日刊ゲンダイの記事では彼女のインタビューに関してこのように書いていたんです。

人気女優の大胆な告白は波紋を呼びそうだが、芸能評論家の肥留間正明氏はこう言う。

「インタビューの内容は衝撃的ですが、後悔のない人生だとことさら強調するところに逆に“懺悔の念”を感じさせます。若い女性たちに自身の生き方を勧めたり、さまざまな選択肢があることを示すというより、自身の生き方を反面教師にして欲しいという思いが強いのかもしれませんね」

もうね、私はこのネットニュース記事を読んだ時、この芸能評論家の人に対しては「よくこんな邪推が出来るもんだな!」と驚きました。
しかもこれをそのまま有識者の意見みたいに載せる日刊ゲンダイもどうかしてると思います。

で、その時したツイートがこちら。


最後のツイートに「時代逆戻り」と書いてますが、私が本当に怖いというか嫌なのがこれなんです。
昔の母のように「世の中の女性に対する風潮」と「自身の想い」とのギャップに苦しむ女性を、私はもう見たくないからです。

でもこの芸能評論家の「女は結婚して子供を産みたい生き物のはずだから、山口智子は後悔してる」=「結婚出産コース以外を行く女に幸せはないはず」と言わんばかりの意見は、昔の母の周りにあったであろう風潮「結婚出産コースを行く女が不幸なわけがない」とセットのやつじゃないですか。

だから私はこれが現代にまだ堂々とメディアに載せられたところに「やっぱし、いくらマシになったとはいえ、いまだに世の中にはその固定概念をアリとする場所もあるんだなー、あーあ」と思いました。

私は世の中のこういう考えの人にも、本人にそう考えるなりの事情やそれなりの考えがあってでそこに留まってるのでしょうから「間違ってるから考えを改めろ」とか「この世から居なくなれ」とまでは言いませんが、こうやってメディアの一端を担う立場なら、もう少し立場を考えて発言して欲しいとは思います。

なぜなら、世の中の風潮ってやっぱりメディアの影響が大きいと思うので、こんな風にさも当たり前のように「子供を産めなかった女性は後悔してるものなんです。」という一個人の感想でも、受け手によってはそのまま「そうなんだなぁ」と信じてしまい、その信じた人が身近な女性に何気なく「子供産まなきゃ後悔するよ」と言ってしまう可能性があるわけで、そういう事態が世の中のあちらこちらで起こるということが「女性を縛る風潮がある」ということだと思うからです。

私はこの芸能評論家のコメントを読むと、(山口智子さんのように)自らの意思で子供を欲しくないと思う女性を「普通ではない感覚の持ち主」に仕立て上げたいような意図を感じます。
でも、私は山口智子さんを「普通では無い感覚の持ち主」とは思いませんし、彼女のような生き方をする一般女性も、今の時代なら大勢居て当然だと思います。
それを「規定コースから外れてるくせに幸せぶりやがって、本当は後悔してるんだろ?」みたいな見方をするのは本当に人としてゲスいことだと思います。

私は、現に結婚出産の「規定コース内」を辿ったのに不幸せだった母を観て育ったおかげで、人の生き方、女性の生き方に「結婚出産すれば幸せ」「結婚出産しなければ不幸せ」なんていう「規定」がそもそも無いのだと芯から分かってます。
だから人の幸せに「他者から見て理想とする生き方をしていること」は関係なくて、大事なのは「本人が理想とする生き方ができること」それに尽きると思います。
なので、その妨げになるような「風潮」は無くなって欲しいだけです。

私の望んでいるこれからの女性に対する風潮は、山口智子さんのように
結婚して子供を望まないことも「アリ」
結婚すらしなくても「アリ」
もちろん結婚出産することも「アリ」
ようするにどんな生き方をする女性も「規定から外れた女」ではなく「アリ」
そもそも人の生き方に「規定」があるとすること自体が「ナシ」という風潮です。
その中で、誰が自分の生き方を語っても相手が「いや、本心はそんなことあるまい」と邪推せず、すんなり「あ、そうなの」と受け入れるようになると、ずいぶん女性が自由に生きやすくなるのかなと思います。

というわけで今回はこんなことを書いてみました。

ではまた。