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「ヨシヒデ・スガ、それともスガ・ヨシヒデ?」ローマ字表記「姓→名」変更要求に欧米メディアが反発

木村正人在英国際ジャーナリスト
国連総会でビデオ演説する菅義偉首相(提供:United Nations/ロイター/アフロ)

「日本はメディアに“姓→名”への表記変更を強いる」独メディア

[ロンドン発]ドイツの国外向け公共放送ドイチェ・ヴェレ(DW)が菅義偉首相の姓名のローマ字表記について「ヨシヒデ・スガ、それともスガ・ヨシヒデ(Yoshihide Suga or Suga Yoshihide)?」「日本はメディアに“姓→名”への表記変更を強いる」と報じました。

文化庁によると「日本人の姓名をローマ字で表記するときに、本来の形式を逆転して“名→姓”の順とする慣習は、明治の欧化主義の時代に定着したものであり、欧米の人名の形式に合わせたもの」です。

しかし昨年9月、安倍政権は国の文書で日本人の姓名のローマ字表記を「姓→名」の順にする方針を決めました。これを受け、今年1月1日から特別な事情がない限り「姓→名」の順とし、姓を明確にする場合は全て大文字にすることになりました。

海外生活が長くなると日本の年号と西暦を合わせるのに一々、変換表を照合しないといけないので大変です。確かに外来語・外国語や和製英語は相互理解を深めるより、発音や意味が異なるので混乱の原因になることがあります。

しかしこれまで1世紀半近くにわたって定着してきた「名→姓」のローマ字表記を一斉に「姓→名」に変え、国内だけでなく海外でも定着させるとなると膨大なエネルギーを要します。

言い出しっぺは河野行政・規制改革相

表記変更の流れを作ったのは河野太郎行政・規制改革相でした。外相だった昨年5月、記者会見でこう発言しました。

「外務省としても令和という新しい時代にもなりましたし、中国の習近平主席をXi Jinpingとか、韓国の文在寅大統領をMoon Jae-inというふうに表記している外国の報道機関が多いわけですから、安倍晋三首相も同様にAbe Shinzoと表記をしていただくのが望ましいと思っております」

しかし中国も韓国も先進7カ国(G7)のメンバーではありません。河野氏は前の防衛相時代にもナショナリストぶりを随分、発揮しました。その英語力がどの程度かと言えば、これは相当なものです。

英下院外交委員会のトマス・トゥーゲンハット委員長が主宰する保守党内の中国研究グループのオンライン勉強会で中国問題について講演して以来、トゥーゲンハット氏は事あるごとに「コウノ」「コウノ」と河野氏の姓を口にするようになりました。

英陸軍出身のトゥーゲンハット氏も対中強硬派で河野氏と意気投合したという面もあるかもしれませんが、河野氏ほどの英語力があれば日本式の「姓→名」でも国際社会で十分やっていけると思います。

欧米メディアは日本異質論が大好き

しかし「めどがついたらフィリピンのセブに行って3カ月くらい、語学学校に入って。それで片言の英語を話せるようになって1、2年ゆっくり世界を旅行したいね」(NIKKEI The STYLE)という菅首相の英語力では従来通り「ヨシヒデ・スガ」にしておいた方が無難なような気がします。

26日、国連総会での初の一般討論演説(ビデオメッセージ)。菅首相は石兼公博国連大使によって「スガ・ヨシヒデ」と紹介されました。菅首相の演説には英語の字幕や吹き替えが付いていたとは言え、全て日本語。姓名のローマ字表記も日本式の「姓→名」にしてしまうと、世界との距離はかなり開いてしまうのではないでしょうか。

西洋式の「名→姓」から日本式の「姓→名」への変更は、国際捕鯨委員会(IWC)を脱退して31年ぶりに再開した商業捕鯨と並んで、日本の欧化主義との決別、復古主義を国際社会に印象付け、日本異質論につながりかねない恐れもあると思います。

そして欧米メディアはこの日本異質論が大の好物なのです。

「“姓→名”への変更要求は海外メディアへの踏み絵」

DWは「NHKは新しい表記をすぐ採用したものの、他ではあまり進んでいない」と報じています。日経、朝日、毎日、共同通信の英語版、ジャパン・ニューズ(読売英語版)、ジャパンタイムズはまだ編集方針を変えていないものの、数人のジャーナリストは、圧力は次第に増していると話しています。

DWによると、欧州の有力通信社のジャーナリストは河野氏にインタビューした際、河野氏が「コウノ・タロウ」という表記にこだわったため、欧米メディアでは「名→姓」が採用されていると断らなければならなかったそうです。

「姓→名」のローマ字表記がまだ日本でも定着しているわけではないので混乱を引き起こすだけだとこのジャーナリストは指摘しています。

日本政府はすでに国内メディアの批判を大幅にコントロールしており、次の標的は海外メディア、「姓→名」への変更要求はその踏み絵になるという懸念を抱くジャーナリストもいるそうです。

欧米文化の中で育った人は日本式に意思に沿わないことに従えと言われると必ず反発します。ましてやジャーナリストともなると、お上の言うことに唯々諾々と従う人はまずいないでしょう。

日本外国特派員協会に加盟する特派員は半減

国境なき記者団の世界報道自由度ランキングで日本は180カ国・地域中66位。海外メディアに表記変更を無理強いすると、さらにランキングは下がるでしょう。

日本に特派員を常駐させる海外メディアは減り始めています。東京新聞は、日本外国特派員協会が昨年、財政悪化から解散を検討していたと報じました。加盟する特派員がピーク時の半分に減り、会費が落ち込んでいるのが原因だそうです。

今のところ「姓→名」への表記変更の効果は現れていません。国連総会での一般討論演説でも保守系・産経新聞の支援を受ける英語ニュース・オピニオンサイト「ジャパンフォワード」ですら「ヨシヒデ・スガ」と報じました。

ジャパンフォワードのサイトをスクリーンショット
ジャパンフォワードのサイトをスクリーンショット

表記変更は国内保守派のナショナル・プライドを満足させることはできても、膨大な時間とコストがかかる割には、一体どのような効果が期待できるのか筆者には全く分かりません。

日本はグローバル化にもデジタル化にも取り残され、ひょっとすると「鎖国」時代に逆戻りするんじゃないかと考える人が海外で増えてこないか心配です。

(おわり)

在英国際ジャーナリスト

在ロンドン国際ジャーナリスト(元産経新聞ロンドン支局長)。憲法改正(元慶応大学法科大学院非常勤講師)や国際政治、安全保障、欧州経済に詳しい。産経新聞大阪社会部・神戸支局で16年間、事件記者をした後、政治部・外信部のデスクも経験。2002~03年、米コロンビア大学東アジア研究所客員研究員。著書に『EU崩壊』『見えない世界戦争「サイバー戦」最新報告』(いずれも新潮新書)。[email protected]

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