「20世紀最後の大型新人」と言われながら2009年以降、表舞台から姿を消していたアーティスト・shela。昨年12月1日、自身のデビュー日に22年ぶりとなるワンマンライブ『shela Special Fun Live』を東京・南青山レッド・シューズで開催した。彼女は現在、1児の母として奮闘中だが、この復活まで様々なことに悩み苦しみ、未来への絶望があった中での奇跡のワンマンライブだった。
その背景には彼女を支え続けたファンのとある行動も…。ライブを終えたshelaを、マイナビニュースが独占取材した。彼女の心を押しつぶしていた重し、そしてそこへ降り注いだ奇跡とは――?
地元・北海道に生活拠点を移し、1児の母に
開演時刻の19時。いよいよライブが幕を開ける。デビューシングル「White」に収録されている「White Destiny」のイントロが鳴り響くと、フロア後方からshelaが登場。長い時を経たshelaとの再会に早速、多くのファンの涙が頬を伝う。shela本人も涙をグッと堪えながら、歌唱していた。
1コーラスを終えると、ファンに優しく見守られながら一歩ずつ進んでステージ前方へ。会場から「おかえり!!」「shela!!」とあふれんばかりの歓声が飛び交った。
2曲目に選んだのは、自身最大のヒット曲「Love Again ~永遠の世界~」。当時と変わらぬ歌声に、会場は酔いしれていった。歌い終えると、「みなさんこんばんはshelaです」と挨拶し、MCへ。「ここにいることが本当に奇跡。みんなの気持ちに応えることができずにいた自分を責めたりもした」とこれまでの不安や葛藤を告白しながら、「絶対にもう歌から逃げない。一つ一つを積み重ねてファンの方と同じところからリスタートしたい」と決意を語った。
shelaは1999年12月1日、「20世紀最後の大型新人」としてシングル「White」でデビュー。2ndシングル「RED」の収録曲「Love Again ~永遠の世界~」はドラマ主題歌に起用され自身最大のヒットシングルとなる。翌年11月、日本有線放送大賞新人賞、翌々年1stアルバム『COLORLESS』でオリコン週間アルバムチャート1位を獲得するなど大きな功績を残した。
だが、歌い続けていく未来に不安を感じ始めた。それは一人の女性として人生の節目ともいえる20代から30代へ移り変わる時期――「母親になりたい!!」
医師から妊娠しづらい身体だと告げられていた。それでも彼女は交際していた男性との結婚を選択。地元・北海道に生活拠点を移し、間もなく1児を授かった。
ニセモノshelaが登場「元avex歌手だけど質問ある?」
だが、思い描いていた生活と現実は違った。やがて彼女は1人で子育てすることを決めた。
「でもshelaとして、どこかのお店でバイトをしているのを見つかったら、ファンをがっかりさせるかもしれない。何がきっかけで『shelaがここで働いていた』などと、ネットに書かれるか分からない。それでは子どもを守れない」──そんな思いを抱えながらの生活。さらには、「私の唯一の取り柄である歌が封印されていた。もちろんその都度の私が選択した結果でしたが、自己肯定感がどんどん下がっていったんです」と述懐。陰うつとしていく中で、まず1つ目の奇跡が起こる。shelaのニセモノの登場だ。
「ネット掲示板に『元avex歌手だけど質問ある?』というスレッドが立ったんです。それは私のなりすましでした。私も友人から知らされ覗いてみると、『あの曲が好きだった』『今もアルバム大事に持っている』などの声が…。私のことを覚えている人がいたんだと身体が震えました」
心の底からうれしかった。しかし、歌から離れて10年。もう二度と歌うことはないと思っていた。そんな彼女に「ありがとうの気持ちを歌うことで伝えてみたら?」と、現役時代を知る友人がYouTubeの開設を提案。1カ月ほどの悩み抜き、「歌ってみた」などのコンテンツを公開した。
音源を使用するにあたってクリアすべき課題も多く、再び以前のような活動することは容易ではない。だが開設して2年。フタを開けてみれば、1万5千人を超える登録者、「Dear my friends」の「歌ってみた」が25万回再生を記録。楽曲のサブスクリプション配信の解禁と共に当時のレーベルより公開された「Love Again ~永遠の世界~」のミュージックビデオが82万回再生と、想定を大きく超える反響に彼女も驚いた。
こんなにshelaを求めてくれる方々がいたなんて――そんな喜びの中の彼女を次に襲ったのはプレッシャーだった。
「うれしいんですが、『次の動画待ってます』『次はこれを歌ってください』と次々とメッセージが届き、復帰したと間違えられたのではないか、期待を持たせすぎたのではないかという重圧がのしかかってきました。現状ではアーティスト活動をフルで行うことはできない。それなのにこれ以上、何をどうやっていけばいいんだろうという葛藤が始まりました」